SNSとくにユーチューブ動画サイトに登場した基本から粗雑で,いくつもの虚偽を含む「朝鮮高校対国士舘高校」の餓鬼的粗暴史を素材にした無茶苦茶フェイクそのものの騙り口を「批評する」
※-1『【朝鮮高校 vs 国士舘高校】 電車を止めた昭和最大の学校抗争と伝説の番長』なるユーチューブ動画サイトを視聴する機会があった。
その動画は以下のものである。11分46秒のそれほど長くはない動画なので,まずこれを視聴してほしい。まえもって先入観として指示してしまうが,デタラメのてんこ盛り風に映る場面がなんども現われる。
これは面白そうな動画ということで,ともかくのぞいてみたら,それこそ全部見終わる前になんども,ズッコケタ。とりわけ,この動画のなかでビックリこいた場面があった。
それは,朝鮮学校の生徒側がまるで新宿駅で争乱事件をおこしたかのように動画が編集されていた点であった。
その点は完全に間違い,ウソであり,デッチ上げ・捏造の物語を意図的に創作したと指摘され,さらにこれはとくに断罪されてよい,デタラメさ加減も極地の妄想的な作り話であった。
ユーチューブ動画サイトの運営当局は,いろいろ公表される動画の中身については神経を使い,社会に悪しき影響を与える動画の内容については公表させないとか,修正を求めるとか,禁句まで設けて,その方針の徹底に努力している。
ところが,これほど支離滅裂な動画を,それこそ野放し状態にさせている事実は,異様かつ非常識であるといって済まされる問題の性質ではない。
次項※-2につづけて(とくに a) b) c) )は,ウィキペディアの関連する解説を引用するが,その前につぎの参考資料にも目を通してもほしい。
【参考資料】
※-2 どうやら国士舘高校よりも,できれば朝鮮高校が一番悪いみたいな印象を視聴者に訴求したかった動画
♠ 新宿騒乱(正式名称 新宿騒擾事件)♠
場 所 東京都新宿区新宿駅周辺
日 付 1968年(昭和43年)10月21日〔~22日〕
負傷者 あり
犯 人 中核派・ML派・第四インター
この「国際反戦デー」の「事件の経過」は,こう説明されている。ここからが本稿の「本論(中心部分)」となる。
a) 事件が起きた1968年10月21日は国際反戦デーにあたり,反戦運動諸団体はベトナム戦争に反対する集会を各地で開いていた。
新左翼諸派も例外ではなく,1967年(昭和42年)8月8日に新宿駅で発生した米軍のジェット燃料タンク車爆発事故を捉えて,「新宿米タン闘争」と称して新宿駅での暴動を計画していた。
この暴動では騒擾罪(そうじょうざい,現在の騒乱罪)が適用されたが,「騒擾罪をはねのけて闘うぞ」とアジるなど,始めから騒擾罪を覚悟しての犯行であった。
前日の20日,駅東口でベ平連・国際文化会議を中心とする街頭時局講演会が開かれ,小田 実らによる抗議運動がおこなわれていたが,これはあくまでも順法的なものであった。
それに対し,新左翼のほうはすでに10月8日に「羽田闘争一周年」の集会後,燃料タンク列車の運行妨害のため,中核派・社学同・ML派とともに新宿駅構内に侵入し,144人が逮捕される事件を引き起こしており,二度目の騒擾でもあった。
b) 反代々木系が集会後,新宿へ集結,騒擾罪適用へ
1968年(昭和43年)10月21日,中核派・ML派・第四インターは,明治公園及び日比谷野外音楽堂で集会をおこなったのち,ゲバルト棒などで武装しながら,続々と約2,000人が新宿駅に集結し,各所で機動隊と衝突した。
21時ころ,デモ隊は新宿駅東口の広場で決起集会を開き,その後再度駅構内に乱入した。電車のシートを外して,それを薪代わりにして放火し,南口を炎上させた。また,停車中の電車や信号機など駅施設に投石を繰り返した。
さらに,デモ隊の何倍もの数となる約2万人もの野次馬が集まったことから騒乱が拡大化し,構内は破壊された。新宿駅に接続する国鉄などの交通機能が麻痺状態におちいり,通勤・通学など,約150万人の利用客が影響を受けた。
警視庁公安部は10月22日00時15分になって騒擾罪の適用を決め,743人を逮捕した。列車は午前10時まで運転取りやめとなった。翌年の国際反戦デー闘争においても新左翼の学生数百人が駅構内に突入して破壊活動をおこなった。
【参考ニュース動画】 ーNHKから紹介するが,このニュースと「国士舘高校対朝鮮高校」の対決(時間帯としてはモーニングにもアフターヌーンにもあった模様だが)とは,根本から関係はなかったー
c) 裁 判
1969年(昭和44年),東京地方裁判所でおこなわれていた裁判にて,東京地方検察庁はNHK,TBSが放映したテレビニュースの録画映像を証拠として提出した。同年10月24日,両局の報道局長は報道の自由を侵害するものだとして地検に証拠申請を取り下げるよう申し入れをおこんなったが,対応した検事正は「報道の自由を侵害するものではない」として受け入れなかった。
以上のごときに,1968年(昭和43年)10月21日,東京都新宿区新宿駅周辺において,中核派・ML派・第四インターらによって起こされた「新宿騒乱(正式名称 新宿騒擾事件)の記録(写真・画像,録画・映像)は,
本日,冒頭で紹介した『【朝鮮高校 vs 国士舘高校】 電車を止めた昭和最大の学校抗争と伝説の番長』なるユーチューブ動画サイトの中身とは,まったく無関係の材料であった『新宿騒乱事件』を,さも大ありであったかのようにもちだし,つまり,逆に密輸入したうえで結着させていた。
そのやり方が「事実に反して」いる『事実』を承知でありながら〔と判定しうる筆致〕,そのように,いいかげんどころかハチャメチャに強引なコジツケを敢行していた。
その新宿騒乱事件の画像は,動画『【朝鮮高校 vs 国士舘高校】 電車を止めた昭和最大の学校抗争と伝説の番長』のなかに,けっこうな数がまぜこまされていた。しかも,そのやり方は,正々堂々だと形容してもかまわないほどに,すなわち「本当のウソ」の内容にしかなりえない「不適切な材料の転用」を図ったすえ,制作され,公表していた。
d) ここでは,冒頭に紹介した動画のなかから本ブログ筆者なりに,つぎの場面(コマ)を切りとって紹介,寸評を付しておく。
e) 要は,それらの編集方法が完全なる「昭和史の無知」でなければ,朝鮮高校と国士舘高校(もちろん昭和40年代前後における)の抗争関係(元気だけはいい餓鬼どものケンカ三昧史)をめぐり,とりわけ朝鮮高校側が結局,ヨリ悪いみたいな印象づけを狙ったたかのような,この種のユーチューブ動画サイトの公表は,まさにフェイクそのものであった。
それ以上に問題となのは,特定の在日外国人集団に対する「差別と偏見」を,いまの21世紀において,さらに扇動するためであるかのようにユーチューブ動画サイトに載せて流していた,としか受けとりようがない策謀的な価値観がみえかくれする。しかししょせん,その作法は基本的にかなり幼稚であった。
ただし,関連する歴史事情を最低限でもしる人びとにとっては,そう映るということであって,そうでない人びとの場合は,その正真正銘の大ウソであってもこれに乗りたい人は,ごく簡単に飛びつく(悪乗りする)。
「国士舘高校対朝鮮高校」という〈日朝〉の組みあわせに関してとなれば,このような動画を編集した者は多分,国士舘学校を同じジャパニーズの立場から応援しており,朝鮮学校高級部の生徒を,ホンネでは本当に気に入らない奴らだとみなしているのではないか。
冒頭に紹介した「動画のナレーション(語り方)」は,中立・公正を気取っている姿勢を採ってはいるものの,その表面的なしぐさ(とくに声色)からして,なにやらウサン臭いものもじわじわと伝導してくる〈その底意〉が,かえって反転的に露呈されていた。
f) 最後に全体的な感想を述べる。
半世紀以上も前になるが当時,あたかも「バベルの塔の住民」になっていたような「国士舘高校の悪ガキども」と,これに対して,世襲独裁者のまします某国・異境の熱心な支持者たちの「在日の一部の子弟」となるが(「子女」=女子生徒は含まない),朝鮮高校に通うこれまたクソガキどもとが,未知との遭遇ではあるまいに,「日本国東京都内限定・ミニ版の国際紛争的な国家間疑似闘争」に明け暮れるといった,当人たちはおおまじめであったにせよ,とても〈ささやかにだが異様にささくれだった昭和史〉の一幕が演出されていた。
ところで,あの,故・安倍晋三の子分であった国会議員萩生田光一は,早稲田実業学校高等部を卒業していたが,高校在学中に,卒業パーティーのパーティー券を売り歩いて停学処分,さらに,高田馬場で東京朝鮮中高級学校の生徒と乱闘になり,二度目の停学を食らっていた。
萩生田光一はそのように,経歴(学歴)の事実が説明される「自民党裏金議員の亀鑑」を誇れる立場,いまやそれなりの「国会議員」になっているけれども,高校生の当時は,早稲田実業から早稲田大学への推薦枠は6割程度と限りがあったため,1年間の浪人を経て,明治大学商学部第二部に入学して1987年,明治大学商学部第二部卒業とのこと。
【参考画像】-高校生の萩生田光一君-
g) 萩生田光一は,1963年8月31日(現在,61歳)生まれだから,新宿騒乱事件のときはまだ5歳になる前であった。だが,彼が高校生の時期(1978年から3年間)のあいだでもそのように,朝鮮高校(まさかそこの中学生はくわわってはないと思うが)の生徒と乱闘騒ぎはまだ起きていたというのだから,「朝鮮高校対国士舘高校」の定期戦は,類は友を呼ぶ要領でいつまでも尾を引いていた〈伝統ある対戦〉だったことになるのか?
以上の話をまとめたい。最初にのぞいてみたユーチューブ動画サイトは,基本的にいっての評価となれば,一般世間に対してこのように「ニッポン人たちの駄目ガキドモ」と「チョウセンジンたちのあのしょうがない餓鬼ども」とが,
あんなそんなにして「ガンを飛ばしあい,殴りあい,流血しあったごとき〈昭和史なりのハイティーン編史〉もあったよね」といいたいかもしれないが,そのフェイク動画の中身は,その史実とはまったく関係のない新宿騒乱事件の写真(など)が,完全なるフェイク行為の実践編をなすための材料に悪用されていた。しかも,相当本気で他者を騙す結果を期待したがごとき要領でもって,盛んにそれを取りこんでいた。
h) 冒頭に出してみた,そのユーチューブ動画サイトの全体を視聴したうえで,これを要約的に批評するとしたら,まさに完璧に「作意のデタラメ」が浸透させられていて,徹頭徹尾,故意の粗雑な編集が基本であった事実は明解であった。
他者をして誤解をさせるだけでなく,それどころかウソ・いつわりの虚構の上に,つま先立ちした状態になってだが,それでも器用に昭和史を「虚仮の解釈」(といえるシロモノでもなかったが)だけでもって加工し,これみよがしに披瀝しようとミエをはりたかったのだが,結果としては,自分だけが得意になって〈特定のゲロ〉を吐いていたことになる。
【参考画像資料】-元在特会の桜井 誠が吐いていた寝言からひとつ-
【参考記事】 -古谷経衡の『日刊ゲンダイ』への寄稿-
--------【参考文献の紹介:アマゾン通販】----------