首相のとき安倍晋三は九段北の「戦争神社」に参拝したが,はたして靖国神社の本質理解は絶無だった
※-1 日本の首相が靖国神社に参拝する意味など
この記述が論じる話題は,いまではすでに故人になっているが,あの「亡国かつ売国の,そして国辱かつ国恥以外の何者でもなかった」安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」が,自身の第2次政権を発足させてから間もなく,靖国神社に参拝した記録(事実)をめぐり以下に討究することにしたい。
補注)安倍晋三がこの国を首相であった時期,とくに2020東京オリンピックの誘致問題にかかわってだが,またもや新しい疑惑が浮上した。『文春オンライン』の最新記事がそれを報じていた。この話題は安倍晋三の総指揮下で起きていた疑惑であって,いまごろになって,この馳 浩がうっかり口を滑らせて自白した関連の問題である。
さて,安倍晋三のその第2次政権が成立した日付は,2012年12月26日であったが,その後から今日(2023年11月22日)まで経過してきたこの日本という国は,すっかり「それ,ダメ!」だらけの,経済3流かつ政治4流の中身しかみつからないような国にまで没落した。
森嶋道夫『なぜ日本は没落するか』岩波書店,1999年は「2050年を見据えて書かれているが,驚くほど現在の日本の現実を予見している」と解説されていたが,今年は2023年になりその間の四半世紀分,つまり2050年までだと,まだその半分の時間しか経っていないのに,すでにこの国の凋落ぶりとみたら,それはもう目も当てられない諸相がめだつ実情になってしまった。
安倍晋三の第2次政権がアホノミクス(アベノミクス)だとかアベノポリティックスだとかいったたぐいの「凶器」を振りまわし,それもいい気になって,この「裸の王様」であった「世襲3代目の政治屋」が日本を取りしきってきたつもりだったけれども,その結末は『現にご覧のとおりの惨状』になった。「美しい国へ」と滑落してきたそのつもりが,こうであったからには,一般庶民側の生活の状況ときたら,もうたまらないほど苦境。
つまり,この惨状を称して,人いわく「衰退途上国」と。
経済学者野口悠紀雄は,この2023年9月13日に『プア・ジャパン 気がつけば「貧困大国」』朝日新聞出版を公刊したのにつづけて,11月7日には『どうすれば日本経済は復活できるのか 』SBクリエイティブも公刊していた。
野口悠紀雄のその『どうすれば日本経済は復活できるのか 』という最新作は,こういう意図で執筆されたとして,つぎのような解説が付されていた。この解説の文句をバラバラにしたうえで,さらに適当につなげてその趣旨の説明にしておきたい。
2010年代はいまから回顧するまでもなく,非常に重要な時期でもあった。1990年前後には崩壊した日本経済のバブル的繁盛は,その後にあって「失われた10年」という変転ぶりを記録してきたが,安倍晋三の第2次政権はアホノミクスならびにアベノポリティックスによって,この国の政治・経済をグダグダのヘトヘトに疲弊させ,回復不能な水準にまでその力量を落とさせてきた。
「世襲3代目の政治屋」が安倍晋三がおこないえた為政は,私物化(死物化)の一途あるのみで,経世済民の方途とはまるで無関係以前に逆方向に迷走するだけの采配しか執りえなかった。
しょせん,世襲である点にしか政治家(政治屋?)であるよりどころがなかった,この「ぼくチン宰相」のやること・なすことのすべてが,「国民・国家」のためというよりは,「世襲3代目の政治屋」個人のみみっちい欲望,いいかえれば「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の死物(私権)化政治にしか道筋をつけられなかった。
本ブログ内ではすでになんどが紹介したつぎの表をここでもかかげておきたい。安倍晋三以前,日本の政治は2流だ3流だと思われていたが,この人が首相になってからというもの,それは4流以下にまで沈下を余儀なくされた。
以上のごとき前口上を踏まえたつもりで,さて,以下につづく記述は実は2014年1月15日に一度公表していたが,その後未公開状態になっていたものを,本日復活させた。今回もこの改訂なりに補説をくわえている。
以下の記述は,靖国神社に参拝したがる政治家たちは,はたしてこの戦争神社(現在は敗戦神社だが)の歴史的な本質を,まったくといっていいくらいに無知なまま,お国のために命を捧げた「英霊」を慰霊するために参拝したと,それも「◉ ◉ のひとつ覚え」のようにいつも説明する。
しかし,そうしたワンパターンの靖国神社「感」は,本当のところ,この靖国神社の歴史的な淵源や今日的な国家神道上の基本的役目に,しかも完全に無識なままに披露されてきた。その点を放置しておいては,日本の首相たちがとくに自民党系の総理大臣が靖国神社に参拝にいく事例が発生するたびに,なぜか日本国内だけでなく,海外の諸国でも問題にされる事情をまともに詮索することはできない。
問題が深刻にもなる一因には,靖国神社に参拝にいく場合,とくに首相になってからだが,そういった宗教行為を「首相の立場」から公式にすると表明したうえで,元国営であった「特定の神道神社のひとつである靖国神社」に参拝するという形式をとることが,まさしく政教分離のあり方に根本からかかわる問題にならざるをえない事実に,無知かつ無頓着であった「彼ら:首相たち」の立場そのものが,まず神国な問題点として指摘される。
※-2 投書欄に観る靖国神社参拝問題の本質
◎ そもも安倍晋三は,なにをしに, 九段北の戦争神社に願掛けにいったのか? ◎
▲ 靖国神社の歴史も本質もしらないで, 意地を張って,参拝する愚の愚 ▲
1)靖国神社に参拝したら「尊い生命を国に捧げた〈英霊〉」が浮かばれるとでも,本当に信じていたのか?
戦争のために喜んで死んだ人間もいたかもしれない。だが,昔の時代がそう観念させられていたに過ぎないのである。
敗戦した大日本帝国の臣民たちは,昭和20年8月15日以降,とくに肉親を兵隊にとられた家族たちは,自分たちの大事な息子や夫,兄やおじさんたちが,無事に復員してくることを,毎日待ち焦がれていた。
『岸壁の母』(藤田まさと作詞・平川浪竜作曲・室町京之介台詞)が,昭和29〔1954〕年9月,テイチクレコードから発売され,菊池章子が吹きこんだこのレコードが大流行し,100万枚以上売れたという。歌詞を紹介する。
日本帝国が敗戦が決まったときから,北では,ソ連に強制収容された日本軍の将兵や民間人,そして中国・台湾や東南アジア諸国から南太平洋諸島などにおいて収容された日本軍将兵・軍属などは,早ければ2~3年のうちには大部分が日本に帰国(復員)できた。
しかし,ソ連に強制的に収容された人びとのうち,とくに目を付けられた高級将校や旧「満洲国」の高官の場合は,10年以上も抑留されることになった者もいた。
日本帝国の将兵だけでも約210万人が死んだ戦争である。「生きて虜囚の辱めを受けず」という『戦陣訓』(昭和16〔1941〕年1月8日,陸軍大臣東條英機が示達した訓令)の一節が有名だったように,すでに死んでしまっていて,日本には帰ってこれない将兵が大勢いた。
いつまで「待っても,待っても」家に戻らない家族(息子・父・夫・おじたち)を,肉親たちはどんな思いを寄せていたか? 死んだということで,「靖国神社」に合祀され《英霊》になって,天皇の親裁で祭られるよりも,生きた肉体そのものをもって彼らが家に帰ってくれていたほうが,数百倍・数千倍・数万倍もうれしいに決まっていた。
ましてや,靖国神社は,戦争のために,この戦争に勝つために「死んだらよいぞ,そしたら〈英霊〉に祭ってやるからな,安心して・覚悟して戦争にいってこい,手柄を挙げてこい」と,当時,昭和天皇があいだに入って約束させられていたはずの『国家神道式の宗教施設』であった。
ところが,8月15日まで,臣民たちの生命を預かったうえで,そう命じていた「神聖なる天皇制」国家日本は,もののみごとに瓦解した。「神国日本が敗戦した」のであり,神州日本の国土には原発まで2発投下され,この国の臣民たちはさんざんな目に遭わされた。
「死んで花実が咲くものか」「生命あってのものだね」という,きわめてまともな道理に優る理屈が,人の命にかかわっていえば,この世の中にあるわけがない。『岸壁の母』という歌は,昭和29年の時点ではやった歌であった。
けれども実は,敗戦後においてはすでに,帰国できた男たちはそのほとんどが日本に戻ったあとにヒットしたのが,この歌である。つまり,そのころになっても,おそらく戦場で死んでしまっているから,いまもなお「待っても,待っても,帰って来ない息子」を待ち続ける母の〈はかない期待〉を,歌っていたのである。
2)『朝日新聞』2014年1月12日,朝刊の投書「声」欄に登場したのはある高齢者であった
「〈声〉戦争知らぬ若者に教えるべきは」2014年1月12日,守谷通文,無職,埼玉県 62歳が,こう語っていた。
戦争の記憶が遠ざかる,忘れられていくのは仕方ないことだという人には,それでは,自然災害の津波についてはどう思うか? 戦争は人間の起こす大事件である。人間が起こすならばこれを止めることも防ぐこともできなくはない。自然災害の場合は,ふだんから非常時のための訓練や防備をしておけば,被害は最小限に食いとめることができる。自然災害,戦争の惨禍のいずれも発生しないように,事前に備えることは可能である。
2)『はだしのゲン』(漫画)が,自民党政権にとってひどく気になる「作品」だということは,戦争の悲惨をしったうえでこれを隠そうとする魂胆がであったゆえ。
最近,こういうニュースが流れていた。「反戦を訴える漫画『はだしのゲン』を,公立学校から撤去すべきかどうかが話し合われた〔2014年1月〕9日の都教育委員会の審議。図書館の本を選ぶ権限は校長にあると認めながら,あくまで教委が校長を指導するとの原則を強調する結論だった。『愛国心』をかかげる教委と事務局側の見識と姿勢が透けてみえた」。
註記)『朝日新聞』http://digital.asahi.com/articles/ASG195J99G19UTIL031.html?iref=comkiji_redirect
つぎの画像資料は,『はだしのゲン』マンガ画像実例。
出所)この画像はここでは,「松江市教委: 『はだしのゲン』を松江市内小中学校図書館で自由に読めるように戻して。 /Change.org署名」『薔薇、または陽だまりの猫』2013-08-17 21:37:02,https://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/731a50ee0e52c9848c5ed5affed85cdd から借りた。
補注)『はだしのゲン』を教育現場でどのようにあつかうかについて,これを削除せよ(隠したい,出すな)という動きが最近あからさまになり,つぎのNHKの報道の題名のような事態になっていた。「消えた」のではなく「消した」「消された」のであるが。
明治以来の日本帝国をみるかぎり,富国強兵の国家路線を西欧の帝国主義に負けないように構築するだけでなく,この西欧諸国の驥尾に付して亜流帝国主義の道を歩んできた。
この『大日本帝国』は,国家路線を進展させるためには「軍国主義」の立場・思想に反対する主義・主張に対して,極度に不寛容であった。明治天皇をはじめ,昭和天皇も代表格にして,皇族たちの男性は1945年8月以前まで全員が軍人であり,その模範的将校像をもたねばならなかった。天皇は大元帥であったから,日本では無条件に超一党にえらい御方であった。
当時の安倍政権〔ここでは2014年1月15日時点でのこと〕が考えていたのは,外国(某国)が日本に勝手に侵略する事態に備えるというよりも,自国が外国に対して威嚇・示威できるような戦力をもちたいという欲求が基本にあって,そのためには,軍事面でいちいち平和主義の考えをもちこまれては困る,というような基本姿勢を堅く抱いていたということであった。
憲法改正を第96条から手を付けて改正することを考えていた安倍は,これが困難とみたのち,特定秘密法をさきに制定させて,現憲法の骨抜きを実質的に図る方途を採っていた。
ただし問題があった。彼流にいいたかったらしい点は,『美しい国へ』といったごとき〈曖昧な国家〉に関する定義をひけらかしたごとき政治姿勢でありながら,現実には少しも美しくなかったこの国の現状などには目を向けずに,ひたすら「強い国・逞しい国」に向かい,これを理想に求めるかのような政治姿勢を採っていた。
もともとこの安倍晋三は,まともな政治家(実体は政治屋だが)として,自身の哲学・理念にもとづく政治の行動様式を残せた人物ではなかった。もっとも,この元首相に,いったいどのような具体的な国家理念があったのであり,どのような将来に向けてこの日本をもっていきたかったのかは,故人となった現在でも,いまだに不明瞭だとしかいいようがない。
というよりは,安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」に確たる政治の信条・確信が具体的にあったようには全然映らない。また,現在(2023年11月22日)首相の地位にいる岸田文雄が,同じ「世襲3代目の政治屋」としてならば,登場した当初からこの人は「中身がカラッポ:空白だ」という印象しかもたせなかったが,案の定,その最初の感じ方が図星であった。
さらにその間,首相の座をリレーしていた菅 義偉となると,ただの無識・無教養だった総理大臣という記憶しか残らない。大学で文系の学問は要らないみたいな「思いつき以前の発想」が,この菅首相の口のはしから吐き出されてきたとき,この国はアベノポリティックスによってすでに「学問の世界」にまで臨終を宣告させられる気分(悪寒)を覚えた。
3)「〔2013年〕10月の生活保護216万4千人 過去最多を更新」-この現実も改善できないで,なんの『美しい国』か? 世襲3代目のボンボン政治家のいうことに説得力なし-
こういうニュースが出ていた。「昨〔2013〕年10月に生活保護を受けていた人は216万4338人で,前月より4530人増え,過去最多を更新した。厚生労働省が8日,速報値を公表した。受給者数は,昨年3月に216万1053人となり,初めて216万人を突破。その後は215万人台で増減を繰り返したが,7カ月ぶりに最多を更新した。
一方,〔2013年〕10月の受給世帯数は159万4729世帯で,過去最多だった前月を3818世帯上回り,増加しつづていた。世帯の内訳では,高齢者世帯が最も多く,45%を占める。同省保護課は「働ける世代ではほぼ横ばい状態だが,高齢者世帯の増加が顕著で,全体を押し上げている」とみている。
註記)『朝日新聞』2014年1月8日10時55分,http://digital.asahi.com/articles/ASG176F93G17UTFL00F.html?iref=comkiji_redirect
補注)なお生活保護受給世帯に関しては,2023年になるとつぎのよう変化していた。2023年1月4日に厚生労働省が公表した統計によれば,生活保護の被保護実人員は202万4195人(対前年同月0.7%減),被保護世帯は 164万4381世帯(同0.2%増)であった。
その間,約10年が経過したが,日本の人口はその間に2百万人ほど減少していたから,上記に挙げた生活保護関係の数値は,なおいくらか辛めに考えておく余地があった。1人世帯の受給者が減らない事実がとくに観取できる。日本における生活保護の受給には非常にきびしい関門がある。
以上,補注(2023年11月現在での)話は置き,安倍晋三の第2次政権の時期の話に戻ろう。
はて,アベノミクスはどうなっていたか? アベノミクスの効果が本当に挙がっていたのであれば,いくら高齢社会とはいえ,生活保護受給者のそれも世帯数が増加することなど,ありえないはずである。ところが,実際では以上のごとき真相のひとつが例示されていた。生活保護を受ける人がこれからも増えることは必至である。
故・元安倍首相や自民党憲法草案は「日本は助け合う社会であらねばならない」といっているものの,安倍政権が標榜している「弱肉強食・自己責任・新自由主義」は,どこからもそんな雰囲気のかけらさえ感じとれない。
また,菅 義偉が首相であったとき,「公助・共助・自助」の国民たちに対する支援順序を,うしろのほうから優先しろなどと,自身が苦労人だといわれている割には,ずいぶん冷酷な政治観を平然と口にする,これまた政治屋だと呆れたものである。
もしも,「新自由主義」でもって「助け合う社会」を実現したいのであれば,一部の高所得層でほぼ独占している〈富〉を,その他大勢の低所得層に再配分するために,強力な経済政策を実行しつつ,配慮の効いた社会保障政策を同時に展開しなければ,単なる安倍流「口舌の議論」にしかならなかったわけで,アベノミクスの結末と来たら,まったくにそのとおりのお粗末になっていた。
ともかくも,日本社会における貧困層は増大しており,ジニ係数もじわじわ上昇する傾向にあって,好転する動向はほとんどなかった。結局,国家も企業も誰も「助け合わない社会・格差拡大社会」だけが顕著である。
現状では,アベノミクスの悪影響は円安の進行をもたらし続けており〔今日の市場開始以前の時点で,対ドル為替:104円台〕,専門家の意見によればスタグフレーション(景気沈滞下のインフレ進行,つまり,経済活動の不況と物価の持続的な上昇が共存する状態)という事態を迎える危険性まであると警告されている。
補注)円ドル相場は本日,2023年11月になって150円台まで下がっており。前段の2014年1月当時の104円台という水準からほぼ半分相当の率で円安。
前世紀1990年代半ばにようやく460万円ほどに達していた平均所得・年収が,その後から今世紀の2020年代でもなお450万円前後(未満)に留まっているごとき「一般庶民の経済的な立場」が,アベノミクス:アホノミクス的に形成された「弱り目に祟り目となった経済環境」のその後となって,持続させられているようでは,これはもうたまらない。
話題を本論に戻す。
4)「〈声〉公式参拝,慎重に対処すべきだ」『朝日新聞』2014年1月11日朝刊,鈴木義男,市遺族会会長,静岡県 76歳
この意見は靖国神社が「戦争用の勝利のための神社」,それも国家機関であること,戦没者・戦争犠牲者を日本国内の次元であっても,より普遍性ある包括的な価値観をたずさえての慰霊施設であることとは無縁な,靖国神社の有用性を認める考えである。しかしそれでも,外国からの批判があるのだから「安倍さん,参拝はよしてください」と意見している。
ところで,本ブログの筆者は,いつもいわせてもらっているが,靖国神社のやり方,その特有な国家神道的な疑似宗教観を,こう理解してもいる。
靖国神社という宗教施設は,人間の生命を生きているときは二束三文にあつかっていながら,いざ死んだら〈英霊〉になれるのだとか,戦死したけれども〈尊い生命〉だったといいぬけ,まさしく「死人(死霊)を悪用する国家神道の嫌らしい姿勢」ばかりを,前面に出している。
だから,本当に「人間の生命(!)を尊い」と思っているなどとは,とうていいえるわけもなかった。そうではなく,「死んだ人間の生命(?)」を国家に利用させるために「人間の死を尊い」などと,とんでもない関連付けのもとに,戦争犠牲者の命を逆用的に形容しているに過ぎない。
人間の歴史においては,戦争というものが絶えたことはない。敗戦後においては,平和憲法の日本だからといって,自力で敗戦以降の一国平和主義が確保・維持できてきたわけではない。ここでは,在日米軍基地の問題が日本の軍事問題として浮上してくることになる。
5)「〈声〉アーリントン墓地を訪れて」『朝日新聞』2014年1月11日朝刊,大津卓也,無職,愛知県 76歳
この意見は,靖国神社が元国営神社であり,旧大日本帝国陸海軍の管轄である点の問題性,さらに神道式の慰霊の方法を採るという宗教の問題性などに,ひととおり触れている。明治時代における大日本帝国憲法は,国家のための神道は「無宗教(つまり道徳や倫理)」だといいぬけ,つまり「国家神道無宗教」説を披瀝し,宗教に関する定説としてはおよそ《筋もなにも通らないような粗雑な珍説》を国民に押しつけてきた。
靖国神社はいまもその路線を継承している。しかも,敗戦によってひとつの民間神道神社(宗教法人)に基本の性格を変えさせられてからも,その神道無宗教説に乗った「国家護教的な公的神社」としての基本性格を,全面的に払拭する気などないどころか,これを故意に引きずりながら誇示してもいるような神社である。
靖国神社のその基本性格は,明治以来の日本帝国が侵略戦争を推進してきたなかで,不可避にこの帝国のために「生まれた〈死者〉」を合祀しておき,慰霊するのだという名目をかかげてきた。そして,さらに〈国民の戦意〉を維持・昂揚させるために,それも国家主義の全体目的のために役立ったと認めた死者だけを,しかもその無数をとりこむかたちを採って慰霊するという宗教儀式を採っていた。
この靖国神社のあり方は,21世紀のいまになっても,なにも変わっていない。敗戦後,一民間としての神道神社になったといっても,そもそも祭神としては「英霊」(戦争では英雄であったはずの霊魂)を,しかも無数に祀りあげている神社である。このことを止めようとしないかぎり,この神社の所有形態のいかんにかかわらず,「国家と戦争と勝利(!?)」という枠組を墨守している神社である。
靖国神社とアーリントン墓地のもっとも根本的な相違点は,前者が戦争によって発生する死者(の霊のみだが)の登場に「事前に備えた神社」であるから,九段下には墓場はない。これに対して,後者は戦争のために発生した死者を「事後に収容(納骨)する」ために慰霊施設である。両者の相違が明白である点,そしてのその意図がいかほどに異なるかという点も,おのずと鮮明であった。
結果的な理屈でいえば,靖国神社もたしかに「国家が勝手におこなう戦争のために死んだ人びとを慰霊すること」に変わりはないものの,その「最初に設定されている動機」に関していえば,両者間には『〈決定的に異なる実体〉=歴史的な意味』がある。もちろん,ここで指摘している相違点は,相対的な差であり絶対的ではない要因でもあるが,基本においては決定的なものになっている。この事実に間違いはない。
しかし,とくに「勝利神社としての慰霊感情を目的にしている」靖国神社の基本性格は,敗戦によってこの目的が完全に破綻したことによって,慰霊施設としてもつ世界の「類似〔とはいえない要素がこちらでは強いのだが〕的の慰霊墓地」としては,極度に「例外的であり異様な世界観・宗教の立場」に立ったものである。
靖国神社を問題にする人びとは,まさにその点を指摘し批判するのだが,このような問題を投書から感知すらできない人びとにとってみれば,「そんなことは完全に無視して」おき,ともかく「英霊(死者の霊魂)に礼を尽くせ」というのである。
それは「宗教問題としての靖国神社の本質面」を隠蔽する意図を意味した。ここに靖国の深刻な問題,いいかえれば,いつになっても「世界各国に通用しうるる慰霊施設の性格」をもちえないままである原因が露わになっていた。
6)「〈声〉なぜ肩書つけて参拝するのか」『朝日新聞』2014年1月8日朝刊,笹森和美,パート,神奈川県 54歳
この意見を聞くような耳が,安倍晋三にはなかった。首相として靖国に参拝することに意義をみいだそうとする態度は,敗戦前の国家神道式神社である(とはいっても,日本古来の神社信仰からは異端である点が,靖国神社の特質になっている)この靖国神社への参拝と,まったく同じ宗教的な意味をもつほかない。
すなわち,そこにも「戦争神社:勝利のための神社」である靖国神社の基本性格がよく表現されている。インターネット上には,こういう意見が記述されているが,これは至当な指摘である。さきほど,安倍晋三の鼻の下にちょびひげを足した画像をかかげていたブログ主が,語った意見である。
戦争,いいかえれば,明治以来の侵略戦争に役に立った将兵を中心に,それも死者=犠牲になった者たちを祀るための神社が靖国なのだから,それ以外の連中(戦争犠牲者など)は除外していても平然としていられるのが,この神社なのである。それは,日本伝統の宗教としてもうひとつある仏教の精神とも完全に相反する,死者への供養の仕方である。
判りやすくいえば,靖国神社は,実際にそうしているように「官軍側の将兵犠牲者」関係しか祀らない神社である。賊軍の将兵犠牲者ははじめから想定外であり,相手にもしてこなかった。この事実は,どの国におけるどのような宗教であろうとも,宗教のあり方として観るとき「当初から重大な問題」を含意させており,その根底にのぞける宗教精神の欠落は問題があり過ぎる。
7)「〈声〉首相,美辞麗句に酔わないで」『朝日新聞』2014年1月10日,鞍智美知子,主婦,神奈川県 81歳
本ブログ筆者は,安倍晋三の口にすることばのひとつひとつに関して,美辞麗句さが感じられたかといえば,全然そうは受けとめられなかった。口先でぺらぺらでしゃべりまくる,そのとても軽い乗りは「本当の戦争に生じている悲惨」など少しもしらなかったし,そもそもその理解すらできていなかった黄嘴政治屋の,それも単に虚勢を張った文句にしか聴こえなかった。
安倍晋三が日本国の首相としてまず最初にいうべきことがあるとすれば,それは「アメリカから日本は独立させてもらう,米軍基地は全部撤去してもらう,日本は日本で守る」などといったことがらであった。
安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」を強説していたが,つぎのごとき日本総督府に首根っこを押さえされているこの国の敗戦後的な事実史に,なにひとつ手を着けられなかった「世襲3代目の政治屋」であった。
アメリカの実質属国でありつづけこの日本が,国家中枢までも米軍基地を媒介にして抑えこまれ,自国防衛省の「軍隊=自衛隊3軍」は,アメリカ軍との共同行動をしなければまともに,その機能が発揮できない軍制になっている。
生存中に安倍晋三が強調したかったのは,前段のような属国日本に役立つ特定秘密法であり,靖国神社参拝であり,自衛隊3軍の運用方法であったとみるほかなかった。
自国の軍隊組織を最高指導者である自分の権限でもって,まともに指揮できないこの国において,靖国神社に合祀されている「国のために戦い,尊い命を犠牲にされた御英霊に哀悼の誠を捧げる」べきその対象は,戦前・戦中までに登場した〈英霊〉ついて限定されていたのであって,敗戦後の自衛隊3軍関係までは「まだ」拡延できていなかった。
いままで戦死者というものを公式的には記録したことのない自衛隊3軍であるけれども,またもや,戦前・戦中の方式でもって「戦死者が出てくる事態」に備えておきたいというのか?
だが,もう一度いっておく。
靖国神社は「戦争に負けた神社」であるゆえ,当初の「勝利神社」であったはずの大目的はとうに破綻しており,崩壊していたのである。
この厳然たる歴史の事実は棚に上げたまま,いつまでも夢遊病者のように,それこそバカのひとつ覚えでもって「国のために戦い,尊い命を犠牲にされた御英霊に哀悼の誠を捧げる」,それもこの靖国神社においてそう「したがる」といったたぐいの宗教的な行動様式は,
日本が過去に体験してきた〈敗戦〉という歴史の記録から目をそむけた,いいかえれば,国民無視・生命軽視の観点にはまった者だけがいいうる迷文句であった。「国のため・・・」とかなんとかいいたがり,この線に沿って異様にまで「英霊」の存在を強調したがる国の指導者が,いったいなにをもくろんでいるか,われわれは用心を怠ってはいけない。
※-3「〈声〉翼賛化した議員しっかりしろ」『朝日新聞』2014年1月13日朝刊,桑野 毅,無職,東京都 77歳
この投書は,こう主張していた。※-2で取り上げてきた〈声〉欄の投書とはいくらか性質が異なっていた。
この本日〔2014年1月13日〕の朝日新聞朝刊の投書「声」欄に採用された意見は,安倍晋三という首相の「幼稚と傲慢(さ)」(小沢一郎の安倍晋三評)を指摘している。
しかし,ともかく,支持率は実質でかなり低かったものの,また選挙制度の欠陥問題もあってだが,こんな程度の人間:政治家が,この国の代表に選びつづけてきたのは,有権者側による選択結果であった。
戦前,大政翼賛会という政治組織が,大東亜戦争が目前に迫った時期に登場したが,民主主義の基本をも無視したこのような政治動向は,戦時体制期(昭和12年7月7日に始まった日中戦争〔「支那事変」〕)を受けてできていたものであった。
問題がさらにあった。本ブログ筆者がたびたび指摘してきたる公明党という「問題政党」のことである。いまやある意味,自民党の金魚のウンチにもなりえないほど,自民党路線に引きずられるボロ雑巾のような存在になりはてながらも,なおも政権にしがみついてきたのがこの公明党である。公明党のイメージは創価学会まる抱え,その全面的な支援を受けている宗教政党である。
補注)先日,2023年11月18日に報道されていたが,創価学会名誉会長池田大作が11月15日に死んだ。この生臭坊主以上にもっとすごい異臭を放ちつづけてきた宗教人にはとてもみえなかった人物もまた,この国の品格・品位を引き下げるのに大きな貢献をしてきた。
ところで,この公明党が靖国問題に対してまともにものをいわない「非宗教政党」に化けて〔脱皮?〕しまっているのだから,ものすごく不思議であった。もちろん,公明党と創価学会のあいだには,顕在と潜在を問わず「政教分離の原則」が,難問としていつもまとわりついてきた。
なんといっても,自民党の首相が靖国神社に参拝しても,うっかりコメントを出せないのが,公明党でもある。実に情けない政党である。このあたりの問題で公明党が口出しをしたら,自党の首あたりに冷たい風が吹き付けてくるのである。そうした公明党の現状は,自民党というジンベエ鮫の下腹にひっついて,ともかく政権党にへばりつくこと以外,存在価値のない「与党内小与党」になり下がっていた実態を表現していた。
そういえば,昨日〔ここでは2014年1月12日〕の朝日新聞「社説」は,公明党の存在意義じたいを問う,以下のような論説を書いていた。同感である。本ブログは,いままでなんども,この公明党のその体たらくぶりを指摘してきたが,やはり同じように感じる人間はいくらでもいた。
「こまっちゃウな? リンダ,どうしよう?」(山本リンダは創価学会支持者)
池田大作君は,どう思っていたのか,とうとう直接に訊ける機会はなくなった。前段の『朝日新聞』社説は2014年1月12日のものであったから,早その後一昔の時間が経過した。「与党は密の味がする」と断定してもいいようだ。
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