水無月

創る(作る)ことも遊ぶことも好きな私が色々なことをのんびりと書くかもしれない…そんな記録

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創る(作る)ことも遊ぶことも好きな私が色々なことをのんびりと書くかもしれない…そんな記録

最近の記事

顔、晒します【企画】をやってみた

一体、なんの企画だろうと首を傾げながらフォローしている方の内容を見てなるほどと思った ちょっと好奇心がうずうずしたので、私も参加してみた まずはひらがなの名前だけ なんか強そう 牛を従えてるのか追いかけられてるかで物語は変わりそうだけど 次は友人1人だけに呼ばれているあだ名 干支は合ってるなーと感心 後、こんなにお目目クリクリの可愛らしさは無い! 次は本名、名前のみ漢字 急に女子力上がったけど、目の真剣さ的に食べてはいけない気がする… 次は本名フルネーム

    • 心の揺らぎ【短編的なもの】

      ふっと我に返ると、目の前には後ろ姿の私が離れたところで立っていた どうして私とわかるのだろう 不思議に思いながらも違和感は無い ただ、周りは暗闇で光も何も存在しないその空間で私は私を認識した 何をするでもなく後ろ姿の私はぼんやりと足元を見つめているようだった 「どうしてだろう…」 小さく呟いたのは私か後ろ姿の私か 抑揚のない棒読みのその言葉は決して感情が無いわけではない 私からすれば充分に感情がこもっている 「どうして頑張っているのに非難されるのだろう」

      • 転職活動始めました

        以前、書いた通りに無職になったので転職活動を積極的に初めて見たものの、やりたいことも興味があることもない私にはとてつもなくハードルが高い というもの、料理教室の先生に見てもらったホロスコープにも少し関係があるのだが、私自身は仕事が生き甲斐なところがある 物欲も食欲も手に入れても満たされない私の心は仕事で心を満たしているらしい 故に仕事が上手くいっていれば物欲もおさまるし健康状態もいい…つまり仕事が上手くいっていなければ何事も逆になるのだ 厄介なことに1対1で議論したい

        • 私が思う私の大事な心

          唐突なタイトルだと思う というのも今日は4社目である会社を辞めた日でもある 次の就職先は決まっていない突発的な退職 さて、何故、私はこんなことをしたのだろう 事の発端は4年前になる 入社2年目で事務を任されて1人で回していた頃 親会社から出向で下ってきた上司2人と相性が悪かった 性別もさることながら事務という仕事を軽んじる態度、位がしたということで見下された4年間 私の業務を私に聞かず、仕事をさぼり主張だけ1人前な男性社員に聞いて時間を延ばす4年間 ずっとハ

        顔、晒します【企画】をやってみた

          私の仕事への不満と愚痴

          たまには私の人生以外にも私の価値観というか考え方も書いてみようと思う 文章を書くこと自体は苦手な方かもしれないが、せっかくの企画があるのだし挑戦も必要だと思う さて、仕事について…ということだが私は転職がやや多い部類に入る なんなら今現在も退職について部長とチャットで大喧嘩真っ最中…バッチバチチャットバトル中である そんな訳でやや多い転職5回目を目指している私からの仕事についての話は参考になるのか甚だ疑問だがとりあえず書いてみようと思う 最初に謝っておく 長くても

          私の仕事への不満と愚痴

          私という人の人生⑩

          中学3年生になった ここからは受験モードで全員がピリピリしている中、何にも考えていない私はこの1年、ほぼ毎日、遊ぶことになる少し悪さが目立つ人と一緒にいた 単純に楽しいからなのだが、彼女は誰とでも仲良くなる反面、小学生・後輩の男子と仲良くなることが多く私はその中にいてもつまらなかった 運動は嫌いだし走りたくもない 彼女とノリが合わないのだ 正直、遊びたく無くなることが多かったがNOと言えない性格…というより、依存気味な私は断って居なくなられた時のことを心配したのだと

          私という人の人生⑩

          私という人の人生⑨

          中学2年生になった 実はここからは中学卒業まではほぼ変わりなく過ごしている つまりは全員、少しは成長しているのだろうと思われる…というか嫌いなら関わらなければいいが理解できるようになったのだと思う クラス替えの時、私が虐めていたらしい子に渡さなければいけないものがあったのをすっかり忘れていて半年ぶりに鞄から出てきたものを何も考えずに笑顔だその子に渡した その子に加えて残り2人はぽかーんとした表情だったが、私からすれば忘れていたものを文句言わずに受け取ってくれたのだから

          私という人の人生⑨

          私という人の人生⑧

          中学生になった 次こそは楽しい学生生活を送るぞと意気込んだ私は当たり前のように失敗した 校区的に2つの小学校から入学した中学校では同じ保育園出身の人もいた そこで仲良くなった友達とは3年間、同じクラスで仲良くして貰えた 一方で5年生の時に仲良くなり虐めていたらしい友人とは特に変わりなくずっと仲良くしてくれていた 新しい仲がいい人達が増え、基本、7人で過ごすことが増えた そのうちの1人が曲者でもう1人が5年生から仲が良かった友人が好きでは無かった 更にもう1人、小

          私という人の人生⑧

          私という人の人生⑦

          小学6年生になった この年、今まで2学年ごとにクラス替えが1学年ごとにクラス替えになった 残念ながら彼女達とは同じクラスになり、私はクラス名簿の紙を5回見直したのを覚えている つまりはいじめが継続となり、また、その年に同じクラスになった少年からもからかいや何やらで嫌なことが2倍になった年だった 5年生の時に仲良くなった友達とは違うクラスになったが、この友達を私は無意識に虐めていたらしい 先生に怒られたことを覚えている 本当に人はされたことは覚えているのにした事は覚

          私という人の人生⑦

          私という人の人生⑥

          小学4年生は3年生と同じだった 小学5年生になった頃、一つ変わったことがあった 小学生時代、私の髪は母親がいつも切っていたが母親が亡くなってから、父親が切るようになった パンツ一丁でほぼ裸の状態で切られるのだが母親の頃からそれなので気にしたことは無かった つまり父親が切るまで伸び放題な訳だが、前髪が長すぎていつも目が隠れていた私はさぞ、不気味だっただろう 身長も低く、その割に皮下脂肪たっぷりな私は眼鏡をかけているのに目が隠れた太っちょだった そして霊的何かの話をす

          私という人の人生⑥

          私という人の人生⑤

          小学3年生になった頃 私はガキ大将を卒業して本を読むようになった その頃から人前で話すのが苦手になり、眼鏡をかけて本を読む見た目だけ真面目な人間になった といっても両親から譲り受けた内弁慶が凄く、仲がいい人には我儘罵詈雑言を発揮し、ほぼ毎日嫌がらせを人にしていたと思う 振り返ればあれは完璧にいじめに該当すると思う 相手が男子で同じようなことをしてきていたのでおあいこで済んでいた部分で当時は落ち着いていた この頃、同じクラスに私とよく似た性格の子が1人いた 仲良く

          私という人の人生⑤

          新年

          長らく書いておりませんが、ご挨拶だけでもさせていただきたく書いております あけましておめでとうございます 私という人の人生を書こうと張り切ったものの書いた後の疲労感と夢見の悪さから暫く書くことから遠ざかっています ゆっくり書き続けるのかはたまた違うことを書き始めるのか分かりませんがのんびりと書いていこうと思います よろしくお願いいたします

          私という人の母親

          ここで私の親戚一同との関係と思い出を挟んでいこうと思う 続けて書くかもしれないし、間に挟んでいくかもしれない 今回はタイトルの通り母親について書こうと思う 母親は四国地方出身でいつ頃からかは知らないが家族全員で近畿地方に引っ越してきた 父(私からすると祖父)、母(私からするとばあちゃん)、姉(私からすると伯母)の4人家族で動物が大好きで残酷な人だった 父親との出会いは常連になっていたスナックで、人手が足りないとのことで手伝っていたら父親が客として来たことがきっかけら

          私という人の母親

          私という人の人生④

          私は特に変わらないまま小学2年生になった 当時の小学校は12、34、56で先生・クラスメイトが変わらない制度で何も無いまま進級した形だった その頃、ばあちゃんと叔父が家の近所に引っ越してきた 私は何も知らなかったがマンションの家賃を滞納していたのと祖父と離婚していたこと・前々からちょくちょく滞納していたのを父親が払っていたことを後に知ることになる 私は毎日、ばあちゃんに預けられるようになり両親といること殆どはなかった 母親が心臓発作を起こせばばあちゃんを夜中に叩き起

          私という人の人生④

          私という人の人生③

          小学生になった 訳の分からないまま書けないひし形を書き、校内をうろうろし気がつけば入学式の日になり、学校に通うことになった 訳も分からないまま制服を着、親が買ってきた赤色のランドセルを背負い、初めて1人で通学するという冒険に出た というか、1人で行くと思っていなかったし道だって覚えてるでしょとか言われたけど覚えていない 結局、うろ覚えに真っ直ぐ歩き続け同じ服を着ている人達に着いて行って本来の通学ルートから外れた別の門から登校していた 暫くして親にバレ、なぜそんな遠回

          私という人の人生③

          私という人の人生②

          6歳になる年、地震が起きた 真夜中に母親が騒いでいるのをうるさいなと思っていたら、頭上に置いてある人の顔より大きいパチンコ時計が落ちてきて痛かったのを覚えている とにかくすごく揺れていた 母親の友達が泊まりに来ていたが爆睡していたので起こすのが大変そうだった 住んでいたマンションの集合ポストの床は子供1人くらいなら余裕で落ちるくらいの大きな亀裂が走っていた 後に父親は欠陥マンションだったと語っていた 荷物もそこそこに一同は高速道路を使って母方のばあちゃんの家へと移動し

          私という人の人生②