【短文】『スキ』するされることと、私が記事を開く基準
おはようございます。タイトル下手くそすぎる慈岳でやんす。
昨日note徘徊をしていて、『スキ』をすることされることに悩んでいる記事をいくつか拝読しました。これらの書き手はスキの基準を設けようとしているか、既に設けている方という印象です。
私はアホの子なので、スキと思えば気楽に押していますが、押さなかった記事がキライなわけではもちろんありません。あれもこれもスキでも、あまり同じ人に連打するとキモがられそうなので、ナンバーワンにだけ押すとか……まぁそんな調整をするわけです。
「こいつ腹立つわぁ」とか「何イキっとんねん」とか思った記事にはこれまで遭遇したことがありません。全く価値観の違う人の記事も楽しい。noter各位が有能なのか私がアホなだけなのか、その両方なのかは不明w
逆に押される側として見ると、こちらも特にこだわりはありません。\あっスキ押してくれたウェーイ/です。連打も気になりませんし、既読付ける感覚で押されたのだとしてもスキはスキ。はい、アホは決定事項ですね。いつもありがとうございます。
私に基準があるとすれば、どちらかと言えば記事を開くときにある気がします。
noteには日々様々な記事が流れて来ますから、隙間時間noterの慈岳サンは直感的に読むものを決めることになります。自分の専門や趣味の記事も、note術的な記事も、全然知らない分野の記事も、論文も作文も、とにかく雑食。犬です。
アホの犬。終わってますやん。
そんな私にも、なんとなーく開く記事の傾向はあるようです。タイトルで本文に何が書かれているか分かるものはよく開きます。また、めっちゃシンプルに『電車の中』とだけ書かれたものも「むむっ?」となって読んでみたりします。
また、タイトルはそれなりでも、アカウント名の後ろに『元○○』や『○○経営者』など肩書的なものが添えられているnoterだと興味を惹かれたり。
要は分かりやすさなのでしょうね。私が開くのは、言い替えればコピーが巧みな記事なのです。だってアホの犬ですもん私。わんわんきゃんきゃん。
タイトル(またはアカウント名)という『第一印象』が良ければ、中身が少々脱線していてもほとんど気になりません。どちらかと言えば脱線より、『オチ』が付かないほうが「えっ、結局何なのだ?」とモヤります。特に論文系はそうですね。
noterは文章巧者が多いので、ほぼほぼきっちりオチが付いているのですが、たまーにあるんですよね。私もそこそこやらかしてると思われます。なるべく気を付けねばw
おしまい
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