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靖国神社問題をどう理解したらいいか,外国人に分からないと韜晦・逃避したがる日本人側関係者の狡猾・詭弁

 ※-1 靖国神社という元国営神社,旧日帝陸海軍直轄の国家神道のための「明治謹製」だった歴史の含意

 本稿は2014年2月5日に初筆を公表したのち,2020年8月18日に補筆し,さらに本日,2024年1月1日元日に更新することになった。その間しばらく,未公表の状態にあった文章である。

 ただ,いつものように長文の構成になってもいたので,本日の改訂・補正作業はなるべく加筆を増やさないように留意したうえで,ここに復活させることにした。しかし,それでも書きなおしているうちに,1万6千字を超える分量になっていた。

 以上,冒頭での断わりである。また一番上にかかげてある画像資料は,靖国神社ホームページに初詣用に掲載されている広告であった。神社・仏閣にとって正月三が日は稼ぎ時であるから,これ用に工夫したホームページが制作されていた。

【参考画像資料】ー本論と関係がある正月向けの関係資料-

2023年12月31日大晦日に出ていた大阪方面の初詣広告
靖国神社の2024年向け初詣を案内する広告
一番上段の枠外には引用者が記入した住所などが指示されている


 ※-2 本日の論題は「靖国問題をどう理解したらいいか,外国人に分からないと韜晦したがる」日本人側関係者の問題性

 すなわち,靖国の問題になるとなぜか頭をもたげてくるのだが,その伝統的な神道神社観のその常識的な理解からはかけ離れたかっこうで,しかも傲岸不遜さもひどく鼻についてとなるのだが,それでいてただ「日本はスゴイ神秘的で,ともかく幽玄」なのだといいたげであって,

 しかも「その筋道がもともと明解ではない」国家神道観念的によって,無条件に決めつけておきたい「素朴な宗教原理観」になってもいた,つまり,万事に関して「先験的な感性」が「独走的に舞い上がった状態」になれたつもりの「恍惚のヤスクニ」の立場が,ともかく昂揚されていた。

 以上のごときに,いささかこみいった表現をしてみたうえで,ここではまず,「靖国問題について群盲・象を評する〈外国人:米識者の浅薄な見解〉」を具材にとりあげ,あれこれ詮議・批評することから記述を始めることにしたい。

 上段ではあえて〈外国人:米識者の浅薄な見解〉があるといいだしてみたが,日本事情にそれほどくわしくもなく,専門的にも「日本の神道からヤスクニの問題まで」を,基礎的にであってもまともに学習したとはとても思えない「外国人識者」が,それも白人系の研究者(?)だったが,日本の問題としての “ヤスクニ・ジンジャ” について,いってみれば「したり顔」で言及していた。

 そのさい当然のことがらになるが,専門的な学域での議論ができる者でなければ,めったに口出しはしないはずの問題点にまで言及したとなれば,結果として,いろいろと穴だらけだとみなすほかない論旨(?)が露呈されるのは不可避であった。

 また,靖国神社に関する賛成派と反対派の両説に関する基本文献は,何冊かでいい,目を通してから発言すべきではないかと感じさせた。そういうしだいであったから,この外国人識者の議論は印象論の域を出ない感性的な主張ばかりがめだっていた。

 いいかえれば,稚拙な認識,表層だけみた感想,地に足のつかない議論などで,この元国営神社のとくにその戦争的な本質問題にまでは肉薄できるわけがなかった。

 以下,主に議論していく対象は,つぎの要点2つとして表わされる。

  要点:1 靖国神社問題の歴史と本質を理解できなかった『ニューズウィーク日本版』2014年1月28日号の,特集「劇場化する靖国問題」

  要点:2 A級戦犯が合祀された靖国神社に昭和天皇が参拝(親拝)にいけなくなった敗戦後史的な事情

 

 ※-3 最近における靖国神社問題への関心-ここでは2013~2014年-

 2013年12月26日,第2次政権を発足させてから満1年目となったその日,安倍晋三首相が靖国神社を参拝した。このことを契機に,言論・出版関係では最近,この日本国における『戦争神社:Shinto war shrine』に関する論説が,いくつも登場してきた。

 より具体的に触れておくが,靖国神社は「勝利のための神社であり,官軍用の神社」であったのだから,敗戦によって端的に「その存在価値が否定され」ていた。すなわち,その「完全なる不要性」が歴史的にも証明されたのであった。

 ところが,この「まともに存在する理由をすでに喪失したはずの神社」に関する今日的な議論が,生半可な前提知識のままでとりあげられては,見当違いの発言をさせたり,焦点をずらした記事を公表させたりしている。

 ところで,本日〔ここでは2014年2月5日〕まででも本(旧)ブログは,靖国神社に関連する記述を,いくつか公表展開してきた。なかでも「靖国神社問題」を少しでもまともに理解しようとするときは,「敗戦した賊軍神社の意味」も考慮に入れた議論が必要不可欠である。

 雑誌『ニューズウィーク日本版』2014年1月28日号は,特集「劇場化する靖国問題」を組んでいた。この特集記事に関しては,高森明勅(たかもり・あきのり,1957年生まれ)が,「ゴー宣道場」のブログ『今昔モノ語り』欄において,『週刊ポスト』や『ニューズウィーク日本版』がとりあげた「靖国」関係の記事を,つぎのように紹介していた。

 それは,現在(2014年1月24日時点であったが)発売中の『週刊ポスト』(2014年1月31日号)と『ニューズウィーク日本版』(2014年1月28日号)が靖国神社をとり上げているなかで,これらの議論をどのように受けとめていたかという発言であった。

 その『週刊ポスト』については,「フォトルポ 靖国神社 新聞・テレビ報道ではわからない奥の奥」と題した巻頭のカラーグラビア8ページの企画」があり,「私も些かお手伝いしたから手前味噌になるが,貴重な写真が満載で一読の価値はある」

 また,この「切り口は」「世界では米国のアーリントン墓地のように戦死者を慰霊する施設が問題視されることはない。さまざまな議論があるが,百聞は一見にしかず。まずは一度訪れることをお勧めしたいというもの」だと,案内していた。

 高森また,『ニューズウィーク日本版』(2014年1月28日号)は「劇場化する靖国問題」という特集については,こう述べていた。2本ほどは以前の記事の再録ながら,タイムリーで読み応えがある。事実誤認や,やや混乱した記述もあるが,商業ジャーナリスズムとしては全体としてバランスの取れた内容になっている。

 表紙にある「戦没者のための慰霊の場を外交対立の道具に変えた中韓の欺瞞と日本の怠慢」というキャッチコピーが,編集部の基本的なスタンスを示している。近年は反対派から靖国批判の材料にもされている,同神社の付属博物館,遊就館をめぐる記述もある。

 註記)以上,https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=jo85p5gup-14 参照。

 補注)ここでの指摘,「戦没者のための慰霊の場を外交対立の道具に変えた中韓の欺瞞」と「日本の怠慢」(とにそれぞれに分けていわれているもの)といったごときの〈概念設定〉なりの記述,というか「対位法的な理解」そのものが奇怪であって,つまり,当初から問題を捕捉するための視点としては,もともと不適切であり,独断に走りすぎていた。

 要は,靖国神社の歴史・素性を多少なりでも把握・認識している識者であれば,そのような単純思考の組み合わせによる筆法は採れない。しかし,それでもそのような「筆法に走れるところ」だけが,めだって突出する議論に終始していた。

 

 ※-4「劇場化する靖国問題」

 『ニューズウィーク日本版』2014年1月28日号の特集「劇場化する靖国問題」に寄稿している識者,J・バークシャー・ミラー(米戦略国際問題研究所太平洋フォーラム研究員)の議論に聞いてみたい。このミラーが論稿にかかげた題目は「世界が誤解する靖国神社の実像-アジア 歪曲化された認識を正さない限り日中韓の対立は平行線をたどり続ける-」であった。

 本ブログ筆者なりに,ミラーの「同稿」において気になった段落を引用してみたい。以下,それぞれに寸評を追付していく形式で記述する。

 a) だが実際には,彼らの遺体や遺骨があるわけではない。神社側が〔19〕78年に示した見解では,靖国にまつられているのは彼らの魂すなわち「御霊」である(これが今も議論の的になっているが)。

 註記)30頁5段。

 補注)この理解に間違いはない。靖国神社は墓地ではなく,霊所(Holy ground;a sacred place)である。そこには,肉体の朽ちた遺骨はいっさい不要であり,霊魂のみを都合よく〈英霊〉化しておき,つぎの「国家目的:戦争目的(戦争だから勝利しなければ意味がない)」のために〈活用〉しなければならない神社である。

 靖国問題の要点はここにある。

 靖国神社が戦敗神社になってしまい,賊軍神社になってしまったにもかかわらず,敗戦後における国際政治秩序の基本枠組を,意地でも認めたくなかった人びとが,東京裁判史観を断定的かつ排他的に概念構成したうえで,これを非難・否定したつもりになって,しかも終始一貫,独りよがりでしかないオダを挙げつづけてきた。他者の意見などわずかも耳を傾けることがなかった。

 だが,この “過去の歴史” に対するその種の “現在的な態度” は,昭和天皇がそもそも「ポツダム宣言を受容し,そして《聖断までしていた》」という「歴史の事実」を,ただちに全面的に否認した「観念の立場」を意味する。

 『東京裁判史観』を闇雲に,そして必死になって攻撃する人たちは,この昭和天皇が敗戦後史に対峙してきた「あり方の意味」を忘れているのでなければ,完全に無視してきた。本当に裕仁の意向を理解できていれば,そのような態度は採れない。

 天皇裕仁は基本的に,東京裁判史観の枠組を認めながら,敗戦後の大日本帝国から日本国への変遷史を,たくましくというか,きわめて要領よく生き抜いてきた人物である。

 東京裁判史観を拒絶する人びとがかかえざるをえなかった “どうしようもない根本矛盾” は,この史観を是認しつつ上手に利用もする生涯(域か型)を経てきた「昭和天皇のその立場」を,しょせん,否定できないところにみいだせる。

 この論点は,東京裁判史観否定論者に対してみれば,説明不能の困った袋小路を指示していた。だが,この根本矛盾を,靖国問題に関して明確に指摘するその否定論者はいない。

 率直にいってみれば,初めから説明など不要であったのが「昭和天皇」の「東京裁判史観に対する親和性」であった。この点は,敗戦後史においてあまりにも当然に披瀝された天皇裕仁の対応であった。

 なにせ,東條英機などが天皇裕仁の身代わりになって13階段を昇ってくれたのだから,その親和性の点を,歴史に関する問題として否定するための批判的な議論をなしえた「東京裁判史観」に立つ論者は,誰1人としていなかった。

 ここで,ミラーの「同稿」に戻ろう。

 さらに靖国は,第2次大戦期に限らず,明治維新以降のさまざまな戦いで命を落とした人たちを追悼する場所でもある。たとえば西南戦争で命を落とした官軍兵士や,第1次大戦時にドイツとの戦いで命を落とした約5000人もここにまつられている。

 註記)30頁5段。

 補注)しかし,賊軍の兵士をまつらない靖国神社の国家的性格の意味,その本質を歴史的に把握できもしないで,このように「西南戦争で命を落とした官軍兵士や,第1次大戦時にドイツとの戦いで命を落とした兵士」の存在にだけ言及するのは,片面的・部分的でしかない狭隘な観察である。

 換言すれば,「賊軍も官軍も」それこそいっしょに追悼してきた,それまでにおける日本の宗教的な伝統からは,完全に逸脱した “国営戦争・勝利用神社の遡源” にまで追究がいかない論旨は,単に《説明不足であるだけの不十分な理解》にしかならない。

 要は,靖国神社史の全容にうかがえる総体的な特徴をまともに理解したとはいえないのが,ミラー稿「世界が誤解する靖国神社の実像-歪曲化された認識を正さない限り日中韓の対立は平行線をたどり続ける-」であった。

 このミラーは「米戦略国際問題研究所太平洋フォーラム研究員」という肩書を着けていたが,本当に靖国神社の基本的知識を一通りにでもちあわせているのかさえ疑わせていた。

 結局,稚拙で,目先だけでみた問題の,それも上っ面をなぞるだけの発言に足踏みしている。譬えていえば,靖国神社の大鳥居の前あたりでうろうろしているだけで,本殿にまで近づいていない程度の理解であった。

 なお,「米戦略国際問題研究所」(Center for Strategic and International Studies, CSIS)とは,アメリカ合衆国のワシントンD.C.に本部を置くシンクタンクである。

 1962年にジョージタウン大学が設けた戦略国際問題研究所(CSIS)が,のちに学外組織として発展したものである。現在〔この記述が当初なされた当時〕のフルタイム常勤職員は220人。議長はトーマス・プリッツカー(Thomas J. Pritzker),所長兼CEOはジョン・ハムレ(John J. Hamre)。

 全世界のシンクタンクをランク付けしたペンシルベニア大学によるレポート(Go to think tank index の2014年版)によれば,CSISは防衛,国家安全保障(Table 14)で世界第1位,外交政策,国際関係論(Table 31)で第5位,革新的政策提言(Table 44)の総合では第4位(全米で3位)にランクされており 。ワシントンでもシンクタンクとして認知されている。

 公式には超党派を標榜し,民主党,共和党を含む幅広い人材が関与している。ユーエスニューズ&ワールド・レポートは「中道」(centrist)と表現している。だが,要はアメリカの国益第1のために政治的に(政治学的ではなく)研究しているシンクタンクである。

 以上の事項についてさらにくわしくは,ウィキペディアで「戦略国際問題研究所」を観てほしいが,要は「ジャパン・ハンドラー」の育成所(巣窟?)と形容してもいい,アメリカのための国際監視機関である。いろいろと日本でも名の通った人物が関与しているのが,このCSISである。

 ところで,今年(2020年)8月15日に靖国神社に参拝した日本政府の閣僚4名の先頭を斬るかのようにして,九段下に出向いたのが小泉進次郎であった。

ここまでいわれている属国日本

 CSISの幹部要員として有名な1人にマイケル・グリーンがいたが(下掲画像),この人物が「日本の首相は馬鹿にしかやらせない」と豪語するほど,日本という国家に対しては完全に舐めきった態度で接してきた。

 小泉進次郎も一時期,CSISに在籍させてもらっていたが,この世襲議員が日本の首相の有力候補の1人だというのだから,嗤うにわらえない日本の政治事情のなかに,われわれもどっぷり漬けこまされている。

 なお,小泉進次郎は2004年3月に関東学院大学経済学部卒業後,2006年5月米国コロンビア大学大学院政治学部で修士号を取得していたが,おそらく,この期間に関連してCSISに在籍させてもらっていたと思われる。

 要するに「ジャパン・ハンドラー」の掌に載せられている日本の政治家の1人が小泉進次郎である。父親の純一郎もそうであったが,はたしてそうした日米関係の舞台が勝手に設えられている状況のなかで,仮に進次郎が首相になったさい,はたして「ジャパン・ファースト」で仕事をする(できる?)かどうかは,疑問である。というよりはまったく無理難題の期待となるほかない。

 さて,ミラー「同稿」に戻ろう。

 日本にも戦死者を悼む権利と必要があるはずだ。それを否定せず,中国,韓国との関係を改善する道はあるのだろうか。

 註記)31頁3段。

 補注)ここでの,戦死者の発生に関する歴史の淵源をよりくわしくしりさえすれば,指摘するところの「改善できる道」が簡単に開けるかのように説くのは,軽率に過ぎていた。靖国神社のイロハさえろくに読めていなかったアメリカ側の識者に,日本に居る者で多少はヤスクニ問題を考えている人間が,指導・教導を受ける余地なまったくありえない。

 靖国神社そのものを「否定せず」ということばの使い方も尋常ではなかった。靖国神社そのものが国家神道的な宗教精神を押し通しながら,合祀している者たち(英霊)の肉親・親族に対してさえ,平然と「その悼む権利と必要」の「否定を」している点,もう少しわかりやすくいえば,それを問答無用に「横どり」してきた事実をしらないにもかかわらず,それでも前段のように,ヤスクニ問題をまるで〈したり顔〉で語れる姿勢は,お話にならないくらいに無知を告白したも同然であった。

 注意しなければならないのは,「英霊」は靖国神社のもの,天皇のために活かされている御霊だという,ヤスクニ側の理屈であった。その遺族たちの思いどおりに追憶されたり,祈念されたする「魂の存在」では,けっしてあってはいけないのである。

 すなわち,国家のため・皇室のために実在しうる「英霊」を,みだりに遺族のものだと考えるのは,「国家神道的な宗教機関」であった「靖国神社」本来の「役目・立場」をわきまえないものだと,きびしく排除されている。

 敗戦前の国営神社でなくなった現在の靖国神社は,民間の一宗教法人になってから70年以上の歳月が経っていても,いまもなお,そうした戦前風のものだが,あくまで明治謹製であっただけの靖国「観」をかたくなに護信して止まない。

 どういうことかといえば,靖国神社には勝手に合祀しないでくれという〔たとえばキリスト教徒家族をもつ〕「異教徒の〈家族の霊〉」に対して,こちらの側の「その拒否する権利と必要」をいっさい許容してこなかった経緯を有する〔もちろんいまもそうであるが〕,靖国神社に固有・特殊である「国家独断的な横暴・専断」は,言語道断の理屈を前面に押し出していた。

 ミラー「同稿」に戻ろう。

 たとえば韓国の金 大中元大統領は,日本政府が(合祀した)A級戦犯14人の除外を約束すれば靖国神社の敵視をやめると示唆した。

 註記)31頁4段。

 補注)金元大統領のこの意見は,靖国神社側の立場からは絶対に受けいれられない,実現不可能の要求であった。このことは,すでになんども確認済みの事項であった。

 そのようにかたくなな回答しか,靖国神社側は出していない。この点は,靖国神社を研究する人でなくとも,多少はこの元国営神社に関心のある人であれば,基本的知識のひとつとして承知の事項である。

 それなのに,この程度の認識もしらずに,隣国の元大統領によるそのような意見を参照したところで,なにも益することはない。要はムダな言及であり,詮ない議論であった。

 金 大中が大統領であったときにいったとかどうかとは,また次元を完全に異にした「靖国問題に対する正確な歴史認識」が不可欠であるところに,そのような話題をじかにもちこむのは,やぶにらみの議論にしかならない。

 もちろん,それでも,ここでいわれているような方向性に向かう議論が,靖国神社のあり方に関してとなれば,問題解決のための選択肢のひとつとして,完全に無用だとはいいきれない。

 しかし,問題はまた,その「実現の可能性」がほぼ百%無理であることにある。いいかえれば,靖国神社側はそのような主張に対しては百%拒否すること以外,ほかの選択肢を用意していない。

 ミラー「同稿」に戻ろう。

 中国,韓国の指導者も,靖国の問題をもっと大きな流れのなかで位置づけたほうがいい。では日本は,靖国問題をどう位置づければいいのか。たとえばA級戦犯の合祀をやめて,その代わり大戦で死んだ多くの若い兵士への追悼施設として維持するのも1つの方法かもしれない。

 註記)31頁4-5段。

 補注)この段落の指摘も前段と同じに批判される。「A級戦犯の合祀」を解くことはできない,いわゆる「分祀は絶対にならぬ:そもそもできない」と絶対的にいいはっているのが,靖国神社側の以前から一貫した姿勢である。一度合祀した霊はこれを分けたり,引き離したり,よそに移したりはできないという理屈を立てている。

 だが,一般の神社でこれに似た措置はないわけではなく,やろうと思えばいくらでも「理屈を付けて」できるはずだが,一貫して絶対にそうはしない〔できない〕といいはってきた。敗戦直後,植民地に建造してあった祭神はさっさと日本に引き揚げさせたし,祭神をよそに転じる手順が「宗教観念」的に不可能であるわけなどなかった。

 ミラーのいった「靖国の問題をもっと大きな流れの中で位置づけたほうがいい」ということがらじたいは,あまりにも当然な観点であり,誰も反対しえない,もっともな考え方である。

 しかし,靖国神社じたいに関していう意見,「もっと大きな流れの中で位置づけた」らどうかというこの指摘は,実際的な議論の場面となれば,甲論乙駁・侃々諤々となって収まる地点をみいだしえないでいる。

 この困難な課題に関連する諸議論をまともにしないままで,漫然とそのように「いかようにでもいえる発想」→「大きな流れの中で位置づけよ」とだけいわれたところで,それ以上に議論が進展する保証はない。これは靖国神社側に固有の偏執狂的な特性であった。

 ミラー「同稿」に戻ろう。

 要するに双方の妥協が必要なのだ。

 註記)31頁4段。

 補注)こういう発言はもともと焦点が定まっていなかった。具体的な裏づけもなく,ただ「双方の妥協が必要なのだ」という弁ずるのは,単位にとても安易な提案であった。つまり,実際的な議論のための中身を用意できていない提言であるし,むろん創造的な展望もなしえなかった。

 なかでも「双方が妥協」という視点が,靖国神社に関して実現した場合,いったいどのようなこの神社のあり方が想定しうるのか? この種の議論もまえもって分析・予想したうえで「双方の妥協」にまで触れるべきものではなかったのか? 妥協の必要性が先行したとしたら,場合によって問題がさらに紛糾する種を提供することになりかねない。

 ミラー「同稿」に戻ろう。

 実際に遊就館にいってみて,私はいい意味で驚かされた。展示は内省的な内容で,戦争を美化するものではなかったからだ。遊就館を見終わった私は,こういう感想をも持った。多くの戦争を経験してきたすべての国と同様,日本にも戦死者への哀悼を表現する場所があっていい,と。

 註記)31頁1段。

 補注)この遊就館に対する〈感想〉については,どだいからその感覚が疑われるといっておく。本ブログ筆者の観方,実際にこの戦争侵略博物館を観覧した体験でいっても,この感想とは天と地ほどの差があるとらえ方が順当であると判断する。より率直にいって,ミラーの遊就館「感想」は,嘘に等しい発言である。

 つまり,ミラーは,あえて通常に受ける印象とは逆の感想をを示した。そのうえで「すべての国と同様,日本にも戦死者への哀悼を表現する場所があっていい」(※) という結論を導いている。だから,「戦死者が出るから,哀悼の場所が必要」となるわけで,それは靖国だという理屈になっていた。

 しかし,この論法は因果の関係でいえば,この因果の流れをわざと逆さまに流して理解した詭弁的な説明になっていた。論理の飛躍をいとわず,話題の結論を(※) のほうに性急に運びこんでいた。

 なにかを先験的に決めたがっているような意向が表面に出ていた。ここでは逆に,いってみれば「哀悼の場所が必要だから,戦死者を予定しておく」という論理の順序づけも必要になりそうである。

 われわれは,このJ・バークシャー・ミラーのようなアメリカ人には気をつけたほうがよい。J. Berkshire Miller は,戦略国際問題研究所太平洋フォーラム日本担当フェローであり,専門は「アジア太平洋地域における安全保障,防衛,インテリジェンス」である。この人物が靖国神社の歴史・由来や本質・課題を適切に議論してくれる保証はない。もっとも,彼ら〔CSISの〕利害を中心にするための議論ならば,いかようにでもできるかもしれない。

 それと日本側の議論〔靖国神社賛成派であれ反対派であれ〕とが噛みあう問題領域が,はたしてありうるのか? あるとすれば,どこになにが,どのようにありうるのか?

 こちらの可能性をさきに探ってからでないと,きわめて表面的な分析しかなしえていないミラーの論説を,いかにも権威がある “ジャパンハンドラーズ” の1人の見解であるかのように,間違えて受けとめてしまうことになる。それでは軽率ないしは軽薄な,しかも議論以前の,単なる感想の述べあい程度の発言しかできない。

 なかんずく,ミラーの議論は「靖国問題」のいわば “イロハ” をよくしらずに,無謀という以前に僭越にも権威ぶってなのか,日本に向かい高踏的かつ指導的に発言しようとしていた。

 靖国問題を専門に研究する日本の学究にいわせれば,ミラーの発言は常識次元におけるものだとしても,あるいはこの常識の水準にすら乗りえなかった靖国神社の理解であった。

 だから一言で片付けていえば,以上のごときミラーの意見,あくまでジャパン・ハンドラーの1人による「政治的発言」であった。それも,根本のところにおいて,アメリカ利害志向(America‐First)を当然に構えていた,いわば『相当にいかがわしい意向』を隠しもっていた,しかも,日本・日本人・日本民族に対して「非常に厚かましい〈論旨〉」を披露していた。

 

 ※-5「本当に悪いのは中国のほうだ」

 『ニューズウィーク日本版』2014年1月28日号のこの特集「劇場化する靖国問題」は,廖 建明(リアオ・リエンミン,ジャーナリスト)が執筆した「本当に悪いのは中国のほうだ」も掲載している。

 こちらは,靖国神社よりも遊就館を問題にしている。前項でミラーが受けとめたこの戦争侵略博物館の理解とは,完全に逆になっていた。いってみるまでもなく,このリアオのほうが,ごく自然で通常の観察になっていた。

 「私は靖国神社じたいにはまったく問題を感じない。ただ,その敷地内にある軍事博物館の遊就館はひどいものだ」

 「遊就館は,戦争の歴史をゆがめている。日本の戦争は正しかったとたたえ,悪事から目を背ける。実際,遊就館には中国が批判するすべてがある」

 「だが批判する人びとは,ある決定的な事実を思い起こす必要がある。靖国神社も遊就館も,奉納金や寄付金などによって運営されているということだ。もし国が助成していたら大騒ぎになるだろうが,そうではない」

 註記)33頁4-5段。

 補注)この意見は,遊就館が靖国神社に固有である戦争観・英霊観に支えられて存在している事実を外していた点に鑑みていえば,ひどく好意的にも聞こえる理解である。

 神社が祭壇に〈霊の展示〉をするのに対して,博物館は館内に〈戦争物の誇示〉をするための施設である。しかも遊就館は,神社の境内に設置されている付属施設である。両者が別々のもの=機能をもっているわけがなく,たがいに補完関係にあることは明白である。

 むろん,神社の祭壇が主であり,博物館は従である。明治以来に限られるが,日本の戦争,これに敗戦した国家,そしてそのために「尊い生命を捧げた(奪われた)」人びとの英霊,これらをまとめて陳列したうえで「大日本帝国,かく戦えり!」と自慢している。それが遊就館である。

 「戦争に敗けた」とはいえ,アジアで唯一植民地にならなかった,逆に植民地を有した国であった。よそのアジアの諸国は,日本のように自前で兵器や武器をろくに生産できていなかった。そういう自慢でもしたいかのような館内の展示になっている。

 たしかに,あのゼロ・ファイターも緒戦では絶好調であったが,しかしその後はその神通力は失っていった。たしかに,あの戦艦大和は世界で最大の巨艦・巨砲を誇ったけれども,本格的に艦隊決戦に挑む機会も与えられないで,沖縄への片道切符をもたされたあげく,その途中で群がってきた敵米軍機によって撃沈された。

 なかんずく「八百万の神の国」は「キリストの神の国」に敗北した。しかも,皇居内の宮中三殿に祭られている『天照大神』も『皇祖皇宗』も,事実敗北の辛酸を舐めさせられていた。この歴史的な体験を一番痛切に受けとめざるをえなかった人物が,いうまでもなく,この皇室神道を本気で信じているつもりの昭和天皇であった。

 敗戦後の一時期,皇室神道は解体されそうな憂き目に遭遇していないわけではなかったものの,占領軍はそこまで直接手を突っこむことはなかった。もっけの幸いであった。一方の靖国神社は,占領軍当局による特定の理解があって,なんとか存続させられてき。だが,こちら,靖国神社の敗戦後的な問題状況に関しては,基本から「ボタンをかけ違えさせる」事態が発生していた。

 要は,「勝利神社」であったはずの靖国神社が,敗北した大日本帝国の元直営神社である性格そのものを捨てずにそのまま,日本国のなかに居残った。この事実が尾を引いていき,その必然的なことがらとして間欠的に露呈させられてきたものが,今日にまで至る「靖国神社」に固有の「矛盾的な問題性」である。

 日本帝国の敗退とともに消滅したはずの元国営神社が,「自国の敗戦をまともに認める」こともなく,そのまま残続してきた。まさしく破廉恥であったというしかない。敗戦後69〔75,78〕年も経ったいまになっても,なお,「年中行事のように近隣諸国とのいざこざ」を惹起させるのが「この神社の歴史的本質」なのである。

 靖国神社がそのまま神社(民間の宗教法人)として存続した形態になっていても,いまだに問題が絶えない根源を抱えこんでいる。

 「引用者」(冒頭に氏名の出ていた高森明勅を指す)は,『ニューズウィーク日本版』2014年1月28日号特集記事を読んで,さきに挙げた自身のブログ内で,こういった感想を述べていた。

 靖国神社は,慰霊(同神社では「奉慰」という言葉を使う)だけでなく,顕彰の「聖地」でもある。むしろ重点は,顕彰の方にあるといっていい。

 だから,中国系ジャーナリストが遊就館の展示を観て,彼の観点からは「日本の戦争をたたえ,悪事からは目を背ける」と受けとられてしまうのは,ある意味ではやむをえないのかもしれない。だがアメリカの研究者が同じものを観て,その「内省的な内容」に「いい意味で驚かされた」と感想を述べているのは,興味深い。

 この高森はついでに,こうも指摘していた。「なお,1月25日発売の『WiLL』3月号に「『靖国参拝』もう中断は許されない」という一文を認めた。紙数の制約で述べ足りないところもあるが,関心をお持ちの方は覗いて欲しい,と。

 高森明勅の思考傾向・価値観がどこにあるか申すまでもない。とくに「アメリカの研究者が同じものを観て,その『内省的な内容』に『いい意味で驚かされた』」と,彼が指摘した発言には,いくぶんかであっても,明確に歓迎の意が表出されていた。

 

 ※-6「中国人はなぜ靖国参拝を理解できないか -国際社会の批判が続くのは戦後体制への挑戦と映るからだ-」

 さて,『ニューズウィーク日本版』(2014年1月28日号)は,以上に言及した2稿のあいだに,安 替(アン・ティ,ブロガーでコラムニスト)の論稿「中国人はなぜ靖国参拝を理解できないか-国際社会の批判が続くのは戦後体制への挑戦と映るからだ-」も載せていた。

 こちらは,A級戦犯の問題が戦後において,どのようにあつかわれてきた国際政治上の問題であるのかを論じていた。安がこだわるのは「14人のA級戦犯については話が別だ」という1点であった。こういっていた。

 アメリカが天皇を訴追せず,日本に西側世界の一員として国際社会復帰を認めたのは,冷戦期の国際社会での必要性と日本国民の感情を尊重したためだった「戦争責任をこの14人に背負わせ」,いわば「見せしめ」にしてようやく,1000万人以上が死んだアジアの戦争は過去のものとなった。

 現在も被害者意識のある中韓両国民などにとって,その14人は「侵略戦争の元兇」にほかならない。一方で,天皇は日本の国家的尊厳の象徴として認識されている。実際,習 近平を含む各国の指導者は天皇を尊重している。

 A級戦犯をまつる靖国神社を日本の首相が参拝することを,中国人はどうしても理解できない。……中国人の罪と閥の意識は強い。たとえ14人が命令を受けただけの軍人や政治かだったとしても,彼らを無罪と考えることは「天皇無罪論」の否定にほかならない。(安の引用終わり)

 この見解は,いままでにもよく復唱されてきた,それもきわめて教条的な論調の強い「A級戦犯と昭和天皇との連関」に関する把握方法であった。いうなれば,東京裁判史観をなんとはなしに摂取した視点が基礎に置かれていたのである。

 日本側が靖国問題で批判されるときに決まって受ける「日本非難」に対しては,常套句となっていた「東條英機らA級戦犯と昭和天皇の分離」論が対置させられてきた。

 結局,安は,この消極的な論法と同一の靖国理解に陥っていた。この点は,最後で「14人が命令を受けただけの軍人や政治家だったとしても彼らを無罪と考えることは『天皇無罪論』の否定にほかならない」と説明しているところからも明らかである。

 実は「そうなのであった」。

 昭和天皇は,自分の戦争責任問題が東京裁判では免責されていた実際の意味を,日本国民のほかの誰よりも一番よく認識していた。ところが,靖国神社にA級戦犯が合祀されたのを境目に,この自分が訴追されていなかった事実,すなわち「東京裁判」によって制作されていた「歴史の虚構(=天皇免罪)」が,いいかえれば,その根本矛盾が一挙に噴出させられてしまった点として,天皇裕仁の頭上に「ダモクレスの剣」として現われたのである。

 彼は,そうした事情の変化しだいについて大いにおののいた。靖国神社側に対しては「親の心,子しらず」(『富田メモ』)という個人的な怨み節を,側近(侍従)に向けて吐くほど,自分の怒りを表現してもいた。別のいい方をすれば,彼にとってみれば「寝た児を起こす」ような事件を起こしてくれたのが,靖国神社によるA級戦犯合祀であった。

 なんといっても,自分の身代わりになってくれたのがA級戦犯であったゆえ,この霊が祭られている祭壇に昭和天皇が仮にでも参拝する関係は,「虫酸が走る」というか,「冷汗もの」といった形容では,とうてい表現しきれない,それこど天地がひっくり返るような事態を意味した。天皇裕仁はこうした必然のなりゆきをA級戦犯合祀から生まれた「歴史的な意味」として,確実に認識していた。

 なかんずく,A級戦犯合祀(1975年11月21日)以降の靖国神社は,東京裁判史観を否定するどころか,その必然的な意味は,天皇裕仁の「敗戦後における立場」も全面的に破綻させた。

 率直に問題の本質をいってしまえば,こうなる。

 アメリカ側はまず,戦争終結以前から,敗戦後における日本統治・支配のために「日本の天皇を利用すること」を,占領計画のうちに入れていた。そこには「昭和天皇無罪論」が前もって導出され準備されていた。

 そしてつぎに,この構想を裏打ちする材料として不可欠とされたのが「A級戦犯の問題処理」の方法,つまり,こちらにすべての責任を押しつけるやり方であった。東京裁判がその関係を整理・整頓するための舞台に利用された。

 

 ※-7 昭和天皇の本当の気持

 まともに考えれば,罪も責任もあったのは,A級戦犯に限らず昭和天皇も同列・同断である。こう観るのが歴史のすなおな理解である。

 ところがたまたま,戦後におけるアメリカの日本占領・管理政策や,米ソを主軸として冷戦構造の国際的な構造化にともない,そうした図式「絶対的な悪は〔あくまで〕A級戦犯,相対的に善〔だったのは〕昭和天皇」というふうな,

 極端なまでに単純明快に用意された「大日本帝国敗北に対する〈裁きの枠組〉」が工夫・用意され,この敗戦処理の前提=枠組を足場に使い,戦後における日本の歴史が構築されることになった。

 ところが,そうした昭和20年代史の経過のせいでかえって,この20世紀中葉における歴史の展開が,21世紀のいまになってもなお妙にあとを引いている。いまだに問題を新たに惹起させつづける素因を提供してもいたからである。21世紀になった日本国の皇室がをどこに求めればよいのかは,贅言するまでもあるまい。

 最後に一言。『朝日新聞』2014年2月5日朝刊(オピニオン欄)は,「〈世界が見た安倍首相〉)経済政策と靖国参拝,富国強兵の表裏」という題名の一文を,英フィナンシャル・タイムズ紙アジア編集長のデービッド・ピリングに書かせていた。

 そのなかに,以下のような段落があったが,敗戦後における昭和天皇は,このような〈問題状況〉をよく理解し,呑みこんでいた人間であったことを忘れてはならない。この事実は,彼が「広島・長崎に原爆が投下された問題に関連させて,それは〈文学的なことばのアヤ〉に関することがら・・・」だと発言したことにも深くつながっている。

 「安倍氏は日本に対する歴史的判断を正したいと思っているのだろう。第2次世界大戦での日本は非常に好戦的で,ひどいことをしたと私は思う。しかし,米国は原爆を落とし,東京を空襲した。相対論のなかだと,日本だけが突出して邪悪だったとは主張しにくい。ではどちらが最初に始めたのか,という議論になる」

 「中国や韓国からみれば当然,過去に起きたことを日本が否定しようというのではと疑念をかきたてられる。ほかも同じようなことをしたという議論は,自分はなにもしなかったという否定の道に容易につながる」 

 要は,安倍晋三は,前代の平成天皇明仁の「〈御意〉」に逆らうための内政を推進してきた。いまの日本国においては,首相の立場からその種の政治的な操作を自由に振るえる余地「力」は,その気になればかなりの程度まで入手できる。

 もっとも,安倍晋三は2022年7月8日に狙撃され死亡した。首相としての任期も2020年9月16日に終えていた。しかし,それまでに彼がこの国でおこなってきた為政は,現在でもまだ国民たちの立場を日常的に苦しめる基本要因として残存したままである。

 安倍晋三の為政は百害あって一利もなかった。これほどまで「世襲3代目の政治屋」による国家運営がひどいという事実は,いまの首相である岸田文雄も同じ「世襲3代目の政治屋」として,以心伝心かどうかよく分からぬが結局,同列であった。

 「衰退途上国」という国家「政治・経済」のベクトルが勢いづいてしまった「現状の日本国」であるから,この状況に歯止めをかけるのは容易ではない。「世襲3代目の政治屋」にまともに,よくなしうる現状でないことだけは,確言できそうである。

 だが,いまの政界事情とみたら「パー券裏金問題」で動揺しているだけのみっともない状態にある。安倍晋三の負的遺産だけが「生き生きと病的にのさばる」ばかりのこの国になってしまった。

 天皇・天皇制をウンヌン(デンデン)する以前に,この国に固有となったかのような政治のあり方が革命的に改善されないと,このままの日本は21世紀の半ばには「反死に」同然の国柄にまで落ちこむかもしれない。

 以上のごとき話題の前では靖国神社の問題など,出る幕がなくなりそうであるが,日本をダメにしてきた基本要因のひとつが,この元国営神社にも隠されているといった問題意識が要請されている。

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