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異能β-3   テキサスの白い怪鳥-5   J-Hのレース人生を変えたChaparral 2G

 1967年、2Eが思った程の成績を残せなかったので、J-Hは2Eをベースに2Eの5.36ℓエンジンから2Fの7ℓエンジンに変更、H-S やP-Hの引退から自身が1台のみで戦った。
 車は出力が増したが、エンジン重量も増し、出力と重量増加に対する対処等で全重量も更に増すという悪循環に陥った。この7ℓエンジンはオイル漏れを起こしやすく、それによる遅れやリタイヤ等で2位が最高の成績で優勝は0回、67年はシリーズ5位、68年は4位だったが、最終戦で2Gが大破し、J-Hは両足骨折と顔面火傷を負いドライバー生命が絶たれた。
 2Gの外観は2Eと似ている。ラジエーターのインテーク形状が2F様になり、68年型はエンジンの上にインダクションボックスが装備された。しかし一番目立つのが、後輪の拡大に伴ってのオーバーフェンダー。この巨大さからライバル達に、大型トラックの様だと揶揄された。

 さてそのモデルはTSMが68年モデル、Marsh Modelsからは67年と68年のキットが販売されフィニッシャーにより完成品となったモデルが多数あるが、日本での入手はTSMの完成品もなく、eBayのオークションでやっと入手できた。
 最初の67年モデルの外観は単にラジエーター・エアインテークが2F様になったくらいと思っていたが、エンジンが7ℓになり、途中でリアに小さなオーバーフェンダーがついた。
 初めて入手できた品は67年の初戦のElkhart Lakeを走った2G(MM)。オークションでキットを落札し、Model Garage Lomuに製作依頼した物。まだこの頃はインダクションボックスもオーバーフェンダーもない。

1/43 MM製をRomuのフィニッシャーが組み立てたもの、流石にプロの腕は凄い
文句の付けようがない出来だ、まだインダクションボックスもオーバーフェンダーもない

 次に入手した67年モデルは最終戦のLas Vegasを走ったモデル。インダクションボックスはないが、ラムパイプが外からのぞめ、リアに小さなオーバーフェンダーが付いたもの、後部にもNo.66が付けられたのが他のレースにない特徴。前戦で2位に入り期待されたが、エンジンブレイクでDNFであった。

1/43 MM製、後輪ホイールアーチに小さなオーバーフェンダーが付き、後部にNo.66が書かれている

 68年モデルはTSM・MM・ESDOが各1台ずつ。
 1台目は第5戦のRiversideで行われたTimes GPのモデル、エアインダクションボックスが付き、フロントフィンが前輪の前で一旦途切れ、そこからオーバーフェンダーが始まる。

1/43 TSM製(見出しのモデルと同一)

 次の1台は箱書きでは、第4戦Laguna Secaで行われたMonterey GPのモデルとなっているが、このモデルは最終戦のLas Vegasで行われたStardust GPの車と推理した。

1/43 MM製、最終戦のモデルと推理した

 フロントの接地力を高めるためにオーバーフェンダーが先端のフィンからホイールの後端まで連続し、後輪のオーバーフェンダーが大きくなっている。1番の違いは後輪、幅が広くなりホイールがChaparral Meshと異なり放射状となっている点だ。(Chaparralでこのタイプは見たことがない)

右はTSMのメッシュホイール、左は今回のモデルで放射状のスポークタイプ

 CGのSports car Profile Series 4   Chaparralの中のイラストに最終戦の2Gのイラストがあり、後輪がはっきり描かれている。

スポークの本数は異なるが、ホイールはメッシュとは完全に異なる

 なおシェルのステッカーがファイアストーンの後方にあるのは、67年シーズンの貼り間違えと思われる。

 3台目はインダクションボックスの上面が赤色のモデル。これがどのレースのモデルか分からない。そもそも数冊のChaparral関連本にはボックスの上面が黒や白のカラー写真はあるが、赤は見たことがない。モノクロの写真では分からないので困っているモデル(画像検索でみるとESDO製のこの型は全て赤色となっている)

1/43 ESDO製、インダクションボックスの上面が赤の写真は見たことがない(多くはモノクロのため)
ESDOが間違えるとも思えないが! 不明なモデルの探索をするのも趣味の一端であるので致し方ない

 J-Hは第6戦のLas Vegasで行われたStardust GPは予選3位あったが58周目に大事故をおこし、両足骨折と顔面の火傷でドライバー生命が絶たれた。

Bob Tronolone Coiiectionより引用

 この様な凄い事故でも一命を取り留めたのは、シャーシの剛性もあったろうが運が味方したとしか思えない。しかし、これを切っ掛けにレースドライバーを辞めたのは正解だろう、ドライバーで生き長らえれば次の2Hがあるいは物になったかもしれないが、それが人生というものだろう。


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