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経営学と倫理学は,ジャニーズ喜多川の性的嗜好が犯した問題をとりあげていなかった

 ※-0 ジャニー喜多川が社長であった芸能事務所が社会精神病理問題をかかえていた事実

 a) さて,Johnny & Associates というホームページには,「社会貢献・支援活動報告」https://www.johnny-associates.co.jp/smile_up_project/activity_report/ が,つぎのように列記・一覧されていた。

 付記)冒頭の画像資料は,別途,「ジャニー喜多川氏と “テレ朝の天皇” の親密動画が流出の衝撃… 民放のジャニーズ離れ加速の最中」『日刊ゲンダイ』2023/09/27 15:30,更新 2023/09/27 17:33,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/329711 から切りとって借りた。

   ♠ Johnny & Associates の「社会貢献・支援活動報告」♠

 1997年12月1日 阪神淡路大震災の被災地復興支援プロジェクトとして「J-FRIENDS」結成

 2003年3月 「J-FRIENDS」活動期限満了のためプロジェクト終了

 2004年11月~2005年1月 「新潟県中越地震」災害支援活動を実施

 2011年3月29日 東日本大震災の被災地復興支援プロジェクトとして「Marching J」発足

 2011年4月1日~3日 「Marching J」募金活動(代々木第一体育館)  
 
 2011年6月~  「嵐のワクワク学校(東京ドーム)」が東日本大震災復興支援イベントとしてスタート

 2012年3月11日 「Marching J」最後の募金活動(東京ドーム)

 2016年4月~2017年6月 「熊本地震」災害支援活動を実施

 2016年4月15日〜6月23日 「熊本地震」災害支援のためコンサート・演劇公演会場にて募金活動を実施

 2016年6月12日~15日 石原プロモーションによる熊本地震被災地復興支援の炊き出し「元気食堂」に木村拓哉,長瀬智也,岡田准一が参加

 2018年7月20日 「平成30年7月豪雨」災害支援活動を開始 ※Johnny’s Smile Up ! Projectの活動以外にタレント個人でもボランティア活動に参加させていただいております。

 2018年7月20日~23日 「平成30年7月豪雨」災害支援のため,広島県・岡山県・愛媛県に義援金と支援物資のお届け

 2018年7月24日 社会貢献・支援活動プロジェクト「Johnny' Smile Up ! Project」発足 「平成30年7月豪雨」 災害支援のためコンサート・演劇公演会場にて募金活動開始

 2018年8月4日~5日/26日 「平成30年7月豪雨」災害支援のため,広島県・岡山県・愛媛県被災地支援活動として炊き出しの実施

 2018年9月6日 「平成30年7月豪雨」災害支援募金活動終了 「平成30年台風21号」 災害支援のため関ジャニ ∞ 公演会場にて募金活動開始 「平成30年北海道胆振東部地震」 災害支援のためコンサート・演劇公演会場にて募金活動開始

 2018年10月12日 「平成30年7月豪雨」災害支援募金に関するご報告

 2018年11月9日 「平成30年北海道胆振東部地震」災害支援募金に関するご報告

 2019年1月22日 「平成30年台風21号」災害支援募金に関するご報告

 2019年9月20日 「平成30年北海道胆振東部地震」災害支援募金に関するご報告

 2019年9月21日~22日 「令和元年台風第15号」災害支援のため,千葉県館山市において,瓦礫撤去の実施

 2019年9月22日 「令和元年台風第15号」災害支援のため,千葉県館山市において炊き出しの実施

 2019年9月24日 「令和元年台風第15号」災害義援金に関するご報告

 2019年9月28日 「令和元年台風第15号」災害支援のため,千葉県山武市各施設へのご訪問と支援物資のお届け

 2019年10月4日 「令和元年台風第15号」災害支援のため,コンサート・演劇公演会場にて募金活動開始

 2019年10月20日 「令和元年台風第19号」災害支援のため,福島県郡山市において炊き出しの実施

 2019年10月24日 コンサート・演劇公演会場での募金活動を「令和元年大規模台風(第15号・第19号)災害支援募金」に切り替え

 2020年1月18日~19日 「令和元年大規模台風(第15号・第19号)」災害支援のため,千葉県館山市においてビニールハウス・倒木撤去の実施

 2020年4月18日~6月4日 新型コロナウイルス感染拡大に対する医療従事者支援活動として,全国645カ所の医療機関にマスクや防護服などの医療物資をお届け

 2020年6月17日 「令和元年台風第15号」「令和元年大規模台風(第15号・第19号)」災害支援募金に関するご報告

 2020年6月22日~12月31日 期間限定ユニット「Twenty ★ Twenty チャリティーソング「smile」(6月22日先行配信 / 8月12日 CD 発売)

 2020年6月25日~12月23日 LINE スタンプによる医療従事者支援活動の実施

  2020年10月1日 「令和2年7月豪雨」災害支援のため,福岡県・熊本県・大分県・鹿児島県・長野県・岐阜県に義援金と支援物資のお届け

 2020年10月6日 PCR 検査拡充支援のため,全国47都道府県に PCR 検査装置一式をお届け

 2020年12月21日 日本看護協会に「Johnny's Smile Up ! Project 基金」を設立

 2021年2月14日 医療従事者支援活動として,「Valentine Smile Up ! 」を実施 ※ Johnny 's Smile Up ! Project 公式 Instagram アカウント及びジャニーズ事務所公式 YouTube チャンネルにて公開

 2021年7月9日 「令和3年7月豪雨」災害義援金に関するご報告

 2021年12月23日 「令和2年7月豪雨」災害に伴う球磨川くだり再開支援に関するご報告

 2022年6月2日~9月22日 LINE スタンプによる医療従事者支援活動の実施

 2023年7月24日~8月24日 「令和5年7月秋田豪雨」災害支援活動に関するご報告

社会奉仕・貢献年表

 ところで,すでに個人となっていたが,その芸能事務所の創立者であり長期間,日本の芸能界では相当の権力筋に位置していたこの事務所の有力な主催者〔の1人〕がジャニー喜多川であった。

 ジャニー喜多川(1931年10月23日-2019年7月9日)は,小児性愛の嗜好者であって,数百人の少年たちに対して「性加害行為」を,それも何十年ものあいだ繰り返してきた。

【参考画像】 

以前どこかでみることができた
若いころのジャニー喜多川画像では
近くに居た「少年をみつめる視線」が
熱線のようななにかを発していた

 それは,ほかにたとえていえば,アメリカ映画界のハーヴェイ・ワインスタインというプロデューサーの悪業(数多くの女優たちに対する強制性交)に匹敵するごとき性犯罪行為を,性懲りもなく犯しつづけてきた〈犯歴〉の持主であった。その意味では,とても悪い意味で「持続可能な再生目標」(!)を追求し,実現させきた人物(?)が,ジャニー喜多川であった。

 ジャニー&アソシエイツは,芸能事務所の立場から前世紀より,前段のごとき社会奉仕・貢献をおこなってきたと報告していた。

 とはいえ(2010年代のそれが主に挙げられていたが)いまとなっては,そうした奉仕・貢献の向こう側:本陣に当たる事務所内(合宿所があった)では,それこそトンデモない性加害行為が「社長」によって常習化していた。この事実はトンデモない所業であったどころか,鬼畜の行為としての「過去・履歴」を意味した。

ジャニーズ喜多川の「性加害」事件・関連事項

BBCに報道されてつまり外圧があって
初めて
日本国内でも本格的に核心に迫る報道が開始
されたが,なんとも情けない国内事情であった

⇒安倍晋三の強権政治を想起させられる……

 b) ジャニー喜多川が『週刊文春』(文藝春秋社)を提訴した件。関連する2000年代の進行について,ウィキペディアを参照すると,つぎのように解説している。

 1999年,喜多川とジャニーズ事務所側は,週刊文春の記事が名誉毀損であるとして民事訴訟を起こした。ジャニー喜多川は東京地裁で勝訴したけれども,控訴後の東京高裁は彼の性的虐待を認定し,『週刊文春』名誉毀損を否定する判決を下した。さらに2004年,最高裁は上告を棄却し,高裁の判決が確定していた。

 ところが,日本のテレビ各局は,この判決についてまったく報道せず,新聞では,数社が小さくベタ記事を掲載したのみで(大手紙では『朝日新聞』と『毎日新聞』のみ),メディアの大部分がジャニーズ事務所に忖度して報道せず,社会的な問題になることはなかった。そのためジャニー喜多川は,引きつづきジャニーズ事務所の運営者として,「国の宝」として崇められつづけた。

 c) そして,今年(2023年)になってからだが,それこそ社会的には大騒動とみなしてよいくらい,「過去からいままで実質,隠蔽状態にあったジャニー喜多川」による,しかも事務所じたいもグルであったも同然に犯しつづけられてきた「性加害の犯罪」が,ようやく社会の関心にもとにおおっぴらに晒される事態になった。

 ジャニー喜多川は,数百名単位でそれも男子の年少者を標的に,自分の目の前に呼びこんだ少年たちを,おそらく全員といっていい規模で「性加害」,それも小児性愛嗜好にもとづくおぞましい犯行を,しかも行為そのものとしては数千回の単位で実行してきたという事実は,周辺の関係者が一致して指摘するところであった。

 しかも,ジャニー喜多川は2004年に最高裁の上告棄却によって,「原告敗訴」という体験を経ていたにもかかわらず,その後も性懲りもなくその行為を継続していた。このあたりの事実は,2023年10月になってからその被害を受けた当事者たちが,テレビ番組のなかで,いよいよ告白しだしていた。

 以上のごとき芸能事務所の経営内部の問題が,「性加害」にかかわる重大な事件であったにもかかわらず,その後も,陸続と止むこともなく「当人のジャニー喜多川がおこないつづけてきた事実」は,これは当人(故人であるが)の精神病理的次元での問題分析を必要とする点は当然として,それ以前に,日本で最強の芸能事務所が社会経済的に保持していた権勢の社会病理性としても解明が必要である。

 以下の記述を再掲・復活させるにあたっては,以上のごときジャニー喜多川の性的嗜好に発した性加害の問題は,「経営学と倫理学」といった隣接・関連科学の領野における究明が必要であった点を,断わっておきたい。

【参考記事】-つぎの記事は,会社組織が解消される予定を決めていたジャニーズ事務所について論じているが,当然の論旨を披瀝していた。

 窪田順生:ノンフィクションライター「ジャニー喜多川氏の『性嗜好異常』認定は,ジャニーズ事務所への“死刑宣告”だ」『ダイヤモンド online』2023.8.31 5:30, https://diamond.jp/articles/-/328422

窪田順生は,この寄稿の最後をこうまとめていた。

外部の専門家が「性加害」を認定して,その原因をジャニー氏の「性嗜好異常」だと断定したと聞けば,一般の人は,だったらいま活躍しているアイドルは,どうなのかと思うのは当然だ。

 これだけ多くの中学生世代が毒牙にかけられているのに,彼らだけ無傷だと考えるほうが無理がある。「これから気をつけます」なんて声明を出して幕引きを図るテレビ局のスタンスが異常なのだ。

 これが海外で報じられれば,かねて指摘される日本のロリコン文化,児童ポルノの問題などと結びつけてくる海外メディアも現われるかもしれない。そうなると,国連の人権委員会もまたなんやかんやといってくるだろう。

 日本人の多くはジャニー氏が小児性愛者だと認定されたと聞いても,「ふーん,前からいわれていたことがようやく公に認定されただけじゃん」と思うかもしれないが,児童の性的搾取に厳しい海外の嫌悪感は激しい。この件はわれわれが思っている以上に,まだまだ大騒動に発展するかもしれない

窪田順生の意見

 窪田順生による以上の記述は,2023年8月31日のものであった。そして今日は2023年10月9日であり,その間にジャニーズ事務所「主催」の記者会見が9月7日と10月2日にもたれていたものの,いずれもたいそう評判の悪いそれになっていた。つまり,悪あがき的な作為に満ちた事務所側の対応がめだっていた。

 ジャニーズ&アソシエイツはいままで,「帝国」だったとも呼称されるほど権勢と名声を,斯業界のなかでは長期間にわたり誇っていた。それだけに,その帝国「性」にいまだに囚われている内部の関係者,およびその勢力圏にむすびついて活動していた各業界勢力は,前段の窪田順生が指摘したごとき「喜多川流に半世紀以上もの長期間,巻き起こしてきた」「犯罪に相当する重大な反社会的な行為」を,いまでもまだ,ありのままにすなおに認知できない「理解の水準」にあった。

 その事実は,2023年10月2日の記者会見の様子を視聴した人びとであれば,たやすく観取できる現状であった。人権意識がいまだに「本当の先進国とはいえない」程度の水準に留まっているこの国のなかでこそ発生し,持続させられてきたのが,ジャニーズ喜多川の性的嗜好にもとづく「小児性愛」事件であった。

【参考記事】 -本日,2023年10月9日『日本経済新聞』朝刊から-

自社の社会的不適応症状に
まったく自覚のなかった
ジャニーズ事務所の傲岸不遜

 

 ※-1 経営学と倫理学,最初は和辻哲郎『倫理学』の今日的意味から考えてみる

 1)  和辻哲郎『倫理学』文庫版:2007年

 経営の問題に倫理ということばを添えて議論するようになってから,すでにだいぶ年月が経っている。このあたりの話題に関しだが,筆者が若いころに読んだことのある和辻哲郎『倫理学』を思いだす。和辻の「倫理学」は,家政や経済も考察していた。

 和辻哲郎『倫理学』は昭和12〔1937〕年に上巻,昭和17〔1942〕年に中巻,昭和24〔1949〕年に下巻を刊行していた(岩波書店)。昭和40〔1965〕年には,その3冊版のうち上巻と中巻を合冊させ,上・下巻の2冊版に改訂した体裁で再刊している。筆者が読んだのは後者の昭和40年版である。

 和辻の本書はさらに,2007年1月・2月・3月・4月に4分冊の体裁,『倫理学(一)(二)(三)(四)』として再刊されている。早速これを地元の図書館から借りたさい,なかでも,それぞれの分冊に新しく付論された熊野純彦の「解説1・2・3・4」を,読むことになった。

 その「解説1・2・3・4」の各目次を,つぎにまとめて紹介する。

  1 文人哲学者   2 村の記憶,父母の影
  3 意識のはじまり 4 放蕩時代あるいは放情時代へ
    (以上,第1分冊)

  5 日本古代への回帰  6 アカデミズムの内外
  7 カント哲学との対話 8 思考の文体
    (以上,第2分冊)

  8 人間/身体-和辻倫理学体系(1) 9 交通/信頼-和辻倫理学体系(2)
  10 家政/経済-和辻倫理学体系(3) 12 文化/国家-和辻倫理学体系(4)
    (以上,第3分冊)

  13 文脈-西田から三木へ  14 時代-戦前から戦後へ
  15 批判-現代の論脈から  16 終焉-晩年の和辻から
    (以上,第4分冊)

 2) 経営倫理学

 アメリカ経営学の領域では,だいぶ以前(20世紀末期ごろ)から倫理学を専攻する人文系の学者たちが,経営管理学の研究に参入してきた。彼らが経営学で関与できる研究領域は「企業・経営倫理学」であった。最近は(事後)ドイツ経営経済学における企業倫理学も入れると,この分野の研究が相当盛んになっていた。

 資本主義経済体制における企業経営はその本質的性格として,各種・各様の制約を受けながらもなお,利潤をとことんまで追求せざるをえない存在である。この事実は,資本主義から下される強制律であり,必然的にしたがわざるをえない法則上の目的原理である点から,説明されるべきものとなる。

 しかし,公害・環境問題に関する先進各国の「負の歴史」(かつてのイギリスの姿をみよ,ついこのまえの日本の姿をみよ)を回顧すれば分かるように,また,BRICs諸国に新たに発生せざるをえない同様な問題も(最近の中国の姿をみよ),資本主義経済社会のなかではいつも「対策を余儀なくさせられる深刻な事態」がそれら諸国の産業史に明示されてきていた。

 そうした資本主義に固有の疾病ともいえる〔もちろん社会主義の経済・社会においても別様な原因をもって発生させてきた〕公害・環境問題だけでなく,企業経営を囲繞する利害集団に対する社会的責任が,倫理的要素を孕む問題として議論されてもいた。この領域にかかわる多種多様な論点をあつかう学問として登場したのが「企業・経営倫理学」である。

 1993年4月1日「日本経営倫理学会」 (Japan Society for Business Ethics Study : JABES) という学会が創設されている。この学会のホームページをのぞけば,いままで研究報告された論題が一覧できる。

【参考画像】-白桃書房,2008年刊行-

真ん中に書かれている文章も読めそうである

 しかし,日本における経営「倫理的の問題」を経営学者〔たち〕が論究することになれば,日本文化史だとか日本精神史だとか日本思想史だとかいう研究領域において「蓄積されてきた学問成果」を無視できない。この問題に関心を抱くことはごく自然ななりゆきである。 

 そこで,あらためてその『日本経営倫理学会誌』をのぞいてみると,同誌第15号(2008年3月)宇佐神正明の「日本精神史試論-日本的伝統の根底にあるもの-」が,その【自由論題】の項目中に掲載されている。やはりこのような研究志向が経営「倫理」 という名称を冠する学会において研究報告されている。

 

 ※-2 日本における経営史研究の問題性

 a) こういう問題があった。それは,日本の経営学者〔たち〕が,自国の企業経営史に関連する倫理的な研究課題を究明しようとするとき,研究の対象にとりあげる相手=論題にもよるが,日本の精神史・思想史などを踏まえなければ十全な解明ができないのではないか,という懸念である。

 欧米の社会科学者であるマルクスやウェーバーの学問方法の応用・適用もよい。だが,日本において「固有の歴史」的背景のなかで生成した企業・経営問題を倫理学的に追究しようとするさい,日本人倫理学者による研究業績があるのに,さらにそこにはたしかな関連性がある視座が提供されているのに,これに注目もせず放置したままでよいのか,ということである。

 アメリカ経営〔管理〕学やドイツ経営経済学の研究に当たっては,両国の哲学的伝統だとか精神・思想史的背景だとかを実に丹念に研究する日本の学者が,自国の問題になるとそうした論点にそれほど関心をもたず過ごしてきた。これはずいぶん不自然な学問姿勢である。

 もちろん,一部ではたとえば,宮本又次や菅野和太郎,安岡重明,小倉栄一郎,土屋喬雄,間 宏,中川敬一郎などが,日本経営史・経済史の視点から充実した研究成果を挙げてはいる。しかし,欧米各国の経営問題に比較してみると,「経営と文化」という枠組=関連性から自国の課題を研究しようとする研究が手薄なのである。

 b) 和辻『倫理学(四)』「解説4」は,解説者熊野純彦が自分なりに,和辻を,こう批判する。このような和辻理解=「批判」そのもののなかにこそ,経営学・経営史研究にも役だつはずの論点が潜んでいる。この理解はむろん〈筆者独自の解釈〉である。

 「さまざまに展開される和辻への批判は,結局はそのあいだがら概念への疑念へと帰着する。和辻はたしかにあいだがらを強調した。和辻そのひとは,とはいえそもそも,あいだがらのありよう,そのほんらいの性格をとらえ損ねていたのではないか」(395頁。下線部分に原文の上部への傍点「 ヽ 」は割愛)。

 日本的経営「論」が1970年代の半ばになるころ盛んになっていた。そこでは,日本の会社における「三種の神器」と称された〈終身雇用・年功序列・企業内組合〉という制度的特質に関して,なんらかの「日本精神史」的な背景事情を読みとろうとする試みがなされた。この研究の方向性は当然の問題意識であった。

 しかしながら「日本企業における精神史的な考察」に立ち向かう経営学研究者は少なく,裏さみしかったのが,当時の現状であった。経済学者たちたとえば,大河内一男は早く戦中・戦後から,日本の労働組合に関する研究をとおして日本的経営の特質を究明していたが,これに関心を抱く経営学者はあまりいなかった。なぜか?

 c) 明治以来における,欧米へ「追いつけ追いこせ」という日本の学問に特徴的な思考様式や「欧米崇拝・日本劣視」の価値観念が,いつまでも払拭できなかったためか,「経営と文化」という枠組に該当する経営学・経営史方法論の構築が,経営史学会が創立されたばかりの時期にあっては多少努力されたものの,その後においては本格的な構想を生みだせないできた。

 「経営史学会創立20周年」を記念して刊行された,経営史学会編『経営史学の二十年-回顧と展望-』(東京大学出版会,1985年)は,当時同会会長だった中川敬一郎に,つぎのようにいわせている。

 「欧米経営史学の手法のみでは足りず,「非欧米的」な経営発展への視角をも持つ日本の経営史独自の手法を要求される段階にまで到達していた」。「経営史学の方法や経営史理論の厳密さという点では,むしろ大部分の課題が今後に残されている」。「たとえば,経営史における『文化構造』的要因について,社会学経営史学を結びつけようとする間 宏教授の孤軍奮闘の努力に」「殆ど応えていない」(序,ⅷ頁)。

 「今日振り返ってみると,当初のまとまりが良すぎたため,学会創立後20年,学会内部に方法論的対立がほとんどないまま今日に至っているのは,果してこれで良かったのかという不安がないではない」(14頁)。

 実証的研究を主柱に建てて学問を推進・展開させねばならない経営史学が,方法論ばかりに沈潜していてよい事由はない。けれども,学問であるかぎり「本質論」や「方法論」の議論がともなわない研究が,効率的ではなくなることもまた必至である。この研究を支えていくべき「土台=基礎論」を欠落させるのであれば,意味するところの問題は重大である。

 

 ※-3 地に足の着いた研究の必要性

 a) 「人本主義」という倫理的な構想を示した経営学者がいる。しかし,彼はこの仮説的な「人本主義」の概念を「資本主義」と同一次元まで昇華させえ,しかも,対比的な次元において議論できると誤信していた。

 「人本主義」企業「論」は,資本主義体制側にのみ便宜を与えるような主張を披露しえたものの,日本経営史のなかに正の貢献をしうる方向での「学問的な寄与」は成就できなかった。

 彼が唯一挙げえた成果はなにか。それは,労働者・サラリーマン諸氏に対する待遇を差別化し,正規と非正規との障壁を固定化させる経営イデオロギーを,資本家・経営者側の立場を助ける,いうまれば理論武装させる格好の理屈を提供したことである。

 ここにとりあげた経営学者は,21世紀になっても「日本は単一民族」だなどと,とりわけ噴飯ものの,だから社会人類学や基礎生物学のごく初歩さえわきまえていなかった,単純かつ無知的な思考も披瀝していた。これは救いがたい不勉強の証左になっていた。

 下の画像にその経営学者が執筆した該当書物『代表作』(筑摩書房 1987年)は,ちくま学芸文庫 1993年として再刊され,さらにその改装版が日経ビジネス文庫 2002年として再々刊されていた。そのう,ちくま学芸文庫版の表紙を,つぎにかかげてみた。題名は「人本主義企業-変わる経営 変わらぬ原理-」であった。

伊丹敬之「人文主義企業」表紙

 ところが,実際においては「資本の論理」にもとづくところの「変わる経営」からの批判を受けとめられなかった,つまり「変わらぬ〔→変わることのできなかった〕経営学者」のこの著作における「旧態依然なる学問姿勢」が,時代の移りかわりによってしだいに証明されてきたのだから,皮肉なものである。

 版をたくさん重ねてきており「社会の需要」がある書物だからといって,実業界に生起している「現実の本質」そのものを的確にとらえ,正面から議論できているわけでもない。

 この本の帯には「資本の論理では人は働かない」ことは「厳粛な事実」だと書かれている。だが,こうした絵空事は,「資本の論理」を「お釈迦様の掌」に,また「人本主義」を《筋斗雲》に乗った孫 悟空に,それぞれ譬えておけばその虚構性が理解しやすい。

 b)「資本主義」の経済体制をかえずに「倫理的な観点」で「資本の論理」を放逐することは不可能である。たしかに「資本の論理」では働かない「人本主義」的な次元・位相の問題・現実も,その世界のなかにはある。

 とはいえ,それも「資本の論理」を大枠の前提に踏まえての物語である。要は,資本主義企業経営のなかで,労働者・サラリーマンをうまく働かすために「人本主義」の使い道もある,という想定での話なら理解できなくもない。

 和辻哲郎は「倫理学」にはほかにも,『日本精神史研究 正・続』大正15年,『日本倫理思想史 上・下巻』昭和27年,『人間の学としての倫理学』昭和9年,『風土 人間学的考察』昭和10年なども刊行していた。

 しかし,これらの「日本の倫理学」を考慮し,本格的に関連づけて研究した企業・経営倫理学分野での方途を,筆者は寡聞にしてしらない。

 日本における社会科学研究の〈本来的な性格〉に関して重大な問題性を感得するのは,筆者だけであるのか。日本語という障壁があっても,日本学会・学界が自国の倫理学的な学問業績を活かした方途でもって,世界に向けて発しうる理論構想がほとんどみいだせない現況にある。

 以上の記述を通していえるのは,経営倫理学(経営学と倫理学との交叉領域)に生成した学問思考としてだが,ジャニーズ喜多川の性的嗜好が原因となった「小児性愛を動機とした性加害」の問題に気づく研究者が1人もいなかたという点は,非常に残念な結果であった。

 経営学の研究者であれば,芸能事務所の経営問題に関連しても諸種の現実が発生しながら営業・運営がなされいているなかで,たとえばジャニーズ喜多川が長年にわたし犯しつづけていた「性加害」に気づき,これを学術的に吟味・批判することになれば,単なるメディア・マスコミがする批判としての報道とはまた異角度から,なんらかの世論喚起につながる可能性がなかったとはいえない。

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