記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

すずめの戸締まり 感想


なお君です。感想を書きます。
見た人も多いんじゃないかなと思います。
思った順に書きます。

全体の感想

全体としては面白かったです。感動もしたし普通に泣けました。

個別の感想

注意書きについて

一般に、映画には楽しく見れる賞味期限というものがあると思います。情報がSNSを中心に飛び交う毎日なので、いつどこで何のネタバレを食らうかわかりません。
別に僕はネタバレを食らっても作品を楽しめればそれはそれでいい、と考えるタイプなのですが、今回は微妙な気持ちになりました。

注意書きというのはこれのことです。

あんま了承したくなかったですね。僕はこのネタバレを事前に会社のslackで食らったのでますます複雑な気持ちでした。まあ遅かれ早かれ気づいていたと思いますが、映画館の入り口にあった同様の記述には(幸運にも)気づきませんでした。

事が事なのでこの記述の必要性は理解しているつもりですが。
それでも。
予告編で示されていないキーとなるモチーフやメタファーとして、今回の地震描写は置いていたと思います。だって予告で示されてなくて本編で示すってそういうことだと思うんですよ。これを見てない状態で作品を楽しみたかったなと思います。

これ書くために一応予告編を全部見て確認したんですよね。本編見終わった後に。

気づいていることに気づいていないフリ

今回の映画の主題はこれだと思いました。
今回は背景の描写だったり、時間の移動はすべて伏線などの手段として使われており、目的ではない印象でした。

世の中は言いたいのに言えないこと、認めたくないのにそこにある事実が山ほどあります。

お母さんがいなくなってしまったことに気づきつつも、それを受け入れられず探し続ける幼少期のすずめ。
自分が要石の役割を与えられ、日に日に体が冷たくなっていく時間が長くなっていったことに気づきながらも、それを受け入れられず、すずめに打ち明けることもせず旅を続けていた草太さん。
すずめに嫌われていると言われ、それを実感しながらもなお、みみずの封印に協力するダイジン。
本当はすずめが心配で追いかけてきたのに、つい「人生の大事な時期を奪われた!」と強く当たって傷つけてしまった環さん。

2万円貸してるのに何も言わない芹澤くんも、環さんが好きなのになかなかアピールできない岡部さんもです。

今回は全員がそれを克服できたとは言えませんが、その葛藤を抱えて戦いながらそれでも生きる覚悟はとても強く感じられました。
必ず明るい未来があるということを信じることによってですね。

壮大な一人旅

僕はあんま旅とかするタイプじゃないんですが、今回はすごく旅の良さ、楽しさなども描かれているなと思いました。
もちろんうしろ戸の戸締まりするという目的ありきの旅ですが、すずめ(と草太)はしっかりと出会った道中で周りの人を助けながら進んでいきます。そんなすずめの好奇心旺盛さと人柄の良さ、それが今回の旅にうまくマッチしたなあと思いました。
草太も子供と遊ぶのはまんざらではなかったようですね。

あと、戸締まりをする時にその地や過去にいた人の記憶に思いを馳せるのがめっちゃいいなと思いました。廃墟とかってそういう良さがありますよね。
地理的にはその場所にいながら、時間軸的に過去に行って、また戻ってくる。その過程で、一見何も変わっていなくても人は体験を通して成長、もしくは変化しています。単純に楽しいですし、そういうのの連続が普段と違う非日常感、すなわち旅の意味だと思います。

そういう意味では今回は日常感の描写が若干手薄だったように感じますね。同級生は本当に最初しか出てこないですし、東北の戸締まりをした後、「ただいま」はありましたが「いってきます」はなかったような気がします。

現代的なアイテム

時代は2023年の夏だと推察されます。12年ぶりの里帰りとか言ってた気がするので。
スマホのGPS機能、電子マネーの履歴共有、SNSでのダイジンの情報集め、そこには直接は描かれていないデジタル社会が、ちゃんと実感と手触りをもって感じられたのは大きいですね。同じ東京や日本にいながらリアリティも感じつつ、非日常とも接続している、こういう新海誠ワールドはとても好きです。

すずめと草太

高校生から見た大人ってめっちゃ上に見えますよね。草太が大学生だと聞いて驚いてたすずめを見て久々にその感覚を思い出しました。
あとは初めて好きな人ができた時ってあんな感じなんでしょうか?その人のために夢中になれるというか、いくらでも行動できるパワーがあるというか。

好きという気持ちを自覚する前に、一緒に旅をする中で大切な人を失いたくないという感情のほうが強かったのかな、と個人的には思いました。端的に言うと、すずめが覚悟を決めるのがめっちゃ早いなという印象はありつつも、高校生ってそれくらいの判断のスピードとエネルギーでガンガン進むくらいだった気もする、みたいなあいまいな記憶です。
ただ、お金ときっかけや目的がないので大多数の高校生は踏み出せないわけですが。今回はしっかりその辺が与えられたというか、満たされたのでこのような行動に出たのかなと思いました。


戸締まり

田舎というか、祖母の家に行ったときとか結構鍵かけなかったりルーズだったりしません?そういうのを思い出しました。
めっちゃそもそもなんですが、すずめが最初の廃墟であのとき扉閉めてればよかったわけじゃないですか。まあ、要石まで抜いちゃったのでそれだけだとダメなんですけど。

都会でみみずが出た時も扉開けっ放しでしたね。よくない。
扉は明けたら閉めましょう。

ところでどこでもドアって鍵がなかったような気がしますね。

というのはさておき、戸締まりの意味について。
戸と締めるという行為に分解して考えられると思います。
まず戸は、現世と常世の境目、境界になっています。幼少期のすずめは大震災の後で生死をさまよっていた、だから常世に行けたことがあったんだ、みたいな考察もできそうですね。普通の人には見えないし行けないので。しかも行ける人も、最初に行ったことのある戸からしか行けません。制約が厳しいですね。
そして、締めるというのは、文字通り扉を閉めるというのと鍵をかける(+大きなところは要石をセットする)ところまでの一連を動作としては指すのかなと思います。鍵をかけるのは現世側からなので、常世側にはサムターンとかあったりするのかなと考えたりしましたが、みみずに手がないので仕方ないですね。どちらが内側か、外側かは難しいですが、まあ、お返し申すって言ってるし鍵かけた側が外だと思うので現世が外なんでしょう。普段は内側に入れない。

で、戸締まりをすることで、現世と常世の境界を封じて、行き来できないようにするということですね。
宗像羊朗さんとか、その意味だと行き来できそうですが、多分そのルートとは別の描写なんだろうなと思います。というのも、常世は死後の世界と言ってはいますが、どちらかというと本質は時間が存在せずつながっている世界というところにあると思います。そのおかげで幼少期のすずめと現在のすずえめが出会えたわけですし。
で、まあこれも手段に過ぎなくて。じゃあ何の目的というか行動につながっているかというと、忘れているくらい過去の自分を客観視して振り返ることで、気づいていることに気づいてないフリしてたなとすずめは気づくことができたわけです。思い出せなかった理由も同時に明らかになりますね。

こんなところでしょうか。少なくとも僕が受け取ったのはこんな感じです。
震災の記憶って風化させてはいけないと言いつつ、なかなか難しいですよね。絵日記黒塗りにしてしまうのももっともです。蓋をした記憶に偶然触れ、そこで何を感じ成長・もしくは変化するのか。それが濃く描かれていたなと思います。

おまけ:来世は東京のイケメン男子に


三葉にはよかったねと言ってあげたいところですねw



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?