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「老害」の議論を一旦引いた視点で考える

最近、老害に関する記事を立て続けに見掛けました。放送作家である鈴木おさむ氏が今年1月に出した書籍「仕事のやめ方」で取り上げた、ソフト老害という発言が発端だと思います。本そのものは読んでないので恐縮ですが、端的に言うと「老害は40代からでも始まっている」という話。ご本人の文章が面白いので、まずは抜粋します。

三谷Dとの一回も使われてないLINEに、いきなり映像が送られてきた。それはライターの吉田豪さんに三谷が逆インタビューされている『街録ch』の映像。

(中略)

見てみると、僕ととある番組をやっていた時のこと。三谷たちが必死に作ってきた企画やVTRが僕の一言で、簡単になくなったり、直されたり。しかも、僕の意見をプロデューサーや演出たちが大切な発言として、受け入れて、その通りにしてしまう環境に対して激しくキレていた。

僕ら作家は10以上の番組を担当し、週に一回、番組の会議に来て発言する。ディレクターは一週間、その会議に向けて気持ちを込めて作り上げてくる。だが、それが週に一度そこに来た僕らの発言でひっくり返される。

(中略)

三谷のVTRを見て気づいた。これって、自分は「老害」の被害者側だと思っていたけど、加害者側に立ってたんだよなと。

自分も40代から老害の加害者側になっていたんだと気づき、40代から「ソフト老害」 は始まっているのだとわかった。

GOETHE記事 鈴木おさむ「僕も老害になっていた」。40代からのソフト老害とは

人ごとではないですね。「あれ、自分は大丈夫だっけ?」と考えてしまいます。この記事がしばらく頭に残っていたのですが、昨日は新たに若き老害を取り上げた記事を見掛けました。これは、労働社会学者の常見洋平氏が名付け親で「老害は20代から始まる」としたもの。さらに若返りましたね。記事で挙げられている事例の「『コロナ前はさぁ…』などと、コロナ前の話をやたらとする」は分かりみが深い。2012年頃から提唱されていたそうですが、鈴木氏の本で再燃したのかもしれません。

さて、ここまで来ると少し考えたくなります。つまり、老害は年齢の問題ではない。中学生だって、後輩に先輩風を吹かすのは老害と言える。年下上司が、年上部下に無理な命令をするのも同じ問題。世代間ギャップが本質的な問題ではなく、異なる考え方を持っている人同士の関係性において、意見の是非によらず、片方の意見が優先される際に発生すると考えられます。

老いる事が問題なのではなく、一方的な意見を受け入れざるを得ない関係性が放置されてしまう事が問題と理解しました。暗黙的に共有していると思っている常識が、実は変化している事に気付かず(もしくは自分の身の回りは変わらないと信じている)、周囲の人も指摘できない状態。誰かの権利・尊厳を、誰かが侵している。

ここまで抽象化すると、様々なハラスメントと同じ構図になると思います(話を広げすぎですが、理系なのでまとめたがる…とご理解ください…)。老害もハラスメントも、新たな概念や呼び方がどんどん生まれて常識のアップデートが追いつきませんが、共通する対策は「自身の振る舞いを妄信せず謙虚になる事」なのでしょう。絶対不変の正しい事は存在しない前提で、ちゃんと周りの話は聞きましょう。自省と期待を込めて!


最後までお読みいただき、ありがとうございます!少しずつ想いを残していければ、と思います。またお越しください。