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河野太郎が原発廃絶論をみずから萎縮させたのは自分がこの国の首相になりたいがゆえだったのか?

 ※-0 1945年8月6日,広島に米軍のB29が原爆を投下

 戦争は人殺しが公認された有事:非常事態を意味するが,それでも人道上問題となるような「戦争行為としての〈殺し方〉」は「いけない,まずい」などと,国際法では認められている。けれども,米軍による広島と長崎への原爆投下はその「いけない・まずい」の実例であったに違いない。

 だから,敗戦後に日本を占領したGHQは,広島・長崎に投下した原爆の被害,わけても民間人の犠牲者の被害状況を実態調査し,より正確に把握しようとする日本側の動き,とくに放射能被害のその後を実地に集計して報告する作業は妨害した。すなわち,占領軍はこの動きをできるかぎり封じるべく圧殺していた。

 つぎのごとき「広島・長崎」における原爆被害者の統計は,旧大日本帝国として被った被爆災害をとりまとめたものである。全被爆者数は〈1の位〉まで数値が集計されているが,朝鮮人関係のそれは「万人から千人単位」で表記されるだけに留まっていた。

アメリカ軍は日本人も朝鮮人もまた軍人も民間人も区別せずに
原爆で殺した

日本政府は朝鮮人被爆者のより正確な統計は
いまだに把握できていない

おそらくこれからもその状態が永遠につづく


 ※-1 河野太郎が「反原発論」の立場だったという思い出-2024年8月6日に記す「本記述の前文」-

 a) 本記述は実はいまから13年前に一度公表されていた文章を,復活・再掲させるものである。執筆・公表した日付は2011年12月1日であった。

 その年に起きた大事件は,いうまでもなく「3・11」の,東日本大震災とこれによって惹起された太平洋岸「同地域」への大津波襲来,そして東電福島第1原発事故の発生であった。

 ともかく最初にいきなりとなるが,『日本経済新聞』2024年8月1日に出ていたこの河野太郎関係の記事を紹介しておきたい。唐突であるかのような記事の紹介であるが,実はけっしてそうではない,本日記述のための材料を提供している。

 さらに関連するくわしい説明・議論は,この記述全体を通しておこなっていくつもりである。まずは,この記事をさきに参照しておきたい。

なにやら怪しげな論理(リクツ)がゴトゴトと音をたてながら
喧伝されるような「日経の記事」

 あれから13年以上もの時間が経過した時点にある現在,まさか「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではないが,いまもなお「原子力非常事態宣言」が発令中である事実を,よもや忘れたわけではあるまい。 

このような「危険な宣言」の存在とは
あたかも無縁な
日常生活をしているわれわれが現に居る

 ところが,「世襲3代目の政治屋」としては安倍晋三とならんで天下一品(?)の無策・無能・無為であった現首相の岸田文雄は,なんと「原発の再稼働」だけでなく「その新増設」までも,いち早く勝手に決めていた。

 日本の国民たちは原発再稼働に賛成する意見を,つぎに言及する「宇露戦争」の発生を契機に増やしてきたとはいえ,原発問題の本質(本性としての原罪的な危険性)を熟知した立場から,そうした意見(世論調査への回答としてのそれ)を変えてきたわけではない。

 原子力村による原発推進のための情宣活動には,マヤカシ的であり実質的に虚偽である宣伝が多々あるにもかかわらず,素人の立場に置かれている人びとをたぶらかすための情報しか与えていなかった点は,いまも昔(半世紀以上も前から)もなんら変わりない。

 どだい,東電福島第1原発事故の現場にあっては,その後始末の本格的な第1歩となるべき「デブリの取り出し作業」が,つい最近の報道では,まず3グラム程度実現すれば “どうのこうの” なる(のか?),といった次元での話題となっていた。

「880÷0.000003」で試験的に取りだしたいというけれども
このあとその全量を始末するための
日程・進捗管理の見込は立っているのか

 いったいぜんたい,総量では880トンもあるそのデブリの取り出しが,一回につき3グラム(以下?)できたからといって,事後どういう展開になりうるというのか? 悠長だという以前に,あまりにも非現実的なその作業工程への取りつきぶりには,失望させられるというか,呆れる気分にしかならない。

 b) 2022年2月24日,あのロシアの旧KGB的に半狂人的な強権独裁者のウラジミール・プーチンは,隣国ウクライナに侵略戦争(「特別軍事作戦」と称したそれ)をしかけたが,あわよくば3日間で終わらせるつもりであったその侵略行為は,いまだに継続中である。

 米欧諸国の軍事的支援を受けているウクライナは,ロシアに対していまもなお交戦意欲は高くあり,また逆に,プーチンの戦争指導は半ば素人の域を出ていない事実が鮮明になってもいた。

 そのロシアは,ウクライナ侵略戦争によって新しく隣国の領土をかじりとった状態で戦闘を続けているが,米欧側からのロシア経済への制裁がじわじわ効いてきている事情もあり,現状においてロシアは戦時体制全体としてならば,実質,縮小再生産の過程に落ちこみはじめている。

 ウクライナを完全に屈服させる軍事力の余裕がロシア側にはない事情が,しだいに判明してきた。

 そこで,プーチンは舎弟格のベドメーチェフ(元ロシア大統領経験者)の口を借りて,今回におけるウクライナ侵略戦争の中途で,すでになんども「戦略核の行使」を示唆しようとするなど,現状におけるロシア側形勢不利をなんとかもちなおそうと必死である。

 だが,仮にでも核兵器の使用が実際になされた場合は,単なる「宇露戦争」の次元に収まりきらない異常事態が,地球的規模において勃発する可能性を完全には否定できない。すなわち,われわれは,第3次戦争が発生する危険性が全面的に否定できないという怖ろしい予想から,完全に逃げおおせることができないでいる。

ザポリッジャ原発は現在もロシア軍の支配下にある

なお2024年8月の現在となっては
この地図内の内訳にだいぶ変化が生じているので
念のため注意しておきたい

とくにヘルソン近辺については
ウクライナが取り戻している地域が出ている
これは『日本経済新聞』2023年8月23日から

最新の当該地図はつぎのもの
ロシアはウクライナの領土6分の1ほどを占有した状態にある

 またウクライナ侵略戦争に関するいままでの記録は,ウクライナ国内に存在する原子力発電所のうちには,完全にロシア軍の占有下にある発電所もあって,現状において進行中であるウクライナ侵略戦争は,核問題としても危険きわまりない戦争要因をかかえこんでいる。

ロシア軍の支配下にあるザポリッジャ原発

 さて,以上の記述は「原発と原爆の切っても切れない近親関係」を,あらためて思いだす必要を強調するものである。

 「宇露戦争の過程史」においては,核兵器の存在それじたいとも併せ考えるかたちでとなるほかないわけで,まさに「危険がいっぱいである非常事態に置かれている原発」が実在している状況を,いいかえれば,その非常にやっかいな原子力を燃料に焚く発電装置・機械にかかわる事実として,いまいちど真剣に再認識しなおしておく必要がある。

 (以上,2024年8月6日に,この以下から始まる「記述の〈前文〉」として加筆した段落--字数は約2千字)

 ※-2 原発に反対する者は〈共産党〉とレッテル貼りをした「幼稚な自民党関係者たち」(旧社会主義国でも原発はたくさんあるのだ)が,ともかく,自分たちへの異説者・批判者を排除する理屈として繰り出した「〈それは:彼らは共産党!〉でいいのか?」というヘリクツは,完全に思考停止のないしは脳細胞固化状態の発想

 河野太郎は,れっきとした自民党議員なのに,なぜか〈共産党〉呼ばわりされていた事実が記録されていた。

 1) 共産党(!)というレッテル貼り〔を河野太郎はされたが〕

 本ブログ筆者は,現在においては未公表の状態になったいくつかの記述を生かし,河野太郎の発言について言及してきた。ところが,2011年3月11日に発生した東日本大震災・東電福島第1原発事故の発生を契機に,河野の見解に対する評価が一変したこともまた,事実であった。

 というのは,それまでは「自民党内異端分子」であったかのような彼の立場,つまり「反原発の立場」に対する評価が一躍反転し,まっとうに認められたのである。

 先輩議員たちは私〔河野太郎〕の顔をみると,口をそろえて,「いやあ,君のいうとおりになったな。こんな事故が起きてしまった」といいました(河野太郎『原発と日本はこうなる』講談社,2011年11月,4頁)。

河野太郎の反原発は「3・11」によって支持されたか
のような様相を現出させた

 『衆議院議員 河野太郎公式サイト』があって〔この段落以下はしばらく,2011年10月26日 22:40,自民党役職「停止中」だった当該のサイトを閲覧した記述となっている〕,河野は当時「原発がなくとも電力は足りるか」と問いかけていた。

 補注)上記の河野太郎「公式サイト」全体そのものは,現在(2024年8月現在)も公開されている。原発問題関連の記述にも収録されているものがある。

 しかし,以下にさらに引用していく記述は,この河野太郎の公式サイトから以前,正式に引用してみた文章であったが,現在においてその原文はすでに削除されていた。

 ということで,当該するその頁をクリックしたところ現われた画面を,つぎように画像資料にしておき,参考用にかかげておく。この頁(ページの住所表記そのもの)は,これによって「もとの文章(記述)」が存在したことを確認させてくれる。

最近の河野太郎はまだ「ごまめの歯ぎしり」(サイト名)をしているのかどうか
大いなる疑念が抱かれて当然の言動も記録してきた

〔記事・河野太郎に戻る→〕 原発の再稼働に関してさまざまな声が出ている。ハードウェアのストレステストだけでなく,オペレーションなどのソフトウェアの確認と隠蔽体質の経営をかえるための経営陣の総退陣などが必要である。だが,もうひとつ,原発の再稼働の必要性そのものの議論も必要である。

【関連画像資料の挿入ーこれはあくまで昔の話として観察しておけばいい画像資料になるが,紹介しておきたいー

いまの時点で河野太郎は「脱原発の立場」だとはいえないが
以前までは反原発・脱原発の立場で〈イジメ〉を受ける経験もしていた

この画像は国会議員の河野太郎と若き日における俳優時代の山本太郎
(現在は国会議員だが)とのツーショト

山本は2013年7月実施の参議院東京選挙区に無所属で出馬,初当選

画像出所)現在は削除状態の,http://gra.world.coocan.jp/blog/?p=5213 から

 
〔記事:河野太郎に戻る→〕 数日前〔ここでは2011年12月1日より以前のその日となるが〕の毎日新聞が,この冬,電力が足らなくなるという飛ばし記事を1面トップで書いたりしていたが,原発がすべて止まっても,この冬に電力が足らなくなることはなさそうだし,来年の夏も原発なしで電力が足りるかもしれない。この冬の電力状況と政府の需給予測の問題点をISEP〔環境エネルギー政策研究所:飯田哲也所長〕のレポートでみてみる。

 a)「北海道電力」 原発なしでも冬の需要を上回る供給力がある。

 b)「東北電力」 政府は需要を過大に見積もると同時に他社受電を内容不明に低下させている。

 c)「東京電力」 政府は需要を過大に見積もると同時に,冬の需要期に火力発電所を3基定期検査する想定。これをずらせば 200万kW以上の供給力が出てくる。自家発電の受電を,意味なく削減している。さらに 100万kW以上の火力発電の出力低下が組みこまれている。

 d)「中部電力」 政府の供給予測では,火力発電が 300万kW以上出力低下することになっている。火力発電所を需要期に定期検査するのか。

 e)「北陸電力」 原発なしでも冬の需要を上回る供給力がある。

 f)「関西電力」 政府の予測は火力発電が 100万kW以上出力低下する想定になっている。自家発電の受電を夏よりも減らしている。揚水発電の供給を大幅に減らしている。中国電力からの受電余力がある。

 g)「中国電力」 原発なしでも冬の需要を上回る供給力がある。政府の予測は火力発電の出力を100万kW以上減らしている。

 h)「四国電力」 政府予測は火力発電の出力低下などを想定すると同時に関西電力への電力融通をそのまま残している。余力がある中国電力からの融通に切り替えれば,四国電力は供給に余裕が出る。

 i)「九州電力」 政府予測は火力発電の出力を低下させている。中国電力からの融通も可能なはずである。

 経産省は,あれだけの事故のあとも,国民に対する説明責任を果たしていない。この他に需要期の電力料金の引き上げをおこなえば自家発電からの融通は増えるし,契約量ごとに需給調整契約の締結やピークタイムプライシング等の手法で需要を削減できる。こうした手法をとらず,情報の開示も不十分であり,この状態で原発の必要性をきちんと説明したことにならない。

 いまや日本の原発は,54基どころかその半分も必要ないことは明白であり,経産省は,情報公開をしたうえで,何基の再稼働が必要なのか,きちんと説明する必要がある。再稼働しなくとも電力は足りる可能性が大きい。

 自民党の電力族は,原発を止めても電力が足りると主張する者がその根拠をきちんと示していないなどと発言しているが,そのまえに経産省と電力会社に情報を正しく開示させるべきだ。いまだに頭の切り替えができていないようである。

 注記)http://www.taro.org/2011/10/post-1109.php この出所(河野太郎のホームページの住所であったが)そのものについては,あらためて本日(2024年8月6日)にクリックして検索してみたところ,つぎの画面が現われた。

もとの記述があったはず

 2) 原子力村を批判した河野太郎

 「3・11事件:東日本大震災」発生以後,日本の各電力会社においては電力不足を強調する向きが強いけれども,この立場は原発,いいかえれば「儲けの大きい発電装置」をなるべく維持・確保しておきたいその立場に傾斜した発言である。

 飯田哲也が所長を務める環境エネルギー政策研究所(ISEP)に同調する意見・立場を,いままで堅持してきた河野太郎は,自民党議員であるにもかかわらず,どういう論法だが分からぬような屁理屈を浴びせられ,「太郎は共産党!」という決めつけでもって非難・排除されてきた。

 ところが,3・11「東日本大震災」によって河野の警告に関連して『原発事故』が起きてからは,誰もそうはいえなくなった。河野太郎『原発と日本はこうなる』講談社,2011年11月の「まえがき-原子力利権の呪縛から解き放たれた未来は」は,つぎのように語っていた。

 誰が正しく,誰〔たち〕が間違えていたか,いまさら問う余地もなくなった。しかし,3・11まで河野太郎を排撃・中傷してきた人びと(連中)がまともに反省したという話は,聞かない。河野はだから,こういっていた。

 私は核燃料サイクルという政策の辻褄が合わないということをいいつづけてきたのであって,原発の安全性とか原発で事故が起きるなどといったことはありませんでした。

 結局,自民党でも私がなにをいいつづけてきたか,きちん聞いてくれていた人はいなかったのだということがよく分かりました。核燃料サイクルのどこがおかしいのか,そして自民党政権はどこでどうして間違えてしまったのか,それがこの本のテーマのひとつです(4頁)。

 原子力の利権の呪縛からようやく日本は解き放たれました。これからこの国をどうしていくのか,しっかりと議論して,日本を前に進めて参りたいと思います(5頁)。

河野太郎『原発と日本はこうなる』2011年11月「まえがき」

 電力業界,電力事情にかかわって日本国内に形成されている利害関係・社会勢力集団を「原子力村」という。「村」ということばを貶めるつもりはないけれども,この意味にどのような内実がこめられているか,いうまでもない。

 その中核には原子力産業の利権が存在し,この甘い蜜にむらがる主要政治勢力が自民党であったからには,河野太郎が「核燃料サイクル」に中心の関心を向けてきたにせよ,彼の網膜に映っていた「原子力村を構成する面々:個人成員・経済組織・政治制度」は,許容しがたい存在であった。


 ※-3 原発政策の暗部

 『ArtSalt のサイドストーリー』というサイトがあった。このサイトから2011年3月30日の記述,「河野太郎が指摘する原発政策の暗部」http://art2006salt.blog60.fc2.com/blog-entry-1224.html を,つぎに紹介することにしたい。

 以下は,WikiLeaks によって明らかにされたアメリカ大使の公電であり,衆議院議員河野太郎氏の発言をアメリカ本国に伝える内容である。日付は “2008-10-27” 。分類は “confidential” (機密)。・・・文中の「政府」は当時の自民党政府であり,この公電を書いたのは在日本アメリカ合衆国大使であるジョン・トーマス・シーファー氏(Tom Schieffer)である点に注意。

 1)「概 略」

 衆院議員河野太郎が日本を訪問中の staffdel, Energy Attache and Economic Officer との〔2018年〕10月21日のディナーにおいて,コストと安全性と安全保障の面から日本の原子力産業,とりわけ核の再処理に対して反対の意思を強い調子で表明した。

 彼はさらに,時代遅れのエネルギー戦略をつづけている,代替エネルギーの開発を邪魔している,議会と国民から情報を隠している,として日本の官僚と電力会社を非難した。また選挙法に不満であるとも述べた。

 補注)staffdel とは,congressional staff delegation の略記。

 2)「詳 細」

 a)「アメリカでの発言」 衆院議員河野太郎は a visiting staffdel, Energy Attache and Economic Officer とのディナーにおいて,原子力エネルギーと原子力燃料の再処理について幅広く論じた。河野は自由民主党の党員であり,1996年に初当選した。

 自民党の元総裁であり,戦後の衆議院でもっとも任期が長い衆議院議長でもある河野洋平の息子である。この会合のなかで河野太郎は,コストと安全性と安全保障の面から日本の原子力産業,とりわけ核燃料再処理に反対の意思を強い調子で表明した。

 河野はアメリカ合衆国で学び働いた経験があり,優れた英語を話す。frequent embassy contact であり,農業と原子力と外交政策に関心がある。比較的若く,率直にものをいう。とくに政府の原子力政策に批判的である。この会合のなかで彼は,コストと安全性と安全保障の面から日本の原子力産業,とりわけ核燃料の再処理に強く反対の意思を示した

 河野は,日本の電力会社は再処理を「ウランの再利用」と世論に説明することに成功しながら,核エネルギーに関するコストと安全性の問題を隠している,と指摘した。日本の再処理計画は,高速増殖炉で再処理された燃料を使うよう計画された核サイクルの一環として始まった,と断言した。

 しかし,これらの原子炉の配備は成功していない。日本の高速増殖炉の原型である「もんじゅ」は,1995年の事故以来停止したままである。

 b)「日本での批判」 河野によれば,高速増殖炉もんじゅの事故以後電力会社は,再処理計画をとりやめにするのではなく,MOX燃料(ウラニウムとプルトニウムの混合酸化物燃料)計画を開発した。

 河野は,MOX計画は高額であり,オーストラリアのウランを買収,もしくは他から輸入したほうが安上がりである,と指摘した。

 さらに,再処理計画の高いコストは日本の消費者の電気料金に転嫁されており,彼らは他国に比べてどれだけ高額の料金を支払っているのかしらないのだ,と主張した。電力会社の影響力について河野はこんな話をした。

 某テレビ局が原子力の問題で彼にインタビューしてそれを3部構成にした,しかし初回分が放映されただけで2回目以後は打ち切りになった,複数の電力会社がその番組のスポンサーを降りると脅しをかけたからだ,と。

 河野の批判の矛先は,電力会社だけではなく,日本の省庁とりわけ経済産業省にも向けられている。彼によれば,省庁は彼ら自身の政策にとらわれており,官僚は上級官僚の政策を引きつぐが,それに異議申し立てすることができない。

 そのひとつの例として河野が挙げるのは,輸入食品に対する日本の放射線基準値がチェルノブイリ事故直後に決まったものであり,他の国が許容される放射線量の値を減らしているのにかかわらず,日本のそれがずっと変更されていない点である。

 c)「再生エネルギー利用の問題」  経済産業省は同様に,河野が指摘している問題があるにもかかわらず,原子力エネルギー開発を提言している,代替エネルギーを支援するといいながら実際にはほとんど支援してない,と河野はいう。さらに,経済産業省は過去に,代替エネルギー法案に反対し,代わりに法を通した。RPS法は単に代替資源からえた非常に少量の電気の購入を電力会社に課すものにすぎない。

 補注)RPS(法)とは,Renewables Portfolio Standard の略で,再生可能エネルギー利用割合基準制度のこと。

 彼は,代替エネルギー計画助成金に関する政府の対応を批判し,助成金の期間は非常に短いのでそんな不確実なものに投資する者などいないだろう,と述べた。日本が代替エネルギー資源を軽視してきたことのもっと明確な例として河野は,北海道には風力が豊富にあるにもかかわらずその利用が不十分である点を挙げた。

 これは,北海道の電力会社が十分な送電網をもっていないと主張したからだ。この点について河野はこう述べた。実際には,北海道と北陸本州の間には未使用の送電網がある。これらの送電網は,電力会社たちが緊急時に備えて密かにもっているものだ。彼は,北海道と北陸本州の電力会社はなぜ送電網を接続できないのか,なぜもっと風力発電をとり入れないのかしりたい,という。

 d)「経済産業省の問題」 彼はさらに,経済産業省が原子力事故を隠蔽し,原子力産業に伴う本当のコストと問題を曖昧にしている,として同省を非難した。さらに,国会議員が原子力に関するアメリカ合衆国のメッセージの全体をしるのは困難である,と不満を述べた。経済産業省が自分たちに都合がいいように,メッセージを取捨選択してしまうからだ,と。経済産業省の政策に合致した情報だけが国会議員に流れる

 同省に対する彼の不満を説明するために,河野はこう指摘する。

 国会の委員会の人たちはプロの官僚で構成されており,しばしば省庁の役人 (detailee) に率いられている,と。委員会スタッフを雇ったり解雇する権限は自分にはないし,彼らへの問い合わせは即座に省庁にいってしまう,と。

 d)「核廃棄物の問題」 河野は核廃棄物の問題もとりあげ,日本には高レベル廃棄物を永久に貯蔵する施設もこの問題の解決策もない,と解説した。彼は,日本の広範囲な地震活動と豊富な地下水について言及し,核廃棄物を保存しておく安全な場所はこの「火山国」に本当にあるのだろうか疑問であるとした。彼はまた,六ヶ所村が唯一の高レベル廃棄物を溜める一時的な場所であることを指摘した。

 六ヶ所村役場は,最終再処理のために一時的に廃棄物を貯蔵することに同意しただけであるという。河野はこの点について,ユッカ・マウンテン・リポジトリー (Yucca Mountain nuclear waste repository) があるアメリカは日本よりも恵まれている,と述べた。ユッカの計画には反対運動があること,ユッカがまだ廃棄物を集めていないことをしって河野は少し驚いた。

 e)「未来のエネルギー問題」 未来の日本のエネルギー需要にどう対応すべきかについて河野は,日本は本当のエネルギー戦略を構築する必要がある,と述べた。

 彼はまた,日本はゆくゆくは 100%再生可能なエネルギーに移行すべきだと思うが,廃炉が予定される原子力発電所で作られるエネルギーを,当面は液化天然ガスを使用した発電所の同じ量のエネルギーで置き換えていくべきだ,と述べた。彼はここに再生可能なエネルギー資源をくわえるのだと思われる。(以上で河野・引用終わり)
 

 --3・11事件が起きてから日本におけるエネルギー政策問題は,急速にその諸局面を変化させざるをえなくなっていた。

 すなわち,再生可能・自然エネルギーの開発・利用へ,より重点を置いて向かわざるをえなくなっただけでなく,原子力エネルギーの《魔力的な危険性》に真正面より立ち向かわざるもえなくなってもいた。

 なかでも後者の問題は,福島県浜通り地区が放射性物質の汚染に占領された事実をもってしても明らかである。完全に人間が住めない地域が半永久的に残存することは,すでに否応なしに確定した事実である。

 

 ※-4 共産党というレッテル貼り

 1) 治安維持法

 旧日本帝国は,社会主義思想を,国是としてご法度にしていた。共産主義の立場に共鳴し支持する者は「即」危険分子とみなされ,治安維持法をもって強硬にとりしまる対象とされた。彼らは〈非国民〉として敵視され,強烈な弾圧を受けてきた。

 治安維持法はこういう法律であった。

 1925〔大正14〕に制定,1928年〔昭和2〕年6月に改定されると最高刑を死刑とした。また,1941〔昭和16〕年には,予防拘禁制度を導入した。1945〔昭和20〕年10月,連合国軍総司令部の指令により廃止された。

 この法律は,天皇制を維持し強化するため,そして,植民地侵略に対抗する社会変革運動を圧殺するためアナキズム(無政府主義)やコミュニズム(共産主義),社会主義をかかげている団体,労働組合や労働運動などの弾圧のために濫用された。

 第1條 國體ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス (大正14年制定)

 第1章「罪」 第1条 国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ三年以上ノ有期懲役ニ処ス (昭和2年改定)

治安維持法

 2) 天皇・天皇制

 治安維持法は,明治以降「創られた天皇・天皇制」を,日本帝国の政治的核心=頂点に置きつつ,この国家体制を守護するための法律であった。

 天皇・天皇制を堅持していくことに主眼を置いた法律であるから,民主主義とか自由主義とか無政府主義とかいった各種・各様の政治理念は,これらを完全に排撃しなければならない「〈立憲君主の立場〉」,いわば「半封建時代的な政治思想であった。それらの政治的立場を絶対化しようとする」思想であった。

 治安維持法がとりしまる対象は,社会主義だとか共産主義だとか,あるいは民主主義だとか自由主義だとか,さらには無政府主義だとかいった,いうなれば,明治以来に造築されてきた天皇・天皇制とは,まっこうから対立し背反する政治的な思想・主義・立場であった。

 くわえて,すでに明治33〔1900〕年に制定されていた「治安警察法」もあった。これは,自由民権運動の抑制や労働運動の規制のための法律であって,敗戦直後の1945年11月に廃止された。

 3) 共産党=赤呼ばわり,レッテル貼りによる攻撃

 敗戦後の一時期,政治社会的に実行された「戦争責任にかかわる白色パージ」が実施されてきたが,米ソの対立という東西冷戦構造の影響を受けて,こんどは反転して「赤色パージ(レッドパージ)」が始まった。

 「レッドパージ:red purge」とは,敗戦後,連合国軍占領下の日本における出来事であった。1950〔昭和25〕年6月,連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)総司令官ダグラス・マッカーサーは,日本共産党員とシンパ(同調者)を公職追放するよう指令した。

 その前後の期間に,公務員や民間企業において「日本共産党員とその支持者」と判断された人びとが,つぎつぎと退職させられた。「赤狩り」とも呼ばれ,1万を超える人々が失職した。

 ここで,参考にまで「マッカーシズム」を説明しておく。

 1948年ころから1950年代半ばのアメリカで起きた反共産主義者運動で,当時,共和党上院議員のジョセフ・レイモンド・マッカーシー(Joseph Raymond McCarthy)と彼のスタッフは,アメリカ合衆国政府と娯楽産業において,共産党員と共産党員と疑われた者への攻撃的非難と呼ばれた行動を,アメリカ議会で大々的に展開した。

 メディア,映画産業,政治家,軍隊,そしてその他の場で,共産主義者への共感について疑われた多くの人が,設置された委員会で〈攻撃的魔女狩り〉のようにさらされ犠牲となった。

 4) 昭和天皇がたいそう恐れた社会主義政治思想

 昭和天皇ヒロヒトは,自分の就いていた天皇位に関しては,マルクス・エンゲルスやレーニン・スターリンが社会主義革命をもって建国されたソ連・東欧諸国などをひどく怖がっていた。社会主義・共産主義の政治思想を非常に嫌っていたのが,裕仁氏であった。

 レーニンなどによって起こされた1917年2月に始まったロシア革命は,300年つづいたロマノフ王朝を抹殺する機会を提供した。退位したニコライ2世夫婦には,5人の子供,オリガ,タチアナ,マリア,アナスタシア(以上女子),アレクセイ(唯一の男子)がいた。

 ニコライ一家は,ソビエト各地を転々とさせられ幽閉されていた。レーニンは皇帝の処刑を主張し,トロツキーは皇帝の罪を追求する裁判を主張したけれども,結局,皇帝らは銃殺された。

 1945年の日帝敗戦を前後する時期にあって,なんとかうまく世過ぎできていた昭和天皇は,社会主義・共産主義の政治体制国家の拡大をひどく恐怖してきた。敗戦以前はさておき,敗戦後もソ連を中心とする社会主義諸国の急激な増加とこの勢力拡大に対しては,自分の地位=皇族代表者として立場から異常なまでの関心をもって観察していた。

 敗戦後,「民主主義と平和」の新憲法のもとに〈象徴天皇〉の立場となった自身に課せられた制約などものともせず,いわゆる「沖縄メッセージ」をアメリカ政府に直接送り,沖縄をその後も「四半世紀も半世紀以上も」自由にアメリカ軍に使わせている現状は,もとはいえば昭和天皇のお節介,いいかえれば,自分が日本周辺諸国に生まれていた社会主義諸国の布陣そのものをひどく恐怖して政治的に行動した結果であった。

 5) 共産党(日本共産党)などへの「赤呼ばわり」

 戦前においては,社会主義の政治思想が極端に蛇蝎視された経緯があったし,敗戦後にもそれを合法の枠組から除外する動向があった。こちらは占領軍最高総司令官の命令によるものでもあったが,昭和天皇にとっては『願ってもない占領軍の支配・統治』がかない,日本国内に敷かれたことになる。

 自民党のなかで河野太郎がなにゆえ,「反原発・脱原発」の政治路線を語る政治家として「共産党呼ばわり」されるのか? よく考えてみるまでもなく,ずいぶん奇怪な現象である。河野はなにゆえ,そのような罵倒をさんざん受けてきたのか?

 自民党はいま政権党ではないけれでも〔2011年12月1日当時の記述であったので〕,戦後政治において長期間与党の立場にあったから,もちろん「原子力村」とも深い利害関係をもっていた。

 この政党に籍を置く河野太郎が「共産党呼ばわり」されるというけったいな事態は,いかに観察されればよいか? 思うにそれは,単に20世紀後期における〈与党思想の単なる排他性〉と観察されて済まされるのではない。敗戦後に強行された〈レッドパージの政治思想〉からさらにさかのぼり,戦前・戦時体制における治安維持法の政治思想にまで到達すべき論点なのである。


 ※-5 む す び

 ここでは,多少な強引な関連づけをおこなう話をする。自民党政治家である河野太郎がこれまで抱いてきた「反原発・脱原発」につながる主張・持論は,反「天皇・天皇制」への誘導路を,確実に披露していたのである。

 河野太郎は祖父の代から自民党の政治家であったからか,自党の仲間・同僚から「共産党」だ(!)と名指しされ,非難・排斥を受けても,なお平然としていられた。

 もっとも河野は,その付近に潜む「自民党政治の制約・限界」を,いったいどこまで客体化したうえで,しかも対蹠的に明らかにしえたかについては,まだ疑念が残したままに来た。

 なかでも,東電福島第1原発事故の「被災者を見舞う天皇一族の姿」は当時,マスコミの報道体制のなかで逐一報道されていた。

 だが,天皇や皇族たちの行動日程のなかには,昔からの昭和天皇の「社会主義:共産主義=赤嫌いの政治思想」というイデオロギーが,原発を推進・利用してきた「既存の与党政治とも密接な関連性を有していた事実」とも突きあわせておく方途で,よく想起され吟味されておく必要があった。

 ★-1「原子力発電反対」 →「共産党:赤」呼ばわり

 ★-2「天皇・天皇制反対」→「共産党:赤」呼ばわり

 ★-3「3・11以前,原発推進に天皇家は反対したことはない」し,そもそも「そのような政治的な見解は示せない立場である」。このことは,日本国と日本国民統合の「象徴」としての「天皇とその一族」にとって不可避:必然の立場であって,原発推進が国是とされた時期であれば,これに和するほかないのが「彼ら一家の立場」であった。

 そして,こんどは「福島原発事故の被災者を見舞うという」「〈国事的あるいは私的な行為〉の意味」(公務?)は,いったい「どこにあったのか」。再び「象徴」としての行為を,その時々に「いいとこ取り」し,かつ「いい恰好しい」として,ただ果たしてきたるだけのではないか?

 昭和天皇にかぎらず明治以来の天皇たちは,社会主義・共産主義政治思想を根っから嫌悪せざるをえない制度的存在であった。だから,天皇・天皇制に逆らう人びとはただ,十把一絡げに〈共産党〉と呼び捨てにして,しかも終始一貫,非難・排除しつづけてきた。

 日本の政治においては,人が支持するか否か,好きか嫌いかとにかかわらず,「日本共産党」というりっぱな政党=天下の公党が実在する。それなのに,自民党内では仲間・同僚である国会議員たちが,原発問題に関する批判的な見解を披露してきたことを,けっして許さず,支離滅裂なリクツで「共産党だ!」と非難したつもりであった。

 そしてさらに,「河野太郎は共産党!」だと,闇雲に罵倒,排除し,否定しようとした。このやり口は,科学的・合理的・現実的な説明とはまったく無縁の,ただ単細胞的な悪口雑言であった。

 河野太郎の立場は赤呼ばわりされてきた。けれども,ある意味では「3・11」という緊急事態の発生を機に,このたびは一挙に,逆に「他者を赤呼ばわり」できる立場に方向が転回されていた。

 要するに「赤呼ばわり」はいうなれば,体制派が批判者や反対派に向けて頻繁に悪用してきた《殺し文句》のつもりであった。

 一度「赤呼ばわり」された相手は,その思想や立場や信条や主張においてどれほどの相違点があっても,これはいとも簡単に無視され棚上げされ封殺された。それほど「赤呼ばわり」は,昔もいまも,便利な「思想・言論弾圧」に適した用語なのである。

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