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【Management Talk】「一年一年積み重ねていった結果として歴史が生まれる」発売70周年を迎える「ホッピー」3代目社長が語る過去・現在・未来

米国アカデミー賞公認短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」は、2018年の創立20周年に合わせて、対談企画「Management Talk」を立ち上げました。映画祭代表の別所哲也が、様々な企業の経営者に、その経営理念やブランドについてお話を伺っていきます。
第15回のゲストは、ホッピービバレッジ株式会社 代表取締役社長 石渡美奈氏。元祖ビアテイスト清涼飲料水「ホッピー」は2018年7月に発売70周年を迎えます! 多くの人から愛されるホッピーブランドはどのように生まれ、育まれたのか? その歴史から未来についてまで、3代目社長に盛りだくさん語っていただきました。

ホッピービバレッジ株式会社
1905年に東京赤坂で開業した餅菓子屋「石渡五郎吉商店」を祖とし、1910 年に秀水舎を設立。清涼飲料水、ラムネ、サイダーの製造販売を手がけ、 1948 年7 月にコクカ飲料株式会社に改組。 同年、麦芽とホップを使用した麦酒様清涼飲料水 「ホッピー」 を開発。発売以来、ミキサードリンクのパイオニア的存在となり、東京を中心に広く親しまれ、2018年で発売70周年を迎える。


終戦後という時代背景から生まれたホッピースタイル


別所:最初に、ホッピーの歴史についてお伺いできますでしょうか?

石渡:まず、創業家である石渡家の成り立ちについてお話しすると、私の曽祖父である石渡五郎吉が、千葉県の白子町から駆け落ちするところからはじまるんです(笑)。結婚式当日、自分の披露宴で使う鯛を買いに行ったときに、魚屋の女性に一目惚れして、そのまま知り合いのいた赤坂まで一緒に逃げてきたという。

別所:いきなりすごいお話(笑)。

石渡:そして、五郎吉の次男として生まれたのが祖父 石渡秀です。彼は10歳にして父親の名を冠した「石渡五郎吉商店」を創業。陸軍の御用聞き商人として餅菓子屋を営んでいました。その後、陸軍を通じてラムネの伝来を知り、15歳のとき「秀水舎」という自身の名にちなんだ会社を立ち上げて、ラムネの製造販売を開始したんです。それが、1910年のこと。我々が清涼飲料水の世界でお世話になるはじまりでした。

別所:100年以上前の話ですよね。

石渡:ええ。最初はラムネだったんです。当時、水に泡立て剤と苦味のエッセンスを混ぜて作ったまがい物のノンアルコールビールが流行っていたため、祖父のところにも依頼がきたそうですが、彼は、まがい物はやる気がしないと断っていました。ただ、ラムネは、夏は暑いから人気だけど、冬は売れないから困ってはいた。そうしたとき、知人から、雪国に工場を作ったらいいのではないかという助言をいただいたらしいんです。

別所:雪国では冬、部屋の中を温かくしているから……。

石渡:冬でもラムネを飲むだろうと。それで、長野県の佐久にラムネ工場を建設しました。すると、長野県がホップの名産地だったため、希少だったホップを手に入れることができるようになったわけです。祖父は、それならば本物のノンアルコールビールを作ろう、と当時赤羽にあった醸造試験場に弟を送り込み、研究を開始した。そして、開発に成功したんです。

別所:本物ができるならやろうと。

石渡:その後、戦争によっていったんはお蔵入りになったものの、終戦後まもなく、祖父はその技術を活かし、いちはやくノンアルコールビールを作って新橋や池袋の闇市で販売しました。当時、ビールは庶民にとって高嶺の花。粗悪な焼酎しかなかったところに、彗星の如くホッピーが現れ、安いお酒でも割れば美味しく飲める、早く安く酔えると評判になったわけです。実は、焼酎と割って飲んでいただくという現在のホッピーのスタイルは、そうした時代背景から生まれたものなんです。


愛されている良さをベースに変化を


別所:そういうきっかけがあったとは知らなかったです。そうした長い歴史を持つホッピーの3代目として石渡社長は、ホッピーのブランディング、イメージ戦略をどのようにお考えですか?

石渡:私がホッピーに入社したのは1997年で、マーケットの主役は女性だと言われはじめた時代でしたけど、世の中は少子化で、市場はシュリンクしていくし、モノも飽和しているという環境でした。そうしたなかで、私は最初に、グループインタビューでホッピーのイメージ調査をしてみたんです。

別所:はじめに現状分析をしたわけですね。結果は?

石渡:悲惨なものでした(笑)。「ビールの薄まったもの」や「まがい物」、「ダサい」「焼酎と割るのが面倒」といった散々なイメージで……。

別所:そんな結果が……。そこからどうしたんですか?

石渡:もちろん気落ちする部分はあったんですけど、ありがたいことに調査会社の担当者の方に、「良くも悪くもこれだけ認知されている商品は大手さんにもなかなかないですよ。それは宝ですよ」と言っていただけて。たしかに、ゼロを一にするのは大変だけど、内容は内容として、今すでに一があるとしたら、その魅力をうまく伝えられたらいいのではないかと思い直しました。そして、自分がリアルターゲットだったら飲んでみたい商品を考えてみたんです。

別所:どんな商品だったんですか?

石渡:お洒落なデザインで、割る手間も省いた「ホッピーハイ」という商品を開発したんです。これこそまさにお客様が求めていた商品だ、と満を辞して発売するんですけど……これがまったく鳴かず飛ばず。

別所:え? そうだったんですか?

石渡:お客様の声を聞いたところ、「ホッピーという名前はついているけど、ホッピーがこんなにお洒落なはずはない。だから、これはホッピーの名を被った偽物に違いない」と言われてしまって。

別所:従来のホッピーのイメージとかけ離れすぎていたから。

石渡:イメージ調査では散々な結果でしたが、やはり、ホッピーが当時で約50年続いてきたというなかで、お客様に愛されている良さがあるわけです。たとえば、ホッピーはダサいと言われるけど温かい、といったように。だから、変えるにしても、いきなりホッピーハイのようにエッジの効いた商品を出すのではなくて、ホッピーのダサカワさや温かさを基調にして、お洒落なイメージを少しずつ打ち出していくことが必要なんだと痛感しました。

別所:良い部分は残しつつ、新しさを徐々に。


人柄のいい会社から人柄のいい商品が生まれる


石渡:ええ。また、その頃から、ラジオで自分の思いを伝えていくという試みもはじめました。いまはニッポン放送さんですが、最初はTBSラジオさんでホッピーの番組を放送していたんです。そうしたら、プロデューサーを介して、実はホッピーファンだというTHE ALFEEの高見沢俊彦さんとご縁が生まれ、その翌年、一緒に番組に出演させていただくことになって。そのとき高見沢さんに掛けていただいた言葉がいまでも心に残っています。「ミーナさん、いたずらに会社を大きくすることを考えないでね」って。
 THE ALFEEさんは、結成当初のまだ色々と苦労の多かった時代、練習が終わってから、高架下の焼き鳥屋さんに通って、「いつかビッグになって、たらふくホッピーを飲もう」と夢を語り合っていたそうなんです。だから、いまでもホッピーを好きなのは、ある意味ではいちばん夢と希望に燃えていたあの頃に戻れるような気がするからだとおっしゃっていただいて。「そういう風にホッピーを思っている人が大勢いるから、いたずらに会社を大きくすることを考えないでね」って。

別所:すごくいいお話……お客さんとの関係のなかで見えてくる物語がホッピーにはたくさんありそうですね。

石渡:ホッピーファンのなかには、「自分がホッピーを育てることに関わっている」「自分はHoppy Familyの一員だ」と考えてくださる方が多くてとてもありがたいんです。初めて飲んだホッピーにまつわる「MYホッピー論」を持っている方もたくさんいて。だいたい最悪でしたって言われるんですけど(笑)、大学時代、お金のない先輩に濃いホッピーを作って飲ませてもらったとか。あとは、子どもの頃連れていかれた居酒屋で、父親がいつも飲んでいた姿を覚えているという声もよく聞きます。

別所:色々な人の色々な思い出が詰まっているんですね。そうしたなかで、さきほど高見沢さんのお話もありましたが、3代目として、会社をどのような方針で経営されているのでしょうか?

石渡:2010年に3代目を継がせていただいたとき、私が大先輩として慕う高田馬場の酒屋の社長様に、「人柄のいい商品を作りなさい」と声を掛けていただきました。ホッピーがベストセラー商品になったのは、マーケティングや営業戦略なんて後付けで、とどのつまり、人柄のいい商品だったからなんだよって。じゃあ人柄のいい商品はどうやって生まれるか? 人柄のいい会社から生まれる。人柄のいい会社はどう作るか? まずはトップの人柄だと。人柄のいいトップのところに人柄のいい社員が集まって、人柄のいい企業文化が生まれる。そこから生まれる商品は人柄がいい。だから愛されるんだよって。
「お祖父さんやお父さんのように、あなたもやっぱりまずは自分の人柄磨きをやりなさい」。
 その言葉をいつも胸に刻んでいます。

別所:なるほど。


日本と同じ展開だったらニューヨークでやっても意味がない


石渡:あとは会社としての具体的な話で言いますと、ホッピーは、2012年からニューヨークでプロモーションをはじめているんです。ホッピーは、ありがたいことに東京では非常に認知度が高いんですけど、先ほどお話ししたような従来からのイメージが足かせになって、いまでもお店によっては、「ホッピーがあるとイメージが落ちる」と言われてしまうことがあります。それをそのままにしておいてはホッピーの将来が阻まれてしまう。だから、ニューヨークのような大都市で、日本では発掘できないホッピーの可能性を見出すような展開ができたらいいなとずっと考えていました。すると、あるとき、ニューヨークのお隣、マサチューセッツで飲食店を営んでいる日本人の方からメールが届いたんです。ホッピーに興味があるって。それで、半年弱メールのやり取りをしたのち、現地に飛びました。そうしたら、マサチューセッツは州の規制上難しかったんですけど、その方が、ニューヨークで飲食のコンサルをしている方を紹介してくださって。その出会いからホッピーのニューヨークストーリーが始まりました。

別所:手応えはいかがですか?

石渡:ご存知かもしれませんが、近年、ニューヨークでは、アジア居酒屋がブームです。ホッピーが進出するという時にも、そういうお店からたくさんの引き合いをいただきました。だけど私は、すごく生意気なんですけど、全部お断りしたんです。だって、日本と同じ展開だったらやっても意味がないでしょう。ホッピーの新たな可能性を模索するためにニューヨークに行ったわけだから。お互いに思いの通じるオーナーがいる、日本では絶対に入れてもらえないようなお店と一緒にやる。そう決めて、この2年間、2ヶ月に1回ニューヨークを訪れ、お洒落なイベントを開催し続けたんです。そうしたら、そこから話が広がって、マンハッタンにある「Bar Goto」さんという日本だったら絶対に断られるようなバーのオーナーさんが興味を持ってくださって。これをきっかけに、ホッピーのニューヨークスタイルを確立していければと思っています。

別所:素晴らしい。まさにマーケティングですね。

石渡:しかもいま、海外で日本のフードカルチャーが改めて見直されていますよね。数年前、ニューヨークでタクシーのドライバーさんに、「日本食レストランは、料理がヘルシーで美味しいだけじゃなくて、お店が綺麗だし、サービスもよくて、居心地がいいから僕は好きなんだ」と言われて改めて気づいたんですが、私たちにとってはスタンダードだけど、海外に出てみて初めてわかる日本の良さがあります。だから、私はいま、従来のホッピーの身の丈よりも少し背伸びしたレベルで、日本食とホッピーのマリアージュを作り、世界中のみなさまの健康と心の安心安全、健全さの促進に役立つようなビジネスモデルに挑戦したいと考えているんです。


社員たちと一緒にわくわくするような仕事を


別所:壮大なプロジェクトですね。さまざまな未来が見えてくるなか、「ホッピー」は2018年7月に発売70周年です。僕たちの映画祭はようやく20年ですから、はるか後方からホッピーさんの背中を見つめているという感じではあるんですが、その歴史の重みについて、石渡社長はどのように捉えていますか?

石渡:以前、青年会議所の大先輩である「虎屋」さんの黒川社長に、「室町時代後期に創業した虎屋さんの歴史についてどうお考えですか?」と質問したことがあるんです。そうしたら、「過去は、過ぎ去って変えられない。未来は何があるかわからない。だから、今目の前にある一分一秒を、お客様に喜んでいただける和菓子を作るために使って、それが正しければ、振り返ったときに数百年の歴史が生まれているんだと思う」とお答えになられて。すごく腑に落ちました。きっと虎屋さんの創始者も数百年続く会社を作ろうと考えていたわけではないでしょうし、私の祖父も100年以上続く会社になるとは想像していなかったような気がします。別所さんだって、最初から映画祭を20年やろうとは考えていませんでしたよね? 一年一年積み重ねていった結果として、気がついたら歴史が生まれているということだと思います。

別所:まさにおっしゃる通りだと思います。それでは最後に、これからのビジョンを教えてください。

石渡:この会社が創業200周年を迎えるのは、私が140歳になる年です。社員たちには、「それまで生きてそうだね」って言われるんですけど(笑)、企業の究極の使命としては第一に永続性があると思います。だけど、それはやっぱり毎日の積み重ねの結果なので、まずは日々、社員たちと一緒にわくわくするような仕事をしていきたいです。今度、70周年記念プロジェクトで社歌を作るんです。それも、著名な方にお願いするのではなくて、「あれおれ社歌」がいいと。つまり、あのキーワード、センテンスは俺が、私が出したんだよって、全社員が必ず一箇所は言える社歌にしたいなと思って。私はそういう風に、社員たちが夢をともに語り合えて、「ああ、今世でホッピーと出会えて、ホッピーに勤められてよかった」と感じてもらえる会社にしたい。そして同時に、社員の奥さんや旦那さん、家族も応援してくれて、その子どもたちに、私も僕も将来ホッピーで働きたいと言ってもらえたら最高だなと思っています。

別所:ありがとうございました。

(2017.12.4)


石渡 美奈

ホッピービバレッジ株式会社 代表取締役社長。
1968年東京都生まれ。立教大学文学部卒業後、日清製粉(現:日清製粉グループ本社)に入社。人事部に所属し、93年に退社。広告代理店でのアルバイトを経て、祖父が創業したホッピービバレッジに入社。広報宣伝を経て、2003年取締役副社長に就任。その後2010年に代表取締役社長に就任。
著書に、「社長が変われば会社は変わる!」(阪急コミュニケーションズ)、「社長が変われば社員は変わる!」(あさ出版)「ホッピーの教科書」(日経BP社)、「技術は真似できても、育てた社員は真似できない」(総合法令出版)。
趣味はベランダガーデニングとメダカを育てること。早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了、経営学修士(MBA)。2016年、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM修士課程)修了。