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異能β-12: 続  Ferrari最後のLe Mans優勝車 250LM

 1950年代の後半から、向かう所敵なしの活躍を見せたFerrari。

 Le Mansには1949年以来エントリーしているが、58年の第26回に初優勝して、レースの主役に躍り出た。60年から64年まで連続して優勝、我が世の春を謳歌していた。
 その頃、Fordは世界一の称号が欲してFerrariの買収を試みて失敗。それならと自前の車で64年のLe Mansに挑戦、ここにFerrariとFordによる戦いが始まった。

 64年Factory Team(FT)は4ℓの330Pをはじめ4台がエントリー、他にプライベートまで入れると総勢11台が出走し、275P(3.3ℓ)が優勝した。
 翌65年、Fordの力の入れようは凄まじく、GTプロトタイプ6台にDaytona Cobra5台の総勢11台がエントリー、Ferrariも6年連続の優勝を目指して同じく11台がエントリー。FerrariのFTは3台、他にNorth・American・Racing・Team(NART)からの2台がプロトタイプ、更に準FTからの6台がエントリー、がっぷり四つの戦いとなった。
 この年もFerrariが1〜3位を独占したが、優勝はNARTからエントリーした赤色ロングノーズのNo.21 Masten Gregory / Jochen Rindtの250LMであり、これがFerrariにとって最後の優勝車となった。

1/18 & 1/43 Look Smart(LS)製 シャーシNo.(C/N):5893

 レースはRindtが予選11位でスタート、1時間で8位になり、1時間半でGregoryに交代、それから2時間程してミスファイアが発生、順位を18位まで落とした。しかしデストリビューターを交換後、全速力で走り優勝するかリタイア(Do Not Finish:以下DNFと略)するか、ゴールを目指してアクセル全開、予選17位スタートで1位を走っていたベルギーチームのNo.26がピット作業をしている間に抜き去り優勝したのだ。
 Ferrariの命名法によればイニシャル・ナンバーは、そのエンジンの個々のシリンダー排気量によるので、この250/275LM(Le Mans)は発表当時2,953ccであったので250LMで良いのだが、その後排気量をアップし3,286ccになれば275LMと称しなければならない(実際、64年のCar Graphic誌には、「今は250LMだが、将来275LMと呼ばれる様になるだろう」と記載されている)。Ferrariはこの車を100台生産しGTカーとすることを目論み、250LMの名で登録したのだ(製造数は32台にとどまり、GTにはなれなかった)。

☆ 最初の1台(C/N:5149)
 63年10月、パリサロンで報道機関に発表された車(シャーシナンバー 5149)(以下C/Nと略)。65年4月のCar Graphic誌(日本では最初の報道だったが、この頃はこんなに時間かかっていた)には250/275LMと記載され、62年の250Pと同じシャーシに、2953ccのV12 SOHCエンジンをミッドシップに置き、6個のダブル・チョーク・ウェーバーで300HP/7500rpmの出力、自重はわずか850kgで287km/hをマークすると記されていた。車の特徴としてはルーフに小さな空気整流板を持ったPinin Farinaのデザイン。

1/43 LS製 車の特徴はルーフに小さな空気整流板を持ったPinin Farinaのデザイン、(C/N:5149)


☆ C/N :5843:64年5月完成、ベルギーチームが購入し64年のル・マンにNo.23 P.Dumay / GL.Ophenで出場し、16位で完走した。
 65年からベルギーチームはナショナルカラーの黄色が車体色となるのだが、64年は未だ赤色で出場していた。
 モデルは右がLook Smart(LS)のモデル、左のBEST(BT)のモデルはジオラマ仕上げとなっている。

1/43 右LS製 左BT製のジオラマ仕上げ、(C/N :5843)


☆ C/N :5845 64年2月に完成、No.22は66年のMonza 1000kmに出場、No.170は同年のTarga Florio に出場した車(いずれもBT)で、Bardahl TeamからA.Swanson / R. Ennisで出場、文献によればその後NY在住日本人の岡田久さんが所有していた様だ。

1/43 BT製、(C/N :5843)


☆ C/N :5891 64年7月完成、No.20は68年のLe Mansに出場、DNFとなったロングノーズのH.Muller / J.Williams(LS)、250LMでは珍しい3台だけ作られた左ハンドルの内の1台。

1/43 LS製 左ハンドルの車、(C/N :5891)

LSのシリーズ終了頃のModelにこの車が69年のTour de Franceに参戦した車が発売された。上のモデルと同じくフロントの補助ライトが4個あり、後トランク上にスペアタイヤがのせられたModel、それはそれで面白い。

1/43 LS製 上のモデルをモディファイしたもの、(C/N :5891)


☆ C/N: 5893 250LMの中で最も有名な。64年7月に完成、65年の優勝は前述の様に素晴らしい結果である。この車は68年のLe MansにM.Gregory / C.KolbがNo.14(LS)で出場したが結果はDNF。69年のLe MansにはT.Zoccoli / S.PoseyがNo.17(LS)で出場し8位完走した。さらに70年のDaytona 24hにはG.Young / C.Chinetti Jr(NARTの主催者であるLuigi Chinettiの息子)がNo.21(BT)で出場。参加基準が変更になったといっても5年落ちの車で7位フィニッシュしたことは、この車の優秀性を証明するといっても過言ではない。

1/43 奥のNo.21は1番有名なモデル(LS)、手前のNo.21は70年のDaytona参戦車(BT)
No.14とNo.17は本文中に説明あり(LS)、(C/N: 5893)

 69年はDaytona 24hにJ.Rindt / B.BondurantがNARTから参戦、No.22は事故を物ともせず(フロントウインドウが割れて、フロントのFerrariのマークがずれている)9位完走の車(LS)。よく見ると屋根が長くなっている。

1/43 LS製 このLSシリーズの最後のモデル、フロントウインドウの修理の跡が痛々しい、
屋根が後方に延びている
(C/N: 5893)


☆ C/N:5895 64年4月完成、No.23(LS)の赤地に水色のラインは英国チームの塗装、65年のLe MansにL.Bianki / M.Salmonで出場、DNFとなった。

1/43 LS製、(C/N:5895)


☆ C/N: 5897 250LMの中でFerrari red以外の車は珍しいが、緑色はD.Piperのカラー(BPカラー)。No.8は64年7月引渡し、65年のNürburgring 1000kmに出場し16位完走となった、D.Piper / T.Maggs車。このモデルは筆者の中ではかなり貴重なBBR製だ。

1/43 BBR製、(C/N: 5897)


☆ C/N :5907 64年4月完成、64年のReim12hで優勝。この赤色に水色のラインが入ったNo.7(LS)はG.hill / J.Bonnierの車。英国のMaranello Concessionairesの車、いわゆるビッグレースで最初に優勝した車である。同じ車は次のParis1000kmにNo.3(LS)で出場、J.Stewart / LV.Scarfiottiで結果は不明だが、最速ラップタイムを記録した。

1/43 両車ともLS製 手前は最初のBig Race優勝車、(C/N :5907)


☆ C/N :5905  元々は65年3月販売されたスイスチームの車。雨の中で行なわれたヒルクライムでクラッシュ、ダメージを受けたボディーは切り詰められて、250LM スパイダーとなった。BESTの箱には65年の「Pernis von Tirol Innsbruck」でH.Walterがステアリングを握り5位となったと記載されている。しかし色々文献を調べて吃驚した。「Pernis von Tirol Innsbruck」は65年10月10日に行われた「Preis von Tirol」というレースだった。Pernisで検索するとオランダのペルニスに行き着きつく。まさかオランダからインスブルックまでの長いレースがあって、一人で運転したのかと思ったが、単なる書き間違いで、インスブルックのヒルクライムだと分かった。

BESTの箱書き 「Preis」が「Pernis」と書かれている

 No.2はBESTの製品、No.99はMG Modelsの製品で65年10月17日に行われたWien Aspernのレースのモデル。2台を並べるとNo.99の方が細かい作りになっている。運転席の後方の整流板を兼ねたロールバーの太さが異なるのが気になる。

1/43 奥BT製 手前MG Models製、(C/N :5905)


☆ C/N: 5909 64年のReim 12h(前述)にはCN 5907の他にもう一台エントリーしている。NARTから参加のNo.8(LS)はJ.Surtees / L.Bandiniの車、総合2位であった。この車は64年のLe MansではNo.58(LS)D.Piper / J.Rindtで出場していた車。

 これを記載した翌日、1/24の同車があったのを気付かされた。2019年6月に譲って頂いたModel Factory Hiro製 Modeling:A.Mizorogi。後部を開くとエンジンやスペアタイヤ、サスペンション類が整然と現れる、逸品。

1/43 LS製 250LMでJ.Surtees や L.Bandiniの名前は珍しい、(C/N: 5909)
1/43(LS) & 1/24MFH製
1/24 MFH製 Modeling:A.Mizorogi

☆ C/N: 6023 No.25(LS)は64年8月完成、65年のLe MansにGL.Ophen / P.Dumayで参戦(No.26(LS)とともにベルギーチームから出場、No.26は2位入賞であったが、No.25はDNFであった。)翌66年、No.28(LS)はG.Gosselin / ED.Keynの車、残念ながらこの年もDNFであった。

1/43 LS製、(C/N: 6023)


☆ C/N: 6025 64年8月に完成、65年のジュネーブ・モーターショーに展示されたもの。白地に濃紺のラインが入った車。Marcel Massini(マルセル・マッシーニ)の本ではロードゴーイング・カーとされている。NARTのChinettiが引き取り、その後アメリカの有力者に渡った。

この車はリアウインドウがテールまで延ばされ、ルーフがガルウイングとなってドアと別に上がり乗降がしやすく、後輪前のインレットにルーバーが切られ、フィラーキャップに蓋が付き、前後に小さなバンバーが付いたもの。自分的には魅力を感じず、最初は購入予定が無かったが、250LMフリークの性(さが)のため買ってしまった。

1/43 LS製、(C/N: 6025)


☆ C/N: 6047 64年4月に完成、9月のRoad America 500mileで優勝した青地に白いライン、Mecom Racingの車。W.Hansgen / M.Donohueが65年のSebring 12hで総合11位となった車。

ModelはBESTの1/43、1/18のModelは沢山あるが、1/43は探し探してドイツにあるのが分かり輸入、Mark Donohueフリークでもある筆者にとって、本当に欲しい製品であった。

1/43 BT製、(C/N: 6047)

 その後、Sparkから発売された製品も入手(日本では発売されていなかったか)、こちらの方が出来が良いのはモデルを比べれば納得できる。

1/43 Spark製 屋根上のスモールライトや後輪前のエアダクト等作りが細かい、(C/N: 6047)


☆ C/N: 6119 64年9月販売されたスイスチームの車、65年のLe MansでNo.27のA.Boller / D.Spoerry、6位入賞であった。

1/43 LS製、(C/N: 6119)


☆ C/N:6167 No.19はP.Vestey / R.Pikeの青地に白ラインの車、ロングノーズでボディーをアルミからグラスファイに変更された車。よく見るとボンネットのフードが無い、またホイールがワイヤーからマグネシウムに変更されている。ワイヤーホイールは殆どがタイアよりも早く駄目になっていたとの記載もある。68年のLe Mansに出場したが結果はDNFであった。

1/43 LS製、(C/N:6167)


☆ C/N:6313 65年4月販売された車、65年のLe MansにはNo.26で出場。No.25はベルギーチームからのエントリーであったが、No.26はP.Dumayの個人エントリー、ドライバーはP.Dumay / GL.Ophen、ドアに赤い線を入れてNo.25と区別している。途中で右後輪がバーストし右後のフェンダーが破損しなければ、優勝していたかも知れない残念な結果であった。

1/43 LS製 65年Le Mans 2位は惜しい! (C/N:6313)


☆ 一寸変わったミニチュアカー(C/N 8165)を購入、歴史を紐解くと面白いことを知った。65年のル・マンにはNo.28(BT)の車がエントリー、テストデイで故障をして本戦はNo.27で出場したと推測された(公式記録にはNo.28はどこにも書かれていない)。ドライバーは上記のA.Boller / D.Spoerry、車を変えたと考えるのが妥当と思われる。このNo.28は文献によれば、フロントが大改造と書かれている。ModelをみるとNo.27は他のモデルと同様だが、No.28はボンネットがない、ホイールアーチの形状も異なるし、エアインテークの形状も異なる。これはモデルを買って文献を参考にジックリと眺めて初めて分かったのだ。Scuderia Filipinettiのボスは大幅な改造を施した車でエントリーしたのだが、故障で元の車に変更しレースを戦い6位入賞となったようだ。なおこのNo.28は翌年D.Piperに売却され、GPグリーンに塗り替えられ、後輪が大きくなり、ホールアーチが拡大された。

1/43 BT製 テストデイで故障、ボンネットが無い(フロントフードがガバッと開くのだ)、
(C/N 8165)
1/43 LS製 ボンネットが無い、後ホイールアーチが拡大、
ホイールがワイヤーからマグネシウムに変更されている、(C/N 8165)


☆ 65年のTarga Florioにエントリーした赤いNo.136(C/N 5891)はNicodemi / Lessona、14位でフィニッシュした。Targa Florioは出発を時差式で行い、それをNo.にしている珍しい例だ。 この車のCNは色々調べるとCN 5891が一番マッチする、しかし5891は3台しか作られなかった左ハンドル、モデルは右ハンドルなので違うと考え、CN探しを更に進めた。ある日250LMのマルセル・マッシーニの最高権威本を見ていて驚いた。写真では左ハンドルなのだ、つまり、BESTはハンドルを左右逆に作ってしまったのだ(BESTの250LMは全て右ハンドルの型で作った様だ)。

1/43 BT製 本では左ハンドル、モデルは右ハンドルと間違いモデル、(C/N 5891 ?)

ストリートモデル
 市街地を走るためのモデル。バンバーも無ければ、サイドウインドウはスライド式、単にナンバーが付いていない車を指している様だ。

 写真、奥は最初に購入したBESTの製品、手前はFANTASISTAの製品。これはAMRの製品をフィニッシャーが組立てた物、今回のモデルの中では1番の高価である、特に細かな部品(ドアハンドルやボンネットオープナー・ワイパー等)とワイヤーホイールの立体感で素晴らしい仕上がりとなっている。

1/43 奥はBT、手前はFANTASISTAの製品
1/43 FANTASISTA製


☆ 何が何だか分からない250LM、この車は64年のLe Mans TestdayにおいてFTから参加し、M.Parksの操縦で3位に入った記録がある。しかしMarcel Massiniの本でも、檜垣和夫著のFerrari本でもCNが書かれていない(檜垣さんの本ではCN不明となっている)。なおネコ・パブリッシングのSCUDERIAの3号にはNARTからエントリーのCN 5909と記載されている。この1/43モデルはファーストバック仕上げ、1台はMGモデル(手前のモデル)、もう1台はTokolosheモデル(奥のモデル)から販売されていて、その2台ともCN 5843と書かれているが、ドライバー名がまるで異なるのだ。テストデイで3位であったので、そのままル・マンに出走すると考えられるが、後方視界が悪いと言う理由で公式戦での出走は無い。またCN 5843の完成は64年の5月なので、4月のテストデイにはまだ完成していないのだ。

Marcel Massini本より
1/43 Tokoloshe Model製
1/43 Tokoloshe Model製
1/43 奥:Tokoloshe Model製 手前:MG Models

編集後記
表題に「」となっているのは、2019年5月にvol.297 6月号として出版された、minicar magazineの特集に「フェラーリ最後のルマン優勝車-250LM」が掲載された続編である。

筆者が記述したminicar magazine誌

 このminicar magazineはコロナ禍の影響(?)で廃刊となり、この号が出た後に発売された250LMの発表の場が無くなった点と、記述要項で「です・ます」調でアルファベットは極力避ける等の規制があり、自由に記述できなかった。また字数制限や写真枚数制限があり、なによりモノクロでの印刷でカラー写真が使用出来なかった点が悩みので種あった。
 今回、新たに発表の場を得て、結構記載できたが、BESTのモデルではここに出して無いモデルも未だ数種ある。あるいはSparkやTSM等で結構綺麗で精密な物が出てくれば、「続々」もありうるが、筆者が後期高齢者になりかかっているので、可能性は薄い。この号で楽しんで頂ければ幸いである。(2023.05.25)

なお掲載翌日にFBのコメントに「うちのLMもありますね」との書き込みがあった。写真を探すと、2019年の6月に撮ったものを見つけて、記述に追加した。
(2023.05.26)

参考文献
Marcel Massini  Ferrari 250LM  Osorey Publishing Limited Great Britain 1983


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