北朝鮮による日本人拉致問題はいつ解決でき,日朝は国交樹立できるのか,半永久的に予測不可能か
※-1「世襲3代目の政治屋」の息子4世・翔太郎(首相秘書官,32歳)が,首相官邸を遊園地か居酒屋と勘違いし,2022年12月30日,近親者などやダチを大勢呼んで,忘年会開催
【前置きの話題】
岸田翔太郎は(!?)32歳のまだまだ「ぼくチン」であり,なおかつ分別がよく備わっていない人物であった。だがそれでも,政務担当の首相秘書官としての職務が,岸田文雄の指図によって与えられていた。つまり,オヤジ:岸田文雄の支援業務を務める立場が,息子翔太郎の任務であった。
付記)冒頭の画像は,以下に参照した『ANNNEWS』のニュース報道画面から借りた。
そのいってみれば,首相公邸における岸田文雄と翔太郎の親子関係は,その骨肉の愛情が問答無用に具現されていた。いいかえれば,首相官邸を舞台として息子翔太郎が,血縁者などを集めて〔下の画像資料では12名いる〕,つまり,その私的関係を正直に発現させるかたちでもって,2022年12月の忘年会が開かれてい,という事情になっていた。
しかし,「親子の私的関係」があったとしても,国家最高指導部における公務関係としての「仕事の関係:間柄」に,きちんと切りかえておくという約束事が,この岸田文雄「父子」にあっては不在であったと観るほかない。
息子の翔太郎が記録した人間行動の面からその私的なデタラメさが一挙に吹き出たのが,この※-1の見出しのごとき,首相官邸を利用したごく私的な忘年会の開催であり,これが実に「みっともない事態」を発生させた。
「世襲3代目の政治屋」である岸田文雄は,自分の息子がいずれは,つまりいつかは「世襲4代目の政治屋」となるはずだから,その「士官(将官?)候補生」的な訓練をえさせるために,首相秘書官という地位・職務に登用していた。
ところが,幽霊が本当に出るとの噂がある首相官邸で,この息子が好き勝手にごく私的な忘年会を開いていた。いかにも子どものように無分別な振るまいをしていたのである。例によって『週刊文春』2023年6月1日号の暴露記事が,その出来事を世間にしらしめた。
※-2「既視感」あり
以上の※-1の中身は,岸田文雄がまたもや「失敗を例示した身内人事の反復」を表現していた。その失策の責任は重大である。要は,日本国首相:岸田文雄の軽さが再度,息子の行動を契機に全面的に露呈された。こんな総理大臣に,21世紀の今後における日本を浮上させうるわけはなし……。
そのようなわけで,『日本経済新聞』本日(2023年5月29日)朝刊1面の上部左側に報道されていた,日本経済新聞社の世論調査は,見出しを「内閣支持47%,5ポイント低下 本社世論調査 長男の行動影響か サミット評価66%」とする記事を掲載していた。
さて,5月19日から21日まで日本が議長国となったG7サミットが,広島で開催されていた。庶民の感覚では岸田文雄はりっぱな仕事をしたかのように理解(誤解)されている。けれども,広島県・市の地元では悪評が紛々と漂っていた。ましてや被爆都市である当地で,ウクラナイナ大統領まで呼んでロシアとの戦争支援まで相談する舞台となった事実は,軽視できない。
広島市に本社を置く地方紙『中国新聞』(1982年5月2日創刊)の論調はきわめてきびしいものがあった。岸田文雄は広島市を中心とする選挙区から国会議員に選出されているが,つぎのような同紙の報道は,それでも「蛙の面に水」であった。
文雄はまさか,その水を「チカラ水」--とは,大相撲における儀式の一つで,力士が土俵に上がったときに他の力士から渡される清めの水で,神聖な土俵に上がる時に身を清めるために使われる--と,馬鹿正直に勘違いできる御仁だったのか?
昔といっても1993年,武田鉄矢がこういう歌詞で歌っていた。母親の自分に対しる愚痴を,作詞に活かして,こういう歌詞を書いていたのである。
「おまえ いつも何てウワサされようか 知っとうとか
タバコ屋のタゲダン方の 息子はフォーク・ソング狂いの
バカ息子,バカ息子って,……」
岸田文雄(「世襲3代目の政治屋」)の場合,そのバカ息子に相当する翔太郎が,昨年12月に近親者や知人の若者を首相公邸に招待(?!)して,そのように官邸の赤絨毯でおふざけしていた。世間の悪評を買うことは当然に必至であった。
※-3 安倍晋三の猿まねをしたいのか,北朝鮮による日本人拉致問題に取り組むといった「当面の人気とり政策」を採用した岸田文雄の軽率さ,安倍にできないことは岸田にもできないはず
「『拉致問題解決には,日本を変えなければならない。そして変えるべきは日本国憲法だ!』と檄が飛んだ北朝鮮拉致被害者の帰国を求める『国民集会』・・・もはや拉致を政治利用した右翼の決起集会だろう!!」『くろねこの短語』5月28日, http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2023/05/post-6f0b6e.html
2023年5月28日 (日)
ところで,和田春樹が2018年11月に,『安倍首相は拉致問題を解決できない』青灯社,という本をが出版していたが,この書名のとおりの経緯になっていた。安倍晋三はこの拉致問題を自政権の維持・昂揚のために利用してはいたものの,本気で解決する気などなかった。というかそれ以前に,国際政治家として彼の実力はほぼ皆無であった。対・ロシア外交ではプーチンに子どもあつかいされるなどさんざんな目に遭わされ,しかも北方領土の返還をダメにしたトンデモ首相であった。
和田春樹『同書』の表紙・カバーを画像にして紹介しておきたい。ここに書かれている文句など,どこ吹く風とばかり,「北朝鮮拉致被害者の帰国を求める『国民集会』」があらためて開催されていたが,この手の集会はすでに自慰的な作用したもちえなくなっていた。
安倍晋三は2020年9月16日,「またもやお腹が痛くなった」という事情で(ただし診断書を提出せずに)首相を辞めた。第2次政権を7年と8カ月も維持してきたものの,この日本をすっかり「政治4流・経済3流」に転落させてきた。すなわち,自国を「先進国落ち」させ,「発展途上国(後進国の意味だが)」の圏内に転落させた。しかもアベは自分のそうした「顕著な負の成果」を反省することもなく,無責任に辞職していた。
爾来,安倍晋三が「統一教会・2世」の山上徹也に2022年7月8日,銃殺される事件が起きるまで,この日本の政治社会に対しては,よからぬ影響ばかりをもたらしてきた。
※-4 「故安倍晋三の立場」は北朝鮮との外交折衝など全然実現できかったし,自身の為政時に北朝鮮との外交など「一歩(1ミリ)も動かしえなかった」 それどころか,日朝関係をぶち壊す力量だけは,遺憾なく発揮してきた
◆ 拉致国民集会 首相,日朝首脳会談へ意欲
「直轄のハイレベル協議」◆
=『毎日新聞』2023年5月28日朝刊=
岸田文雄首相は〔5月〕27日,東京都内で,北朝鮮による拉致問題の「国民大集会」に出席し,金 正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記との首脳会談実現に意欲を示した。「首脳会談を早期に実現するため,私(首相)直轄のハイレベルで協議をおこなっていきたい」と表明した。
首相はこれまで「私自身,条件を付けずに金 正恩氏と直接向き合う決意だ」と述べていた。この日の会合では「現在の状況が長引けば長引くほど新しい関係を築こうとしても実現は困難だ」と強調。「私は大局観にもとづき,地域や国際社会の平和と安定,日朝双方のためみずから決断する」と,より踏みこんだ。
拉致問題をめぐって両国は2014年,北朝鮮による拉致被害者らの再調査開始などを盛りこんだ「ストックホルム合意」を結んだ。北朝鮮は特別調査委員会を設置したが,2016年に核実験とミサイル発射を強行し,再調査も中止。日朝間の公式協議がおこなわれない状況が続いている。
横田早紀江さん,早期解決を訴え
集会には横田めぐみさん(行方不明時13歳)の母早紀江さん(87歳)も登壇し「(被害者を)必ず親の元に連れ戻してあげたい。それだけを今日まで祈ってきた」とあらた改めて早期解決を訴えた。めぐみさんの弟で家族会代表の拓也さん(54歳)は「一刻も早く,拉致問題を解決させるために日朝首脳会談を実現してほしい」と政府に求めた。
集会は家族会と支援団体「救う会」などが主催し,拉致被害者家族ら計約800人が参加。「全拉致被害者の即時一括帰国を早急に実現せよ」などとの決議を採択した。
家族会などは今年2月に新たな運動方針をまとめ,全ての拉致被害者の即時一括帰国が実現すれば,北朝鮮への人道支援に反対しない姿勢を示している。(引用終わり)
以上に引用した記事の内容には「既視感を強く感じる」。安倍晋三に代わって岸田文雄がこのように大見得を切って,北朝鮮外交を語ったところで,その実現は困難である。
ここで 「【これからの日本外交】田中 均元外務審議官 × 岡田幹事長対談②」『これからの日本外交 日米同盟の深化と独自外国の進化』2023年1月20日,https://cdp-japan.jp/news/20230105_5152 から,つぎの段落を引用する。
ここまでの記述ですでに明らかであるが,『救う会』の基本姿勢は,田中の観点からみるまでもなく,実際には完全に逆効果であった。櫻井よしこなどは,北朝鮮との外交を考えさせる人物としては,これまた完全に不適マークが張り付いているにもかかわらず,この女史をその運動の全面に引き出して司会を任せるというのは,まるで,交渉ウンヌン以前にハナから潰しにかかっているも同然。
櫻井よしこが吠えていたその「国民大集会決議案 (2023/05/28)」『救う会 全国協議会』http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_8026.html のニュースを紹介しておきたい。
北朝鮮による日本人拉致問題はいつ結着できるかといえば,日朝国交が樹立され関係が正常化しなければ,とうてい無理である。拉致問題を最優先させることに『固執してきた「救う会」の立場』は,「国際政治の論理的な基本枠組」から離れた場所から孤立的に,自分たちのいいぶんを強調するばかりであった。つまり,非現実的な強硬策を叫ぶことにしか手がないのか,これでは局面の打開につながる展開を期待することは,しょせん,とうてい無理であった。
前段に登場させた元外務省次官田中 均は,このような「救う会」の無知かつ無謀な基本方針には心底呆れてかえっていたはずだが,うっかりその事実を指摘すると,理屈以前の感情的な猛反発が返ってくるので,承知のうえで「無視してきた」。
なかんずく,いままで安倍晋三の政権維持のためにいいように悪用されつくした拉致問題は,「この世襲政治屋の食い物」(政権維持のための好餌)であったに過ぎない。あえていうまでもなく,岸田文雄もアベと大同小異「以前」に瓜二つの対・北朝鮮外交を口にしたが,それほどこの外交問題の本質や歴史を理解できてはいない。
安倍晋三は,国家の立場から拉致問題に取り組もうとしたのではなく,自分の利害のためのだけの狭い了見でもって,政治屋としての自己満足を満たし,首相であった立場を維持するために,なんどでも繰り返し悪用してきた。
結局,拉致された被害者たちの家族たちは,安倍晋三の個人的な利害のために利用されてきた。だから(けれども),いまだにこの問題は解決できるという展望がまったくのぞめないでいる。
2021年12月18日の各紙夕刊には「拉致被害者の1人,田口八重子の兄,飯塚繁雄が死去した」というニュースが出ていた。それよりさらに6日前,12月12日の各紙朝刊には先に,飯塚繁雄(下の写真では安倍晋三のとなりで書類をもつ人)が「拉致被害者家族会代表」を退任したというニュースも出ていた。
※-5 ここから以下の議論のための前置きとして論及
a) 小泉純一郎首相は2002年9月17日,電撃的に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問し,金 正日国防委員長と初の日朝首脳会談を実現し,日朝平壌宣言に調印した。
この訪問で金 正日は北朝鮮による日本人拉致を公式に認め,拉致被害者のうち5名を日本に一時帰国させることを承認した。しかし,残りの拉致被害者のうち8名が死亡・1名が行方不明とする北朝鮮の回答に対し,拉致被害者家族は怒りを隠さず,交渉を終え帰国した小泉を面罵する場面もあった。
その小泉純一郎の北朝鮮訪問のさい,随行した政府側の1人として当時官房副長官であった安倍晋三がいた。これ以降,安倍は拉致問題との因縁をもちはじめ,とくに2012年12月26日に自身の第2次政権が発足すると,なにかにつけては拉致問題を高くかかげることで,国民たちが政権を支持するようにしむけるための具材に活用してきた。
だが,その後において7年と8カ月もの長期間,その第2次政権が維持されてきたにもかかわらず,北朝鮮との国交確立はおろか,拉致問題の進展そのものがまったくなされなかった。しかし,安倍晋三がこの拉致問題を自政権の基盤固めに利用する点だけは,しっかりとテイネイに努力がなされてきた。
要は,2020年9月26日に安倍晋三が「仮病を理由」(診断書の提出なし)に退陣するまで,アベ自身が主観的にはもっとも努力を傾注したはずである「北朝鮮の拉致問題」が,いかほど解決に向けての具体的な成果を挙げえていたかとみるに,これがさっぱりダメであった。
それどころか,北朝鮮との交渉じたいがウマくできず,まるでつぶすためにアベ政権が存在していたという評価しか与えられなかった。
b) 前段で表紙とカバ-のみ紹介してあったが,和田和樹『安倍首相は拉致問題を解決できない』青灯社,2018年11月という本は,「安倍晋三による対・北朝鮮外交」のカラッポさ加減を痛烈に批判した著作である。
和田の同書については,本ブログ筆者なりに詳細に紹介したいところだが,アマゾンのブックレビューに投稿されている2文が,本書の概要に関した要旨を上手に述べているので,これを引用しておく。
(なお, a) b) の連番は次段からいった止まるが,しばらくののち後段で c) へと復活する)
1) 「古本虫がさまよう」「5つ星のうち 3.0 」「ネバーセイ,ネバーの原則」を和田氏は失念した?」2019年3月4日
和田春樹氏の『安倍首相は拉致問題を解決できない』 青灯社を読んだ。(こんな内容)→安倍政権のアキレス腱,拉致問題。安倍政権はいかにして,制裁を強化すれば北朝鮮が崩壊するという,佐藤勝巳氏ら救う会全国協議会に支配されるようになったのか。
「拉致問題は日本の最重要課題」「拉致問題の解決なしには国交正常化はない」「致被害者の全員生存・全員帰国」をかかげ,硬直する『安倍三原則』。これに固執しつづけるかぎり,金 正恩委員長と会談は不可能……。
まぁ,横田めぐみさんは拉致されていないと『世界』で〔和田和樹が〕書いたことへの反省は本書にもなし。北朝鮮宥和論の典型的人物が,こういうタイトルの本を出しても,なんの説得力も感得できない。
和田春樹氏は,『世界』2001年1月号&2月号で, 「『日本人拉致疑惑』を検証する」という論文を書いていた。
横田めぐみさんの拉致に関する,さまざまな証言について,多くの疑問点があるとして, 「横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである。そういう情報が韓国情報機関から流されているのなら,拉致されたかもしれないという疑惑が生じうる」という以上の主張は導き出せないと思われる。
横田さんのご両親にはまことにお気の毒だが,それ以上の確たる材料は与えられていないのである」と指摘していた御仁が,この本では,さすがに,横田めぐみさんは拉致されたことは認識するようになっているが,彼女が生きているという「証言」を否定するのに躍起となっている。
補注)このレビューの文章は前後で一貫していない。この点は,つぎにとりあげるレビューを書いた人が同じ点について,どのように理解し,表現しているかを比較して読めば,気づけるはずである。
そして,一貫して拉致問題を取り上げ,真犯人(北朝鮮)を追及していた佐藤勝巳氏や西岡 力氏への非難を繰り返している。一方,田中 均氏を称賛している。しかし,彼は,小泉訪朝前の日朝交渉での2回分の外交交渉記録を外務省に残していないということで,国会でも追及されたことがある。これは「外交官失格」というしかないチョンボだろう。そういう人を称賛するのはいささかおかしいというしかあるまい。
補注)上の段落のおける田中 均に対する非難は十全に妥当する指摘にはなっていない。なぜなら,問題はもともと,田中1人だけで完結しうるごとき問題ではなかったからである。田中の貢献は大であったが,国家の官僚である立場から仕事に従事していたゆえ,その点からの評価が必要である
この本を読むのなら,彼が批判している西岡 力氏の『歴史を捏造する反日国家・韓国』 ワックも手にするといいだろう。書名からするとメインは韓国だが,拉致問題に関しての一章もある。
ベトナムでの2回目の米朝会談で,アメリカを騙せると思った金 正恩だったが,アメリカの「西岡 力」さんこと,ボルトンの前に失敗。となると,今後は,拉致問題について,前向きな対応をして,トランプと仲が比較的良好な日本側,安倍首相の心証をよくしないといけないということで,日朝首脳会談が実現する可能性も出てきたといえるだろう。
そうなると,「安倍首相は拉致問題を解決した(解決に向けて一歩前進した)」といえる状況も生まれるかもしれない。「ネバーセイネバーの原則」を和田氏は失念したといわれるかもしれない。(引用終わり)
補注)なお,この Never say never(ネバー・セイ・ネバー)とは,英語のいいまわしである。意味は「けっして・・・ない」の Never を重ねた表現で,直訳すると「できないなんていわない」「できないなんていうな」となる。意味としては「可能性はまだある」「けっししてあきらめるな」などといった,励ましに使われる言葉である。(引用終わり)
Never say never の意味のことばはそうだとしても,以上に記述されていた文意には分かりにくい点がある。この点はともかく,和田和樹を嫌った感情的な論旨がうかがえる。このあたりにただよう無条件的な「 ☓ ☓ 嫌いの感情」が伏線になっていた文章ゆえ,それなり受けとめて解釈しておく余地がある。
とはいえ,安倍晋三政権の時期がすでに終わってから3年近くが経過しつつある現在となれば,そのネバー・セイ・ネバーの観点が,むしろこのアベ政権によってこそ完全に断たれていた事実は,よりいっそう鮮明になった。それゆえ,和田春樹の立場を否定的にみたがるこの 1) に紹介した意見は,北朝鮮に対する歴史観および国家論において,自分の知見が狭隘に陥っている点を自覚できていない。
2) 「ハンカン」「5つ星のうち 5.0」「安倍首相がいかに『やってる感』の政治家かがわかる」2019年7月1日。
拉致問題の全体像と安倍政治の閉塞性・人気取り主義がよく描かれている本だ。政治家・安倍は,拉致問題で頭角をあらわし,売り物にし,被害者家族からも大いに期待されて首相にまで上りつめたのはよくしられている。
しかし,この17年間,拉致問題は1ミリも進展していない。この事実をもって,政治家・安倍の評価は決定的といっていいだろう。要するに,いかに信用ならないか,いいかげんか,ということだ。被害者家族に気をもたせ,結果として騙したといわれてもしかたがないだろう。
その間,ブレーンの佐藤勝己氏に指南され,制裁一辺倒で北朝鮮崩壊を目ざしたと思われるが,簡単に崩壊するはずもなく,まったく拉致交渉が進まなかった。その後のストックホルム合意では,北朝鮮の拉致被害者に対する調査報告を受けとらなかったといわれている。死亡者多数の報告書を受けとったら,みずからの支持率ががた落ちになるのは分かりきっているからだ。
補注)佐藤勝巳という人物が安倍晋三のブレーンに本当に着いていたとしたら,北朝鮮問題が解決するどころか破壊一途しかありえなかったはずである。この佐藤という人物の奇怪さ,いいかえれば,非常に身勝手で中途半端であった「対・北朝鮮」思想は,ウィキペディアにはこう書かれている。
新潟県出身。元日本共産党員。旧制中学を卒業後,新潟県立巻高等学校を中退し,川崎汽船に勤務するが,1950年,労働組合専従だったためにレッドパージを受け失職。
在日朝鮮人の帰還事業に参加し,北朝鮮から2度にわたり(1962年11月10日,1964年9月23日),勲章(「朝鮮民主主義人民共和国赤十字栄誉徽章」)を授与される。在日韓国・朝鮮人差別反対運動にもかかわった。
〔しかし〕その後,北朝鮮の実態に失望し,日本共産党を脱党,反北朝鮮的立場へと転向した。北朝鮮に拉致された日本人の救出運動に乗り出したが,一方でみずからが北朝鮮へ送り出した人びとの支援救出運動にはかかわらなかった。
本ブログ筆者は,この佐藤勝巳の自己チュウ的に凝り固まった「在日論」に関しては疑問を呈した文章を書いたことがあるが,返答などはいっさいもらえていない。それはそうであった。彼の主張に対してはグウの根も出ない点,すなわち,その言動の全般にかかわってとなるが,「みずからが北朝鮮へ送り出した人びとの支援救出運動にはかかわらなかった」点に「共通する特定の問題」を指摘,批判していたからである。
誰でも「自分にはとても甘い割りには,他者にきびしく当たるモノである」が,この佐藤勝巳はとくに,その傾向が目立っていた。拉致関係の「ナントカ会」をめぐっては,別に,金銭をめぐる不明な点に佐藤勝巳はかかわっていた疑いも残されていたが,ろくに解明されないうちに佐藤は他界した。
〔ここで,記事:レビューに戻る→〕 そしていま,交渉のきっかけすらつかめず,トランプに仲介を依頼している始末だ。安倍首相の政策はすべて,国内向けの人気取り,支持率上昇のために使われているようだ。
北朝鮮に問題があるのはいうまでもないが,安倍首相も国内向けパフォーマンス第一でかなり問題だ。本書は,こうしたことを示唆してくれる貴重な検証である。
これからトランプ〔当時〕の仲介でなにか期待できるか。安倍首相の態度ははっきりしているだろう。都合の悪い事実が明らかにされたら,それを拒否すること。もし受け入れたら,支持率低下で命とりになってしまう。そして,北朝鮮を非難しつづけることだろう。
北朝鮮の報告をもとに交渉することができなければ,北朝鮮とはいつまでも敵対関係がつづき,日本の安全保障が脅かされる。
なお,著者の和田春樹氏が,横田めぐみさんの拉致を最初,肯定しなかったのは,事実の確実な裏づけがなかったからで,歴史学者としては納得できる。韓国情報部関係の報告には,デマ情報がいくらでも混じっているからである。(引用終わり)
c) 北朝鮮による日本人拉致問題を「政治・政治屋として自分の利害のために利用ばかりしてきた」安倍晋三は,この問題解決のための努力を傾注してきたのではなく,自分の政権の維持に役立たせるために悪用してきた。それだけのことであった。
だから,その問題が「解決できるわけ」など初めからありえなかったし,またいえば「解決できなくてもかまわなかった」。「欺す安倍晋三」がもっとも悪かったが,この小僧の政治屋3代目に欺されつづけてきた国民たちは,もしかするとその以上に,自分たちが愚かだった点を反省しておく余地もある。
前段に登場させてみた外務省元事務次官田中 均は,「安倍総理は,自分の政権の間に解決するといって,もう5年が経っています。それは戦略の欠如だといわれてもしょうがないと思いますね」と批判していた。この記述は,李 鐘元・木宮正史編『朝鮮半島 危機から対話へ-変動する東アジアの地政図』岩波書店,2018年10月,136頁からの引用である。
その5年間(安倍晋三が首相を辞める時まで伸ばし,計算に入れるとその6年間),この元首相は「対・北朝鮮外交」に関して,具体的な成果を挙げられるどころか,ひたすら膠着させつづけてきた。そてい結局は,その交渉を打開するための「外交努力」すら破壊してきた。そして,いまの岸田文雄政権に対しては,北朝鮮との外交展開につながる糸口を探るための可能性すら残さなかった。
安倍晋三は本当は,拉致被害者やこの家族たちのことなど,政治家として立場から親身になって考えたことはなかった。アベの第2次政権「7年と8カ月」を回想してみれば,彼のそうした以降は,結果面からもより明確に認識できるはずである。
※-6 関連する各ブログに登場した記述など
「岸田 福島で第一声,安倍も福島を利用し,拉致家族利用し,野党ディスリ 」『まるこ姫の独り言』2021.10.16,http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2021/10/post-5c4e03.html から
a)「2017年衆議院選挙時の安倍首相」で「福島で第一声」が「笑っちゃうくらい,自分たち自民党のことをいっている」。2017年と今〔2021〕年が被る。2017年野党を誹謗中傷していたのだろうが,私は安倍政権になってからまともな国会対応をしてきたとは思っていない。
安倍が「審議をまったくしない政党」というくだりは,自民党が強行採決したり,理不尽な国会対応が目に余ったり,腹に据えかねた野党が一時審議を拒否したことを受けて,いかにも野党が審議を怠けているかのようにイメージ操作をしての演説だと思う。
政策は富裕層や大企業に有利になるようなことばかりやる政党が,野党ディスリにかけては,どれだけ悪知恵が働くんだろう。普通は,自分たちの国会運営の姿勢を反省して大人しくしているものだが,わざわざ野党の負のイメージを捏造してまで語るのは「安倍政権以降の自民党の伝統芸」だ。
b) 業者の野党ディスリに自民党が関係していた「Dappi」問題と重なる。総理自ら捏造を主導してきた政党は,政策より野党ディスリが主流。そして岸田も選挙時の恒例は,福島で第一声。
そういえば,反知性のアベスガより,少しは知性があるのかと思った岸田も安倍の薫陶を受けたのか,衆議院代表質問で民主党政権をディする。野党ディスリしか政権与党の売りがないなんて恥ずべきことだ。
(中略)
2017年の前回衆院選でも,当時の安倍晋三首相が福島市で第一声を上げた。日ごろ,福島には関心を示さないのに五輪に利用し,選挙に利用し」て,「震災復興に全力で取り組む政権の姿勢をアピール」。
いつもやった振り,やった感だけの政党だから,震災復興はいつまでも利用するし,いいづらいことだが,自民党は解決しないほうが利用できると思っていないか?。
c) 拉致問題をみていたらよく分かる。小泉が拉致被害者を帰国させてからもう17年も経つそうだ。17年間が経っても誰1人帰国できなかった。
岸田は,いち早く拉致被害者の家族に面会をしたし,そのうちに「米大統領と面会したら被害者を帰国させるように金ジョンウンにいってくれとお願いする」といい出すだろうし,「総理の私が金 正恩氏と向き合わなければならない」もいい出す。
これが自民党のやった振りのテンプレートだ。17年も被害者が帰国できなくても,拉致家族は「自民党しか解決できない」といいつづけるのだろうか。(引用終わり)
以上の『まるこ姫の独り言』は,安倍晋三流に「拉致問題だけを標的にして」攻撃することに熱心な「北朝鮮外交」,つまり「対北朝鮮に対しては圧力一辺倒の安倍政権の立場」は,初めから外交の初歩すら踏まえていない「アベ流に拙速で幼稚な手法」でしかありえなかった事実を,ここで再度指摘していた。
安倍晋三が2020年9月26日,首相の座をほっぽり投げるまで,この国の為政というものは,内政も外交もともにメチャクチャにされてきた。国内向けのアベノミクスはウソだらけであったし,海外用のアベノポリティクスは連戦連敗,海外に対して恥をさらしつづけただけでなく,しかも「ネギ鴨」外交だったわけだから,国の内外において評判になった「日本国総理大臣の無様な姿」は,ただただ国恥・国辱ものにしか映らなかった。いずれにせよ,どうもみても,無惨な結末になっていた。
さて,つぎに紹介するのは,日本共産党が発行する『しんぶん赤旗』が2018年5月当時,安倍晋三を批判していた記事である。この記事は,外交のあり方として共産党のイデオロギーがどうのこうのという以前に,「外交の基本」にかかわる政治作法を政治家は尊重していなければならないと,まっとうに意見していた。
しょせん,「初老の小学生・ペテン総理」(ブログ『くろねこの短語』命名)あるいは「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」でしかなかった「世襲政治屋:安倍晋三」であった。政治家として従事しなければならない「まともな内政や外交」が,まともに務まるわけがなかった。
しかも,そうこうしているうちに,この日本は「先進国の仲間」からは「落ちこぼれた一国」になっていた。現に「衰退途上国」などまでヤユ的に呼称される始末になってもいた。
そのような「日本国に対する形容(いまはもう後進国なのか!?)」が定着しつつある「この現状」は,実は,安倍晋三が2012年12月26日に第2次政権を発足させてからというもの,間違いなく徐々に準備されていた。
つぎに,その『しんぶん赤旗』の記事を引用する。
「〈対北朝鮮〉圧力一辺倒の安倍政権の立場,『中韓との落差際立つ』 日中韓首脳会談 志位委員長が指摘」『しんぶん赤旗』2018年5月11日,https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-05-11/2018051101_02_1.html
日本共産党の志位和夫委員長は〔2018年5月〕10日,国会内で記者会見し,9日の日中韓,日中,日韓の一連の首脳会談で安倍晋三首相が「最大限の圧力をかける」との主張を繰り返したことを示し,「安倍政権と韓国,中国両政府との立場のいちじるしい落差が鮮明になった」と指摘しました。
志位氏は,同日の中韓首脳会談で中国の李 克強首相と韓国の文 在寅(ムン・ジェイン)大統領が,「北朝鮮に対して一方的に要求するのではなく,北朝鮮が完全な非核化を実行する場合,体制保証と経済開発支援などの明るい未来を保証するうえで,米国を含む国際社会が積極的に参加すべきだということで意見をともにした」(青瓦台=韓国大統領府の報道発表)ことに言及。「こうした立場が当たりまえであり,安倍首相のいう『最大限の圧力をかける』の一点では,交渉にならない」と批判しました。
そのうえで,「非核化と平和体制の構築を一体に進めることが大事だというのが(中韓首脳の)表明だが,これは私たち日本共産党が4月初めに(6カ国協議当事国の)各国に対し『非核化と平和体制構築を一体的,段階的に進めてほしい』と要請してきた方向だ」と強調。「やはり,この方向が事態打開と今後の米朝会談の成功のうえでも一番の鍵をなすところだ。その点で,中韓首脳会談で共有された方向が道理のある方向だと思う」と述べました。
志位氏は,安倍首相の立場は,「ともかく『非核化』と『圧力を最大限に』というきわめて特異な立場で,この一点張りだ」と指摘。「安倍首相のような立場に固執していくと,今後の事態打開の上で日本が足を引っ張るだけになるということを率直に指摘しておきたい」と強調しました。(引用終わり)
要は,外交問題だけでなく内政問題のすべての領域においても,「▲カのひとつ覚え」的な,それも劣等生の書いた答案並み(白紙でなかっただけにかえってタチが悪かったが)の采配ぶりをもってしては,まともな成果を期待すべくもなかった。
最近〔⇒2021年12月時点になっての話〕,暴露された国家統計(GDP)の「書き換え⇒改竄」問題は,8年も前の2013年から始まっていたが,この年はアベの第2次政権が本格的に始動しだした年次であった。ウソはドロボウの始まりというが,だいぶ以前から「安倍晋三はウソの始まり」と決めつけられるほど,そのウソの多さは「スゴい日本」的な中身にまでなっていた。
国家の基幹を計数的(社会科学的・経済科学的含意もこめて)に表現されるべきGDP(国内総生産)の統計が平然と改竄されるようでは,国家そのものの運営の基盤をまともに議論し,そのなにかに対する用意(政策)ができるはずがない。
羅針盤の目盛りを狂わしたうえで操作したら,国家の運営方針は迷走させられ脱線する危険性まで生じかねない。この国の最高指揮官安倍晋三は,北朝鮮による日本人拉致問題に関する外交においても,終始,まったく「工夫のない,つまり戦略も戦術もなにもない」まま,ひたすら「単細胞的な決まり文句」⇒「圧力を最大限に」で貫いてきたのだから,かの国の最高指導者同志にはまともに相手にされなかった。
だが,その結果はなにも出せなかったどころか,彼以前においてならば,それでも日本側なりに努力してきたはずのささやかな外交上の蓄積さえ,そのすべてを無に帰させた。
さらに付言すると前段でも若干触れたが,ロシアのプーチンを相手にした外交ではさんざんの負け戦,「北方領土」という用語をみずから禁句にした。この負の成果は,ほとんど「◉ホの世界」での出来事になっていた。角度を変えていえば「国賊的な屈辱外交」を成就(!)させた。
なお,2021年12月19日の『読売新聞 オンライン』の報道には「工作船20年 甲板に響いた 北の銃声…海保『風化させず 安全守る』」(2021/12/19 05:00, https://www.yomiuri.co.jp/national/20211219-OYT1T50027/ )という見出しの記事が出ていた。
その記事は,海上保安庁レベルの問題として強調しつつ,「国民の目線」を北朝鮮に向けさせる読売新聞社の視座は,いまどきとしては狭隘に過ぎる。政権迎合をモットーとする新聞社立場・イデオロギーならば,まさに面目躍如であったが。
要するに,「安倍政権の対北朝鮮交渉,戦略あったのか 乏しい柔軟性」注記)の結末だけが,長い時間をかけてきた割に,ただ無残なかたちで残されていた。
注記)asahi.com 2021年7月11日 7時00分, https://digital.asahi.com/articles/ASP726VHSP6LUTFK022.html
上のこの「注記」の記事本文は冒頭で,以下のように解説していた。
「7年8カ月間にわたって政権を運営し続けた安倍政権とはどのようなものだったのか。そして,日本に残したものとは」と問われての答えである。
安倍晋三首相は,北朝鮮による日本人拉致問題を衆院選の争点にするなど,北朝鮮問題を政治家としての原動力にしてきました。
国内世論向けに「強いリーダーシップ」を示す狙いだったのでしょうが,対北朝鮮交渉という観点では意味があったとは思えません。
つまるところ安倍晋三は,まわりから観てそれほど「意味があったとは思え」ない,むしろ害悪しかもちこめなかった「対・北朝鮮外交」をおこなってきた。その意味でなんとも空しいかぎりの「アベによる政治」が,日本のアジア外交史における1悪例として在庫された。
それにしても,その安倍晋三なりに「外交に関してはその際限のなかったお粗末さかげん」だけは,最大限にまで膨張していったとなれば,その圧にに負けて当人が自爆しなかった点だけは,「せめてもの幸い」であったと受けとめておく。無謀と鈍感とが同居……。
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