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5年間がん再発を教えてくれなかった医者

まず初めにO医師を心情的に
先生
とは呼びたくないので医師、医者と書く事にします。

O医師は令和3年3月19日に沖縄県立八重山病院を退職しています。

私はその事を知ったのは高齢のO医師が退職し
あとを引き継いだY医師との初めての診断で
私の病状を知ろうと電子カルテを読んだ時

あれ?がんが再発してるけど…

と言った時でした。

私は全く信じられず
まさに天地がひっくり返ったようで
その後数日間、自分に何が起きているのか
考えても考えがまとまらず
夜が眠れなくなり
自分はこのまま死んでしまうのではないかと
恐怖と疲労が続きました。

この時は凄く精神的に参ってしまってました。
O医師だけがおかしいのか、
類は友を呼ぶでどの先生も似たり寄ったりなのか、
まともな医者はこの病院にいるのか、
O医師に診てもらっていた他の患者さんたちは大丈夫なのか、
私はあとどれぐらい生きられるのか、etc.
この病院が信用できなくなってしまい
引き継いでくれた担当医師も信じられなくなり
私の疑心暗鬼な気持ちがY医師に対して言葉に表れる事があり
医者と患者として信頼関係を作れなかったです。

後日再検査を受けたところ
やはり再発という結果だったので那覇の病院に行くことになりました。
その後那覇で検査、入院、手術、退院。
その後化学療法は石垣の病院に通院しました。
今は那覇から先生が石垣のかりゆし病院にいらっしゃるので
3か月に1度診て頂いてます。

私は2013年にがんになって以来
石垣の病院では長年にわたりO医師が私の担当医で
信頼していただけにショックがとてつもなく大きかったです。
笑ながら雑談もしてたので感じの良い医師だと思ってました。

それが医師の風上にも置けない人物だったとは。

私の日記帳を元に石垣の病院で私に起きた事を書こうと思います。

それから
全く面識はありませんが
今回ブログに書いてどなたかに読んでいただくという高いハードルを飛ぶ
後押しをしてくださったジャーナリストの佐藤章さんに感謝の気持ちを伝えたいです。
不正に正面から真摯に立ち向かう佐藤さんの姿勢に胸が打たれました。
勇気をくれてありがとうございます。



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