余談
昨日のキナリノアプリがなかなか冴えていた、という話。
自分の思考、判断、発言、行動。
一人の人間として本当の意味で「物心ついた」のは、Yさんに出逢った後、三十代を超えた辺りだ。それまではせっかく巡り合わせた人とのご縁を守り育てる方法がわからず無自覚に無礼な振る舞いをし、人を不快にさせ、たくさんの愛すべき友人を失ってきた。今でも彼ら彼女らのことを時々思い出しては申し訳なさで冷や汗をかく。
なので折にふれて会ってくれる友人が少なからず存在するということは、とてもありがたく心強いことだ。
だから自分の魅力などというとおこがましいし、自分は他人より人付き合いが下手だという自覚もあるし、そういう意味ではこの世で自分が一番信用ならないと思っているけれども、今も私とつながってくれる、その相手の意志と行動だけを信じるようにしている。
仕事を通じて得る人間関係というのは本来、かりそめの絆だ。(これは私の言葉ではなくほぼ日の糸井重里さんの言葉だ。)
もともとが仕事という目的のもとに集まっただけの、互いに利害を伴う関係であり、仕事がなくなれば永遠にたち消えになっても不思議のない間柄。だからこそ仕事がなくなっても尚こうして関係が続いていくということには、双方のそれを維持するための行動が必要になる。
職場が変わってもなおプライベートで声をかけてもらえるって本当に尊くてありがたいこと。この思いは今後もきっと何遍も何遍も繰り返し書くことだろう。
神田明神で買ったごまだれ餅。8個入り450円。ここ最近プロデュースされた新商品のはずなので、特にごまだれ餅であることに深い理由はないはず…。でもなんかこの組合せ、何故だか説得力あるよね。万人受けする絶妙な選択。
ひと口サイズの羽二重餅にごまだれがくるみ込まれている。
間違いのないおいしさ。餅生地に厚みがあって私の好きな比率。
和菓子おたくでもあるけどおみやげおたくでもありパッケージおたくでもあるので、「かわいいパッケージ」というだけで、中身は二の次三の次で衝動買いすることもしばしば…。まして「お土産もの」という属性があると更に弱いのだった。パッケージにつられてつい買ってしまった典型。
でもおいしくいただきました。御馳走さまでした。
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