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首相のとき安倍晋三は九段北の「戦争神社」に参拝したが,はたして靖国神社の本質理解は絶無だった

 ※-1 日本の首相が靖国神社に参拝する意味など

 この記述が論じる話題は,いまではすでに故人になっているが,あの「亡国かつ売国の,そして国辱かつ国恥以外の何者でもなかった」安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」が,自身の第2次政権を発足させてから間もなく,靖国神社に参拝した記録(事実)をめぐり以下に討究することにしたい。

 補注)安倍晋三がこの国を首相であった時期,とくに2020東京オリンピックの誘致問題にかかわってだが,またもや新しい疑惑が浮上した。『文春オンライン』の最新記事がそれを報じていた。この話題は安倍晋三の総指揮下で起きていた疑惑であって,いまごろになって,この馳 浩がうっかり口を滑らせて自白した関連の問題である。

 
 さて,安倍晋三のその第2次政権が成立した日付は,2012年12月26日であったが,その後から今日(2023年11月22日)まで経過してきたこの日本という国は,すっかり「それ,ダメ!」だらけの,経済3流かつ政治4流の中身しかみつからないような国にまで没落した。

 森嶋道夫『なぜ日本は没落するか』岩波書店,1999年は「2050年を見据えて書かれているが,驚くほど現在の日本の現実を予見している」と解説されていたが,今年は2023年になりその間の四半世紀分,つまり2050年までだと,まだその半分の時間しか経っていないのに,すでにこの国の凋落ぶりとみたら,それはもう目も当てられない諸相がめだつ実情になってしまった。

 安倍晋三の第2次政権がアホノミクス(アベノミクス)だとかアベノポリティックスだとかいったたぐいの「凶器」を振りまわし,それもいい気になって,この「裸の王様」であった「世襲3代目の政治屋」が日本を取りしきってきたつもりだったけれども,その結末は『現にご覧のとおりの惨状』になった。「美しい国へ」と滑落してきたそのつもりが,こうであったからには,一般庶民側の生活の状況ときたら,もうたまらないほど苦境。

 つまり,この惨状を称して,人いわく「衰退途上国」と。

 経済学者野口悠紀雄は,この2023年9月13日に『プア・ジャパン 気がつけば「貧困大国」』朝日新聞出版を公刊したのにつづけて,11月7日には『どうすれば日本経済は復活できるのか 』SBクリエイティブも公刊していた。

 野口悠紀雄のその『どうすれば日本経済は復活できるのか 』という最新作は,こういう意図で執筆されたとして,つぎのような解説が付されていた。この解説の文句をバラバラにしたうえで,さらに適当につなげてその趣旨の説明にしておきたい。

 「日本経済はデジタル化で復活させるしかない!」

 なんといっても,「日本経済が危ない」事実は「物価高騰は止まらないのに,賃金は上がらない」し,そもそも「超高齢社会で労働力の低下は止まらない」なかで,

 「1人当たりGDPがG7トップから最下位へ転落」した「 etc. 」というしだいで,はたして「日本はこのままで大丈夫なのか。危機的な状況にある日本経済への処方箋を提言する」

野口悠紀雄の見解

 2010年代はいまから回顧するまでもなく,非常に重要な時期でもあった。1990年前後には崩壊した日本経済のバブル的繁盛は,その後にあって「失われた10年」という変転ぶりを記録してきたが,安倍晋三の第2次政権はアホノミクスならびにアベノポリティックスによって,この国の政治・経済をグダグダのヘトヘトに疲弊させ,回復不能な水準にまでその力量を落とさせてきた。

 「世襲3代目の政治屋」が安倍晋三がおこないえた為政は,私物化(死物化)の一途あるのみで,経世済民の方途とはまるで無関係以前に逆方向に迷走するだけの采配しか執りえなかった。

 しょせん,世襲である点にしか政治家(政治屋?)であるよりどころがなかった,この「ぼくチン宰相」のやること・なすことのすべてが,「国民・国家」のためというよりは,「世襲3代目の政治屋」個人のみみっちい欲望,いいかえれば「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の死物(私権)化政治にしか道筋をつけられなかった。

 本ブログ内ではすでになんどが紹介したつぎの表をここでもかかげておきたい。安倍晋三以前,日本の政治は2流だ3流だと思われていたが,この人が首相になってからというもの,それは4流以下にまで沈下を余儀なくされた。

この国の民主主義体制を崩落させた国家統計の改竄にまで手を着けた
「功と罪」なのではなくて「罪と罰」に一覧
自分自身をアンダーコントロールできていなかった「子どもの総理大臣」であった
2022年7月8日に「統一教会・宗教2世」の山上徹也に狙撃され死亡したあとに
あらためて暴露された安倍晋三的ワールド
安倍晋三君は韓国・朝鮮が嫌いかと思ったら
あにはからんやオジイチャンのころから大の仲良しであった

文鮮明いわく
韓国はアダム日本はエバだ
そういう意味で日韓間には親密性ありだった
これにくわえて
2020東京オリンピック誘致と
コロナ対策失敗は失政に相当した
岸田文雄もこの延長線上にいるではないか
いまやなにをやっても駄目な自民党政権

 以上のごとき前口上を踏まえたつもりで,さて,以下につづく記述は実は2014年1月15日に一度公表していたが,その後未公開状態になっていたものを,本日復活させた。今回もこの改訂なりに補説をくわえている。

 以下の記述は,靖国神社に参拝したがる政治家たちは,はたしてこの戦争神社(現在は敗戦神社だが)の歴史的な本質を,まったくといっていいくらいに無知なまま,お国のために命を捧げた「英霊」を慰霊するために参拝したと,それも「◉ ◉ のひとつ覚え」のようにいつも説明する。

 しかし,そうしたワンパターンの靖国神社「感」は,本当のところ,この靖国神社の歴史的な淵源や今日的な国家神道上の基本的役目に,しかも完全に無識なままに披露されてきた。その点を放置しておいては,日本の首相たちがとくに自民党系の総理大臣が靖国神社に参拝にいく事例が発生するたびに,なぜか日本国内だけでなく,海外の諸国でも問題にされる事情をまともに詮索することはできない。

 問題が深刻にもなる一因には,靖国神社に参拝にいく場合,とくに首相になってからだが,そういった宗教行為を「首相の立場」から公式にすると表明したうえで,元国営であった「特定の神道神社のひとつである靖国神社」に参拝するという形式をとることが,まさしく政教分離のあり方に根本からかかわる問題にならざるをえない事実に,無知かつ無頓着であった「彼ら:首相たち」の立場そのものが,まず神国な問題点として指摘される。

 

 ※-2 投書欄に観る靖国神社参拝問題の本質

    ◎ そもも安倍晋三は,なにをしに,                       九段北の戦争神社に願掛けにいったのか? ◎

    ▲ 靖国神社の歴史も本質もしらないで,                      意地を張って,参拝する愚の愚

 1)靖国神社に参拝したら「尊い生命を国に捧げた〈英霊〉」が浮かばれるとでも,本当に信じていたのか?

 戦争のために喜んで死んだ人間もいたかもしれない。だが,昔の時代がそう観念させられていたに過ぎないのである。

 敗戦した大日本帝国の臣民たちは,昭和20年8月15日以降,とくに肉親を兵隊にとられた家族たちは,自分たちの大事な息子や夫,兄やおじさんたちが,無事に復員してくることを,毎日待ち焦がれていた。

SP盤とは1分間に78回転するレコード

 『岸壁の母』(藤田まさと作詞・平川浪竜作曲・室町京之介台詞)が,昭和29〔1954〕年9月,テイチクレコードから発売され,菊池章子が吹きこんだこのレコードが大流行し,100万枚以上売れたという。歌詞を紹介する。

  母は来ました 今日も来た
    この岸壁に 今日も来た
  とどかぬ願いと 知りながら
    もしやもしやに もしやもしやに
  ひかされて

  呼んで下さい おがみます
    あゝおっ母さん よく来たと
  海山千里と 云うけれど
    何で遠かろ 何で遠かろ
  母と子に

  悲願十年 この祈り
    神様だけが 知っている
  流れる雲より 風よりも
    つらいさだめの つらいさだめの
  杖ひとつ  

『岸壁の母』歌詞

 日本帝国が敗戦が決まったときから,北では,ソ連に強制収容された日本軍の将兵や民間人,そして中国・台湾や東南アジア諸国から南太平洋諸島などにおいて収容された日本軍将兵・軍属などは,早ければ2~3年のうちには大部分が日本に帰国(復員)できた。

 しかし,ソ連に強制的に収容された人びとのうち,とくに目を付けられた高級将校や旧「満洲国」の高官の場合は,10年以上も抑留されることになった者もいた。

フィリピンにおける犠牲者の多さに注目

 日本帝国の将兵だけでも約210万人が死んだ戦争である。「生きて虜囚の辱めを受けず」という『戦陣訓』(昭和16〔1941〕年1月8日,陸軍大臣東條英機が示達した訓令)の一節が有名だったように,すでに死んでしまっていて,日本には帰ってこれない将兵が大勢いた。

 いつまで「待っても,待っても」家に戻らない家族(息子・父・夫・おじたち)を,肉親たちはどんな思いを寄せていたか? 死んだということで,「靖国神社」に合祀され《英霊》になって,天皇の親裁で祭られるよりも,生きた肉体そのものをもって彼らが家に帰ってくれていたほうが,数百倍・数千倍・数万倍もうれしいに決まっていた。

 ましてや,靖国神社は,戦争のために,この戦争に勝つために「死んだらよいぞ,そしたら〈英霊〉に祭ってやるからな,安心して・覚悟して戦争にいってこい,手柄を挙げてこい」と,当時,昭和天皇があいだに入って約束させられていたはずの『国家神道式の宗教施設』であった。

 ところが,8月15日まで,臣民たちの生命を預かったうえで,そう命じていた「神聖なる天皇制」国家日本は,もののみごとに瓦解した。「神国日本が敗戦した」のであり,神州日本の国土には原発まで2発投下され,この国の臣民たちはさんざんな目に遭わされた。

 「死んで花実が咲くものか」「生命あってのものだね」という,きわめてまともな道理に優る理屈が,人の命にかかわっていえば,この世の中にあるわけがない。『岸壁の母』という歌は,昭和29年の時点ではやった歌であった。

 けれども実は,敗戦後においてはすでに,帰国できた男たちはそのほとんどが日本に戻ったあとにヒットしたのが,この歌である。つまり,そのころになっても,おそらく戦場で死んでしまっているから,いまもなお「待っても,待っても,帰って来ない息子」を待ち続ける母の〈はかない期待〉を,歌っていたのである。

 2)『朝日新聞』2014年1月12日,朝刊の投書「声」欄に登場したのはある高齢者であった

 「〈声〉戦争知らぬ若者に教えるべきは」2014年1月12日,守谷通文,無職,埼玉県 62歳が,こう語っていた。

 本紙の調査によると,若い世代ほど国際社会が批判する首相の靖国神社参拝に寛容だそうだ。当然である。彼らは「戦争をしらない子どもたち」にさせられてきたのだ。時が経ち,若い世代の成育環境から戦争体験が消え去ろうとしている。義務教育では,明治から終戦までの他民族を抑圧した実相や,第2次世界大戦の戦後処理の原則などは事実上,素通りで来た。

 だから,鉄道爆破を日本軍がでっち上げて戦争拡大に進んだこと,ポツダム宣言に「日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力は永久に除去せられざるべからず」と記されていること,日本国が「極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」という条項も含むサンフランシスコ講和条約を締結したことなどを知る者は少数派であろう。

 靖国神社はこれらの事実や原則に反して他民族に仕掛けた戦争を肯定し,戦争指導者も祀る宗教法人だ。信教の自由は当然でも政府要人が平和を祈る対象にはなりえない。国際社会で生き抜くには自国に関わる正しい歴史認識は不可欠だ。調査結果はその重要性を日本社会に教えている。

投書

 戦争の記憶が遠ざかる,忘れられていくのは仕方ないことだという人には,それでは,自然災害の津波についてはどう思うか? 戦争は人間の起こす大事件である。人間が起こすならばこれを止めることも防ぐこともできなくはない。自然災害の場合は,ふだんから非常時のための訓練や防備をしておけば,被害は最小限に食いとめることができる。自然災害,戦争の惨禍のいずれも発生しないように,事前に備えることは可能である。

 2)『はだしのゲン』(漫画)が,自民党政権にとってひどく気になる「作品」だということは,戦争の悲惨をしったうえでこれを隠そうとする魂胆がであったゆえ。

 最近,こういうニュースが流れていた。「反戦を訴える漫画『はだしのゲン』を,公立学校から撤去すべきかどうかが話し合われた〔2014年1月〕9日の都教育委員会の審議。図書館の本を選ぶ権限は校長にあると認めながら,あくまで教委が校長を指導するとの原則を強調する結論だった。『愛国心』をかかげる教委と事務局側の見識と姿勢が透けてみえた」。

 註記)『朝日新聞』http://digital.asahi.com/articles/ASG195J99G19UTIL031.html?iref=comkiji_redirect

 つぎの画像資料は,『はだしのゲン』マンガ画像実例。 

旧日本軍の残虐

 出所)この画像はここでは,「松江市教委: 『はだしのゲン』を松江市内小中学校図書館で自由に読めるように戻して。 /Change.org署名」『薔薇、または陽だまりの猫』2013-08-17 21:37:02,https://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/731a50ee0e52c9848c5ed5affed85cdd から借りた。
     
 補注)『はだしのゲン』を教育現場でどのようにあつかうかについて,これを削除せよ(隠したい,出すな)という動きが最近あからさまになり,つぎのNHKの報道の題名のような事態になっていた。「消えた」のではなく「消した」「消された」のであるが。


 明治以来の日本帝国をみるかぎり,富国強兵の国家路線を西欧の帝国主義に負けないように構築するだけでなく,この西欧諸国の驥尾に付して亜流帝国主義の道を歩んできた。

 この『大日本帝国』は,国家路線を進展させるためには「軍国主義」の立場・思想に反対する主義・主張に対して,極度に不寛容であった。明治天皇をはじめ,昭和天皇も代表格にして,皇族たちの男性は1945年8月以前まで全員が軍人であり,その模範的将校像をもたねばならなかった。天皇は大元帥であったから,日本では無条件に超一党にえらい御方であった。

 当時の安倍政権〔ここでは2014年1月15日時点でのこと〕が考えていたのは,外国(某国)が日本に勝手に侵略する事態に備えるというよりも,自国が外国に対して威嚇・示威できるような戦力をもちたいという欲求が基本にあって,そのためには,軍事面でいちいち平和主義の考えをもちこまれては困る,というような基本姿勢を堅く抱いていたということであった。

 憲法改正を第96条から手を付けて改正することを考えていた安倍は,これが困難とみたのち,特定秘密法をさきに制定させて,現憲法の骨抜きを実質的に図る方途を採っていた。

 ただし問題があった。彼流にいいたかったらしい点は,『美しい国へ』といったごとき〈曖昧な国家〉に関する定義をひけらかしたごとき政治姿勢でありながら,現実には少しも美しくなかったこの国の現状などには目を向けずに,ひたすら「強い国・逞しい国」に向かい,これを理想に求めるかのような政治姿勢を採っていた。

 もともとこの安倍晋三は,まともな政治家(実体は政治屋だが)として,自身の哲学・理念にもとづく政治の行動様式を残せた人物ではなかった。もっとも,この元首相に,いったいどのような具体的な国家理念があったのであり,どのような将来に向けてこの日本をもっていきたかったのかは,故人となった現在でも,いまだに不明瞭だとしかいいようがない。

 というよりは,安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」に確たる政治の信条・確信が具体的にあったようには全然映らない。また,現在(2023年11月22日)首相の地位にいる岸田文雄が,同じ「世襲3代目の政治屋」としてならば,登場した当初からこの人は「中身がカラッポ:空白だ」という印象しかもたせなかったが,案の定,その最初の感じ方が図星であった。

 さらにその間,首相の座をリレーしていた菅 義偉となると,ただの無識・無教養だった総理大臣という記憶しか残らない。大学で文系の学問は要らないみたいな「思いつき以前の発想」が,この菅首相の口のはしから吐き出されてきたとき,この国はアベノポリティックスによってすでに「学問の世界」にまで臨終を宣告させられる気分(悪寒)を覚えた。

 3)「〔2013年〕10月の生活保護216万4千人 過去最多を更新」-この現実も改善できないで,なんの『美しい国』か? 世襲3代目のボンボン政治家のいうことに説得力なし-

 こういうニュースが出ていた。「昨〔2013〕年10月に生活保護を受けていた人は216万4338人で,前月より4530人増え,過去最多を更新した。厚生労働省が8日,速報値を公表した。受給者数は,昨年3月に216万1053人となり,初めて216万人を突破。その後は215万人台で増減を繰り返したが,7カ月ぶりに最多を更新した。

 一方,〔2013年〕10月の受給世帯数は159万4729世帯で,過去最多だった前月を3818世帯上回り,増加しつづていた。世帯の内訳では,高齢者世帯が最も多く,45%を占める。同省保護課は「働ける世代ではほぼ横ばい状態だが,高齢者世帯の増加が顕著で,全体を押し上げている」とみている。

 註記)『朝日新聞』2014年1月8日10時55分,http://digital.asahi.com/articles/ASG176F93G17UTFL00F.html?iref=comkiji_redirect

 補注)なお生活保護受給世帯に関しては,2023年になるとつぎのよう変化していた。2023年1月4日に厚生労働省が公表した統計によれば,生活保護の被保護実人員は202万4195人(対前年同月0.7%減),被保護世帯は 164万4381世帯(同0.2%増)であった。

 その間,約10年が経過したが,日本の人口はその間に2百万人ほど減少していたから,上記に挙げた生活保護関係の数値は,なおいくらか辛めに考えておく余地があった。1人世帯の受給者が減らない事実がとくに観取できる。日本における生活保護の受給には非常にきびしい関門がある。

 以上,補注(2023年11月現在での)話は置き,安倍晋三の第2次政権の時期の話に戻ろう。  

 はて,アベノミクスはどうなっていたか? アベノミクスの効果が本当に挙がっていたのであれば,いくら高齢社会とはいえ,生活保護受給者のそれも世帯数が増加することなど,ありえないはずである。ところが,実際では以上のごとき真相のひとつが例示されていた。生活保護を受ける人がこれからも増えることは必至である。

 故・元安倍首相や自民党憲法草案は「日本は助け合う社会であらねばならない」といっているものの,安倍政権が標榜している「弱肉強食・自己責任・新自由主義」は,どこからもそんな雰囲気のかけらさえ感じとれない。

 また,菅 義偉が首相であったとき,「公助・共助・自助」の国民たちに対する支援順序を,うしろのほうから優先しろなどと,自身が苦労人だといわれている割には,ずいぶん冷酷な政治観を平然と口にする,これまた政治屋だと呆れたものである。

 もしも,「新自由主義」でもって「助け合う社会」を実現したいのであれば,一部の高所得層でほぼ独占している〈富〉を,その他大勢の低所得層に再配分するために,強力な経済政策を実行しつつ,配慮の効いた社会保障政策を同時に展開しなければ,単なる安倍流「口舌の議論」にしかならなかったわけで,アベノミクスの結末と来たら,まったくにそのとおりのお粗末になっていた。

 ともかくも,日本社会における貧困層は増大しており,ジニ係数もじわじわ上昇する傾向にあって,好転する動向はほとんどなかった。結局,国家も企業も誰も「助け合わない社会・格差拡大社会」だけが顕著である。

 現状では,アベノミクスの悪影響は円安の進行をもたらし続けており〔今日の市場開始以前の時点で,対ドル為替:104円台〕,専門家の意見によればスタグフレーション(景気沈滞下のインフレ進行,つまり,経済活動の不況と物価の持続的な上昇が共存する状態)という事態を迎える危険性まであると警告されている。

 補注)円ドル相場は本日,2023年11月になって150円台まで下がっており。前段の2014年1月当時の104円台という水準からほぼ半分相当の率で円安。

 前世紀1990年代半ばにようやく460万円ほどに達していた平均所得・年収が,その後から今世紀の2020年代でもなお450万円前後(未満)に留まっているごとき「一般庶民の経済的な立場」が,アベノミクス:アホノミクス的に形成された「弱り目に祟り目となった経済環境」のその後となって,持続させられているようでは,これはもうたまらない。

 話題を本論に戻す。

 4)「〈声〉公式参拝,慎重に対処すべきだ」『朝日新聞』2014年1月11日朝刊,鈴木義男,市遺族会会長,静岡県 76歳

 靖国神社参拝は,私たち遺族がおこなう場合はなんの問題もないわけですが,日本の首相が公式参拝するとなると,今回のように国際的に大きな反響を呼び起こします。

 中国や韓国のみならず,米国や欧州連合(EU)などをはじめ,国連からも懸念を示されることになり,まさに国際的に四面楚歌というような状況に置かれています。これでは我が国の国益を損なうこと限りなし,ということになってしまいます。

 私たち遺族会は今後も,戦争で亡くなった肉親が祀られている靖国神社に,戦没者に対する変わらぬ尊崇・追悼の念をこめて参拝することを続けます。しかし首相の公式参拝については,一般国民の心情や世界の人々の受け止め方をいま一度,考慮して慎重に対処すべきではないかと思います。

 我が国や世界の人心が変わり,首相が公式参拝しても問題はないようになるまで待つことになったとしても,私たち遺族としては,それもやむをえないことだと考えることはできると思います。

 経済的にも文化的にもグローバルな活動がおこなわれている現在,「日本は信頼できる国である」と世界の国々から評価されることが,もっとも大切なことではないかと思われます。
 

投書

 この意見は靖国神社が「戦争用の勝利のための神社」,それも国家機関であること,戦没者・戦争犠牲者を日本国内の次元であっても,より普遍性ある包括的な価値観をたずさえての慰霊施設であることとは無縁な,靖国神社の有用性を認める考えである。しかしそれでも,外国からの批判があるのだから「安倍さん,参拝はよしてください」と意見している。

 ところで,本ブログの筆者は,いつもいわせてもらっているが,靖国神社のやり方,その特有な国家神道的な疑似宗教観を,こう理解してもいる。

 靖国神社という宗教施設は,人間の生命を生きているときは二束三文にあつかっていながら,いざ死んだら〈英霊〉になれるのだとか,戦死したけれども〈尊い生命〉だったといいぬけ,まさしく「死人(死霊)を悪用する国家神道の嫌らしい姿勢」ばかりを,前面に出している。

 だから,本当に「人間の生命(!)を尊い」と思っているなどとは,とうていいえるわけもなかった。そうではなく,「死んだ人間の生命(?)」を国家に利用させるために「人間の死を尊い」などと,とんでもない関連付けのもとに,戦争犠牲者の命を逆用的に形容しているに過ぎない。 

 人間の歴史においては,戦争というものが絶えたことはない。敗戦後においては,平和憲法の日本だからといって,自力で敗戦以降の一国平和主義が確保・維持できてきたわけではない。ここでは,在日米軍基地の問題が日本の軍事問題として浮上してくることになる。

 5)「〈声〉アーリントン墓地を訪れて」『朝日新聞』2014年1月11日朝刊,大津卓也,無職,愛知県 76歳

 米国旅行のツアーに参加してアーリントン国立墓地を見学する機会をえた。この墓地には,国のために貢献した一定の基準を満たした人たちが埋葬されている。墓標には氏名と貢献の理由,死亡日などのほか,信仰していた宗教(無宗教の場合はその旨)が記されていた。それは,まさに宗教の自由,政教分離が貫かれた埋葬の仕方である。

 翻って日本では,安倍晋三首相の「国のために戦い,尊い命を犠牲にされた御英霊に対して,哀悼の誠を捧げるとともに,尊崇の念を表し,御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました」という靖国神社参拝後の談話について問題がないと思われがちだが,一宗教法人である靖国神社が独自の判断で埋葬とは違う合祀という形で祀っている御霊に,首相が参拝することは政教分離に違反する可能性がある。

 どんなに丁寧に説明されても理解できることではない。安倍首相はそのことをしりながら,特定秘密保護法を成立させ,集団的自衛権の行使容認をめざし,積極的平和主義というまやかしの言葉を使いながら,私たち国民を戦争へと巻きこんでいく状況を作り出しているとしか思えない。

投書

 この意見は,靖国神社が元国営神社であり,旧大日本帝国陸海軍の管轄である点の問題性,さらに神道式の慰霊の方法を採るという宗教の問題性などに,ひととおり触れている。明治時代における大日本帝国憲法は,国家のための神道は「無宗教(つまり道徳や倫理)」だといいぬけ,つまり「国家神道無宗教」説を披瀝し,宗教に関する定説としてはおよそ《筋もなにも通らないような粗雑な珍説》を国民に押しつけてきた。

 靖国神社はいまもその路線を継承している。しかも,敗戦によってひとつの民間神道神社(宗教法人)に基本の性格を変えさせられてからも,その神道無宗教説に乗った「国家護教的な公的神社」としての基本性格を,全面的に払拭する気などないどころか,これを故意に引きずりながら誇示してもいるような神社である。

この画像には修正ありなので注意

 靖国神社のその基本性格は,明治以来の日本帝国が侵略戦争を推進してきたなかで,不可避にこの帝国のために「生まれた〈死者〉」を合祀しておき,慰霊するのだという名目をかかげてきた。そして,さらに〈国民の戦意〉を維持・昂揚させるために,それも国家主義の全体目的のために役立ったと認めた死者だけを,しかもその無数をとりこむかたちを採って慰霊するという宗教儀式を採っていた

 この靖国神社のあり方は,21世紀のいまになっても,なにも変わっていない。敗戦後,一民間としての神道神社になったといっても,そもそも祭神としては「英霊」(戦争では英雄であったはずの霊魂)を,しかも無数に祀りあげている神社である。このことを止めようとしないかぎり,この神社の所有形態のいかんにかかわらず,「国家と戦争と勝利(!?)」という枠組を墨守している神社である

 靖国神社とアーリントン墓地のもっとも根本的な相違点は,前者が戦争によって発生する死者(の霊のみだが)の登場に「事前に備えた神社」であるから,九段下には墓場はない。これに対して,後者は戦争のために発生した死者を「事後に収容(納骨)する」ために慰霊施設である。両者の相違が明白である点,そしてのその意図がいかほどに異なるかという点も,おのずと鮮明であった。

 結果的な理屈でいえば,靖国神社もたしかに「国家が勝手におこなう戦争のために死んだ人びとを慰霊すること」に変わりはないものの,その「最初に設定されている動機」に関していえば,両者間には『〈決定的に異なる実体〉=歴史的な意味』がある。もちろん,ここで指摘している相違点は,相対的な差であり絶対的ではない要因でもあるが,基本においては決定的なものになっている。この事実に間違いはない。

 しかし,とくに「勝利神社としての慰霊感情を目的にしている」靖国神社の基本性格は,敗戦によってこの目的が完全に破綻したことによって,慰霊施設としてもつ世界の「類似〔とはいえない要素がこちらでは強いのだが〕的の慰霊墓地」としては,極度に「例外的であり異様な世界観・宗教の立場」に立ったものである。

 靖国神社を問題にする人びとは,まさにその点を指摘し批判するのだが,このような問題を投書から感知すらできない人びとにとってみれば,「そんなことは完全に無視して」おき,ともかく「英霊(死者の霊魂)に礼を尽くせ」というのである。

 それは「宗教問題としての靖国神社の本質面」を隠蔽する意図を意味した。ここに靖国の深刻な問題,いいかえれば,いつになっても「世界各国に通用しうるる慰霊施設の性格」をもちえないままである原因が露わになっていた。

 6)「〈声〉なぜ肩書つけて参拝するのか」『朝日新聞』2014年1月8日朝刊,笹森和美,パート,神奈川県 54歳

 安倍晋三首相は靖国神社参拝を問われて,「国のために戦い,尊い命を犠牲にされた御英霊に哀悼の誠を捧げるため」と述べた。では,空襲で死んでいった人たち,戦病死や餓死の人たち,そういう人たちに対してはどうなのだろうか。

 日本国憲法には政教分離の原則がある。国は特定の宗教団体に肩入れしてはならない。だから,首相は公的立場で参拝してはならないのだ。なぜ「内閣総理大臣」の肩書入りの供花をするのか,理解に苦しむ。
 首相として参拝することを重視しているようだが,そこには戦前
の靖国神社に対する特別な思い入れがあるように思える。安倍首相の世代は軍国教育を受けていないのに,それが怖い。どのように進んでいきたいのか,想像がつく。

 私の父は1941年召集で当時のビルマに渡った。幸いにも復員できたが,「戦争は二度といけない」と言っていた。父の思いが,生かされるよう願う。

投書

 この意見を聞くような耳が,安倍晋三にはなかった。首相として靖国に参拝することに意義をみいだそうとする態度は,敗戦前の国家神道式神社である(とはいっても,日本古来の神社信仰からは異端である点が,靖国神社の特質になっている)この靖国神社への参拝と,まったく同じ宗教的な意味をもつほかない。

 すなわち,そこにも「戦争神社:勝利のための神社」である靖国神社の基本性格がよく表現されている。インターネット上には,こういう意見が記述されているが,これは至当な指摘である。さきほど,安倍晋三の鼻の下にちょびひげを足した画像をかかげていたブログ主が,語った意見である。

 英霊の犠牲の場合は天皇や戦前の日本国家を対象とした命の捧げであり,命の捧げに値する天皇の存在性であり,戦前日本国家だったと価値づけていると同時に天皇も戦前日本国家も国民や兵士の命の捧げを受けるに相応しいと自らを価値づけていた双方向性を担っていたはずだ。

 当然,犠牲に尊崇の念を表すとは,犠牲が持つ双方向性の一方の戦没将兵たちの犠牲に敬意を表すと同時に,その敬意の裏でもう一方の天皇と戦前日本国家を犠牲を受けるに相応しい対象として浮上させていることになり,そうでなければ犠牲の双方向性は意味を失う。

 註記)「新藤義孝の靖国参拝も安倍晋三のそれも,侵略戦争が持つ対外要素無視=多国間主義否定の独善的一国主義」『「ニッポン情報解読」by 手代木恕之』2014-01-03 07:33:35,
http://blog.goo.ne.jp/goo21ht/e/2cc8bbf9e01b75aa1218cabeab2e3213

 いわば,安倍晋三にしても新藤義孝にしても,靖国神社を参拝して英霊に尊崇の念を表しながら,同時に犠牲が持つ双方向性の価値づけから,戦前天皇と戦前日本国家に対しても尊崇の念を捧げているのである。いわば戦前天皇制と戦前日本国家の正当化に相当する。 

安倍晋三の時代錯誤感覚
  

 戦争,いいかえれば,明治以来の侵略戦争に役に立った将兵を中心に,それも死者=犠牲になった者たちを祀るための神社が靖国なのだから,それ以外の連中(戦争犠牲者など)は除外していても平然としていられるのが,この神社なのである。それは,日本伝統の宗教としてもうひとつある仏教の精神とも完全に相反する,死者への供養の仕方である。

 判りやすくいえば,靖国神社は,実際にそうしているように「官軍側の将兵犠牲者」関係しか祀らない神社である。賊軍の将兵犠牲者ははじめから想定外であり,相手にもしてこなかった。この事実は,どの国におけるどのような宗教であろうとも,宗教のあり方として観るとき「当初から重大な問題」を含意させており,その根底にのぞける宗教精神の欠落は問題があり過ぎる。

 7)「〈声〉首相,美辞麗句に酔わないで」『朝日新聞』2014年1月10日,鞍智美知子,主婦,神奈川県 81歳

 安倍晋三首相の演説などを聞くたびに,巧言令色という言葉を思い出す。特定秘密保護法成立や靖国神社参拝の直後には,滑らかな言葉遣いで愛国の念に燃えての行動であるかのように語った。側近の草稿を述べていただけなのかもしれないが,私には美辞麗句だらけで自己陶酔に陥っているように映った。

 私は満州事変から太平洋戦争までの十数年間を戦時下の日本で育った。巷間あふれていたのは「一億一心」「神州日本」「東洋制覇」など勇ましいが異次元のものと思えるような独りよがりな標語であった。言葉に疑問をもったり異論を唱えたりすると「非国民」とされた。

 家の近くに捕虜収容所があった。夕方には工場で働かされた捕虜が叱責されながら列をなして帰ってきた。それをみて「可哀想に」とつぶやいた婦人が捕らえられた。人間らしい心情を吐露できない時代だった。忌まわしい過去は風化し美化されていくこともある。

 たしかに愛国心も大切だろうし,戦いのために若くして逝った人々を悼む気持も必要だと思う。けれども,本当に「正義のための戦い」だったのか。侵略された側の心情を慮る必要はないのか。美辞麗句に酔わず知的に判断できる首相であってほしい。

投書

 本ブログ筆者は,安倍晋三の口にすることばのひとつひとつに関して,美辞麗句さが感じられたかといえば,全然そうは受けとめられなかった。口先でぺらぺらでしゃべりまくる,そのとても軽い乗りは「本当の戦争に生じている悲惨」など少しもしらなかったし,そもそもその理解すらできていなかった黄嘴政治屋の,それも単に虚勢を張った文句にしか聴こえなかった。

 安倍晋三が日本国の首相としてまず最初にいうべきことがあるとすれば,それは「アメリカから日本は独立させてもらう,米軍基地は全部撤去してもらう,日本は日本で守る」などといったことがらであった。

 安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」を強説していたが,つぎのごとき日本総督府に首根っこを押さえされているこの国の敗戦後的な事実史に,なにひとつ手を着けられなかった「世襲3代目の政治屋」であった。

 アメリカの実質属国でありつづけこの日本が,国家中枢までも米軍基地を媒介にして抑えこまれ,自国防衛省の「軍隊=自衛隊3軍」は,アメリカ軍との共同行動をしなければまともに,その機能が発揮できない軍制になっている。

 生存中に安倍晋三が強調したかったのは,前段のような属国日本に役立つ特定秘密法であり,靖国神社参拝であり,自衛隊3軍の運用方法であったとみるほかなかった。

 自国の軍隊組織を最高指導者である自分の権限でもって,まともに指揮できないこの国において,靖国神社に合祀されている「国のために戦い,尊い命を犠牲にされた御英霊に哀悼の誠を捧げる」べきその対象は,戦前・戦中までに登場した〈英霊〉ついて限定されていたのであって,敗戦後の自衛隊3軍関係までは「まだ」拡延できていなかった。

 いままで戦死者というものを公式的には記録したことのない自衛隊3軍であるけれども,またもや,戦前・戦中の方式でもって「戦死者が出てくる事態」に備えておきたいというのか? 

 だが,もう一度いっておく。

 靖国神社は「戦争に負けた神社」であるゆえ,当初の「勝利神社」であったはずの大目的はとうに破綻しており,崩壊していたのである。

 この厳然たる歴史の事実は棚に上げたまま,いつまでも夢遊病者のように,それこそバカのひとつ覚えでもって「国のために戦い,尊い命を犠牲にされた御英霊に哀悼の誠を捧げる」,それもこの靖国神社においてそう「したがる」といったたぐいの宗教的な行動様式は,

 日本が過去に体験してきた〈敗戦〉という歴史の記録から目をそむけた,いいかえれば,国民無視・生命軽視の観点にはまった者だけがいいうる迷文句であった。「国のため・・・」とかなんとかいいたがり,この線に沿って異様にまで「英霊」の存在を強調したがる国の指導者が,いったいなにをもくろんでいるか,われわれは用心を怠ってはいけない。


 ※-3「〈声〉翼賛化した議員しっかりしろ」『朝日新聞』2014年1月13日朝刊,桑野 毅,無職,東京都 77歳

 この投書は,こう主張していた。※-2で取り上げてきた〈声〉欄の投書とはいくらか性質が異なっていた。

 タカ派と言われた中曽根康弘元首相は,組閣にあたりハト派の有力者・後藤田正晴氏を官房長官に起用した。権力者も自己抑制の必要性を理解していると思ったものだが,安倍晋三首相の人選にはそんな度量は見受けられない。

 自民党内にも財政再建にとり組んできた議員,原発ゼロを信条とする議員,日中や日韓の友好に尽くしてきた議員など,多様な人材が存在しているはずだ。

 だが,現内閣の公共事業への大盤振る舞いや,法律家なら欠陥法だと感じるはずの特定秘密保護法,原発の政策転換,中韓との関係改善策もないままの靖国神社参拝などに強く反対する者はなかった。

 彼らは政治理念と良心との間で苦悩しながらも議員の地位を守ることに重きを置いたと思われる。こうして抵抗勢力はなくなり自民党全体が翼賛会と化してしまった。

 今後,安倍内閣は集団的自衛権の行使容認,自民党案にもとづく憲法改正へと突き進むだろう。そのときも彼らは追従を続けるのだろうか。ブレーキ役を自任する公明党も与党であり続けることを優先するのだろうか。

 いま,日本は大きな岐路にある。政治家には初心に帰り,毅然とした行動をとることを切に願っている。

投書

 この本日〔2014年1月13日〕の朝日新聞朝刊の投書「声」欄に採用された意見は,安倍晋三という首相の「幼稚と傲慢(さ)」(小沢一郎の安倍晋三評)を指摘している。

 しかし,ともかく,支持率は実質でかなり低かったものの,また選挙制度の欠陥問題もあってだが,こんな程度の人間:政治家が,この国の代表に選びつづけてきたのは,有権者側による選択結果であった。

 戦前,大政翼賛会という政治組織が,大東亜戦争が目前に迫った時期に登場したが,民主主義の基本をも無視したこのような政治動向は,戦時体制期(昭和12年7月7日に始まった日中戦争〔「支那事変」〕)を受けてできていたものであった。

 問題がさらにあった。本ブログ筆者がたびたび指摘してきたる公明党という「問題政党」のことである。いまやある意味,自民党の金魚のウンチにもなりえないほど,自民党路線に引きずられるボロ雑巾のような存在になりはてながらも,なおも政権にしがみついてきたのがこの公明党である。公明党のイメージは創価学会まる抱え,その全面的な支援を受けている宗教政党である。
 
 補注)先日,2023年11月18日に報道されていたが,創価学会名誉会長池田大作が11月15日に死んだ。この生臭坊主以上にもっとすごい異臭を放ちつづけてきた宗教人にはとてもみえなかった人物もまた,この国の品格・品位を引き下げるのに大きな貢献をしてきた。

 ところで,この公明党が靖国問題に対してまともにものをいわない「非宗教政党」に化けて〔脱皮?〕しまっているのだから,ものすごく不思議であった。もちろん,公明党と創価学会のあいだには,顕在と潜在を問わず「政教分離の原則」が,難問としていつもまとわりついてきた。

 なんといっても,自民党の首相が靖国神社に参拝しても,うっかりコメントを出せないのが,公明党でもある。実に情けない政党である。このあたりの問題で公明党が口出しをしたら,自党の首あたりに冷たい風が吹き付けてくるのである。そうした公明党の現状は,自民党というジンベエ鮫の下腹にひっついて,ともかく政権党にへばりつくこと以外,存在価値のない「与党内小与党」になり下がっていた実態を表現していた。

 そういえば,昨日〔ここでは2014年1月12日〕の朝日新聞「社説」は,公明党の存在意義じたいを問う,以下のような論説を書いていた。同感である。本ブログは,いままでなんども,この公明党のその体たらくぶりを指摘してきたが,やはり同じように感じる人間はいくらでもいた。

      ☆〈社説〉与党公明党 野に下る気概はあるか ☆
         =『朝日新聞』2014年1月12日朝刊 =

 公明党は今年,結党から50年を迎える。結成大会は1964年の東京五輪の直後だった。それから半世紀,公明党が日本政治に果たしてきた役割は小さくない。節目の年は与党公明党にとって正念場となる。連立を組む安倍政権が,集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更にいよいよ踏み切ろうとしているためだ。

 本来,憲法改正手続きを踏むべき国の基本方針の大転換である。「戦後レジームからの脱却」をめざす安倍首相の方向性は,戦後日本の価値観を大切にしてきた公明党の基本路線とは相いれない。それでも連立は安泰だろうと自民党から足元を見透かされているのは,どうしたことか。このまま押し切られれば公明党の存在意義が問われよう。

 集団的自衛権の行使について公明党は,憲法上認められず,憲法を改正して認める必要もないと主張してきた。同党の山口代表は,なぜ,どのように変えるのかや,国内外への影響などを慎重に検討する必要性を強調。「国民と国際社会の理解をえる努力がなされていない」と指摘する。昨夏の参院選では「断固反対」と唱えた。およそ安倍首相と同じ考えとは思えない。

 だが,政治状況に応じて驚くような変わり身をみせてきたのが,この党の歴史でもある。〔19〕55体制下では「中道」として自民党との距離感を微妙に測ってきた。〔19〕93年に「非自民」の細川政権で与党入りしたが,〔19〕99年に一転,自民党との連立に踏み切った。自公連携の時代が長くなった。特定秘密保護法の議論では,修正によって政権を援護する役回りを演じた。期待された「ブレーキ役」にはほど遠い。

 そして今度は安倍首相に引きずられるように,集団的自衛権の行使容認にカジを切るのか。支持母体の創価学会では,平和の大切さが息長く語り継がれてきた。公明党が,草の根の地道な取り組みから遊離した決断をしようとすれば,支持者の厳しい反発が予想される。

 安倍首相は,日本維新の会やみんなの党との連携も視野に入れているのだろう。これに対して,公明党には選挙協力という強力なカードがある。結党50周年を,安倍自民党の補完勢力として迎えるのか。そもそも,なんのために与党にいるのか。公明党は本気で考えるべきだ。ここは連立離脱も現実の選択肢とし,野に下ることも辞さない気概をみせてはどうか。

『朝日新聞』社説

 「こまっちゃウな? リンダ,どうしよう?」(山本リンダは創価学会支持者)

 池田大作君は,どう思っていたのか,とうとう直接に訊ける機会はなくなった。前段の『朝日新聞』社説は2014年1月12日のものであったから,早その後一昔の時間が経過した。「与党は密の味がする」と断定してもいいようだ。

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