#国際女性デーに自分の人生について投稿してみた
3月8日 #国際女性デー にあわせて、自分の人生について書いた記事をLinkedInに投稿しようと思います☆ (1日出遅れてのですが・・・)
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「将来を見据えて点と点を結ぶことはできない。
できるのは、振り返りながら点と点を結ぶことだけ・・・。
だから点と点が何らかの将来で必ずつながると信じるしかない」
スティーブ・ジョブスはスタンフォード大学の学生たちに向けて、自分の人生から得た教訓として、語った。
昨日は、私が主宰するオノジュンエグゼクティブブランディングのメンバーである 専門家の方の新聞取材。
朝から新幹線に乗って東京へ。そして、約20年ぶりに武蔵小杉の地にきた。その方のお家の近くの喫茶店で新聞記者さんと待ち合わせだったからだ。
約20年前、私は東京で新しいスタートをきった。毎日、東横線の満員電車に揺られ、時に貧血で途中で降りることなどもありながら、ただ職場に通うことに一生懸命だった。
大阪の片田舎出身で、何の幸運かわからないけど、ファッション業界で働けることに。
テレビの前で憧れた芸能人たちが集うキラキラしたパーティーが繰り広げられる世界。
「そんな世界に自分も身をおいてみたい!」
そんな夢がかなったのだ。
初めての撮影は、世界的モデルのステラ・テナント。当時絶大な人気を誇ったSPURの表紙撮影のための来日だった。
私はアシスタントとして、ステラが身につける高級ジュエリーを運び、その後はとりあえず、彼女が帰る時、エレベーターのドアを最高のタイミングで開けるためだけに、アシスタントとして、ただただひたすらエレベーターの前で待ち構えるしかなかった・・・
電話の応対も、ラグジュアリーブランドのPRアシスタントとしては声が大きくガサツすぎた。
身なりも、立ち居振る舞いも田舎者すぎた。
英語も自信がなさすぎた。
芸能人の名前も間違えすぎた。
何もかもが足りてないポンコツ・・・
ただ素直なだけがウリだった。
自分にはこんな華やかなPRは向いていない・・・
そう思い悩む日々だった。
フランス本社から社長が来日した時、オフィスのみんなに、社長はひとりひとりフランス流挨拶の頬キスをしていた。
先輩に続いて列に並び、どんどん私の番が近づいてくる中、頬キスの挨拶がうまくできるか、心臓が飛び出そうなくらい、ドキドキしながら順番を待っていた。
社長の目の前に立った。「次は私の番だ!」
先輩のマネをして「ボンジュール!」と挨拶をしようとしたその瞬間、
社長はチラっと私をみて、「じゃあミーティングをしましょう☆」とどこかへ行ってしまった。
「なぜ私には挨拶してくれなかったのでしょうか・・・」先輩に涙目で聞いた。
「アシスタントだからね。もう少しポジションが上になれば、挨拶してくれるよ・・・」
先輩はそう教えてくれた。
「こんなに人数少ないんだから、挨拶くらいしてくれても・・・」
私はだれも人がこない非常階段でむせび泣いた。いつも泣く時はここって決めていたから。
そして、私は決意した。
「絶対にアシスタントを脱却し、どんどんポジションを上げて、こんな思いを2度としなくてもいいようになる!」と。
数年後、
私は、学生時代のネットベンチャーでのインターン経験を活かし、当時まだほとんどやったことがなかったデジタルPR戦略をブランド内で提案。一定の評価を得ることができた。
そして、ブランドを変え、業界トップクラスのブランドで、初のデジタルPR担当としてのポジションも手に入れた。
もう本社からきた上司と挨拶を交わすチャンスも得られないということはなくなっていた。
しかし、子供を育てる母としての新たな役割が加わった時・・・・私は自分自身に向き合わざるを得なくなった。
「私は悔しさをエネルギーに変えて生きすぎてはいないか・・・」
「組織に、または上司に称賛されるために生きすぎてはいないか・・・」
自分とは何か、人生とは何か、を深く考えるようになったのだ。
そして今・・・
私はもうラグジュアリーブランドの業界にもいないし、会社員でもなくなってしまった。
そして組織の中で昇進して認められることにも、全く興味がなくなってしまったのだ。
でも、この20年間の間に、時に非常階段でむせび泣き、時に上司に認めてもらうために一生懸命アイデアを出して、実行してきたその経験のすべてが、
振り返ると点と点でつながり、予想もしなかった世界に私をつれてきてくれた。
もし、ラグジュアリーブランドで地道に、奮闘した経験がなかったら、今、自分が応援したいと思う起業家や経営者を「PR」という形で応援することはできなかったと思う。
そして昨日、武蔵小杉の喫茶店で、新聞記者さんの取材を受ける橋口さんの隣で話を聞きながら感じた。
「ああ・・・昔PRという仕事に携わっていてよかった」と。
来月には、この記事が全国の新聞社に配信され、おそらく掲載されるだろう。東北や九州などの地方の新聞でも取り上げられるだろう。
全国の悩めるお母さんたちが、この記事を読んで元気をもらえるかもしれない。
涙を流す人もいるかもしれない。
自分自身を責めずにすむ人もいるかもしれない。
もしあの時、非常階段で泣くことに耐えられず簡単に辞めていたら、今のこの未来は、おそらくなかっただろう。
もしあの時、ブランド業界を去り、生まれ故郷である大阪に戻る決断をしなかったら、今の活動はしていなかっただろう。
スティーブ・ジョブズはスピーチで学生たちに向けてこう続けた。
「あなた方は、何かを信じるべきです。自分の勇気であれ、運命であれ、人生であれ、カルマであれ、何であれ。なぜなら点と点が将来いつかは繋がると信じることでたとえそれが人並みの人生街道から外れることに繋がろうとも、自分の心に従うことに、自信が持てるようになるからです。そしてこのことがもたらす違いは大きいのです」と。
「せっかく大きなブランドでいいポジションについたのに、なんで辞めるの?」
そう当時の仲間から何度声をかけられたかわからない・・・
そして、私も時に、その決断が正しかったのか、悩んだ日もあった。
しかし、今の自分自身があるのは、これらの日々があったからこそだと心底今感じている。
女性は、妊娠、出産、子育てなどライフスタイルの変化の中で、様々な葛藤を抱える機会も多いかもしれない。
それでも、女性たちは自分らしく、美しく、楽しく生きようと頑張る強さを持っている。
その強いエネルギーを、より全力で発揮できる社会になっていけばいいなと感じる。
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