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戦前の日独伊三国同盟と天皇裕仁,戦後のジャニー喜多川事務所と芸能界

 はしがき的にまず,以下を述べてみたい。

 日本とドイツとイタリアは1940年9月,軍事同盟「日独伊三国同盟」を締結した,当時,日本の天皇は裕仁であった,現在「ロシアのプーチン」の侵攻を受けているウクライナが,「プーチン」「ヒトラーとムッソリーニ⇔裕仁」と並べた画像を,ツイートの動画のなかに組みこんで公開した

 付記)本稿の記述は2022年4月26日,更新4月27日になるが,本日2023年9月9日に,最近の話題も付加して補訂した。
 付記)冒頭の画像は,※-1に出ている画像資料から借りた。ジャニー喜多川の若き日の画像。

 

 ※-1 戦前の歴史,戦争の時代を思い出してみたい

 a) 1937年の日独伊防共協定が発展して成立したのが「日独伊三国同盟」であった。この同盟は当時において,ヨーロッパおよびアジアにおける指導的地位を認めあい,第三国の攻撃に対する相互援助を約束していた。

 太平洋戦争の開戦後,ドイツ・イタリアが対米宣戦布告したのはこの同盟側の宣言にもとづくが,第2次大戦が開始した初頭,ドイツ優勢の状況下で成立したその同盟関係であったけれども,のちにつぎつぎ敗戦していくこの同盟各国の動静であったゆえ,そのつど瓦解していった。

 昨日(ここでは2022年4月25日のこと),本ブログ筆者が気付いたのは,いまロシアの侵略を受けて「むごい戦争状態」を余儀なくされているウクライナ政府が,SNS(ツイッター)を介してだが,つぎのような「画像-ムッソリーニ・ヒトラー・天皇裕仁」を映し出した「コマの場面」を含む動画を,発信していた点である。

 b) この動画は,「ロシアのプーチン」を非難する意図のための制作・公表され,そのさい,第2次世界大戦中に成立していた日独伊三国同盟に触れる内容に構成・編集されていた。そのなかには,つぎのような画像が用意され組みこまれていた。なお上が修正後,下がその前(初め)の画像である。

『毎日新聞』2022年4月25日
「ヒトラーと一緒に昭和天皇の写真
 ウクライナ政府が動画から削除,謝罪」
から

 さて,この話題(問題)について日本側ではたとえば,つぎのように受けとめられていた。冒頭にかかげて紹介したツイートのなかの文句である。

 「2022-04-01 20:47:46」って,3週間も前じゃん,日本人の著名な右翼,誰も気付かなかったのか…。 ウクライナ政府 Twitter 公式アカウントさん,プーチン・ロシアを非難するあまり,「ファシズムやナチズムは,1945年に打倒されたのだ。」とのコメントと共に,昭和天皇をヒットラー&ムッソリーニと並べてしまう。

ウクライナ政府公式ツイッターの見解

 この指摘をしていた元の『togetter』の記事画面も紹介しておく。なお,これは上部だけを切りとったものである。

ウクライナ政府公式ツイッター
ムッソリーニ⇔ヒトラー⇔裕仁

 c) ところで,第2次大戦において戦勝国になった国々からは,21世紀の現在になっても日本は「敗戦を受け入れた国である」という歴史認識が,いまだに当然のごとく観念されつづけている。

 しかし,前掲の『togetter』のなかで問いかけられている「ネトウヨの皆さん」をはじめ,多くの人びとの観念では「日本は戦争に負けたけれども,日本なりによく戦った」「とくにアメリカには日本の神州的な実力が恐怖さえ与えていた」と,いつまでも強がりをいいたがる。

 しかし,独りよがりの発想はほどほどにしておいたほうが懸命である。

 その付近の時代認識,歴史の理解については「連合国側で戦争に勝利した国々」と「敗北した国々,とくにドイツ・イタリア・日本」の戦後的な事情が現出していた。

 21世紀の現在でも,第2次大戦で敗北した独・伊・日の領土において,米軍基地がこれら国々の領土の一部分を,わがもの顔で半ば支配して運用している。日本の場合がとくにひどく,完全に米国本土の飛び地みたい軍事基地になっている実情が,今後も継続していく。この指摘はいままさに〈現在の状態〉のことを指していう現実の様子であった。

 ドイツ・イタリア・日本は第2次大戦で完敗した,とくにドイツと日本は徹底的にまで戦いつくした結果,惨敗した。ドイツは米英仏軍とソ連軍が西側と東側から攻め入られ,完全に打ちのめされた。日本は落とさなくてもよかった原爆まで2発みまわれたうえで,1945年8月15日にひとまず,ともかく敗戦させられた。

 しかも,つづいてその後,9月2日になるが,その日本敗戦を確認する儀式:調印式が「敵国の戦艦ミズーリ」の艦上で執りおこなわれた。この戦艦の艤装の上には,将兵たちが鈴なりになってまとりつくように見物した。

まるでさらし者
敗戦国の悲哀はなぜかいまもつづく
なぜか
この国の誰かが勝手に
「いまだけ・カネだけ,自分だけ」
の要領で生きのびようと
したからではないか

 以上のごとき第2次大戦の結末に照らして考えれば,ウクライナが2022年2月24日に「プーチンのロシア」がいきなり(それなりの以前から経緯はあったとはいえ)侵攻してきた関係で,前掲したごとき「ヒトラーを真ん中に置き,その両側にムッソリーニと裕仁を置いた」画像をツイッター画面に提示したのは,故なきことではなく,ごく自然な〈なりゆき〉であったといえる。

 しかし日本側の反応とみると,ムッソリーニとヒトラーと同じに並べてそのようにツイートを利用して宣伝したウクライナの態度は,とうてい許せないものであった。

 以上の問題をめぐる認識は,戦中から戦後にかけての昭和天皇史そのものを客体的に,そしてより緻密に分析・解明していけば,たまたま裕仁氏の場合は,マッカーサーによる日本占領統治・支配政策上,いいかえれば,アメリカ国務省の戦略的な運用のもとで「活(生)かされてきた」という,客観的な事実史そのものを無視しえないのであれば,否応なく納得がいくはず論点であった。

 その当たりの国際政治問題については,政治学を専門とする研究者がすでにその核心・本質をつまびらかに教示してくれていた。

 どういうことかといえば,「日本側の〈大東亜戦争〉理解」と「米国側の〈太平洋戦争〉理解」とが,その本質的な差異性を突きつめることもないまま,いうなればそもそもにおいて,アメリカが日本を意図的に利用してきた,つまり中途半端に逆用してきた「日本の敗戦後史」における『昭和天皇の〈位置づけ:意味づけ〉』が,その問題としての焦点にならざるをえなかった。

 分かりやすくいえば昭和天皇はその存在を抹消されることなどなく,敗戦後史に利用(活用)されていく経過をたどっていった。もちろんアメリカにそのように活(生)かされていく経過を創造されていったのである。そのさい,単にアメリカ側の意図に迎合する以上に,彼はそれこそ敗戦以降における自分なりの生きざまを,能動的に再構築していった。
 

 ※-2 ジャニー喜多川(芸能事務所)が半世紀以上もつづけてきた大問題として性的犯罪行為

 最初につぎの『週刊文春』電子版用の表紙を紹介しておきたい。

この問題は国連からも目を着けられ
世界的な醜聞となっている

 よく日本という国の内実に関してだが,最近はどうも「先進国」とは自信をもって自国を表現できなくなっているなかで,このジャニー喜多川芸能事務所の問題が世界的次元でも,話題にとりあげられることになった。

 BBCが直接とりあげた,ジャニー喜多川に固有な性的加害「実行」問題,それも少年層のタレントたちにくわえていた性的嗜好も特異な「おびただしい犯行履歴」は,いまでは日本国内においても封印できない事件として暴露される状況になっていた。

 つぎの画像資料2点を参考のために挙げておきたい。下の画像資料のなかには,参照した記事の引用が記入されている。

ヒトラーやスターリンの名をもちだしても
ヒロヒトの名を出さない(出せない)のは
これいかにという印象あり
ジャニーズ事務所の問題など

 以上のように解説してみた記事の内容に関連させて,つぎの『PRESIDENT Online』の記事も紹介しておきたい。これを一読してもらえれば,アメリカは,ハリウッドの有名映画プロデューサー,ハーヴェイ・ワインスタインが多くの女性(女優だけではない)に対して “性的暴行” をおこなってきた経歴が,外国における「先例的な事件」としてであったが,同時並行的に考慮する必要性を十二分に教えていると思う。

 その種の害悪的な犯罪性は,この日本国内だけの隠微な問題であったはずのジャニー喜多川の性加害行為が,しかもこの人物がすでに2019年に他界していたにもかかわらず,最近になって急浮上し,日本社会全体をゆるがす問題にまでなっている。

 この日本の芸能界における性的な領域での問題は,いつだったかはいまではよく記憶にないが,たとえば森本レオの女癖の悪さが「演技指導をしてやる」という名目で,若手女優・タレントを誘っては強制的に性行為の相手に陥れるというその演技指導をしてきた話は,これはかなり有名であった。

 その何十倍・何百倍もの規模でもってジャニー喜多川は,しかも同性の少年年齢層の彼らを,自分の性嗜好の餌食・犠牲者にして,なんどもいうが半世紀以上にも長期間,いたぶってきた。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の配給係みたいな性加害行為を,それこそ年がら年中,つまり常習的に犯しつづけてきた。

 いきなり話を飛躍させるが,まず,森本レオの女癖の犯罪的な悪さから,ジャニー喜多川の特別に個性ある性的嗜好にもとづく,もっぱら少年たちに対する加害行為,そしてさらに,アメリカ映画監督の場合だとハーヴェイ・ワインスタインが多くの女性(女優だけではない)に対して “性的暴行” をおこなってきた経歴など,これらの延長線上に想定しうるのは「軍隊における従軍慰安婦問題」であった。

 ところで,昭和天皇は良子とのあいだに最初は女子を連続して3人産んだということで,側近のなかからは側室をおいて早く男子(お世継ぎ)を作らさねばと心配する者たちがいて,裕仁にその話をもちこんだが断わられたという。事後,この夫婦は明仁ともう1人の男子を産むことになったが,男系天皇にこだわった明治維新以来に取り決められた勝手な決めごと(皇室典範)が,珍妙ならざる話題を提供していたことにもなる。

 といった以上,※-1と※-2の記述を付けくわえたところで,もとは2022年4月26日(更新4月27日)であった※-3以降の記述を,以下に復活させたい。もちろん本日なりの補訂の作業はくわえていく。

 補注)この記述の冒頭部分にかかげた『毎日新聞』の「ムッソリーニ⇔ヒトラー⇔裕仁」の,ウクライナ政府公式ツイッターの画像は,今日の時点での感想になるが,各マスコミ・メディアは事後,なるべく出さない・かかげないようにしていた,という印象をいくらか受けた。

 関連する頁(住所)を検索してクリックしても,『毎日新聞』のように昨年4月現在であれば簡単に出てきたその画像が,いまとなっては探せないことはむろんないが,少し手間がかかるようになっていた。

 多分だが,その該当する記事からはその画像だけを除去(削除)したのではないかと想像(推測)させる足跡があったといえなくもない。それはともかく,ここでその画像をもう一度,かかげておく。3名がそろって写っているそれである。

自然な並べ方:人選であったが
ウクライナとしては結果的にまずい掲示となっていた
ドイツやイタリアからは苦情(批判?)は
出ていないのはなぜか?
単純に変更前と変更後を比較して「喜ぶ」ような経緯にはなっていなかった


 ※-3「昭和天皇とヒトラー同列に ウクライナ政府が動画,後に削除」『時事通信』2022年04月25日13時00分,https://www.jiji.com/jc/article?k=2022042500561&g=pol

 ウクライナ政府が昭和天皇を,ナチス・ドイツの独裁者ヒトラー,イタリアのファシズム指導者ムソリーニと同列に扱った動画をツイッターに投稿し,日本政府の抗議を受けて問題の部分を削除していたことが〔4月〕25日,分かった。両政府などが明らかにした。

 問題となったのは「現代ロシアのイデオロギー」と題した動画。関係者によると,ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領を批判する映像のなかで,昭和天皇,ヒトラー,ムソリーニの顔写真を並べて「ファシズムとナチズムは1945年に打ち負かされた」と記していた。

 磯崎仁彦官房副長官は〔2022年4月〕25日の記者会見で,「まったく不適切で,きわめて遺憾だ」と批判。在日ウクライナ大使館とウクライナ大統領府に削除を申し入れたところ,動画は修正されたと説明した。現在はヒトラーとムソリーニだけが並んでいる。

 補注)ここで意識すべき論点は,その動画のいったい,なにが・どこまで「まったく不適切」だったのか,この肝心な点を具体的に説明しておく必要があった,というところに求められる。

 本当にこの動画のなかに組みこまれた前掲のような「ムッソリーニ・ヒトラー・天皇裕仁」の画像構成が,文句なしに完全に不適切といえたか,という問題があった。共通項があると判断されて自然であったから,このような画像が制作されていたのではないか。

〔記事に戻る→〕 磯崎副長官によると,ウクライナ政府は外交ルートを通じて謝罪の意を表明。ツイッターにも「誤りを真摯におわびする。親切な日本の人々の気分を害する意図はなかった」と記した。

 磯崎副長官は会見で「今後とも困難に直面するウクライナの人々に寄り添った支援を実施していきたい」とも語った。

 なお,以上に紹介した記事の関係では,同じ『時事通信』が1ヶ月前につぎの※-4のように報道していた点も紹介しておく。

 ここまでの記述は,外交的に「ウクライナと日本のあいだ」で,今回のこの問題は難なく片づいたという具合に理解できる。だが,それですべてが,つまり日本近現代史に関連する「天皇・天皇制」問題のほうがなにもないのかといったら,その正反対であった。


 ※-4「戦時大統領,日本の共感を重視 『価値観共通』『平和へ努力』-ウクライナ大統領演説」事実2022年03月24日07時10分,https://www.jiji.com/jc/article?k=2022032301150&g=pol

 「(ウクライナと日本は)距離があっても,価値観がとても共通している。心は同じように温かい」。ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会でおこなったオンライン演説では,日本からの共感をえようとする狙いがうかがえた。

 日本の支援に感謝し,対ロシア制裁継続を呼びかけると,500人以上の国会議員は約40秒間のスタンディングオベーションで応じた。ロシア侵攻がいまも続くなか,戦時大統領は日本の役割に強い期待を示した。

 補注)なお,隣国の韓国でも同様に,ゼレンスキー大統領の演説がオンラインで実現していた。ただし,これに出席した韓国の国会議員は約2割であった。この違いに関しては,日本の識者のなかには韓国を褒め,日本を問題だとする意見を披露した者もいる。こういう意見もあるという事実をしっておくことも大事である。

  ※ ウクライナ大統領演説要旨 ※

 「飛行機で15時間もかかるが,お互いの自由を感じる気持ちに差はない。それは2月24日に実感した。日本がすぐ援助の手を差し伸べた」。カーキ色の装いのゼレンスキー氏は冒頭,日本への感謝を語った。

 1986年に史上最悪の原子力事故を起こした旧ソ連・チェルノブイリ原発に言及,軍事侵攻によって「ロシアが戦場に変えた」と非難した。無差別攻撃や市街戦で被害が拡大する緊迫した状況。「1000発以上のミサイルが落とされ,数十の町が破壊された。数千人が殺され,そのうち121人は子どもだ」と惨状を訴えた。

 欧米など各国議会でおこなった演説では,相手国に苦言を呈したり,直接的な軍事支援を求めたりする発言が目立ったが,この日は穏当な表現が続いた。「ロシアが平和を望む,探すための努力をしましょう」と日本に呼びかけた。

 「ウクライナ人は日本の文化が大好きだ」。自身の妻が視覚障害者のために,日本の昔話をウクライナ語のオーディオブックにしたエピソードも紹介。最後に日本語で「ありがとう」と語り,「ウクライナに栄光あれ,日本に栄光あれ」と締めくくった。広島・長崎の原爆投下や日露戦争には触れなかった。

  ◇ 与野党幹部は評価 ◇

 与野党幹部らからは演説を評価する声が相次いだ。自民党の高市早苗政調会長は記者団に「とても力強い演説だった」と述べ,「制裁の対象をさらに広げる道もあるのではないか」と語った。公明党の山口那津男代表は「国連がロシアの暴挙を抑える機能を果たし切れなかった」とし,国連改革に「日本も尽力すべきだ」と強調した。

 立憲民主党の泉 健太代表は「ウクライナ国民を支援し,ロシアの蛮行,侵略を止めるべく日本のできることを全力でやっていくべきだ」と訴えた。日本維新の会の鈴木宗男参院議員は「話し合いで解決しなければいけない」と指摘。共産党の志位和夫委員長は「大戦争犯罪に対する深い憤りとともに,祖国の独立を守り抜く強い決意が伝わってくる演説だった」と語った。(引用終わり)

 このようにウクライナの大統領は,日本の国会に向けて支援を要請する演説をしていた。それなりに上手に日本側の共感をえていた。そこへ今回の「日独伊三国同盟」を材料に「ロシアのプーチン」を非難・攻撃するSNSを道具にしたプロパガンダ作戦を実行するに当たっては,当然のこと(と理解すべきであるが),「当時における日本の最高指導者」の画像も組みこんだ,その情宣用の動画を制作し,公開していた。

 ところが,冒頭に紹介したように,ウクライナ政府側に対する日本からの具体的な反応は,「2022-04-01 20:47:46」の時点になって,「3週間も前じゃん,日本人の著名な右翼,誰も気付かなかったのか…」というかたちで,つまり4月でも25日ころになって,ようやく(?)出てきた。

 前掲した画像資料のなかには「ウクライナ政府 Twitter 公式アカウントさん,プーチン・ロシアを非難するあまり,『ファシズムやナチズムは,1945年に打倒されたのだ。』とのコメントと共に,昭和天皇をヒットラー&ムッソリーニと並べてしまう」のは「どうか?」という疑問が記入されていた。

 ウクライナ政府側は,現在の状況(ロシアの侵攻を受けている最中に,日本からも支援を受けたい非常事態)に置かれている。したがって,ともかく日本からの支援に支障を生むような情宣用の画像は,極力回避したほうがよいという判断を即座に下した。

 『時事通信』の記事にも書かれていたように,当該のSNSの記述における当該内容について,「ウクライナ政府は外交ルートを通じて謝罪の意を表明。ツイッターにも『誤りを真摯におわびする。親切な日本の人々の気分を害する意図はなかった』と記した」というしだいにあいなっていた。

 そこで,当該の動画における「その場面の画像」は,冒頭にすでに示してあったように,ヒロヒトを抜きにした「三国同盟関係」の最高指導者2人しか登場させない画像に変更されていた。 

 補注)ウクライナから日本に逃げてきた人びと(避難民としてだが)を受け入れる日本側の基本姿勢は,とても思いやりがあり,ともかく暖かく親切ある。しかし,日本がいままで難民受け入れに対して示してきた態度とはあまりに落差が大きいゆえ,特定の大きな違和感が生まれていた事実が否定できない。こうした事実も踏まえてウクライナ側はただちに,日本に対して前段のごとき反応を返したという要素もあった。

 前述のとおり,磯崎仁彦官房副長官は4月25日の記者会見で,ウクライナ側が発信されたその動画が「まったく不適切で,きわめて遺憾だ」と批判していた。けれでも,はたして,動画じたいの構成・内容の「そのもの全部」が「きわめて遺憾だ」とはいえない。こちらの点は,あらためて留保しておくべき問題であった。

 なお,今回のウクライナ政府側が発信した当該ツイートに対する日本政府からの抗議は,外務省によって提示されていたが,この動きをうながした主人公が佐藤正久であった。この参議院議員は,自衛隊幹部から国会議員になった人物である。

 佐藤正久は元陸上自衛官,自由民主党所属の参議院議員。同党参議院国会対策委員長代行,外務副大臣,防衛大臣政務官,参議院外交防衛委員長,自由民主党政務調査会外交部会長,同参議院筆頭副幹事長などを歴任してきている。

 要するに軍人上がりの政治屋であったゆえ,その言動にちらほらうかがえる極度の単純思考には用心が必要である。軍略と政略との区別や見境がうまくできない人物が,戦争モノの話題になると突如,異常なまでの自信をもって発言しだす。

 ウクライナ側から今回,ツイートのなかに動画の添付をもって発信されていたわけだが,この「日独伊三国同盟」を素材にした「プーチンのロシア」を批判するための,この「ツイート動画」ついては,とくに注意しなければならない点があった。

 ウクライナには「30万人の民間ITボランタリー・サイバー戦闘要員」がいて,同国全体の意思を反映させる目的を背負いながら,彼らからのツイートが発信されている。それらツイートのひとつが,本日紹介したごとき「天皇裕仁」関連のそれであったという事実関係になっている。

 そのSNS(ツイート)に添付された動画は,ウクライナ政府と民間人とを総枠的に配慮に入れたうえで,そしてこの大きな枠組のなかであらためてどのように解釈し,受けとめるかという問題があった。

 今回における「ウクライナ⇒日本の関係」を逆に「日本⇒ウクライナの関係」に読み替えてみると,また違った側面・要素が浮上し,よりよくみえてくるかもしれない。

 以上の議論についてはつぎに,その中身については疑問がないわけではないが,参照に値する動画があったので,紹介しておきたい。

 ※-5 ウクライナ側のSNSボランティアによる対・ロシア情宣(プロパガンダ)戦線のなかでは,傍系的に指摘されさるをえなかった「昭和天皇の戦争責任」は,この国においてもとからいっさいなかったなどといえるか?

 「昭和天皇の戦争責任論」という問題については,ウィキペディアにも当然ひととおり説明されている。天皇裕仁氏に戦争責任の問題がまったくないなどといったら,自分の無知をさらけ出すことにしかならないゆえ,要注意である。この大事な基本前提を踏まえたうえで,つぎの井上 清による「天皇の戦争責任」問題の「批判論」を紹介しておきたい。

  ※ 大元帥だった天皇裕仁 ※

 明治22〔1889〕年施行の大日本帝国憲法は,天皇が統帥権を有すると定めていた。すなわち,陸海軍の最高指揮官たる天皇が唯一の大元帥と定められた(同年9月30日陸達第142号「野外要務令草案」第1部第1篇第1)。

昭和天皇 1935年

 補注)上の画像は,旧・日帝「陸軍大元帥」の軍服・正装を着た昭和天皇の姿,1935年である。今回の出来事で,ウクライナが利用した画像(顔の部分だけを切り出してだが)が,この写真であると推定しておきたい。

 補注)旧・日帝「陸軍大元帥」の肩章は「★(星章)3つが陸軍大将」であるところに,さらに菊花の紋章がくわえられていた。

旧陸軍大元帥用の肩章

 この大元帥たる天皇は,大将の階級章に菊花紋章が付された特別な階級章を佩用(佩用)し,軍服型の御服を着用した。階級章と御服は陸海軍どちらのものも着用していたが,普段は陸軍のものを,海軍のものは海軍の行事のさいにのみ着用した。このため,残っている姿の写真は前者のものが多い。明治天皇,大正天皇,昭和天皇の3名がこれを称した。

 つまり,明治以来の3人の天皇はみな,旧大日本帝国陸海軍の大元帥であった。敗戦を境に,皇族であり大元帥である軍人は,いなくなるが……。

 井上 清『天皇制』東京大学出版会,1953年1月が提示した「昭和天皇」への批判は,こうであった。

 合衆国の占領政策の方針には,合衆国は天皇制を支持するものではないが,これを利用するという原則がたてられた。この原則のもとに「天皇の世望をひろめ,かつつ人間化することを極秘裏に援助するよう」総司令官は本国政府から命令されたと,例の「ニッポン日記」には書かれている。

 これがどこまで文字どおりに正確であるか判断のしようがないが,「広告しなければいけない,天皇を人民に売りつけなければいけない」というわけで,天皇の「人間化」が大々的におこなわれ,背広服にソフト帽の天皇が人民のなかに出歩いた(252頁)。

 補注)この「ニッポン日記」とは,マーク・ゲイン『ニッポン日記 上・下』筑摩書房,1951年のこと。最近では文庫本で読めるが,古本で入手する必要がある。筑摩叢書として1963年の版,ちくま学芸文庫版の1998年もある。

 昭和28〔1953〕年1月に公刊された井上 清の本のなかでは,そのように昭和天皇が描かれていた。軍人天皇から庶民天皇への《大・変身》が “起こされていた” わけである。

  ※ サンフランシスコ講和条約 ※

 正式名称は,対日平和条約(Treaty of Peace with Japan)1951年9月8日に成立し,サンフランシスコ市内のオペラハウスで調印され,1952年4月28日に発効した。

 この対日講和は第2次大戦終結直後には提起されていなかった。それはまず,連合国がポツダム宣言にしたがい,日本を改造し,軍国主義の基盤を除く必要があったからである。つぎに,主要関係国がこの問題をヨーロッパの戦後処理と深くかかわるものとみて,対日講和を先議する意思をもたなかったためである。

 2) 戦争中における昭和天皇の発言-そのほんの一例-

  a) 戦前,1940年9月27日にベルリンの総統官邸で調印された日本,ドイツ,イタリアの日独伊の軍事同盟「三国同盟」について昭和天皇は,「日本とその意図を同じくする」と述べていた。そして,つぎのように具体的にその感想を述べていた。

 帝国とその意図を同じくする独・伊両国との提携協力を議せしめ,ここに三国間における条約の成立を見たるは,朕の喜ぶ所なり(1940年9月27日)。

  b) 太平洋戦争(大東亜戦争)開始については,こう述べていた。

 このようになることはやむを得ぬことだ,どうか陸海軍はよく協調してやれ(1941年12月1日)。 〔大東亜戦争に突入する寸前のおことば〕
 
 米・英両国は……平和の美名に匿れて……帝国の周辺において武備を増強し……ついに経済断行をあえてし,帝国の生存に重大なる脅威を加う……帝国はいまや自存自衛のために決然起って,いっさいの障礙を破砕するのほかなきなり(1941年12月8日)。 〔大東亜戦争開始の日のお言葉〕

 あまりに戦果が早くあがりすぎるよ(1942年3月9日)。 〔緒戦の大戦火を聞いての喜びの感想〕

 そんなはずはないだろう(1942年4月18日)。

 補注)この4月18日の発言は,米軍の爆撃機が日本本土を急襲した事件についての発言。本ブログ筆者の縁者にこの翌日,1942年4月19日,東京の浅草で生まれた人がいた。生きているうちにこの人やその母親などからその出来事の記憶を聞いておければよかったなどと,いまごろ気づいた。

 今回の損害はまことに残念であるが,…… これにより……今後の作戦消極退嬰とならざるようにせよ(1942年6月8日)。

 補注)これは,ミドウェイ海戦で日本海軍が空母4隻を喪失した事実に対する発言。この海戦が実質,大東亜戦争の過程において剣が峰になった。
 

 以上,戦争中(太平洋戦争関連のそれも,初期に関したほんの一部だけだが)における昭和天皇の発言を聞いてみた。これらは,帝国日本の陸海軍大元帥の立場からする発言であった。

 c) 井上 清は類書である『昭和天皇の戦争責任』明石書店,1989年5月の「はしがき」の最後でこう強調していた。

 「死屍にむちうつなかれ」ともいう。しかしそれは私人間の交際のことである。天皇裕仁の柩の蓋が閉じられるたいまこそ,彼の評価は「柩をおおうてのち定まる」のである。われわれは,まじめに,真正面から,昭和天皇の戦争責任を追究しよう。二度と侵略民族にならないために! 日本人の名誉と信用のために!
 
  1989年4月10日   井上 清

井上 潔の発言

 井上 清の昭和天皇を「批判する観点」-『井上 清論集4 天皇の戦争責任』岩波書店,2004年,はしがき 6-7頁から。この本からは,つぎの箇所を画像資料で引照する。

井上 清の天皇責任論

 このような人物,すなわち完全なる左翼学者であった井上 清の天皇観を紹介したら,引きつけを起こしたかのように反発する人びとがいるかもしれない。

 だが,この井上の指摘は「歴史の事実」に関した修辞である。その修辞に盛られた個性あふれる特徴じたいが,どのような性質のものであれ,井上自身は「昭和天皇の歴史的な事実」の記録を,真正面からとらえ議論してきた点は確かであった。

 d) さてここでは,これ以上にくわしい議論はできないので,つぎの点だけ挙げておきたい。

 敗戦した旧大日本帝国を占領し,支配したアメリカ軍(一部にイギリス軍もいたが)は,天皇裕仁を「日本という国=ビン」に封をするための「フタ」に利用したのである。たしかに,アメリカ軍のマッカーサーによる日本統治は合格点をもらえた。

 以上に触れた点は「歴史の解釈」を許す問題ではもはやない。事実として間違いなく認定されうる諸事であった。もちろん,その事実に関する解釈は多様にありうる。

 e) なお,本ブログ筆者はほかの記述のなかでも指摘したところだが,戦後において駐日大使を務めたことのあるエドウィン・ワイシャワーは,太平洋戦争が開始された直後,こうあけすけに語っていた。

 「日本を負かしたあと」においては「天皇を puppet に利用して,日本を統治すればよい」とアメリカ政府あて,書状を送り,意見していた。敗戦後の日本は,そのとおりになっていた。そしていまでは,日本の政府「全体」が天皇の身代わりになって,そのとおりになっていた。

 はたして,戦争中の天皇が軍部の puppet のような存在だったといって,この人をかばってあげることにしておいたら,敗戦後における天皇の姿についても「同じにかばわってあげない」ことには,首尾一貫しなくなるのではないか? いまとなってはワケのわからなくなる議論になるが……。

本島 等

 日本〔国籍〕人のなかには,以上のごとき意見を聞かされると,鳩が豆鉄砲を食ったかのような表情をみせてくれる人もいる。

 f) しかし,21世紀の日本国内の実相は,たとえば,山田 順『永久属国論-憲法・サンフランシスコ平和条約・日米安保の本質-』さくら舎,2017年という本の書名どおりになっていた。

 その事実を否定できる人はいない。とうとう,奇妙かつ奇怪な話題にもなってしまったところで,本日の記述を終える。

 以上の結論的な内容については,創元社の「『戦後再発見』双書」が核心を突く著作を,何冊も制作・販売している。

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