多い 少ない

 ジョブコーチとTEACCHプログラムという言葉を初めて耳にしたのは、30年近く前だ。当時は知的障害者通所更生施設という位置付けの、真新しい建物の一室だった。その前の無認可作業所から引き続きの人や、新しく雇用された人がいっしょに、アメリカ帰りの研究者から最新の情報の研修を受けた。
 ジョブコーチというのは福祉の観点から出発したのではないと思うと、その研究者は言った。ジョブコーチという新しい職を得た人、ジョブコーチがいることで働くことができるようになった人、双方から税金を取るという発想ではないか。結果として経済を回し、心身の健康を促進することになるのではないかと。自分の能力を発揮する場があるということが、社会の中で人として自立していくってことにつながるのだなと、聞きながら思った。

 その施設は長い間廃品回収やバザーなどをしながら、いろんな人のいろんな思いが形になったものだ。活動の中心となった人はとても明晰でいつも朗らかだった。その何年か前に障害者基本法ができた時、法律に不備な点はたくさんある、でも今までの保護される存在から、意志を持ち自立を目指す存在になったという意味で、画期的だと話していた。

 先日B型作業所の工賃が30000円ぐらいだと、Twitterに流れてきていた。預かってもらっているんだから、30000円で十分じゃないかというコメントがいくつもあった。30000円では生きていけない。家族がいる人ばかりではない。そこに思いは向かないのか?

 わたしは数字に関することがとても苦手だ。整理整頓もできない。血を見るのはもっと苦手だ。できない仕事はいっぱいある。でもできることだってあるから、最近まで働いてきた。
 個人がその持てる力を十全に発揮でき、それで生活できるようにしていくということが、人権という概念を発見した国や社会の役割ではないか?受益者だの経済効率だの紙に印刷されたものでしか語れないのか?そこにいる生きて動いてる人間が見えないのか?

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