「今こそ停戦を」への賛同署名重ねてお願い申し上げます。

 「今こそ停戦を」への賛同署名重ねてお願い申し上げます。
下記のサイトから署名できます。
キャンペーン · #今こそ停戦を  賛同署名をお願いします · Change.org
 なお4月5日の記者会見、停戦論に対する疑問への回答、など下記のサイトでなされています。御覧いただければ幸いです。
ウクライナ戦争停戦に関する最近の動き - 今こそ停戦を (jimdofree.com)
 「停戦をよびかけるのでなくロシア軍の撤兵をよびかけるべきだ」という意見はかなりあると思います。その点についての説明です。
「なぜ撤退ではなく停戦なのですか?

ロシアへの「撤退」の呼びかけだけを続けることは、両国の現状を考えると、「停戦」の呼びかけと実現よりも、時間がかかり、その間にも犠牲になる人が増えてしまいます。
「撤退」は「特定の領域が帰属する国」を定める必要があります。このとき、歴史を参照して「特定の領域が帰属する国」を定めることはできません。なぜなら参照する歴史上の時点によって、どちらの国にも帰属しうるからです。過去もまた多様なのです。
「撤退」がなされる時は、中立で公正な国際監視のもとに行われる住民投票によって決められる必要があります。しかしそれには段階と時間を要するので、まず無条件に「停戦」をして、その交渉を開始する必要があります。」
(上記サイトより直接引用)
  「ロシア軍はウクライナ領から全面撤兵すべき」、これは全くの正論です。では「ウクライナ領」とはどの地域まででしょうか。そもそもその地域がどこの国に帰属する、とは何を根拠に決められるでしょうか。上記の説明にあるように「歴史から」といっても歴史は多様で、過去においても国境線は常に動いています。どこまでがロシア領でどこからがウクライナ領か、その根拠は何か、それは明確に言いうることでしょうか?「ウクライナ領からの撤兵」自体は当然でも、「どこまでをウクライナ領といえるのか」は実は完全に明確とはいえません。まず停戦、そしてその後の交渉を経て中立公正国際監視のもとでの住民投票で決めるしかないわけです。

 昨年3月和平合意一歩手前までいきました。それが実現しなかったのは「ブチャの虐殺」のため、とよく言われます。「ブチャの虐殺」自体は私も事実と認識しています。それについてロシア政権軍の責任は極めて重いし厳しく非難すべき、はいうまでもありません。ただ和平合意が崩れたのはそのせいか、といえばその後明らかになったことから、原因はちがうところにあります。
下記の水島先生の論考をご覧ください。
直言(2023年2月27日)「地政学的戦争」――「ウクライナ民衆法廷」の提言(リチャード・フォーク) (asaho.com)
ドイツの軍事専門家ヴァーグナー氏は和平合意に至らなかった点について次のように述べています。
《ロシアによるウクライナへの攻撃が、国際法のあからさまな違反であることは間違いない。ロシアはこの悲惨な状況の責任の大部分を負っている。だが、強調されなければならないことは、この戦争には、西側諸国の政策に無視できない共同責任(Mitverantwortung)があることを示す前史があることである。開戦以来、西側諸国は火に油を注ぎ続けてきた。とりわけ、2022年3月末にウクライナとロシアが交渉による解決を目前にしていたイスタンブール協議が打ち切られたことが、その後のエスカレーションに直結したことである。》《モスクワ(プーチン)は交渉する用意がないということはよく聞くが、これは、少なくとも戦争の初期段階においては間違いである。ロシアとウクライナの代表者は交渉を通じて、2022年3月末に署名する準備ができていた。このイスタンブール交渉のキーポイントは、即時停戦、ウクライナの中立性、ドンバスとクリミアの一部に関する未解決問題の除外、そして今後15年以内に非軍事的解決を目指すという合意であった。このように、この戦争から抜け出す方法は用意されていた。確実に言えることは、西側諸国が、ウクライナ政府に対して、ロシアとの戦いを「うまく」継続できるように、交渉による解決策を拒否するように明確に促したことである。》《ここで決定的な役割を果たしたのが、当時の英国首相ボリス・ジョンソンである。彼がワシントンからの後ろ盾なしに行動したとは考えられない。『ガーディアン』紙によれば、彼は2022年4月初めにウクライナのゼレンスキー大統領との会談に臨み、「プーチンに一切譲歩しない」ことを要求したという。元連邦軍総監でNATO軍事委員会のハラルト・クヤット議長もこれを認めている。「イスタンブール交渉で、ロシアは明らかに、2月23日のレベル、すなわちウクライナへの攻撃開始前までの軍撤退に合意していた。…信頼できる情報によれば、当時のイギリス首相ボリス・ジョンソンが4月9日にキエフ(キーウ)に介入し、調印を妨げたという。彼の理由は、西側諸国が戦争終結の用意がないということだった」と。》《ジョンソンが調印を妨げたということは、当時のイスラエル首相ナフタリ・ベネットによっても裏付けられている。「停戦は当時、手の届くところにあり、双方はかなりの譲歩をする用意があった。特に英国と米国はそのプロセスを終了させ、戦争の継続に賭けていた。」》(上記水島先生の論考より直接引用、文章はヴァーグナー氏の論考の日本語訳)
 和平一歩手前までいっていたのに、当時のイギリス首相ジョンソン氏が4月初めにゼレンスキー氏との会談で「プーチンに一切妥協しない」ことを要求した、ジョンソン氏の後ろにはアメリカ政府があった、つまり米英政府によって、和平合意が壊された、ということです。この点はNATO軍事委員会議長クヤット氏、当時のイスラエル首相ベネット氏も認めている、ということです(この件については近日中に詳しく書くつもりです)

   署名へのご協力の程重ねてお願い申し上げます。「数は力」です。

白井邦彦
青山学院大学教授




 
 

 

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