ある友達の話。
小学1年生から6年生までずっと同じクラスだった友達がいた。
出席番号もいつも前後で、とにかくよく話した。
いや、厳密に言うととにかく一方的にその友達が話をしていたような??
うん、ずっと一人で喋ってた。
その友達は、かなり変わっていた。
変わっているというのも否定的な意味ではなく、考えることも行動も私とは全く違ったから変わっていると思っていた。
でも一緒にいるとすごい楽しくて、よく笑っていた。
今回はそんな彼女の話をしようと思う。
私とは対照的な友達。
小学校のとき、私の好きな科目は、国語と算数だった。
教科書を読むことも計算をするのも好きで、漢字ドリルや計算ドリルの反復練習的なやつも全然苦じゃなかった。
一方で彼女の好きな科目は、理科と社会だった。
社会の資料集は、ぐちゃぐちゃになるまで読み込んであった。机の中にはいつも分厚い図鑑を入れていたし、ほとんど授業中寝てるのに、実験の時だけは食い気味に取り組んでいた。
私は怒られるのがとにかく嫌いで、先生の話はよく聞いていた。
宿題も忘れることはあまりなかったし、苦手な理科や社会でさえノートを頑張って綺麗にまとめていた。
一方で彼女は、先生の話を全く聞いていなかった。
自分の嫌いな教科の時は教科書を逆さまにして寝てるか、ギネスブックをニヤニヤしながらみてるかのどっちかだった。それゆえ先生によく怒られていたし、漢字や計算がおそろしく苦手で、テストはいつも泣きながらビリビリに破いていた。
しかし彼女は、私よりもはるかに頭が良くて、私よりもはるかに多くの知識を持っていた。
なんでも知ってる友達。
小学2年生のときに、オウム真理教の話を聞かされたことがある。麻原彰晃がどうだとか、地下鉄サリン事件について語っていた。その頃私は、「なるほど」と言いながら頭の中ちんぷんかんぷんで何言ってんだこの人。と本気で思っていた。
小学校3年生のときは、イスラム国の話を聞かされた記憶がある。
タリバン政権や9.11の話をして国際的な社会情勢を語っていた。その頃も私は、「うんうん」と聞きながら何言ってんだこの人。と本気で思っていた。
正直、私がこれらの真相についてきちんと理解できたのは高校生になってからである。それを小学校低学年が語っていたと思うと・・・おそろしい。
しかし学校で学んだ知識なんかほとんど覚えていないのに、彼女が教えてくれたことは、なぜかしっかり記憶に残っている。
「これ何?」とか「どういう意味?」という、私が身の回りに対して持つ疑問を彼女はすべて知っていた。
「え、専門の方ですか?」と思うくらい熱く語ることもあった。夢中になってるときの彼女は、まるで何かに取り憑かれたように完全に独自の世界に入り込んでるようだった。
彼女はとにかく雑学の知識が豊富でマニアックな人だった。
これからの私。
何かに夢中になったり熱中する姿は、すごいなと思うしかっこいい。
もし彼女みたいに、資料集にあった米粒みたいなちっさい文字を読んでいたら、私もマニアックになれただろうか・・・。(いじってるわけではない)
講義を受けているとそんなことを思うときがある。
大学は、自分の興味がある分野をとことん追求する場所であって、何でも先生が「テストに出るよ」と言って正解を教えてくれるわけではない。
そして現在私は、絶賛研究のテーマ決めに苦しんでいる。
夢中になれる何かを私はまだ見つけられていない。
だけどもだけど、彼女みたいに語り始めると止まらないという何かが私にもあったらいいなと思うし、そういう研究をしていきたいと思う。
よし、これまでたくさん話を聞いてきたのだから、次は私が彼女に話す番だ。
大学を卒業するまでに、彼女が知らないであろう自分の興味を見つけて、ドヤ顔で自分の研究を語ってやろーっと。(笑)
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