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【小説】マスコット〜アイドルと1つになる物語〜

 第1話「妄想」

毎日憂鬱だった……
自宅と職場の往復に飽きていた。何か刺激が欲しくて自らは動かず待ちの姿勢でその「何か」を待ち続けて20年になる。
 何も無い日常、帰りのコンビニでお弁当とお酒を購入して車で帰路に着く。親が嫌いで大学には行かず18で家を出て安月給の事務で今も働いている。その会社も今年で20年を超える大ベテランだが、決まった男性もいない。気になる男性すらいない状況にため息をつくとぼろアパートの玄関を開けた。
 私の名前? 私の名前は「喜多川雅美きたがわまさみ」とうに賞味期限が切れた38歳、独身女。それもそのはずで黒縁メガネにこの歳で三つ編みとは痛々しいにも程がある。職場の後輩達はわざと聞こえるように会話をして私を邪険に扱っている。これでも私はお前達よりも遥かに年上なんだぞと内心うそぶいても彼女達の耳には届かない。
 そんな事でいちいち気にしていては身が持たないしそれが今に始まったわけではない。小さく舌打ちするとソファにコンビニ袋を投げるとスーツを脱いだ。今は9月も半ばで暑さがマシにはなっているがそれでも暑いには変わりなかったので適当にシャワーを浴びることにした。
 排水口に溜まっていく自身の髪を見つめながら、その日のたまり具合を日記に記していた。タオルを首にかけ日記を開くと【9月16日。今日はいつにも増して髪の量が多く抜けた。これってストレス?】日々増える抜け毛に危機感を感じながらそう綴ると日記を綴じた。表紙には「究極の愛の形」とテプラシールでキレイに貼られておりその題名通り彼女の中では結婚の2文字が焦燥感を駆り立てていた。ストレスで髪が抜けて禿はげる前に何としてでも相手を見つける。漠然とした人生の目標はその事くらいであった。
 もちろん待つだけでは、相手は見つからないから退屈なのである。首にかけたタオルの端で髪を拭きながらコンビニ袋からお弁当を抜き取るとソファに投げた拍子にオムライスが傾いて崩れてしまっていた。
 雅美は胃袋に入れば見た目などどうでもよいという雑な思想の持ち主であった。
そのままレンジに放り込むとスイッチを押した。
 下皿が回転して加熱が始まった。
時計を見ると19時半を少し回っていた。
今日は金曜日だから8時から音楽番組でも観ようかとテレビを付けた。
 パッと画面が明るくなるとチャンネルを8に合せた時レンジが鳴った。
 袋からお酒取り出す。今日は花金の夜ということでお酒を2本飲む気でいたのだがそれはいいとして袋の中を手で探り覗いてみる。オムライスを食べるための肝心のスプーンが入っていなかった。
「使えねぇーな」と独り言を呟いてみたが仕方がなかったのでキッチンの抽斗からプラスティックのスプーンを取り出した。
 オムライスのフタを開けると湯気でメガネが曇りよく見えなかったが、デミグラスソースの香ばしい香りが鼻を付いて食欲を湧かせた。真ん中からスプーンで半分に割るとケチャップライスの断面が美味しそうだった。それをスプーンで掬うと口に運んだ。顎が痛くなる程それは美味しくてあっという間に完食してしまった。
 お楽しみにストロング。俗に言う9パーの危ないヤツを開けるとプシュっといい音がして勢いよく一気に飲み干した。顔が赤みを帯びてくるとすでに音楽番組は始まっていた。
 しばらく傍観して退屈しのぎに2本目のストロングのプルトップに人差し指を掛けた時、知らないグループが司会者とトークをしていた。もちろんそのあとで曲を披露するのだろうが、そのグループは3人組だった。
 テレビ画面のテロップに「君の瞳にダイブ」曲目の下に【ジャッカルフォーカス】と書かれた文字が目に飛び込んできた。曲が始まるとストロング缶片手に自然とテレビに吸い寄せられた。ズルズルと缶を啜った時、サビに入る瞬間だった! 画面右端にいたメンバーが回転しながらセンターに移動した金髪の髪を振り上げると決めポーズのウィンクをした。その直後2本の指をこちらに向けて手招きしている姿に心を奪われたのが始まりだった。
 そのグループが終わるとテレビを消してすぐにスマホでジャッカルフォーカスについてググると検索ワード上位に若者に大人気! 謎の3人組ユニット「ジャッカルフォーカス」の記事をクリックした。
 クリックすると所属事務所が今大人気の「セブンスマイル」と同じ事務所だった。雅美はそのグループはあまりファンにはなっておらず曲はいいが別にといった感じだった。
スワイプでタラタラとジャッカルフォーカスのデビューまでの道のりを書かれた記事をすっ飛ばすと記事の最後にメンバーの名前と顔写真が掲載されていたので、そこは真剣に目を通すと上からリーダーの千歳ちとせは黒髪で清楚な美少年って感じで2人目はなぎといういかにもアイドルグループの顔面底上げ役でいまいちカッコよくなかったが、最後のすばるはテレビで観た通りの金髪イケメンだった。また覚えやすい名前だというのも好感が持てた。
 すばるって名前なんだ……
顔写真を見ながら興味が湧いてきたので画面を拡大してスクリーンショットを撮ると待ち受けに設定した。
 昴の画面を見つめると酔いが回ってきたのか画面にキスをしてスマホを閉じた。
ストロングが半分程度減った時に酔の勢いも手伝って鼓動が速くなるのを感じた。
「これってもしかして恋?」
どうしょうもない人生の負け組女が錯覚で恋に落ちた瞬間だった……
 次の日、ネットには頼らず自身の足でジャッカルフォーカスのデビューシングルを買いにショップへと車を運んだ。早くも人気なのか特設コーナーが設けられており、そこからお目当ての君の瞳にダイブを2枚取ると道中にデカデカと貼られたセブンスマイルのポスターには目もくれずレジに向かった。
 購入に成功すると早速車の中で開封してディスクをデッキの中に入れた。
スーッとデッキの中に消えていくとディスク。しばらくしてアップテンポなイントロが流れてきた。目を閉じて耳をそばだてると昴の顔が自身の目に飛び込んできた。相槌を打ちながらリズム刻む。あっという間に4分弱の曲が終わりすぐにカップリング曲に入ったのですかさず選曲を戻してリピートで車を発進させた。
 一体、何回いや何時間くらいドライブしていただろうか? 別に車の運転が好きじゃないがこの曲の魔法だろうか? 気づいたら夕方になっていたので昼食を抜いた胃袋が悲鳴をあげていたので最寄りコンビニでワンコインの醤油味噌ラーメンとストロングのロング缶を1本買って自宅近くの駐車場に車を止めてエンジンを切ると曲がピタリと止まり淋しく感じた。
 リビングに着くと今どき古いコンポに部屋用に購入した2枚目のディスクを入れた。リピートを押すと安心して歌詞カードに目を落とすと推しの昴が写っていたが、いつも3番目に載っているのが気に入らなかった。
 それから昴のページを切り取り100均で買った写真立てに入れて飾った。残りの歌詞カードを捨てるとその写真立てを眺めながら啜る麺は格別だった。仕事へのやる気はもちろん今までどんよりとしていた自分の人生に光が差したように明るくなり退屈から充実へと変わっていった。何事もそうだが、心境の変化はとても大きかった。40を前にして自分の願望が1つ叶った気がした。
 あとは昴と1つになるための究極の愛の形を探すだけの簡単な妄想だった。
それが叶わないから妄想をするだけで楽しかった。
 女子トークでありがちな「もし現実になったら?」そんな事が万が一にあったとしたら喜んで自身の処女を差し上げますと言いたいところだが実際はそんな事は言わない。耳元で名前を囁いて欲しいと、せいぜいこの程度の内容に留めておくに違いない。
 麺を食べ終えて半分くらいスープを啜ると額に汗が流れた。慌ててハンカチで拭うと写真立ての彼が見ているという理由でストロングのロング缶を隠すようにキッチンで立ち飲みした。彼にはこんな堕落した女の生活をとてもじゃないが見せられなかった。
 こうして土曜日は楽しく過ごすことができると湯舟に浸かりながら明日の予定を立てた。
 特段予定が見つからず風呂上がりにミネラルを飲みながら彼の前に座ると「雅美! メガネよりコンタクトの方可愛いと思うよ」彼の声が聞こえたような気がした……
 たしか駅前のGビルの眼科クリニックは日曜でもやっているはずだと調べると明日の予定が決まった。どんどん彼にハマっていく私の秘密として明日のクリニックには余韻に浸りながら行くとしよう。
 そうと決まれば恋する女子は早く寝るべし! 朝の用意に時間が掛かるのである。布団に入ると自然と瞼が落ちた……

「そこはダメー」
両手を突き上げ何かの動きを制止させるような仕草で目が覚めた。
朝だった……昴が私の唇を奪って股に手を伸ばしてくる途中で起きてしまった。夢の続きに焦がれながら上体を起こすと洗面所で顔を洗って目ヤニを洗い流して髪をといて三つ編みを作る。彼はこの三つ編みを好きになってくれるだろうか…… 
 ダイニングテーブルに置かれた彼の写真におはようのキスをすると朝食に昨日寝る前に炊飯器のタイマーで白米がふっくらと炊き上がっていた。目玉焼きとウインナーを焼き、即席の味噌汁にカット野菜を器に盛って2人分作った。写真の前に朝食を置くと「いただきます」と手を合わせると彼の口にウインナーを運んだりお味噌汁に息を吐いて冷まして上げたりとその時間を楽しんだ。朝食を済ましてふと気になることがあったので、スマホで検索すると昴の簡単なプロフィールが載っていたのでタップして飛んだ。
 知りたいことが判った! 彼の誕生日である。10月27日つまり来月彼は22歳の誕生日を迎えることに雅美は歓喜した。来月は腕によりをかけなきゃとスキップをしながら廊下を跳ねた。
そのためには私が生まれ変わらなければ昴と釣り合わないと思い駅前のGビルに車を走らせた。
 そのビルの駐車場はかなり狭く予算をケチるんじゃねーよと悪言を漏らしながら、なんとかバック駐車に成功すると「軽でよかった」と強くドアを閉めた。
 受付を済ませると視力検査が行われ担当の係員が私に合うコンタクトレンズを持ってくると私の目にはめてくれた。
一気に視界が広がり癖でメガネを上げる仕草が空を切る恥ずかしさもあってか顔面が赤面したのを店員に見られていたがお互い軽く会釈して気まずさを解消させた。
 帰りの車の中でジャッカルの曲を聴きながら家に居る時はコンタクトで職場ではメガネにしようとあくまでも彼の前では可愛い自分で居ようと乙女心に火がついた瞬間であった。
 コンタクトレンズは2週間タイプをチョイスしてもらいとりあえず3ヵ月分購入して帰るとその日の夜は冷蔵庫にある分で夕食作ると2人で食べた。
今……私は人生で一番楽しい時期を過ごしていると彼の写真を恍惚と見つめていた。

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