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事実は小説より奇なり-14:謎が謎呼ぶDaytona Coupe

 2023.04.30、eBayで購入した64年のDaytona Coupeが届いた。元々は筆者が記載したnote「異能β-11: Al Holbertって知っていますか」で、Al Holbertの父親のBob Holbertの話を書き、参考資料としてTSM製 1964年Sebring 12h GT class 優勝車であるB.Holbert / D.MacDonaldが駆ったShelby Daytona Coupeの写真を載せたことと、愛読していたCar Magazineが511号限りで定期刊行を卒業したことによる思いを。

Bowさんの表紙絵が素敵なCar Magazine、特集は「自動車趣味の原点」

 発表後、そのモデルの輸入元を探ると既に「在庫切れ」となっていた。4月になって段々欲しい欲しい病が悪化、eBayを探ると1台即金での案内、04.21に直様購入手続き、05.01に手元に届いた。
 Daytona Coupeは日本ではDaytona Cobraの名前の方が有名か、高校生の頃は何台も生産された物と思っていたが、実際には6台しか生産されていないと知り吃驚。
 その購入車は64年最初に作られたDaytona Coupeであり、外観ではラジエーターの排気口が他の車と異なる事だけと思っていた。

1/43 TSM社製、このメーカーの多くは台座に種々の説明が付く

 TSMの製品の多くはその車のシャーシナンバー(CN)が記載された物が多々ある。このモデルのCNはCSX 2287となっていた。
 過去に購入したモデルの一つは65年のLe Mans参戦のNo.9でCN:CSX 2286、64年の最初の車より65年の車の方がCNは前。この疑問が知識欲を刺激した。
 6台の生産だから全部を調べることも容易だろうと、それと6台なのにGTクラスチャンピオンとは、これも?に。

 ACコブラはFerrariやAston martinに比べ馬力はあったが、オープンボディのため空力が不利、特にLe Mansではトップスピード差が開き後塵を拝していた。そこでCarroll ShelbyPete Brockにクローズドボディの設計を依頼した。

 当時、FIAはスポーツカー選手権でGTクラスの公認ホモロゲーションを得るには「連続した12ヶ月に100台以上生産」という車両規定が設けられていた。しかし100台を生産した以降は“進化系”として、ボディ形状変更が許可されていた。1台目が1962年より生産され、100台の生産を達成していたAC Cobraのシャーシにカムテールと呼ばれるデザインのボディを採用、シャーシやエンジンなど同一のパーツを利用しているため、機械的にはAC Cobraと同一と認められたのであった。

 Daytona Coupeは6台が生産され、CNはCSX2286、CSX2287、CSX2299、CSX2300、CSX2601、CSX2602である。

 1964年、スポーツカー世界選手権の開幕戦Daytona 2000kmレースでデビューしたDaytona Coupeは、SebringやLe MansなどでライバルであるFerrari・250GTOに勝利したが、チャンピオンシップを獲得するには至らなかった。

 1965年、スポーツカー世界選手権のGTクラスに参戦したDaytona Coupeは多くのレースでFerrariを破り勝利し、この年のGTクラスでチャンピオンシップを獲得した。

CNからみた各車

CSX2286:63年の秋、ACに注文された車。1番若いCNを持つが、完成したのは6台の中で1番遅く、65年の春だった。最初はシャーシを3インチ長くして、アルミ合金のシリンダーヘッドの427 V8を搭載する予定であったが、改造に時間がかかり、結果的に本来の仕様に戻された。なお、7ℓ427立方インチの V8の車はその後Super CobraとかKing Cobraと命名される予定だったらしい(後述)。

1/43 TSM製 No.9は65年のLe Mansの参戦車
Dan Gurney / J.Grant 最初に購入したモデル(これ1台で仕舞とする予定であったが)

 CSX22876台の中で最初に完成した車で、プロトタイプとしてテスト走行にも使われた。シェルビー・アメリカンはカリフォルニア州にある拠点で、設計から90日で車両を製作した。シャーシ番号とDatona Coupeの出来た時期の違いは、元々のAC Cobraの製作時期が元になるためである。

1/43 TSM製 
1964年Sebring 12h GT class 優勝車であるB.Holbert / D.MacDonaldが駆った
Shelby Daytona Coupe

 CSX2299:全体で2番目に完成した車、カロッツェリア グランスポルトで最初に完成したシャーシ、64年のLe Mans 24h、65年のDaytona 2000km、Sebring 12h等でクラス優勝を果たした車。過去にはシェルビー・アメリカンの博物館に展示されていた。

1/43 TSM製 65年 Daytona 2000km(台座は24hと!) GT class Winner(参考モデル)

 CSX2300:64年後半に完成した車。65年のLe Mans 24h参戦等、シェルビー・アメリカンでの活躍後、日本人(酒井正?)に売却され、日本GP等で活躍した。69年の「第2回東京レーシングカー・ショー」にも展示され、70年代にC.Shelbyに買い戻された。

1/43 Marsh Models製 日本GPに参戦した車(詳細は後述)

 CSX2601:65年の選手権に向けて製作された車。Alan Mann Racingがその年のNurburgring 1000km、Monza 1000km等に参戦し、クラス優勝を果たした。note「異能β-6 大英帝国の逆襲 !?Alan Mannの野望と挫折」に記載した。

1/43 TSM製 Alan Mann Racingにより1965年Monza 1000km GT Class 1位

CSX2602:65年のDaytona 2000kmでデビュー、GTクラス2位でフィニッシュした車。Monza 1000kmではCSX2601と共に参戦、Le Mans 24hではスイスのレーシングチーム「スクーデリア・フィリピネッティ」のために赤いカラーリングが施された。

参考文献より、No.48の後方にNo.49が見え、解説には[CSX2601 and 2602]と記されている

モデルを元に

CSX2287は最初のDaytona Coupe、No.10は2戦目のSebring 12hでクラス1位となったモデル。元々はAC Cobraのシャーシとエンジンに架装したもの、1番大きな目印はラジエーターアウトレット、真ん中に縦の部分がある。他の異なる点、これが1番の違いだが、フロントの長さが他の車より若干短い。ボンネット後端とフロントウインドウとの間隔が他の車より若干短い(写真で確認)、またドアの形が異なるのもモデルを見て始めた分かった次第。白いラインが無いのも最初の車では描かれていない。

CSX2287のボンネット後端とフロントウインドウの間隔、ドアの形状がCSX2286と異なるのが分かる
CSX2286のボンネットとフロントウインドウの間隔、ドアの形状に注目

他の5台は基本的に同じ形、No.が異なるほかはレースによってワイパーがついているかどうか、CSX2602に赤塗装の車があるが。
 CSX2299にはレース仕上げの異なるモデルが発売されている。

1/43 TSM製 65年 Daytona 2000km  GT class Winner(参考モデル)
1/43 TSM製 65年 Sebring 12h 参戦モデル (参考モデル)
1/43 TSM製 Ford Franceが64年 Tour de Franceに参加させたモデル(参考モデル)
1/18 Exoto製 65年Le Mans 24h参戦車
スイスのレーシングチーム「スクーデリア・フィリピネッティ」から参戦したCSX2602(参考モデル)

 黒い台座で65年のLe Mans参戦はプレートに記されているので判明しているが、これがCSX2300と分かったのは他のCNの5台の素性が分かり、素性の分からないモデルがこの車と判明。資料によれば、No.11はJack Sears / Dick Thompsonが駆って予選20位、決勝では304周完走となり総合8位、熱効率賞9位となった車。ドライバーも無名に近いし、表彰台にものっていないので細かい結果を書く必要が無いと判断されたか、何にしても、生産台数が少なくて助かった例である。

付いでに


CSX2286の項で記した7ℓの427立方インチ V8エンジンを積んだDaytona Super CoupeまたはDaytona Type 65 (最初のCar Graphic誌の記事ではKing Cobraと)が2つのメーカーから発売されている。

1/43 奥はMM製、手前のNo.65はMatrix Scalemodels製


参考文献
Le Mans 1960-69   Quentin Spurring Haynes Publishing 2010

Aldo Zona The Monza 1000km 1965-2008  Giorgio Nada Editore Vimodrone Milan 2016






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