見出し画像

世襲政治屋たちの資質劣性遺伝は間違いのない既成事実,日本の為政は以前からそのドツボにはまって死に体同然,安倍晋三・岸田文雄の天下無双的な世襲政治音痴ぶりは救いようがなく,そのツケ回しは庶民たちに押しつけられてきた

 ※-1  2024年6月7日朝-「丸出ダメ夫論」という語で検索した結果のうち5件

「世襲3代目の政治屋」が
▲カ者と▲ホ連と▲ツケたちの大集合体となって
この国の政治を破壊し
この国の経済を沈滞(沈没!)させ
この国の社会を腐敗させてきた

 この5点の記事の「標題をみただけ」でもすでに,岸田文雄の政治家としての,否,本当は「世襲3代目の政治屋」である本性(実力)が読みとれ,けっこうよく分かる気になれる。

 自民党にもちろん一番多く盤踞しつづけているこの政治屋たちにはまず,自分の哲学・理念・信条・方針・原則というものが皆無であった。彼らにあるものといったら,銅臭感覚が飛び抜けて鋭敏である事実が目立つ以外,とりたてて「注目・評価できる」ものはない。

 2021年10月4日,菅 義偉のあとを襲って首相になった岸田文雄(漫画版の「丸出だめ夫」君がその紙面から起き上がって出てきたみたいな世襲政治屋)も,そうしたたぐいの,いまでは「世襲3代目の政治屋」の「世代」にまで異常繁殖してきたゆえ,日本の政治の運行(運営)がまともに進展することなどまず,99.99% ありえなかった。

 まあみていなさい。今月(2024年6月)の各種世論調査はもしかすると岸田文雄・現政権に対する支持率が,いよいよ最低水準にまで落ちこむ結果を報告してくるかもしれない。

 しょせん,3流の手腕(?)しかもちあわせない岸田文雄をはじめ大勢いるこれらの政治屋たちに,一国の運営を任せることじたい,「冒険だ」という以前に「危険がいっぱいであった」し,実際のところすでに,その負の成果(!?)はたっぷり噴射されてきた。

 政治資金規正法の改正問題など,もともとが「ザル法」であったこの法から「ザルの肝心なその編み目部分」までとっぱらったがごとき,そのような最低の改悪ぶりは,国民民主党の玉井雄一郎につぎのようにいわせたほど,デタラメの極致になっており,完璧なまで遺憾なくその破廉恥ぶりを発揮させていた。

  ★ 国民民主・玉木代表「ザルに申し訳ないザル法」 規正法改正案 ★
=『朝日新聞』2024年6月6日 16時17分,https://www.asahi.com/articles/ASS6625RNS66UTFK00PM.html

 国民民主党の玉木雄一郎代表は6日,衆院を通過した政治資金規正法改正案について,「ザル法です」と指摘した上で,「ザルに申し訳ないですね。ザルの方がもっと物がすくえる。(改正案は)もう穴が開きまくっている。裏金問題の対策にまったくなっていない」と断じた。国会内で記者団に語った。

 自民党が公明党,日本維新の会と合意した改正案の政治資金の透明化策について,玉木氏は「多くのものが検討,検討,また検討。具体的にはまだなにも決まっていない」と指摘。

 自民の対応を「これだけの裏金問題を起こし,国民の不信が高まるなか,まったく反省していない」と批判した上で,「厳しく国民からは鉄槌(てっつい)を下されると思う。選挙で国民に判断をいただくしかない」と述べた。

『朝日新聞』2024年6月6日

 なお,ザルそのものの用途は本来,料理などで「水分を切る(あるいは,洗う時に食材をまとめ,その後に水を切る)」ことにあるというけれども,このたびの自民党とこれにひっついている公明党(下駄の▲ソ)だけでなく,そして「第2自民党を自称する」日本維新の会が,政治資金規正法の改正問題では国会において賛成の側にまわったことで,この法律改悪どころかそもそも雲散霧消させられたと断定していい。

【参考記事】


 ※-2「岸田文雄『俺は安倍さんもやれなかったことをやったんだ』の筋違い…岸田派ブレーン木原が持った『拒否権』の威力」『集英社オンライン』 2023年11月9日,https://shueisha.online/articles/-/171672

 この記事は6千字を超える分量であるが,なかなか興味深い内容になっていたので,あえていちいち紹介しながら,そしていつものように本ブログ筆者の寸評をトッピングする形式で記述していきたい。

 1) 岸田文雄は首相としてなにを目指し,政権運営を通じてなにがしたいのか。「なにをしたいのかわからない…」。そんな風評が絶えない岸田官邸の実像に迫る。

 『鵺の政権 ドキュメント岸田官邸620日』朝日新書〔朝日新聞政治部,2023年9月13日公刊〕より,一部抜粋,再構成してお届けする。なお肩書などは取材当時のものである。

 補注)この岸田文雄が首相として「なにをしたいのかわからない…」という事実は,単に風評として説明・位置づけるべき「彼の政治屋としての基本的な立場ないしは資質」でなく,まさしく本物の実像としての「彼の政治屋としての特性」である。

 のちに関連する言及も出てくるはずだが,政治屋ではなく政治屋だと蔑称される「世襲3代目の政治屋」たちは,国家の議席を世襲的に保守・維持できていることそのものに,国会議員である立場に意義をみいだしているのであって,国民の選挙で選ばれた選良として,いかに国家・国民のためにマツリゴトをおこなうよう日夜努力するかという点よりも,

 自分たちの立場・権益(利害⇒私権=利権)をどれほど最大化できるかという関心事しか頭中にはない。ましてや国民・市民・庶民たちの生活の向上だとか権利の擁護だとかいった問題などは,2の次のまたその次に追いやっており,自分たちの関心事からは遠くに離れてしか映っていない。

〔記事に戻る ↓ 〕

 a)「安倍さんもやれなかったことをやった」

 〔当時(2023年内の話)〕衆参5つの補欠選挙の開票が続いていた。2023年4月23日夜,岸田は部屋着姿で住まいである首相公邸にいた。同居する長男で首相秘書官を務める翔太郎と一緒にNHKの開票速報をみていた。

 時折,岸田の携帯電話が鳴った。自民党幹部からだった。速報で参院大分選挙区補選での劣勢が伝えられると顔をしかめた。

 4勝1敗。

 自民は補選前に持っていた3議席から一つ増やした。結果が判明すると岸田は一安心した表情をみせた。

 b) 岸田文雄「俺は安倍さんもやれなかったことをやったんだ」の筋違い…岸田派ブレーン木原がもった「拒否権」の威力

 岸田はいつ,衆院解散・総選挙に打って出るのか。補選の結果を踏まえ,永田町の関心は,岸田の出方に集まった。

 「いま,解散・総選挙は考えていない」 翌24日朝,首相官邸で記者団の質問に淡々と答えた。ただ,その夜,周囲にこう漏らした。

 「補選の結果は解散の判断に影響しない。解散は総裁2期目を考えたときに,一番良いタイミングでやる」

 補注)この岸田文雄が予定したかった解散の時期は,2024年6月初旬になった現在になってところでは,ほぼ潰えている〔というのが専門家筋の分析・判断)。思いどおりにはなかなかいかなったこれまでの経緯が生じていた。

〔記事に戻る→〕 自民党総裁の任期満了は2024年9月に迎える。岸田は2期目をめざし,周囲には総裁選に立候補する意欲をみせている。とはいえ,補選での4勝は,喜べるような内容ではなかった。

 参院大分はわずか341票差の勝利だった。衆院千葉5区は勝ったものの,接戦にもつれこんだ。衆院和歌山1区は日本維新の会に敗れ,その勢いをみせつけられた。

 内閣支持率もウクライナへの電撃訪問などを好感し,上向いたが,2022年7月の参院選直後の水準までは戻っていない。なのに,1年以上も先の総裁選に照準を定められるのはなぜか。

 「俺は安倍さんもやれなかったことをやったんだ」 2022年末,岸田は元首相の安倍晋三の名を挙げ,高揚感を隠しきれない様子を周囲に見せた。

 c) 自信なのか,慢心なのか

 岸田政権は2022年12月,国家安全保障戦略など安保関連3文書を改定し,敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を決めた。

 原発政策では,再稼働の推進だけでなく,建て替えや運転期間の延長に踏み込む方針を決定した。

 戦後日本の安全保障政策,東京電力福島第1原発事故後に堅持してきた原発政策を一気に大転換させた。

 だが,岸田はその説明を尽くし,十分な議論をおこなったとはいいがたい。疑問を置き去りにした方針転換に世論の評価は割れている。

 補注)なかでも「原発の再稼働・新増設」をおこなうことを唐突にかつ勝手に決めたり,防衛費5年間で倍増(GDP比2%)にするとか決めたりした,岸田文雄の政治手法とはいえない「独断と専横の政治手法」は,民主主義の基本理念などどこ吹く風といった体裁で,国家の運営を推進させるといった,

 それも国民たちの視線など完全に無視した基本姿勢は,さすがに「世襲3代目の政治屋」の特有である采配ぶりだといえた。21世紀の日本政治史のなかでは岸田文雄は,安倍晋三と並んで,「これダメ,政治屋」の双璧たりうる資格を,すでに十二分に発揮してきた。

〔記事に戻る→〕 自信なのか,慢心なのか。自民党総裁2期目を視野に入れる岸田はなにをめざすのか。

 岸田やその周辺への取材を重ねると,どん底にあった2022年12月,政権最大のピンチを乗り切ったことが,その後の「転機」となったと口をそろえた。

 d) 岸田文雄「俺は安倍さんもやれなかったことをやったんだ」の筋違い… 岸田派ブレーン木原が持った「拒否権」の威力(続き)

 「『乱気流』のなかにいるようだった」「なんとしても今国会で通したい。さらなる工夫を考えて欲しい」

 岸田は2022年12月,旧統一教会の問題を受けた不当寄付勧誘防止法(被害者救済新法)について,臨時国会での成立をめざしていた。その大詰めを迎え,野党から修正を迫られるなか,岸田の指示で関係幹部が週末も調整を続けた。

 「まるで『乱気流』のなかにいるようだった」。官邸幹部は当時をこう振り返る。

 参院選の最中の2022年7月8日,安倍が銃撃され,死去した。旧統一教会と自民党の関係がつぎつぎと表面化。岸田は「安倍派の問題だろう」と受け流し,対応が遅れた。独断で決めた安倍の「国葬」への批判も強まっていった。

 さらに,旧統一教会の問題や失言,「政治とカネ」などをめぐって閣僚らを相次いで更迭した。その更迭の判断も後手に回り,与党からも批判を浴びた。内閣支持率は続落。政権は迷走し,追いつめられていた。

 「臨時国会は間に合わない」 救済新法の成立について消費者庁幹部が早々に官邸幹部に伝えた。それでも「来年まで引きずっていいことはない」と成立にこだわったのが岸田だった。政権をなんとか立てなおしたい。そんな思いもあった。

 救済新法は12月10日,参院本会議で可決し,成立させた。岸田はこう漏らした。「一つの区切りはついた。かなり無理をさせたが」

 「岸田官邸の転機はこの時だった」 岸田と周辺の見方は重なる。岸田主導で政治と行政がかみ合い,危機を乗り越えたことが「自信」につながっているのだという。

 e)「なぜ総理大臣になったの?」-子どもの質問に困惑

 年が明けた〔2023年〕。岸田は1月4日,記者会見に臨んだ。「岸田政権の歴史的役割」に触れ,「これ以上先送りできない課題に正面から愚直に挑戦し,一つひとつ答えを出していく」と力をこめ,新たに「異次元の少子化対策」をかかげた。

 補注)本ブログは,昨日(2024年6月6日)の記述のなかで,以下のごとき「同日の朝刊1面」記事を引用していた。ここでもかかげるのがいいと思い,再び出しておく。岸田文雄が自分なりに悦に入って「異次元の少子化対策」だなどといったところで,どこまでもコトバだけが宙を舞っていたに過ぎなかった。

『毎日新聞』2024年6月6日朝刊

〔記事に戻る→〕 先送りできない課題に取り組むのは,岸田として当然の役割でもある。では,首相としてなにをしたいのか。

 東日本大震災から12年を迎えた2023年3月11日,福島県相馬市を訪れた岸田は,子どもから「なぜ総理大臣になったのか」と聞かれた。

 「これはね,いろいろ語りだすとむずかしいんだけど……」〔と〕,突然の質問に困った表情を浮かべた。

 「政治家になって,やりたいと思うことを実現する。やめてほしいと思うことをやめてもらう。総理大臣はいちおう,日本の社会のなかで一番権限の大きい人なので,総理大臣をめざした」

 補注)「国家で一番権限の大きい人=総理大臣」そのものに自身がなることが,「世襲3代目の政治屋」の究極・至高である人生目標だったというのが,この岸田文雄の弁であった。

 いうなれば,首相の地位,いいかえれば双六の上がりとする最終地点にたどり着くことが,自分の政治家としての目標だと説明した岸田文雄は,そのつぎに,そこから自分がなにを「日本という国家」のためにやるべき人間になるのかという地点にまで,実は考えたことがなかった。その事実は,実際に彼が首相の座に就いた段階になると,ただちに露呈していた。

 首相になった人間としてならば,さあそのつぎにその立場・地位なりに,ということは「新しい双六」を用意したうえで,そこに描きこんだ「これからの任務・使命・仕事・課題」に,国家最高指導者としていかに取り組み,実現させていくか考えねばならなかったはずである。

 けれども,どうやら岸田文雄君は,この「ふたつめの双六」の準備にまで思いが至っていないで,日本国総理大臣になっていた。

 岸田文雄的な政治屋としての立場にあっては,政治の哲学も理念も信条も方針も原則もそもそも皆無であったから,その「ふたつめの双六」について実は,その必要性を感じておらず,当初から念頭にはなかったことになる。

 その事実は迂闊だったというよりも,世襲政治屋に固有であったかのような,「自分なりに創案して身に着けているはずの特定の政治精神」の『完全なる不在』を意味した。

 まさしく岸田文雄は「世襲3代目の政治屋」としてならば,本当に「異次元的な水準での資質欠落」を指摘されるほかない,しかもその典型的な人物の1人であった。

 安倍晋三も「世襲3代目の政治屋」としてならば,本当にヒドイ人材であった。けれども,岸田文雄もまた同じに「箸にも棒にもかからない」,しかも「異次元的にその凡々さも度が過ぎていた」「逸材ではなく逸脱しまくっていた凡才以下」の,そして,まともな政治家とはみなせない程度のつまり「半熟未満の資質」しかもちあわせていなかった。

〔記事に戻る→〕 首相になる前から「やりたいことがみえない」との批判がつきまとっていた。岸田がかかげる「新しい資本主義」も中身が定まらない。憲法改正や拉致問題の解決などを訴えた安倍と比べると,その違いが際立つ。

 f) 岸田はこう周囲に語った。

 「先送りされてきた課題はいっぱいある。この先いくらでも他の課題が出てくる。いまはやることをやっていくしかない」

 補注)この発言は会社組織で位置づけるとしたら,以下の図解を借りて日本語の表記で説明するが,係長・課長の階層に居る人物が,なにかの必要があれば吐くような文句であった。つまり,日本国の経営最高執行責任者の地位に立つ人間が吐くべきセリフではなかった。

岸田文雄君あなたは自分が国家機構のなかで
いったいどこに立っているのか分かないのか

 要は,この岸田文雄は経営者ではなく政治家(政治屋)である自分の立ち位置や使命・任務の特質・中身が,本当のところ,まともに理解も認識もできていなかった。

 アメリカ経営学の代表者であるピーター・F・ドラッカーは,営利企業の経営者の仕事として,つぎの重要な役割3点を上げていた。

  ♥1「事業の決定」  
  ♥2「資金配分」
  ♥3「人材配置」

 これらは,社会へ価値を提供するためにやるべき事業を決定し,その事業に投入する予算を策定し,そして事業に実現に最適な人員を選びことだと説明されている。

上層に居る人間が中間層に居るような意識水準では
仕事そのものが円滑には推進できない

 ところが,岸田文雄が正直にもそれも小学生の質問に対して応えた「首相になった自分の仕事」というものは,もっぱら,♥3の「人材配置」の範囲内(その役割)に留まっていたに過ぎなかった。

 つまり,自民党政府の国会議員や国家官僚組織を,自身の命令一下,思うように差配できる立場に就くこと,その「日本の社会のなかで一番権限の大きい人である総理大臣」になりたかったのが最大の動機があった,と正直にも語っていた。

 だから,ここで参照している記事,「岸田文雄『俺は安倍さんもやれなかったことをやったんだ』の筋違い…岸田派ブレーン木原が持った『拒否権』の威力」『集英社オンライン』 2023年11月9日は,つぎのようにもつづけて書いていた。
 
 g) 官僚が用意した答弁ライン「正確に守ってくれる」

 首相として,やりたいことをやるのではなく,やらなければならないことをやる。そう思い定める岸田がつぎに見据えるのが「賃上げ」だ。

 「今年の春闘は,30年ぶりの賃上げ水準となっており,力強いうねりが生まれています。このうねりを地方へ,中小企業へ広げるべく,全力を尽くしてまいります」

 岸田は2023年4月29日,連合が主催するメーデー中央大会に出席した。首相の出席は2014年の安倍以来,9年ぶりだった。

 なぜ,賃上げなのか。「賃上げをすれば,負担増も納得してもらえる」 岸田はその狙いの一つをこう明かした。

 実際,負担増が待ち受けている。岸田政権は防衛力の抜本的強化に必要な財源を確保するため,増税する方針を打ち出している。異次元の少子化対策を実現するためにも負担増は避けられない。そのためには賃上げが必要だという理屈だ。

 だが,焦点の中小企業や地方にまで賃上げが広がるかは見通せない。

岸田文雄が首相になったのは2021年10月4日

 なぜ,そのような施策や負担増が必要なのか。広く議論し,理解をえようとしているのか。やるべき「大義」を盾に大方針を決めるが,聞かれたことには正面から答えない。そんな岸田の姿勢も定着しつつあった。

 「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」と危機感を訴え,敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有などを決めたものの,国会で問われても「手の内を明かすわけにはいかない」などと答えない場面が多かった。

 h) 原発への回帰でも,既定方針を繰り返す姿勢が目立った。

 安倍晋三は国会でいら立ちを隠さず,荒々しい言葉をぶつけ,問題視されることも少なくなかった。自民党幹部は岸田について「同じ答弁を繰り返せるのが強み。安倍さんとはそこが違う」といい,答弁を批判されても,それを繰り返すことが苦にならないとみる。

 補注)その岸田文雄流の「答弁を批判されても,それを繰り返すことが苦にならない」態度は,いまでは庶民の側からみて,まことに腹立たしい,しかも空虚な答弁にしか聞こえていない。まるでオウム……。

 だから,その態度がいつまでも続くうちに,聞かされているほうの人たちはいらだつだけでなく,この首相の誠意のなさ,いわば口先でペラペラとかんなくずが燃えるかのように答えるその態度に対しては,さすが「世襲3代目の政治屋」の感性の鈍さ,理性のネジレ,知性の不在を観取するほかなくなっている。

〔記事に戻る→〕 首相答弁を作る官邸スタッフはこうみる。

 「答弁ラインを伝えるとかなり正確に守ってくれる。『ここまでならいっても良い』と基準を示すメモを極めて正確に守る」

 〔だが〕官僚が用意した答弁ラインを守る結果,形式的な質疑が積み重なっていく。岸田本人にとってみれば,何度も質問に答えているので,きちんと説明している。

 そんな思い違いがズレをさらに増幅させているようにもみえる。やりたいことよりも,やらなければならないことをやる。だが,納得がえられる十分な説明は後回しで,方針だけが決まっていく。そんな岸田の実像が浮かび上がる。

 i) 官邸を支える2人の番頭

 「やりたいことよりやるべきこと」。それが岸田の統治の手法とするならば,岸田にとっての「やるべきこと」とは,どのように決まっているのか。

 岸田官邸の1年半を振り返ると,数ある政策課題の取捨選択には,2人のキーパーソンの存在が浮かび上がる。

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本対メキシコ戦のテレビ中継に多くの人が釘付けになっていた2023年3月21日午前,岸田はウクライナで列車に揺られていた。

 前夜,外遊先のインドのホテルを裏口からひそかに抜け出し,ポーランドを経て,陸路でキーウをめざしていた。ホテルに取り残された首相秘書官は,岸田が出発した後に計画をしらされたという。

 「岸田総理がウクライナを電撃訪問」のニュース速報が流れたのは,ちょうど9回,無死二塁で日本代表の村上宗隆に打順が回ってきたときだった。

 電波で居場所をしられないよう,携帯電話の電源を切り,外部からの電波も遮断。通訳などの外務省関係者や警護のSPも絞りこみ,随行者は10人足らず。穀倉地帯を走る列車のなかに,岸田と深夜までゼレンスキー大統領との会談の打ち合わせをしていた2人の側近の姿があった。

 首席首相秘書官の嶋田 隆と官房副長官の木原誠二

 政権の機微に触れる重要な政策決定には,必らずこの2人がかかわっていた。2023年2月に発表されるまで,保秘が徹底された日本銀行総裁の後任人事。2人は数カ月前から,水面下で候補者のリストアップを進めてきた。

j) 経産省へ直接指示 まるで「嶋田資源エネルギー庁長官」

 嶋田は岸田と同じ開成高校の2年後輩。東大卒で通商産業省(現・経済産業省)に入り,事務方トップの事務次官も務めた。

 官房長官や財務相を歴任した故与謝野馨の信頼が厚く,閣僚になるたびに秘書官として起用された。東京電力福島第1原発事故の後は,原子力損害賠償支援機構の理事や,東電取締役に就き,東電の経営再建を主導した。

 嶋田の職場は,岸田や官房長官の執務室が並ぶ首相官邸の最上階,5階にある。秘書官室にはコの字形に机が配置され,左右に居並ぶ秘書官全員がみわたせる中央に嶋田が座る。

 嶋田の背中の向こうには,扉を挟んで岸田の執務室がある。岸田へのあらゆる報告はすべて嶋田がチェックし,岸田の指示は嶋田が差配した。嶋田は思い入れの強いエネルギー政策にはみずから首を突っこむ面もある。

 退官後,富士フイルムホールディングスの社外取締役などを務めていたが,2021年9月の自民党総裁選の結果が出る数日前,岸田から「もし勝ったら,やってほしい」と誘われた。

 岸田の長男,翔太郎と同じ「政務秘書官」として,各省庁のエース級が集まる秘書官を束ね,岸田に最も近い場所で執務に臨む。

 物価高騰を受けた電気料金の値上げ抑制策や,原発の建て替え(リプレース)を含む政策転換をめぐっては連日,経産省に直接指示を出し,書類も自ら書いた。

 その細やかな働きぶりをある事務秘書官はこう表現した。「『嶋田資源エネルギー庁長官』,いや『嶋田課長』といってもいいぐらいだ」

 だが,政策全般では,嶋田が率いる官邸スタッフによる省庁への「介入」は抑制的と言える。岸田政権が「適度な政治主導と適度な行政の推進」(首相周辺)を重視しているからだ。

 経産省の同期で第2次安倍政権では,首席首相秘書官を務めた今井尚哉は重要政策をみずから主導していた。対する嶋田は,政策の実務を粛々と進めるタイプだ。

 第2次安倍政権では,官房長官の菅 義偉が「内政は全部,俺に任せてくれている」と周囲に語る一方,あらゆる政策に口を挟み,「反対するなら異動してもらう」とも公言。官邸主導で政策が進む一方,「官邸に箸の上げ下ろしまで指図される」(経済官庁幹部)と官僚の萎縮を招いた。

 岸田政権では,岸田の意を受けた官邸が重要な判断や方向性は示すが,官僚の専門性に委ねる。ある省庁の幹部は「首相は決められないといわれるが,それだけ意見が上がっているということだ」と話す。

 k) 嶋田自身,官邸と現場の省庁がそれぞれの役割を発揮したケースを経験している。史上初めて震度7を連続記録した2016年4月の熊本地震の時だ。

 当時,経産省ナンバー3の官房長だった嶋田は官邸の命を受けて現地で省庁幹部が集う会議の事務局長を務め,生活インフラの復旧から被災者の健康管理まで,省庁をまたぐ対応を担った。

 災害の初動対応がスムーズに進んだ好例として,霞が関では熊本の頭文字と幹部の人数を取って「K9」と呼ばれる。

 補注)以上,かなり長い引照を補注を入れずに聞いてきたが,熊本地震の件が話題に出ていた関係でいうと,今年(2024年)1月1日に発生した能登半島地震に対する,事後の対策が,

 なんとういうか,「国家があたかも故意に手抜きし放置してきたような実情」からは,すでに多くの国民たちも感知していた事実に即していえる点だが,岸田文雄は肝心の現地救済策をサボタージュしてきたと判定するほかない。

 たとえば,『信濃毎日新聞』の2日前の社説がつぎのように,その手抜き同然でありつづけている,国側の冷たい対応ぶりを的確に説明していた。

    ◆〈社説〉被災家屋の解体 復興の大前提を着実に ◆
  =『信濃毎日新聞』2024年6月5日 09:31,
    https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2024060500107

 能登半島地震から5カ月が経ったというのに,全半壊した建物の解体,撤去が遅々として進んでいない。最大震度5強を観測した〔6月〕3日の地震では,元日の大地震でダメージを受けていた建物が倒壊した。

 危険と隣り合わせのままでは復興どころではない。住民の意向をくみつつ,行政,民間の支援を厚くして着実に進めたい。石川県は,自治体が所有者に代わって撤去する「公費解体」の対象を2万2500棟と想定し,来年10月までに作業を終える目標をかかげている。

 これまでに1万6千棟の申請を受け付けたが完了は380棟余,全体の2%ほどにとどまる。2016年の熊本地震は5カ月で4160棟,15%だった。能登の遅れが際立っている。

 約240棟が焼け落ちた「輪島朝市」一帯も長く野ざらしで,着手はようやくきょうからだ。

 現地調査に当たる専門業者が足りないことや,被災地周辺に宿泊施設が少なく解体業者が遠方から通わざるをえない-といった事情が伝えられている。解体後のがれきの分別にも時間がかかる。

 さらに背景として,手続きの煩わしさや,過疎,高齢化が進んだ地域事情がある。

 公費解体には原則,相続関係者の同意が要る。能登では古くからの家が多く,名義人がすでに亡くなった数代前の先祖のままという未登記の例も多い。

 その場合,関係する親族すべての同意が必要だが,縁遠くなって連絡が取れなかったり,住民が高齢で避難所暮らしのためままならなかったりする。
 迅速な解体に向け,国は,明らかに建物としての機能が失われた場合は,相続人全員の同意がなくても市町村判断で解体を進められると被災4県に通知した。

 こうした制度にくわえ,被災地に近い場での業者の拠点づくりや,家財を運び出すボランティアの拡大を進める必要がある。解体手続きをためらう住民の相談体制の充実も欠かせない。

 解体したあとのまちづくりも大切だ。伝統的な家屋と町並みが人びとを引きつけてきた半島の風土,景観をできるだけ守りたい。そのための知恵を絞る住民参加の場づくりが求められる。

 石川県は先月,復興計画の素案を公表した。息長く地域に関わる「関係人口」の拡大などが数々うたわれているが,その大前提が被災家屋への対応であることをしっかり踏まえておきたい。

『信濃毎日新聞』2024年6月5日「社説」

 なお,石川県の知事は森 喜朗の舎弟であって,現地では「あのプロレスラー」と呼ばれている馳 浩であるが,この筋肉脳の同県首長は,能登半島地震の被災者救済に最大限を努力をしてきたようには,全然みえない。というかその指揮を執る能力に疑念が生じていた。

 前段に引用した『信濃毎日新聞』「社説」は,能登半島地震のその後における復旧状況に触れていた。現地は,いまだに復旧がずいぶん遅滞させられている状況を否応なしにかかえている。

 一般の国民・市民・庶民の目線からみても,石川県や政府当局は,いったいなにをモタモタしているのか。最近の諸情勢にまつわる制約があるとはいえ,この知事やあの首相は本気で県民被災者を助ける気があるのか,と疑われて当然の「やる気のなさ」であった。

 したがって,そこでこそまさに登場すべきが「総理大臣の岸田文雄」の役目や立場であったはずである。だが,国の立場から被災地に対して迅速に積極的に疎漏なく支援しようとするという気概など,われわれの観るところでは少しも感じさせなかった。

 日本全国,能登半島地震のような地域特定の激震だけでなく,これからは南海トラフ超巨大地震も発生する確率がより高まっている時期,なんとも情けなく頼りがいもない連中が,県知事だとかこの国の首相の立場にあるとなれば,要らぬ心配をいまからしておかねばならない。

【参考記事】


〔記事に戻る( ↓  )〕

 l) 「木原さんには『拒否権』がある」

 これに対し,アクセルとブレーキを使い分けて,政権の浮沈に関わる重要政策をコントロールしているのが,木原だ。

 「異次元の少子化対策に挑戦する」

 2023年1月4日,岸田が年頭の記者会見で打ち出した少子化対策に「異次元」の言葉が躍った。

 奇をてらわない岸田らしからぬ言葉選びもさることながら,官邸スタッフが驚いたのは,児童手当の拡充を柱にかかげたことだ。財務省は児童手当の拡充は少子化対策への効果が薄いと否定的だった。

 なぜ,「終わった話」(財務省幹部)の児童手当が突如,重要施策に躍り出たのか。木原は,首相会見から2日後の報道番組で「異次元」の名付け親は「私ではない」とけむに巻いた。

 だが,財務省幹部は「『異次元』といい出したのも,(目玉政策の)児童手当の拡充にこだわっているのも,木原さんだ」といい切る。

 木原は東大法学部を卒業後,財務官僚を経て2005年に初当選。岸田派の政策ブレーンとして頭角を現し,派閥では事務局長を務める。岸田が総裁選に出るさいの公約も手がけたとされる。

 反面,「支持率に一喜一憂するべきだ」と,世論には人一倍敏感な側面も併せもつ。

 コロナ禍が落ち着きをみせはじめた2022年6月,国土交通省は冷えこんだ旅行需要を回復させるため,地域内の旅行に限った支援策「県民割」を,都道府県の判断で全国から受け入れられるよう拡大する計画を官邸に示した。

 秘書官の多くは前向きだったが,木原の答えは「ノー」だった。(7月の参院の)選挙前に,都道府県にリスクを押しつけるなんてとんでもない」 〔その〕実施は最終的に10月までずれこんだ。

 ある経済官庁の幹部によると,世論の反発を先読みし,コロナ対策の緩和にストップをかけたのも木原だったという。幹部は「嶋田,木原は岸田を頂点とした二等辺三角形ではない。木原さんには『拒否権』がある」と解説する。

 岸田がみずからの政権構想をまとめた著書『岸田ビジョン』には,こんな記述がある。

 絶えずトップダウンでは国民の心が離れていってしまう。絶えずボトムアップではなかなか決められない。官僚からのボトムアップを重視する嶋田と,官邸からのトップダウンを指揮する木原。

 m) 岸田は役割が異なる2人の「番頭」を据えることで,みずからかかげたビジョンを実践しているようにみえる。

 だが,官邸が省庁の幹部人事を掌握するため,第2次安倍政権時代の2014年につくられた内閣人事局は,いまも健在だ。圧倒的な人事権を背景に官邸が官僚を抑えこむ可能性は,いまもくすぶる。

 あるベテラン官僚は,「秘書官が資料の『てにをは』にまで口を出し,司令官みたいになっている」と語る。政府関係者は,かつてのように官邸からの圧力が強まりつつあることを懸念する。

 「政権発足当初は風通しが良かったが,官邸スタッフと霞が関の官僚の間に摩擦が起き始めている」

 (以上,『集英社オンライン』の記事からの長い参照とこれへの補注的な寸評の記述であった)

 以上に紹介した『集英社オンライン』の記事の末尾には,関連する記事のリンクが貼られ紹介されていたが,その記事のなかに出ていた表現からつぎの文面を拾っておこう。

 「自民党幹部『岸田政権は鵺(ぬえ)のような政権だ』」

 「『専門家にいわせておいて,世論をみて追従』政治的判断ができない岸田政権…オミクロン株で大迷走! 『繰り返された過ち』」

 それら記事の「見出し文句」として登場していたこれらの形容は,まったくそのとおりであったと受けとめるほかない。

 岸田文雄は「政府の仕事全般」については,木原誠二にすっかりおんぶに抱っこの要領でもって,政権のもろもろの仕事をおこなっている。ほかにまともなブレーンがいないのである。

 また,木原誠二よりもある意味重大な問題を抱えている人物が,嶋田 隆であった

 この2人の官僚のうちこの嶋田がまさに,「原発の再稼働」のみならず「新増設」までおこなうと,国民たちの合意・意思を完全に舐めきったかたちで否定・無視したうえで,首相である岸田文雄に対してその原発問題に関する「既存の方針」の変更を吹きこんだのである。

 その点は,この新聞記事(『日本経済新聞』)もすでに紹介したことがある関連の報道であったが,ここでももう一度示しておく。

日本は再エネ利用体制が「発展途上」

 原発の再稼働と新増設は,ここで指摘されている「再生可能エネルギーの途上国」と継承されたこの日本のエネルギー事情を,さらに遅延あるいは妨害させること必至である。

 はたして,岸田文雄はその付近の事情を,基本だけでもあるいは概略だけでも,理解できているのか? あやしいものである。

 要は「こんな人が日本の首相」に就いている。しかも「世襲3代目の政治屋」であった。安倍晋三も意識してか否かはしらぬが,原発問題には完全な無理解の態度を採っていた。

 2013年9月に安倍晋三はこういっていた。東電福島第1原発事故は「アンダーコントロール」だと。なんといえばいいのか,「馬は鹿なりに」,ずいぶんひどいバカをおっしゃったものである。

 日本はいまもなお「原子力非常事態宣言」が発令中であるが,伊達や酔狂で発令しつづけているわけではあるまい。 

いつになったら解除できるのか?

 

---------【参考文献の紹介:アマゾン通販】---------


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?