最初に。私は父の病のため高校にも行けぬ貧しい環境で生きてきました。その過程で止むを得ず他の人と争うこともありました。 でも生来の気質としては争い・悪口・誹謗・中傷を好みません。ただ、母の介護を始めて10年、特に在宅介護は現代では多数派ではなく そこで体験した出来事を子や孫に、或いはこれから私と同じ様なフィールドに立つ方に伝えることも無駄ではないかもしれない。 そう考えてnoteを始めましたので、今回のお話しのような内容も書こうと決めました。が、SNSの世界では本人の意図
初曾孫の誕生に生きる力が蘇った母。少しでも食べよう、目眩がしても座っていよう。だが、気持ちだけで脳出血の後遺症が劇的に改善するわけはなく母も私も困憊して遂に母子心中を企てるまでに。そこを乗り越えた時にフト「生きる力」を「生きる目的」に転化する事を思いつきました。
母は脳出血の手術をして回復病院で、脳血管性認知症状と目眩でリハビリどころか食事も採れず栄養補給の点滴も暴れて外す状態で、遂には徘徊(自分でベッドから落ちて這って!)し 半ば強制退院で連れ帰って来たのですが、家に帰っても目をつぶったまま。デイのスタッフからのアドバイスで私が支えて、ベッドやソファに座らせてみてはいても、食事もすすまず ガリガリに痩せ、まるで生きる屍。このままでは死んでしまうだろう。私は考えました。初曾孫に会わせてみよう。私の次女が出産間近だったのです。が、病
「帰ってきたよ」昨年2月に脳出血した中学生からの親友が10カ月の闘リハを終えて自宅へ帰ってきました。会社に電話で「M様からです」ピンと来ず受話器を取って彼と分かり 「お帰り〜!」その言葉の最後は涙声になり、受話器を置いた後にはポロポロ涙がこぼれました。良かった〜。10年前、母が同じ脳出血で手術。帰宅した日を思い出しました。 最初は嬉しかったけど…どうか彼とご家族は私達のように苦しい状態とならず平穏な日々となりますようにと祈ると共にできる事あれば何でも協力しようと誓いました