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レアモデル列伝-19    Can Amの赤いデストロイヤー

 Lothar Motschenbacher(ローター・モッチェンバッハー)を検索すると、最初はBlu-RayとDVDで発売されている「McLaren」にChris Amon、Mario Andretti、Dan Gurney等と共に本名で出演しているのがそのためらしい。

1/43 Marsh Models(MM)のMcLAREN M6B 初期型

 戦績
 
Race Resultsをみると最初のレースは1961年にDolphin名の車でDel Marに参戦しているが、結果はDNF、No.は不明であった。1964年頃からElva Mk 7を、65年にはShelby Cobraを駆り、SCCA Regional Santa Barbaraで初優勝を遂げている。
 
66年にMcLaren Elva M1B(C)を駆り、USRRCで1勝しているが、No.は96が多く、次いでNo.11であった、始まったばかりのCan Amでは6戦に参戦し。8位・22位・9位・5位を各1回づつ獲得している。

1/43 Spark(SP)、McLaren Elva M1B(C)、記録をみると最初はNo.27で、11はLabatt 50 Mont Trenblantが最初らしいが、以後も1 あるいは96を付けることもあり67年頃からNo.11が彼のナンバーと
なったようだ。(参考モデル)

 67年は最初McLaren Elva M1CでUSRRCの1位と3位が1回づつありCan AmではLola T70に変更し、9位・5位・9位・DNF・15位・DNFでシリーズ12位であった。

1/43 BEST Model製、67.9.17のBridgehamptonで予選9位、決勝5位入賞のモデル、
5位はこの年の最上の結果であった。

 68年、初戦のみLola T70、2戦目からMcLaren M6B(6.2ℓ)USRRCでは2位2回・3位と6位が1回づつ、Can Amでは3位の表彰台1回でシリーズ5位、しかし最終戦のLas VeasでJim Hallと絡み彼はDNF、ChaparralのJ.Hallはクラッシュし、ドライバー人生が絶たれた。そのためL. Motschenbacherは日本Can Amには参戦できなかったのである。

1/43 奥はMM製、手前はSP製68.10.27のRiversideモデル、大きく異なるのは左後輪前のオイルクーラー、大きくなりカバーが付く、予選21位からスタートし4位でフィニッシュ、68年前半は予選上位であったが、途中から中位〜下位。最終戦は周回遅れでJim Hallとのアクシデント、Hallのドライバー人生に終止符を打たせた、このアクシデントがなければ、MotschenbacherとHallは日本に来たのに!

 69年はMcLaren M12(7ℓ)McLaren carsの市販車で表彰台0のシリーズ7位であったが、200mile Fuji Can Amで3位となっている。
 この69年Motschenbacher/ Leslieは2月2日のDaytona 24hに参戦しMark Donohue組に次いで2位でフィニッシュしている。

1/43 MM製、2015年,Spark(SP)のカタログに発売予定で掲載されていたが、遂にSPからは発売されず、2022年になってMM製をeBayのオークションで落札できた。
同じ市販車であってもM6Bは結構活躍したが、M12はMotschenbacherをして4位3回、
6位2回の成績であった、しかし、70年にRoad Atlantaで3位1回の入賞がある。

 70年、ワークスはB.McLarenを事故で欠き、Denny Hulmeと新たなD.GurneyやPeter GethinがM8Dを駆った。Motschenbacherは型落ちのMcLaren M8B(7ℓと7.6ℓ)・M12(7.6ℓ)・M8C(8.1ℓ)の3台を駆って戦った。最初は新しいM8Bで1〜6戦に、7・8戦はM12で、9・10戦をM8Cで戦い、表彰台4回ポイント65点でシリーズ2位となっている。特にM8Cはウイングが低い位置で苦しい戦いとなった。

1/43 奥はMinichamps製69年のBruce McLarenのM8B、手前はハイウイングが禁止されローウイングで参戦したGMP製のL.Motschenbacherの市販型M8C
1/43 SP製Lola T70 Mk3、69年Daytona 24h 2位(参考モデル)

 71年、ワークスはM8F、Motschenbacherは型落ちのM8D(8.1ℓ)表彰台2回でシリーズ5位。 
 72年、ワークスはミッドラジエーターのM20を開発。Motschenbacherは昨年のM8D(8.1ℓ)を駆って表彰台0でシリーズ11位。
 73年、ワークスはCan Amに参戦せず。MotschenbacherはM8D(8.1ℓ)で2戦の1回の参戦のみで得点なしであった、ただNo.11は第1戦はJohn Cannon、4戦はD.Bell、5・8戦はDurstが駆ったがDNFであった。

この3年間、Porsche参戦でその独走を許したための興味半減でレースの観客減少やオイルショック等によりレース環境が悪化、L.Motschenbacherは活動を縮小したが、明らかに情熱が下がっている様にみえる。
 しかし、74年、L.Motschenbacher、は型落ちとはいえM8Fを駆り4レースを戦い、表彰台1回、21ポイントでシリーズ6位であった。この復活の謂れは不明である。

1/43 MM製、M8FドライバーはJohn Cannonと記されている、1972年となっているのは間違いで
1973年の第1戦のモデルである
1/43 6台のモデル、MM製が多いのはレアなモデルだからだ

参考文献
Pete Lyons CAN-AM Motorbooks International 1995

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