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石原なんでも通信 No.14 をお届けします。


No.12 では与謝蕪村と丸亀妙法寺について書きましたが、今回は与謝蕪村の第2弾です。

与謝蕪村(1716-84)は、ご存じの様に江戸俳諧の巨匠の一人で、写実的で絵画的な発句を得意とし、また 俳画の創始者で、池大雅(1723-76)とともに日本文人画(南画)の先覚者といわれています。
 
特に有名な絵画作品は池大雅との共作である「十便十宜図」。十便図
(10の便利なこと)は池大雅が、十宜図(10の宜きこと)を与謝蕪村が
担当しています。
 
十宜図は自然が四季や時間、天候によって移り変わる際のそれぞれの宜しきことを描いたもの、下図は「宜暁図」です。


ウィキペディアより


 この「十便十宜図」は文豪 川端康成が所蔵していたことでも有名。   川端康成は家を買うのをやめてこの絵を購入したとのこと。
現在は「川端康成記念会」が保有。展示施設はなく、美術館、博物館などへの貸し出しにより見ることができます。
 
文人画は職業画家ではなく文人が余技として描いた画を指し、中国からその系統を引き継いでいます。南宋時代に北宋画に対するものとして位置づけられたので、日本では「南画」と呼ばれる事があります。与謝蕪村、池大雅を引き継ぐ世代としては江戸時代後期の谷文晁(1763-1841), 渡辺崋山(1793-1841)といった画家が有名です。
 
1.与謝蕪村と高松

京都に住んでいた与謝蕪村が初めて讃岐を訪れたのは、1762~3年頃だと いわれていますが、その後何回か讃岐を訪れています。1766年の来訪時の  ルートは京都からですと大坂もしくは神戸あたりから直接丸亀湊に入ることもできたと思いますがその時は、阿波から讃岐に入り、引田・白鳥・   三本松・長尾を通って、高松城下に入ってきたと考えられています。
 
高松城下では、当時の「七人衆」と呼ばれた豪商の一人で南新町に居を  構えていた三倉屋(富山(とみやま)家)でしばらく滞在しています。  しかし、他国者の長逗留は御法度に触れるため、遠慮して城下はずれの別荘に移ったとのこと。ここで、以下の歌を残しています。
 
「水鳥や 礫(つぶて)にかはる 居り所」
 
そして、最後は以下の句を残して香東川の渡し場を渡り、丸亀に向かって います。
 
「炬燵(こたつ)出て 早あしもとの 野河(のがは)かな」
 
本当はもう少しのんびり高松で体を休めてから丸亀、金毘羅入りしたかった与謝蕪村が慌ただしく、追われるように高松を離れていることが句からも 感じ取れます。
 
2.与謝蕪村と金毘羅
 
高松から丸亀に入るとNo.12で紹介した妙法寺(みょうほうじ)に滞在し、  それから本来の目的地の金毘羅に向かい、土地の俳人らに歓迎されます。 そこでは、造酒屋(つくりさかや)主人の金川屋左平太の宅を寓居とし、 その世話を受けて金毘羅で年越しをしています。金川屋左平太は俳人でも あり、その号を菅暮牛(かんぼぎゅう)と称していました。
蕪村はこのとき以下の句を残しています。

「象の眼に 笑ひかけたり 山桜」 
 
句碑が琴平町公会堂の敷地内にあります。
 

うどん県旅ネットより


山桜が美しい象頭山は象が目を細めて笑っているように見える、という句 ですが、いかにも微笑ましい句ですね。  

ちなみに、小林一茶の以下の句碑も表参道から宝物館に入る角にあるとの こと(何度か参詣しているのに気づいていなかった!)
 
「おんひらひら 蝶も 金毘羅参哉」
 
1767年の春3月、一旦京に帰りますが、蕪村はよほど讃岐での生活が気に 入ったのか、その年の秋、また讃岐に戻っています。このときも暮牛の家に滞在して金毘羅で年越しをし、翌年の4月23日、丸亀湊から京に帰って  います。
 
3.金毘羅信仰と丸亀湊/太助灯籠
 
蕪村が旅立った丸亀湊、当時も廻船の寄港地、金毘羅参りの参拝客の玄関口として多くの人が利用していました。そして1800年代に入ると、金毘羅参りはお伊勢参りに次ぐ庶民の憧れとしてさらに人気を集めることになります。
 
丸亀湊の繁栄ぶりの名残を残すものとして、今も丸亀港に残る「太助灯籠」があります。

丸亀の町人たちは1831年に丸亀京極藩へ丸亀港の受け入れ能力を増やすべく新しい 溜りの建設を願い出ました。しかし、当時藩の財政は逼迫して  おり、建設費を捻出することができませんでした。

そのため、江戸藩邸の金毘羅祠を中心に、出入りの有力商人を「千人講」 として組織し、常夜燈寄進を名目に資金の調達をおこなうことになり  ました。江戸の豪商である三代目塩原太助が金80両の寄付をし、この寄付も あって舟溜まりは無事に1833年に竣工しました。丸亀港には、現在も塩原 太助の名が刻まれた“太助灯籠”が建っています


丸亀港のシンボル ”太助灯籠” 筆者撮影


 
 
 

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