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佐藤勝巳が書き残した在日批判論の偏屈ぶりに垣間見えた旧・大日本帝国的な意識の残滓(2)

 さきに「本稿(1)」(2023年6月16日)に記述した内容を,見出しをかかげ紹介しておきたい。

※-1 まず,ウィキペディアに書いてある佐藤勝巳「概説」を参照する

※-2 佐藤勝巳『「秘話」で綴る私と朝鮮』晩聲社,2014年は,「秘話」の暗域を「秘匿」した自叙伝みたいな回想録

※-3 「えっ,ホント? 『金正恩の母が横田めぐみさん』というトンデモ説」『日刊ゲンダイ』2012年9月4日(これは配信記事の日付で,発行日は9月1日)

※-4 北朝鮮拉致問題に群がった日本の有象無象的な人士たちの代表格が佐藤勝巳……(1)~(10)

「本稿(1)」の見出し:目次

 以上の章立てが「本稿(1)」であって,最後,※-4の(10)につづく(11)からが「本稿(2)」の記述内容となる。
 付記)冒頭の画像資料は本文中に借りた統計資料から。なお「本稿2」の記述の初出は1991年8月7日であって,本日,2023年6月17日に改筆した。

 11) 歴史的事情の理解

 佐藤勝巳は,1947年の外国人登録令の施行やその後の指紋押捺制度の導入は,戦後の政治的社会的背景のなかで出てきており,日本政府や日本人の偏見や排外的な考えからのみ生まれてきたものではないという。

 そうした経緯の詳細に関した分析,真実の探究はその道の専門家にゆずるにしても,佐藤勝巳の解釈は完全に「逆立ち」していた。それでは,その後政治的・社会的背景が大きく変化したにもかかわらず,いつまでも外登法〔とくに指紋押捺問題〕が「悪法も法は法」というかたちで在日を苦しめてきた経過を,佐藤はどうみてきたのか。

 数十年もその後にあった事情の経緯や変化を無視したまま,あたかも法務省のいいぶん,とくに出入国管理に深くかかわってきた戦前体制的な国家官僚群の底意などまるで無知・無頓着であったかのごとき発言には,佐藤の履歴・体験に照らしても,不可解を超えて不審(不信)感を抱かせるに十分であった。

 佐藤勝巳は,治安対策上〔なにゆえに在日がその対象となるのか:全員スパイとでもいうのか?〕,それもやむをえないというような口つきであった。その発想には民主主義感覚ありや(?)とまで疑わせるものが含意されていた。

 筆者のある友人の場合(筆者が東京都下町の,某区立のある小学校に通っていたとき級友であった在日の彼)は,運転免許証をもたないせいか,記憶がある範囲内で憶えているかぎり,結婚以来「外登証」の提示を官憲から求められた経験がない,と語っていたことがあった。

 なかでも,昔,彼〔ら・彼女ら〕がもたされている外国人登録証に押印し「登録されていた指紋」そのものを使い,当人・本人であるか否かを確認される(官憲に強制される)ことなど一度も経験したことがなかったと,教えてくれた。

 韓国系の在日の場合を介してとなるが,この種のひとつの関連する事実からしても,佐藤勝巳の奇怪な発言というよりは,自前流の考えで決めつけた現実無視の発言は,すでに在日韓国(朝鮮)人系の「日常的な生活実態とは遊離したところ」から,それこそ独断と偏見に満ちた結論を誘引るほかない「独自の在日観」をひけらかす態度に留まっていた。

 その意味で,佐藤勝巳の晩年における「在日観」は,すでに笑止千万の空域にまで飛翔していた。佐藤の論法でいくと,日本人も全員「指紋付き」の「身分証明書」をもたなければ〔もちろん罰則あり!〕いけない国になりそうである。

 この指摘は,2023年6月時点ではどうやら実現があやしい雲行きになってもいる「マイナンバーカード」制度の運用が,全面的に施行された段になれば,単に認証用に利用される生体情報である指紋という意味などからは,はるかに超越した生体情報の活用のされ方をする事態が眺望できる。

 12)時間を守らない在日

 在日は時間にルーズである。日本人にもその手合いはいるが,とくに在日はひどいという。モノの生産に譬えれば,時間〔納期〕を守れない人間は欠陥商品である。佐藤勝巳は,在日をそのように叱っていた。

 前述に登場した本ブログ筆者の小学校同級生だった在日の彼に,その少し尋ねにくい点ではあったが,佐藤の「在日批判」を大約説明し,あらためて「どう感じるか?」と聞いてみたところ,たしかに佐藤勝巳の難詰は当たっている。在日は時間厳守の精神が足りないと応えていた。

 だがまた彼はこうもいっていた。最近の体験では,在日本大韓民国〔居留〕民団の地元県支部総会に出席したさい,時間の進行は正確におこなわれていた。在日の時間観念は,彼の話にしたがうかぎり変化しているようである。

 補注)念のために,この記述は20年以上も前に初出されていたゆえ,前段のごとき「在日側の時間管理観念」にはさらに,なんらかの洗練化がなされていると推察してあげてもよい。

 13)矛盾する発言

 佐藤勝巳はいう。在日の権益活動家は,従来の主張や認識と矛盾する言動をしている。たとえば,制度的差別がなくなっても民族的差別と偏見がすこしもなくならないというならば,かりに国籍法が血統主義から生地主義にあらたまったとしても,民族差別がなくなるという主張はできないはずである,と。

 佐藤勝巳の論法は,当たっている面とそうでない面がある。制度的差別の除去が民族的差別の除去に一直線につながらない点に,問題の困難さがある。この国がどのくらい本気で,意識的に在日関係の差別の除去に努力してきたかをみるとき,そういわざるをえない。
 
 補注)在日韓国・朝鮮人たちに対する民族差別は,その後も解消することがなかった。最近においては「ヘイトクライム」の問題として訴訟が起こされており,しかもだいたいにおいて,ヘイトクライマー(日本人側のネトウヨ的な人びとのことである)が敗訴している。最近におけるその時代の兆候・趨勢はより鮮明になりつつある。

 ここで参考のために,日本人自身・日本国内の問題として同和問題があることは,申すまでもない。

 制度をささえるのは人間である。この人間の意識をかえるためには制度をかえなければならない。この制度をつくるのは人間の意識である。こうした三角関係をいかにとらえるべきかが問題となる。

 もっとも,佐藤勝巳は「約束を守る在日韓国・朝鮮人企業家」の前むきの努力,信頼関係をつくる生活ぶりに触れ,彼らによってこそ民族差別の根拠が除去できることを示唆していた。

 14) 在日韓国人の特権

 在日韓国人「後孫(法的地位協定にいう在日3世以下)」に,出入国管理及び難民認定法を適用しなくなると,在日韓国人は韓国のパスポートで日韓両国をビザなしで往来できる。佐藤勝巳は,これは在日の特権になるという。

 だが,その議論は形式に囚われていた。日本〔国籍〕人でも複数国のパスポートを所有し(両親が国際結婚の関係でそうなる),いわれるような「特権」的なそのつかいかたをしているケースがすでに発生している。

 たとえば,日系人のペルー元大統領が自国を抜け出して日本に逃げこんださい,使った手がそれであったが,日本政府は黙認どころか,なにごとでもないかのような態度で見過ごしていた。

フジモリ元ペルー大統領

 在日の場合〔その特権!〕はダメで,日本人のばあい〔特権?〕は黙過できるのであろうか。二重国籍の問題は21世紀の現時点になってみれば,なんなりにその所属する二国間で相互に基本的に認容する動向がないわけではない。

 また佐藤勝巳は,韓国〔大韓民国〕は住民登録で国民に十指の指紋採取を義務づけているが,在日にはそれをしていない。このとりあつかいは「差別」ではないかという。しかし,こういう比較は,両国の実情の相違をまったく考慮しない,あえてまぜこぜにしたまさに本末転倒の理屈であった。この論法でいくと,在日の男子青年はただちに韓国の兵役義務に服するべきだ,ということにもなりかねない。

 だが実際はそうはしていない。なぜか。在日問題の専門家に聞くのは失礼になろうから,これ以上は問わない。いってみれば,それは現状ではできない相談であり,強制である。在日問題に関して,佐藤勝巳のごとき「素人ではない人」が吐く意見ではなかった。

 祖国で在日が1人前に処遇されていない事実は,過去に置いて実際にあった。とはいえ,在外の国民としての在日は特殊な事情を有していた。そもそも生まれたときから日本に居住しており,日本の法に守られて生活してきたのだから,ここに,いきなり韓国の諸法を適用することなどできない相談である〔一部民法などは除く〕。

 日本の法は当然在日にも適用されていて,いま〔以前〕までは,「指紋」をこの国から採取されてきたのである。佐藤勝巳の話を聞いていると,在日は指紋を採取されたほうが適当な,当然である存在だといっているように聞こえる。

 佐藤勝巳はまた,指紋問題をやみくもに治安問題とむすびつけたがっていたが,これも,事の本質がよくみえていない者の観察であった。在日にとって指紋制度の撤廃は,なんら「特権」を意味しない。それは,日本における人権問題一般の向上にも連なる意義をもつ点を忘れてはいけない。在日の問題を闇雲に,韓国国民の実態に直接比較しようとする立場は「比較にならない比較」のやり方である。

15) 民族教育問題

 韓国政府が日本政府に自国民〔在日韓国人〕の民族教育の金を出せというのは,信じがたい要求だと,氏はいう。それは本来,韓国政府のすることだという。

 はて,佐藤勝巳のいうことはますますおかしくなってきた。在日の民族教育は日本政府の責任でもある。だから,在日や意識ある日本人教育者は,民族学校の積極的設置を要求してきている(注記,韓日間ですでに政治的にもそういう合意がなされている)。

 こういうふうに考えてみてはどうだろうか。在日の存在は「県民文化」に相当したこれを形成するひとつの「民族」である。この程度に在日を認知できれば,この日本の精神性が「大人」であることを世界に認めてもらえるであろう。異質との共存・共生は相手の存在を認めることなしには不可能である。

 補注)この付近の問題としては,日本に移動してきて居住することになった人びと(大人:新来者,ニューカマー)の子どもたちの教育が,たいそう遅滞している事実がみのがせない。とくに,ある程度,母国で教育を受けてきた子ども・若者たちが,両親の来日にともない,日本の学校に転校し,通うことになった場合,ことばの問題を中心に多くの困難が発生する。

 もっとも,韓国系の小・中・高等学校やアメリカ系,イギリス系,フランス系の学校が現に,母国の教育制度に準じた運営をする教育機関として存在する場合は,こちらの学校に入学できる新来外国人の子ども・若者たちの場合はまだいい。そうではなく,いきなり日本の学校にいったん入学させてもらって途中で脱落していく,その子ども・若者たちが少なからずいる。

 その付近の問題,その現状については,つぎの記述が要領よく概説している。放置できないこの種の国内の教育問題が,まったく軽視ないしは無視されている状態が続いてきた。

 さて,在日の民族教育に使う予算のその源泉は,結局在日の支払った税金であるから,こういう金の積極的使いかたをする〔日本国家予算の〕部分があっても,ただちに不適切な予算配分とはいえず,むしろなにもおかしいことはない。

 佐藤勝巳には,「民族」の「質」のちがいを育成する「教育」をほどこすのはまずい,という感覚がある。だが,それでは,民族間の交際・交流を推進したり,そして異質との共存・共生を達成する活動はやりにくくなる。

 海外の日本人学校は,財源の問題はさておき,まちがいなく日本の「民族教育」をしているはずである。在日と海外日本人の問題は,月とスッポンほどの差があるから単純な比較がしにくい。しかし,在日の民族教育は「否」だが,海外日本人のそれは「良い」といった単純な理屈は採りえない

 佐藤勝巳は,在日に日本国籍を与えよ,そうすれば問題の大部分が解決の方向にむかうと考えている。しかし,そうなったら〔在日への国籍付与が〕なったで,在日たちの「民族教育」の問題は,こんどはまさに日本国内の「民族教育」問題へと脱皮し,成長する(!?)ことになる。

 現在の日本社会の状況のままでは,さきにふれた同和問題的な存在になるにちがいない。筆者はそうなればよいなどとは毛頭考えていないが,そういう予測も配慮に入れておく必要が,この日本社会にはもともとあると思う。

 いずれにせよ,在日の民族教育問題は,在日自身や日本人教師たちの努力によって,そして,地方自治体との交渉・理解をとおして実現している面が強かった。韓国政府との関係はあくまで,副次的・2次的な位置しか占めていない。

 16) 選挙権・被選挙権

 地方議会の選挙権・被選挙権をもたないならば,在日は日本国籍をとればよいではないかと,佐藤勝巳はいう。これは,在日問題専門家とも思えない発言である。佐藤は,この国の帰化行政の実態をまさかしらないわけではあるまい。

 先進国中,日本国籍ほど取得しにくい国はない。くりかえすが,戦前から半世紀以上も住んでいる人間に対してでも,帰化の申請をしないと,国籍を与えない国である。

 要は,日本政府の「帰化」行政には他民族性圧殺作用が「毒」としてふくまれている。そのかぎりで問題は落ちつくところをみいだせないできた。

 17) 難民問題との関係

 佐藤勝巳は,外国人登録法「指紋押捺制度」の廃止は,難民対策をむずかしくするという。ここでも佐藤は問題を混同している。在日韓国・朝鮮人問題と難民問題とが,なにゆえ直結されねばならないか。議論のもっていきかたが,土台からして奇妙であった。両問題は本来,別々に考えるべき歴史的な事情を有していた。

 補注)最近「出入国及び難民認定法」の改悪がなされ,とくに難民問題に対してとなると,いつもあとずさりしたかっこうであった日本政府・当局の基本姿勢は,人権先進国とはとうていいえない場所に居つづけてきた。つぎの統計を参照しておきたい。日本の難民認定率はゼロ・コンマ未満であり,みごとなまで日本は少ない。

日本の難民認定の少なさは先進国中ピカイチ
 
難民認定関連統計・1
難民認定関連統計・2
難民認定関連統計・3

 これらの図表の根柢に流れる「日本の対・外国人観」には,排外主義の基本精神が刻みこまれている。在日問題に対する敗戦後史の根幹を貫いてきた「ニッポン国の一種独特な外国人観」との相似形が,そこには明確に連続体として実在していた。

 補注)本日(2023年6月17日)の『毎日新聞』夕刊は,法務省出入国在留管理庁に関連する「出入国管理及び難民認定法」の「法改正(正確には改悪だが)」に直結する,つぎのごとき批判を述べた寄稿を掲載していた。

「難民鎖国」日本?

 18) 謝罪と償い

 「在日韓国・朝鮮人の保障・人権法〔案〕」(民族差別と闘う連絡協議会作成)は,過去の植民地支配と旧植民地出身者に対して,戦後補償・人権保障を要求するが,佐藤勝巳はこれはへんてこな主張だといっていた。

 また,日韓条約の「謝罪と償い」が十分でなく,在日の地位・処遇も不十分だというのはおかしいとする。同案の仮説は,都合のよいものばかりであるから,これで補償を要求する態度には日本人は反発を感じるだけであるとも,いっていた。

 佐藤勝巳の憂慮はこうなる。指紋問題の解決→地方公務員の国籍条項撤廃→在日の戦後補償は,はてしなく「特権」の要求をつづくことになる,と。自国民よりも他国民に優位な特権を認めるべきではないというのであった。

 在日韓国・朝鮮人がはたして,それほどに「特権」的な要求をかかげているのかという点は,慎重に吟味する余地があった。いままでの日本政府は,「外国籍」の人間には基本的人権を認めず,それこそ人権蹂躙を地でいってきた。佐藤勝巳は,そこを在日に「日本」国籍を与え,それを一気に解決せよというのであるが,はたして問題はそんなに単純であろうか。

 こういうことである。--日本国籍の付与により,在日のかかえる法的・形式的問題のかなりの部分は解決するにちがいない。すでにだいぶ以前であったが,指紋問題はほぼけりがついていた。地方公務員問題もよい方向に向かうだろう。だが,なお残されている重要問題があった。それはより実質的・内容的な問題であった。

 補注)「在日外国人の指紋押なつ全廃へ改正外登法成立」『日本経済新聞』2021年8月12日 14:30,https://www.nikkei.com/article/DGKKZO74706750S1A810C2EAC000/ は,関連するつぎの記事を掲載していた。

 1999年8月13日,在日外国人に義務付けられていた指紋押なつ制度を廃止する改正外国人登録法(外登法)が参院本会議で成立した。「差別の象徴」と批判されてきた同制度は2000年4月1日の同法施行で全廃された。

 制度は1955年,朝鮮半島からの不法入国者への対応や外国人登録証明書の偽造対策のために導入され,在日外国人は指紋登録を求められた。だが1980年代に入ると人権侵害との批判が強まり,国家賠償請求訴訟が相次いだ。

 証明書の交付申請のたびに求めていた指紋押なつは1987年に原則1回に,1992年に永住者と在日韓国人など特別永住者は廃止された。

 法改正が段階的に進むなか,2012年,改正入管法の施行に伴い,外登法そのものも廃止に。在日外国人には在留カードの携帯が求められ,特別永住者には携帯義務のない特別永住者証明書が交付されている。

『日本経済新聞』2021年8月12日

 在日たちが『犬の鑑札』と呼んで忌み嫌ってきた外国人登録制度について日本政府は,いってみれば「外国籍人」をまともに人間あつかいする方途に向けて法改正をおこなったことになる。

 なかでも「特別永住者には携帯義務のない特別永住者証明書が交付され」たという事実は,旧・大日本帝国時代,この帝国の2等臣民(例の一億火の玉の一部分になっていた)でもあった「在日の子孫たち」にとってみれば,遅きに失したというよりは「いまさらなにを……」という感想を抱いた者もいたはずである。

 あらためていうと,国籍を取得した「在日」たちの生きかたの問題が,別途興味ある関心事としてあった。佐藤勝巳の議論は,在日に対してただ「日本国籍」人になれといっているように聞こえていた。だが,そうすれば在日は日本社会に対して過大・法外な要求〔これは氏の表現によれば特権〕をしなくなる,できなくなる,その必要はなくなるとでも思っていたのか。

 仮に,在日たち(ここでは特別永住資格を有する彼らを想定した話)に対して日本国籍を与えたとするた場合,彼らが韓国・朝鮮人系日本人として生きていく方途を誰も否定できない。

 人間の生きかたに関することゆえ,それにどうのこうの注文をつけることもできないから,そのときになっても,あいかわらず「異質」との「共存・共生」の問題は継続していく。だから日本国籍の有無にかかわらず,在日の問題は根強く残存していくほかない。なにも残らないということは,けっしてありえない。

 なぜなら,従来の日本の「帰化」行政は他民族性抹殺志向であるが,佐藤勝巳のような国籍付与「論」は,そのような志向はもたない。しかし,在日韓国・朝鮮人の民族性が抑圧作用を受けにくくなるという保障ももたない。もちろん,このへんの問題の予見は多様であってよい。とはいうものの,最近になってもヘイトクライム問題が消滅するような展望がもてない現実が,いまだになくなっていない。

 そこでである,佐藤勝巳のいうような在日の「特権」だと,見当違いにも位置づけされる問題がなくなりうるか。つまり,佐藤が『在日の特権』だと形容していたものが,こんどは当たりまえの・当然の要求として提出されることになる。しかし,その特権と表現されていたものの実体は,特権でもなんでもなく,ただのふつうの権利であったに過ぎない。

 佐藤勝巳は,現状では在日および韓国政府の言動によって,事態は日韓両国のナショナリズムの暴発という危険な方向に確実にすすみつつあるとみていた。だが,そうした問題を日本の国内問題化〔在日が日本国籍を取得〕することで,はたしてただちに解決となるであろうか。もともと,問題の性質は日本の「国内」性じたいにあったゆえ,議論をする方途がやぶにらみ的に終始していた。

 筆者が「部落問題」=同和問題(これ以外にウタリ民族差別や琉球人差別の問題もあるが)に途中で触れたのは,そのような展望をもつからである。在日の日本国籍取得は,日本社会の差別体制が積極的に除去されるような努力が継続的に実行されないかぎり,結局,第2の同和問題の発生になること請け合いである。

 19)「永住する外国人」とは形容矛盾か?

 佐藤勝巳は,在日は祖国があるから,いつでも帰国できるという。この発言は,ずいぶん非現実的な--とくに在日3世や4世にとってみれば「韓国への」「帰国」とは無意味な生活概念である--ことをいえる専門家だと,筆者は呆れた。

 ともかく問題を複雑にしているのは,佐藤勝巳もいったように,在日2世以下が日本社会への同化の面では,日本人とみわけがつかなくなっているのに,国籍のみは異なっており,ここに大きな矛盾,いいかえれば不自然な処遇が生じていたことにあった。

 だが,よく考えてみたい。みわけもよくつかないという在日韓国・朝鮮人を,国籍〔および民族〕がちがうからといって〔国籍は勝手に剥奪した〕,これらを盾にして,いいようにいじめぬいてきたのが,この国であった。

 ほって置いても,自然に同化していく面もあるのが,それぞれ風土に生きる人間のごく自然なありかたなのに,民族「異質」性を〔国籍のちがうことでも〕全面的に否定し,抑圧ばかりくわえてきたやりかたが,いかに卑劣であるかは贅言をまたない。

 佐藤勝巳は,永住する外国人とは形容矛盾だというが,これを製作したのは実は,ほかならぬ日本政府であった。この矛盾を現象的に解決しうるかのように,「在日問題の解消」を強制してきた政府・当局の政策が「異民族抹殺方針としての帰化政策」であった。

 本ブログ内でもとりあげたたとえば,ロック歌手矢沢永吉のみならず,非常に多くの在日韓国・朝鮮人が「帰化」という手順を経て「日本国籍」をえてきた現実の様相は,その「異民族抹殺方針」の半身的な具体の現象であった。

 考えてもみればよいのである。アジア人がアメリカで暮らす場合,アメリカ国籍を取得するさい,日本人が日本人であることを止めるか? 黄色い肌は白くはできない。むろん,日本とアメリカはまったく国情,その歴史,建国以来の伝統・文化が異質ゆえ,以上のごとき発言はかなり緩い指摘にしかなりえない。

 しかし,同じ黄色い肌の隣国出身の人びとに対して,その出自(出身)の由来・系譜を全面的に否定する理由・事情は,いったいどこにあるのか? 日本がアジア系を主とする難民認定を嫌っている事由は,実は,在日韓国・朝鮮人問題に対する基本的な態度をもって,すでに明確に説明されていた。

 佐藤勝巳は,在日にとって日本ほど住みやすいところはなく,外国人にこんな自由を認めている国が世界のどこにあるかという。しかし,いまでは3世・4世以上の世代にまでなっている韓国系の人たちに向かい,そのように恩義せがましく発言する態度はきっと,その根っこに隠されている〈なにか〉から,発生しているに違いあるまい。

 在日の「日本生まれ・日本育ちの人間」に対しては,佐藤勝巳のいいたいことがもうひとつピンとこないというか,もともと通用しないヘリクツ同然の発言が目立っていた。理屈ではなく好悪の感情の次元に載せていた,としか受けとるほかなかった。

 在日3世・4世以下はほとんどが日本にしか住んだことがないから,最近すこし住みにくくなったかもしれない〔と佐藤勝巳が説明した?〕日本の状況もふくめて,「日本ほど住みやすいところはない……云々」という佐藤のいいぶんは,的外れもいいところであった。その指摘は,途方もなく,一方的な〈いいかがり〉に聞こえた。要は僭越な精神の発露がちらついていた。

 在日たちからすれば,なにゆえそのようなことを佐藤勝巳にいわれねばならないのか? もしかしたら,外国人のくせにこの国に住めることを感謝せよ,とでもいいたいのかと受けとられる。

 「在日に国籍を付与せよ」という佐藤の主張〔の方向性あるいは意図〕に鑑みれば,在日=「外国人にこんな自由を認めている国が世界のどこにあるか」という論法じたいが基本的に成立しえない。この点を,まずさきに十分認識しなければならない。そもそもなにを基準にしてそのように発言しているのか,という初歩の疑問が未整理のままであった。

 在日韓国・朝鮮人がこの日本に在住してきた問題と,朝鮮半島(韓半島)にある2つの国に住む人びととの問題を,「ゴタマゼにする氏の混沌な説法」は,問題の肝心な前提条件をまったくわきまえない迷走の議論になっていた。在日韓国・朝鮮人問題を生業〔なりわい〕としてきた識者の発言とは思えないような「お粗末な誤謬」が点描されており,全体の仕事を台なしにしていた。

 20) 結  論

 日韓併合から81年(⇒2003年で93年,2023年だと 113年)が経ったが,敗戦から半世紀(以上の78年)近く経過し,在日の3世・4世〔以降〕まで生まれている。彼らが日本で外国人であることが不自然だと,佐藤勝巳はいっていた。この点はまさしく正論であった。

 ところが,そういう正論を吐く人が,各論になると,とたんに奇妙な論調になる。筆者がこの一文を書こうとしたきっかけは,そこにあった。

 佐藤勝巳は,在日韓国・朝鮮人の問題解決のポイントは日本国籍の取得にあり,そうすれば当事者の要求はすべて解決し,特権問題もおきないと主張した。

 「協定3世」以下に限定し,生地主義で日本国籍を与えるのも一方法だといった。それ以外の在日は帰化の手続を簡略化するなどすべきだという。日本国籍取得したくない人は,現在の法的地位協定で十分カバーできるとする。

 もっとも,国籍問題に生地主義まで考慮に入れた議論とするとなれば,在日の事例をめぐる問題だとしたら,これまでの議論全体がただちに吹っ飛ぶような措置をもちこむ必然性まで覚悟しておく必要が出てくる。

 いずれにせよ,以上のごとき佐藤勝巳の「結論」は,それじたいとして「正論」であった。だが,しょせんこれまでの,日本政府・日本社会の在日韓国・朝鮮人政策に対する処遇のまずさを基本から反省する気がない点で,大いなる不公正・不公平,不徹底・不始末を残余させている。

 また,佐藤勝巳の「国籍」付与論は,その実際が今後に発生させると予想される重大問題〔筆者が行論中ふれてきたもの→第2の同和問題化の現実的可能性〕をほとんど考慮していない点も懸念される。実際に,それでなくともすでにそのとおりに事態が経過してきた部分も発生してきた。

 佐藤勝巳の「日本国籍付与論」は,ここまで問題が進展しているなかでは,もはや特効薬でないことを認識しなければならない。もっとも,氏の国籍「付与」問題の是非は,在日たち1人1人に聞いてみる必要もありそうである。 

【付 論】 「在留する在日外国人」のうち「特別永住」の資格を有する人数について。

 以下に挙げた「特別永住」の資格を有する在留外国人の統計は,集計されていた時期として6月末と12月末の時点を混在させているが,大筋の趨勢を理解するためには委細かまわず,としておく。

   2014年 35万8409人
   2015年 34万8626人
   2016年 33万8950人
   2017年 32万9822人
   2018年 32万1416人
   2020年 30万9282人
   2021年 29万6416人
   2022年 28万8980人    

 この人口統計は,日韓条約が締結された1965年の時点で,日本側にはあと四半世紀(25年)も経過すれば,在日問題(とくに韓国・朝鮮人系)は消滅しそうだと期待していた点に関係させ,観察しておく余地がある。

 つぎの統計図表を参考にして,つづく記述に進みたい。

「特別永住」資格の保有者はいつまで存在していくか

 ところが,最初にその時が来た1990年,どうであったか?

 もう一回,その四半世紀が来ていた2015年,さてどうなっていたか?

 さらにくわえて,その四半世紀が来るこんどの2040年は,いったいどうなるか?

 現在の時点ではまだ,在留資格としての「特別永住」を有する在日が「完全にいなくなる」という状況になりえない。高齢者として残っている在日の人びとがまだ大勢いる(生きている)から,である。

 在日の子どもの場合,両親のうち特別永住の在留資格をもつ,たとえば韓国籍の片親がいる場合,これを子が引き継ぐことが可能である。よって,特別永住が「いつごろになったら完全になくなるか」という関心事は,「いまの時点で正確に予測することはとりあえず不可能」である。

 「本稿(2)」は,まだ十分論じきれていない点もあり気になるが,以上擱筆する。

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