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【小説】マスコット〜アイドルと1つになる物語〜

 第4話「変貌」

 翌日、追加で購入した200枚とカツラが届いた。リビングの床面は足の踏み場もないほど無惨にも割れたディスクとケースが散らばっていた。
 スリッパでパキパキと踏み荒らすとテーブルに置いたダンボールのフタに爪を差し入れて開いた。丁寧に梱包された真ん中のディスクを引き抜き左右に分かれた数枚を鷲掴みにして持ち上げた。
 昨日に引き続きパリパリと耳障りな音を聞きながら全てを開封したが何もなかった……ストレスが極限に達した雅美は昨日よりも激しく壁にケースを200回打ち付けるとその場に崩れ落ちた。視界が涙で滲むと声を荒げてその場で発狂した。時刻は間もなく正午を過ぎようとしていた。
 床に散らばった歌詞カードを拾い集めているとポロッと膝の上に何かが落ちてきた。涙を拭い今度はゆっくりとそれを拾い上げる。それはチケットだった。裏面を見ると目を瞠った! 例の訪問お喋り券だった。その券の裏面にはメンバーの電話番号が書かれていた。
 私は昴の電話番号をゲットした。
掛けるのは1度きりだが、その1回が勝ち取った者へのご褒美なのだとレア感に浸っていた。
電話ということは本人しか知らないのか? そのアポを事務所に通すのか分からないが、どちらでも良かった。
 カツラを被り寝室に鎮座している昴の写真の前に券を置くとインターホンが鳴った。襖を開け玄関を開けると配達業者が怪訝そうにダンボールを渡してきた。
パタリと閉まった玄関ドアの内側で「何よ、あの態度! まるで怪物でも見るような目で見るなんて」ダンボールの中身は食材が入っていた。
 これで昴との楽しいひとときにハンバーグを作って彼の胃袋を掴む事で独り占めしているようなシュミレーションに口角を曲げた。ルンルンとスキップをしながら廊下を渡り鏡に映った自身の顔を見ると先ほどの業者の態度にも合点がいった。
 リビングで涙を流したことで中途半端にした化粧が流れ落ちて悲惨な顔をしていた。おまけに三つ編みのカツラが若干右にズレてしまい左側頭部の少ない地毛がカツラの隙間からはみ出していた。しばらく思考したあとであの配達員とは2度と会うことはないと思い寝室に戻った。
 寝室に昴を移動してよかった。やはり寝る時も一緒の方がいいに決まっている。冴えない思考回路が唯一働いた瞬間だった。相変わらず脳に霧がかかった状態だが、昴との電話は大丈夫だろうか? ちゃんと受け答えできるだろうか? 緊張はしないだろうか? などと本来は楽しいことを考えればいいのだが、雅美は不安要素しか考えられなかった。
 スマホの画面のキーボードに昴の電話番号を打ち込む。そっと耳にスマホを当てると2回コール音のあとに声がした。
「こんにちは、電話待ってたよ」その声に心臓が高鳴った。
「こんにちは、すばるくん……」か細声で呟いた。
「はい、昴です。お名前聞いてもいいかな?」返事が返ってくるのが嬉しかった。あの憧れの昴と話しているのだ。しかもタメ口になったのは相手に気を遣わせないための気軽に話していいよの合図だった。
喜多川雅美きたがわまさみです」
「雅美ちゃんって言うんだ。かわいい名前だね」テンプレート的な話し方だが別に構わなかった。
「あ、ありがとうございます」
「ちょっ、雅美ちゃん! 敬語は止めてよ。俺と雅美はもうこうして話す仲なんだよ」呼び捨てにされて耳を赤らしめながら「そ、そうだね」焦る雅美に昴は早くも仕上げの言葉をかける。
「早く雅美ちゃんに会いたいな。その声をスマホのマイク越しじゃなくて直に聞きたいよ」男慣れしていない雅美は爆発寸前だった。
「ねぇ? いつ会えるかな」急かす昴に私は聞かれてもないのに住所まで先に言ってしまい最後にこう告げた。
「昴くん、大好き」ついに爆発した乙女心に「僕もだよ。雅美♡」彼は優しく鎮火させた。
「最後に日にち決めようか? いつなら空いてるかな。都合の良い日があればで大丈夫だよ。無理しないようにね」
「2日後なら大丈夫。急過ぎるかな?」
「ぜ〜んぜん大丈夫!」
「ありがとう。昴楽しみに待っているね」
 通話を切ると電話では声しか分からないが昴はほんとに来るのだろうか? 住所を教えても大丈夫だろうか? あらゆる不安が雅美を襲ったが会うのは2日後という一番早い予約ができたのだ。
 昴は早めに切り上げようと日程を決めてきたがこのチケットを持ってる人は私だけではないので仕方がないが、私と会ったら次の人には悪いけど昴を渡す気にはなれなかった。
すばると1つになる絶好のチャンス】
内心そんな事を思いながら雅美の表情に不気味な笑みが溢れた。
そうと決まればカツラをピンで固定して必要な買い物をしにホームセンターに出掛けた。

 2日後。
今日はついに昴に会える。
コンポから流れるセカンドシングルを聴きながら鼓動が速くなるのを感じていた。
 あれから会社は自己都合退職として扱われたが身勝手ではあるが後腐れなくサクッと辞められたので問題はなかった。
来月には微々たるものだが退職金が入る予定だ。
 そんなことを思いながら以前から割れたCDケースが散乱して足の踏み場もなかったリビングがキレイになっている。代わりに無惨に散らばったケースが和室のベッド下に追いやられたいた。昴をリビングに通す予定だ。キッチンに立った。時計をチラリと見やる。
 昴が来るまであと2時間。
それまでに昴の好きな鶏の唐揚げを揚げることにした。男子はニンニクをたっぷり絡めてカリフワな食感で作れば間違いなく彼の胃袋を掴めるに違いない。
 そのくらいで30分という時間が来るだろう。そのあと告白して彼の反応を愉しめれば十分だろう。あっ! いけないアクリルスタンドを手に入れていないので代わりに写真立てを玄関に飾ってアピールしなくてはいけないので、寝室から昴の写真立てを玄関のシューズボックスの上に誇らしげに置いた。
 しばらく見惚れていると油が跳ねる音がしたので戻ることにした。
 もし、昴と結婚まで行ってしまったらどうしよう。彼の帰りを待ちながらこうして料理をするのだろうか? 妄想が楽しみを倍加させていく……不吉な翳りが差したのは丁度この時だった。
 嬉しくて顔が歪んでいる事に気付き元に戻して真顔で敷かれたレタスの上に唐揚げを乗せその周りに半分に切ったプチトマトを盛り付けるとあっという間に完成した。料理を眺めて本来嬉しいはずなのに笑おうとしたら顔が歪んでしまうのを何とかしなければと思いつつどうしようもできないでいた。
 笑顔の仕方を忘れてしまったのだ。
テーブルに唐揚げと飲み物を置き昴を迎える準備が整うと緊張をほぐすためにカフェインを摂取することにした。
 ポットからお湯をそぞき黒い液体がコップの中で濁りを立てた。香ばしい豆の匂いが心地よく鼻腔を刺激した。私の嗜好でたしなんでいるインスタトコーヒーで特に何が好きとかはないがコーヒーの香りでリラックスできる。これまでのストレスも何とかなったが、これがなければ20年という社畜の長さは耐えられなかっただろう。
 今日は脳の霧を晴らすために砂糖を入れて脳に糖分を送ることで思考が30分だけもってくれたらと思いながらスプーンでかき混ぜながらカップ内で渦巻く様子を眺めていた。
 時折、ボーッと意識が一点に集中してしまうのは脳に霧(もや)がかかっているからに違いないがこれがうつ病だろう。
 私はうつ病なのだ。いつもネガティブ思考が勝ってネガティブが脳を支配していた。コーヒーを啜ると少しは落ち着いた。
 カップを洗い終わるとインターホンが鳴り心臓が跳ねた!
雅美がモタモタしていたせいかノックの音まで聞こえてきた。慌てて玄関を開けると昴が笑顔で「こんちには! はじめまして昴です。雅美に早く会いたくてノックしちゃった」
「こ、こんちには。モタついてすいません」
周りを見るとどうやら1人で来たみたいだ。
「昴君は1人で来たの?」咄嗟に聞いてしまった。
「そうだよ。さすがにマネージャーとか色々いたら嫌な顔されるかも知れない。って事務所の意向だよ。それも、そうだよね。まだ駆け出しのアイドルだからってよく言われる」
三和土でスニーカーを脱いでいる昴はいい匂いがした。それと同じタイミングで昴が「わぁ、唐揚げのいい匂いがする」まるで子供みたいに目をキラキラしている昴が「ひょっとして昼食中だった?」上目遣いにクラッと貧血気味によろめくと「いえ、一緒に食べたいと思って……昴はお腹は空いてるかな?」その言葉に昴は腹ペコだよと可愛く舌を出した。
 短い廊下で昴と手を繋いでリビングまで行くと手が離れるのを惜しみながら雅美は緑茶を入れにキッチンに向かった。
 今にもヨダレを垂らしそうな表情で唐揚げを見つめていた。それが可愛くて堪らなかった。「昴はご飯どのくらい食べれそう?」いつの間にか緊張が解けて呼び捨てにするくらいハマっていた。
「大盛りで」金髪の髪を揺らす仕草がいちいちカッコよかった。
大盛りの茶碗と8分目まで入った湯呑みを置くと「ありがとう、雅美」私の目を一直線に覗き込むように彼の魔術にかかったように頷くしかなかった。
 私が夢みたいとこぼしたひと言が昴は嬉しかったみたいで食事の前に私の頬に口吻してくれた。そのサービスが嬉しくて私の食を細くした。
レンジで温められた唐揚げを彼はフゥフゥしている。「もしかして猫舌?」「うん、昼食までごちそうになって猫舌って、早く食えよって感じだよね。ごめん」
「謝らなくて大丈夫だよ。そんな事思ってないから、昴のペースでゆっくり食べて」「ありがとう」笑顔で微笑むと唐揚げを頬張った。
 その時、『笑顔ってこうやってするんだ』って昴に学ばされた。さっきのキスも本来なら笑って喜ぶべきだったのではと思うほどだったが、本来の目的は昴と一緒に食事がしたかったのだからその後はじっくり昴と──になれればよいのだ。
 食事が終わり食器をキッチンまで運ぶと「来月アルバムが出るんだ」キッチンに立つ私の背後から昴がハグをしてそう呟いた。昴は玄関に飾られた自身の写真立てとセカンドシングル『君のハートをロックオン』が流れているのが嬉しくてハグをしながら耳元で「ラビリンスってアルバムが12月中旬に発売されるからよろしくね」私の胸元に手を当てると耳をペロリと舐めた。
 気持ち良すぎて身震いした私は昴の手を自身の胸に強く押し付けた。豊満な乳房の感触を確かめた昴の鼻息が荒くなりスカートに手が伸びた時、ハラリと上から何かが落ちてきた。 
 それは乳房を蹂躙じゅうりんしている昴の左手にカツラが降ってきたのである。後頭部に視線が注視したあとカツラを気味悪く払いのけると玄関に向かおうと踵を返した時、包丁が背中に突き立てられた。
 雅美の顔がグニャリと歪み崩れ落ちる昴を見下ろすと彼の耳元で「隣の部屋で続きやろ」まだらの髪の毛と妖艶に光る2つの双眸そうぼうが卑猥な舌で昴の耳を舐めるとなんとも言えない悪寒がしたあと視界が狭くなっていった……

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