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いま戦争・紛争が起こされている国家間や地域では平然と人殺しがおこなわれている,人が人を殺したとなればとくに殺した者の心のなかに精神的な大打撃(PTSD)が残らないほうがおかしい

 ※-1 戦争事態になるといつも兵士は「一山いくらの命の値段」になる

 a) 安倍晋三の第2次政権以降,この国はアメリカ(帝国主義)の驥尾につらなって,自国軍の兵士たちを世界中に派兵したがっているのか,まるで傭兵もどきに戦闘行為に動員される覚悟があるらしい。

 米日安保関連法は,アメリカが軍事同盟を締結してきた相手国の「日本」だといっても,この国の軍隊(自衛隊3軍)を,可能なかぎり手足のように使いまわす相互関係を構築してきた。

 この国の民たちの《人口統計分布》は,2023年12月の現在すでに「戦争をしらない世代」が圧倒的な比率を占めている。敗戦前であれば,徴兵されて「天皇陛下のために死ね」と戦場に送りこまれた兵士たちが,本当に実際に無数死んだ。21世紀の日本においてその兵士「業」従事する者たちは,いうまでもなく「防衛省自衛隊の3軍の将兵たち」である。

 この日本がアメリカのためでない場合,どのような理由・根拠があって,戦争状態(非常時から有事)に突入する事態が想定されねばならないのか?
北朝鮮が飛ばすミサイルがその理由になるか? ロシアが北海道に陣地取りにきたらその根拠になる?

 政治学や戦争学の専門家(防衛省当局を当然に含む)が現実に机上演習を全然していないわけはないし,そうした種類の問題を,自衛隊と称していても「本格的な軍隊(国防軍)となったこの暴力装置」が,「自国兵士を戦争本来の法則的な予測計算」内の対象物として,つまり冷酷(冷静沈着)に消耗品あつかいする観点は,現在のごとき平時でも事前にふだんから十分に模擬演習しているはずである。

 b)「ロシアのプーチン」が2022年2月24日に始めたウクライナ侵略戦争を直視するときすぐに気づく事実は,自国民を消耗品どころか建築現場で使う採石や砂利も同然に,つまり,物的な感覚でもってのみ消耗させるかのようにしして戦闘行為に向かわせている。いまでは,ロシア兵はどうしたらウクライナ側に捕虜になって生きのびるかを考えねばならなくなってもいる。

 プーチンは自国兵士たちに対してはっきりと,それも母親たちを相手にした話でもあったが,ロシア国民は「死を覚悟することが必要だ」などと,そのウクライナ侵略戦争遂行中に平然と語った。彼はまた,最近は戦争のために窮乏のきざしが国民たちのあいだに現象しだしている事実をとらえてなのだが,「貧しさを我慢し,ここから努力して・・・」などと,自分は大宮殿や大型のクルーザーを何隻ももつ独裁者として,とても優雅で豪勢な生活ができているくせに,そのように好き勝手を国民たちに対しては一方的に押しつけている。

 このプーチンと実質同じ理屈が,1945年8月以前ならば,旧大日本帝国の兵士(将兵)たちにも適用されていた。旧日帝の場合,プーチンに相当する人物が誰になるか,ここではあえて詮索しないとしても,戦争という出来事のなかではタレント大橋巨泉がいみじくも,こう説明していた。

 「戦争は爺さんが決めて,おっさんが命令して,若者が死ぬ」と。これは,普遍的な真理性のある「戦争認識」になる。

 もっとも「ロシアのプーチン」は,60歳を超えた年齢の男性まで戦場に駆り出したり,病気もちや身障者まで最前線に投入するという,これまた狂気(凶器)の頭であっても,最近はすっかりどこかに突き抜けてしまったごとき「戦争指導者としての采配ぶり」を披露している。その精神構造は,元KGB出身である大統領の脳細胞の働かせ方としては,しごく当然・必然の方途であったのかもしれない。

 c) ロシアは第2次大戦時,ソ連時代の記録であるが2千1百万人もの戦争犠牲者を出した。当時,1日2万人もの犠牲者が民間人も含めて出つづけていた。現在進行中の「宇露戦争」では,ウクライナ側の発表に即していうと,2023年12月の段階で観た場合,1週間の移動平均で1日千人を超える戦死者を出す日が続いていた。

 その数値は,ロシアが以前ソ連であった時期,1978-1989年におこなったアフガニスタン紛争(戦争)で,ソ連側は1万4千人以上を戦死させ,またアフガン側はその数倍の戦死者を出す結果となっていた犠牲者数に比較してみる余地がある。ロシアが現在,ウクライナ侵略戦争で出している戦死者数は,アフガン戦争のときに比較すると異様に多いと受けとるほかない。

 現在まだ,いつ終わりそうか展望がみとおせない「宇露戦争」であるが,両国の死者数については,こういう報道があった。それは「戦況が膠着『ウクライナ戦争』はロシア有利に 両軍の戦死者は合計50万人以上との推計も」『東洋経済 ONLINE』2023/12/21 10:00,https://toyokeizai.net/articles/-/721489 が伝える数値である。

開戦から間もなく2年を迎えるロシア・ウクライナ戦争。決定的な戦局の変化はなく,死者数だけが増えている。

 両軍併せてすでに50万人以上の戦死者が出ているという推計がある。ウクライナ政府は「戦死者数は国家機密」としているが,同国の民間団体は2023年11月中旬,3万人超と発表している。

 補注)ただし,この推定については「戦傷者の数」も戦死者の2~3倍分数えあげて足すことにしておき,この数字を「無力化された兵員の総数」として計上しておく必要があった。

〔記事に戻る→〕 ロシア軍は具体的な戦死者数を発表していないが,ウクライナの「キーウ・インディペンデント」紙は,ロシアの戦死者は約33万人と報じている〔これが戦傷者を含むのではない戦死者だけの数字だとしたら,「プーチンのロシア」の自国兵士に対して有する感覚じたいの非情さがよく現われている。最近の宇露戦争の実情を見聞きしていると,ロシアの兵士「観」は残酷といえるくらい「非人間的」にあつかわれている。

d) また,ウクライナ側の戦死者3万人で,ロシア側のそれが約33万人といった数字をめぐっては,とくにロシア側が自国民「兵士の人命」をどのように観念しているかに関してとなるが,かつて某国では兵士の命を「鴻毛の軽さ」にたとえ,兵士自身が自分の命に執着しないように洗脳してきた事実を思い出す。

 だが,「ロシアのプーチン」の発想になるや軽い「ノリ」で,それも自国内の各少数民族の命のことになるとさらに「軽んじるあつかい」をしている実情が,宇露戦争に関する報道のなかで,それこそ馬鹿正直にもわれわれのところにまで伝わってくる。

 ロシア国内ではとくに母親が組織する団体が自分の子どもたちのことを中心に,兵士たちの命を大事にしろと圧力をかけうる唯一の存在として存在するが,プーチンの心中は,そのような反戦的な発言をする団体など「歯牙にもかけていない」

 プーチンの戦争観,それもロシア帝政時代風の観念にもとづいた「独自の大国意識」は,周辺諸国に対する横柄で傲岸な姿勢もさることながら,自国民のあつかいにおいてすら「エカテリーナ女帝時代の封建感覚」から離脱できておらず,まさに五十歩百歩である。

 以上の話題,自国兵士の命が大事にされない状況:条件のなかで,この兵士たちが戦場に送りこまれるとなれば,当然のこと,その戦地では戦闘行為そのものではないところで虐殺の問題が発生する。宇露戦争の場合,ウクライナ侵攻初頭の2022年3月,ウクライナのキーウ近郊のブチャとその周辺でロシア軍が民間人を殺害する事件となって発生していた。

 

 ※-2 白井洋子「従軍兵士と戦争詩:ベトナム戦争・日中戦争」日本女子大学『英米文学研究』第48号,2013年3月28日から189-191頁を引用・紹介

 白井洋子のこの論稿からは「 2. 日中戦争と学徒兵―渡部良三と八路軍兵士」内から,つぎの段落を引照する。

 日中戦争がアジア太平洋戦争として末期に差しかかった1943年10月,中央大学経済学部の3年生だった渡部良三は,明治神宮外苑競技場での「出陣学徒壮行会」に参加し,徴兵検査を受けたのちの翌年春,中国大陸に送られ,旧日本帝国陸軍の河北省深県東魏家橋鎮駐屯部隊に配属された。

 そこで渡部は,十分な初期訓練の終わっていない新兵に対しての,「殺人演習」とも呼ばれた「刺突訓練」に直面することになる。これは「戦闘時における度胸をつけさせるため」という名目のもと,中国人捕虜を藁人形代わりに銃剣で刺突し虐殺する行為で,捕虜とは中国共産党第八路軍の兵士たちであった。

 渡部は,キリスト者としての信仰から,上官に命じられた捕虜の虐殺を拒否したのである。「敵前抗命」にも等しい決断をした渡部を待っていたのは,軍隊内での徹底した差別と凄惨なリンチだった。渡部は苛酷な軍隊体験を短歌に詠みこみ,新兵が唯一自由になれる「厠」でありあわせの紙に書き留めたメモを,帰還時に密かに少しずつ軍衣袴に縫いこんで敗戦した故国へもち帰った。

 それらの短歌は推敲を重ねて編集され,戦後半世紀近くを経た1992年に私家版の歌集として,さらにその2年後にはシャローム図書から『歌集 小さな抵抗』として出版された。2011年には『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』の表題で岩波現代文庫の一冊として刊行されている。

 岩波現代文庫版には924首の短歌が収められているが,そのうちの約700首が戦場で詠まれたものである。「当時,日記を綴るには紙数がない。仮にあったとしても書き足りるものではない。定期的に私物検査のおこなわれる野戦で,反戦日記は当然没収される。そこで短歌で . . . . と考えた。」

 渡部にとって短歌とは戦場体験,戦場の記憶を認めるために,「省略を用いられるという技術的な意味で」,「いわば必要に迫られて」選び取った表現手段であったと同時に,「信仰と思想の萌芽の時期の記録」でもあった。

 渡部良三は,1922年(大正11年)2月,山形県西置賜郡津川村に生まれた。父の弥一郎は,内村鑑三の唱えた無教会主義キリスト者として,出征する良三に「汝殺す勿れ」という聖書の教えどおりに生きること,神を忘れず,「事に当たって判断に窮したならば,自分の言葉でよいから祈れ」と諭して,別れの言葉とした。

 渡部は,中国の河北省深県にある小さな邑の駐屯部隊兵士として派遣され,そこで初年兵教育訓練を受けた。ある朝,朝食中に突然上等兵から,中国人捕虜の刺突訓練で「パロ(八路,中国共産党第八路軍兵士)の捕虜を殺させてやる」と聞かされる。噂に聞いていた殺人演習だった。

 幼い頃より人を殺すことは神の教えに背くことだと父にいわれてきた渡部は,刺突訓練の予告から実際にみずからの手に捕虜刺突のための銃剣を渡されるまでの数時間,どうしてよいのかまったく分からない状態にあった。

 ただ神に「道をお示しください。力をお与えください」と祈るだけだった。その時,「呟きとも独言ともつかぬ祈りのなかで」渡部は確かに,「汝,キリストを着よ。すべてキリストに依よらざるは罪なり。虐殺を拒め,生命を賭けよ!」という神の声を聞いたという。
(引用終わり)(引用短歌はすべて『歌集 小さな抵抗』より)

 渡部良三の『歌集 小さな抵抗』シャローム図書,1999年は「おわりに」のなかで,こう回想していた。

 人間の生命,これほど尊いものはこの地上にはない。人間の生命を放る戦争,そのための軍備はけっして平成や幸せの死者にも担い手にもなりえない。戦争は信仰も自由も愛も育てない。愛のある軍備,自由のある戦争などあるはずがない。戦争は自由を剝ぎとり信仰心を滅ぼし,愛を失わせる人類最大の罪悪である(154頁)。

 私たちは加害者であり被害者である。外に対する被害者意識は歴代政府の公報教育などのゆえもあって非常に強く,たとえば毎年の原爆被爆者記念微や敗戦の日には,祭り行事のように喧噪を極めるが,その日には,反対の極に別な被曝者の存在することなど,1人として口にするものがいない(155頁)。

日本人が被害者としての意識をもつながら,原爆被爆よりむしろ中なる天皇という権力を頂点として支配層,とくに旧軍部,官僚とくに司法官僚,日本資本主義資本,天皇一族などによって,あの第2次大戦(太平洋戦争)の塗炭の苦しみを舐めるに至ったことを意識すべきである(同上)。

 加害者は日本の支配層,それも天皇を頂点んとするそれであることに思いをいたすべきである。それに比べれば原爆被害はけっして大きくない。しかるに敗戦後年ならぬとき戦争責任については,「一億層懺悔すべし」などといい出した皇族がいて,

 まるで野火のごとく世上を席巻し,隷従の愚,隷従する歓びといった封建的情緒から抜けきれなかった日本人のほとんどが,洗脳され,今日にみる,無責任の風土を形成してしまった(156頁)。

渡部良三の『歌集 小さな抵抗』シャローム図書,1999年「おわりに」

 渡部良三『歌集 小さな抵抗』は,『歌集 小さな抵抗-殺戮を拒んだ日本兵-』と副題をも付して,2011年に岩波書店から再刊された。渡部は1922年生まれで,履歴はこうである。

1922年山形県に生まれ,中央大学在学中に学徒出陣で中国・河北省の駐屯部隊に配属される(陸軍二等兵)。中国人捕虜を銃剣で突くという刺突訓練の時にキリスト者として捕虜殺害を拒否した。

 それゆえ凄惨なリンチを受けたが,その一部始終も含めて,戦場の日常と軍隊の実像を約七百首の歌に詠み,復員時にもち帰った。戦後は国家公務員として勤務。定年退職後に本格的に歌集を編みはじめた。

岩波書店版の目次はつぎのとおりである。

   捕虜虐殺
   拷問をみる
   殺人演習と拷問見学終わる
   戦友逃亡
   リンチ
   東巍家橋鎮の村人
   逃亡兵逮捕さる
   教練と生活
   湖水作戦
   動員はじまる〔ほか〕

渡部良三は,「この歌集をなぜ長いあいだ秘め」てい「たかという事情」を,「中国で虐殺された犠牲者の凄惨な姿が,いまもしばしば夢に現われ」「心をさいなみつづけている由」だと説明していた。

 註記)渡部良三『歌集 小さな抵抗』,高橋三郎「序」1994年2月17日,から。

 さて,本ブログ筆者は,あるとき偶然にだが,渡部良三から通信をもらったさい,シャローム図書から刊行されていた本書『歌集 小さな抵抗』1999年の献本を受けた。その現物のみかえしには,つぎのような〈歌〉を添えてくれた署名が記されていた。

渡部良三直筆


 ※-3 渡部良三『歌集 小さな抵抗-殺戮を拒んだ日本兵-』に寄せられたアマゾンの書評

渡部のこの本に対するブックレビューでは,5点の満点を与えていた書評3点を引用しておきたい。

 野口久志-5つ星のうち 5.0
   狂気の世界でも,まっとうに生きられた作者を尊敬します。
     2015年10月8日

 小さな抵抗とありますが,けっして小さくありません。誰もができることではありません。戦争という究極の状況のなかで,自分の信念を守ることを実践された方がいることは,人間に対する希望が与えられます。また,極限のなかで,信仰を土台とした人間性が確保されたことに,畏敬の念を感じます。

 殺伐とした世相に,この本を読んで,人間の狂気を目の当たりにし,それでも絶望のなかから,希望をみつけることは,有意義なことだと思います。
21人のお客様がこれが役に立ったと考えています

 日本大好き-5つ星のうち 5.0
   太平洋戦争は侵略ではなかったという人たちに読んでもらいたい。
     2013年7月11日

 日本は本当にひどいことを中国に対してしたことを真摯に反省しなければならない。ドイツはナチスの残虐な行為に対して,きちんと謝罪をし,賠償をしましたから,現在ヨーロッパで尊敬され,名誉ある地位をえています。

 日本は周 恩来首相の温情ある態度に甘え,謝罪をいい加減にしていると思います。その後に経済的にいろいろな貢献をしてはいますが,一般の人たちにはそのことはしらされていないし,支配者は権力側に都合の良いように,適当に日本を悪者に仕立て上げます。

 せっかく村山さんや,河野さんが収めたところをもう一度かきまわすことはしないでほしい。

 過去を反省することは自虐でもなんでもないのです。過去を反省しそのうえで堂々と筋を通してゆけばよい。戦争中に中国やアジアに対しておこなった悪行はしっかり反省し,戦後は平和憲法のもと,平和主義を貫き,経済的に大いに貢献したことを堂々と主張するべきです。それから命を懸けて殺戮を拒んだ著者に深い感動を受けました。もう一つ学徒出陣の若者である作者の歌詠力に感心しました。

 猫ちゃん-5つ星のうち 5.0
   「小さな抵抗」は「大きな抵抗」
     2014年8月11日

 右傾化を心配する声が高まっている。「えっ? 戦争は自衛隊員が行くのであって,われわれには関係ない」という若者がいると聴き,あ然とした。戦争の実態をしらない者,集団的自衛権の行き先を読めない現代にあって,この歌集は「実際に召集された国民が実際に体験した戦争」の酷さを克明に見せてくれる。

 わが家は東日本大震災に遭って流されたが,拾得物が届いた。それは舅が召集されてゆく過程,すなわち,この国が「戦に雪崩こんでいく過程」そのものであった。看護兵となった舅,陸軍一等看護長,一銭五厘の葉書,軍事郵便(2通あって,書き出しも,結びの言葉も内容もほぼ同じ,つまり緘口令がしかれていた)。

 幸い舅は無事帰国出来たが,その陰にはこの作者のように,多くの犠牲者が出た。

 良い戦争などというものはない。平和を守り,どこの国とも仲良くやってゆく外交政策こそ,と思う。輸出するなら「日本国憲法をこそ」と思う。戦争になったら,殺戮を拒むことは不可能。その結果,神経を病む大勢の犠牲者と殺された多くの犠牲者の上にわれわれはいきていることを忘れてはならない。


 ※-4 以上にくわえてネット上に出ていた渡部良三『歌集 小さな抵抗-殺戮を拒んだ日本兵-』への感想も紹介してみたい

        ★ 歌集「小さな抵抗」を読む ★
  =「反戦・反基地ブログ」『関西共同行動』                     http://www17.plala.or.jp/kyodo/shiryo2_174.html

 著者の渡部良三氏のことは,以前何かで読んだことがあるが,今回,岩波書店から『歌集 小さな抵抗-殺戮を拒んだ日本兵-』(岩波現代文庫 2011年11月)が出版された。

 渡部氏は学徒兵として〔19〕44年,中国戦線に配属され,そこで49人の新兵とともに5人の「八路軍の捕虜」とされる中国人の刺突・虐殺を命ぜられる。新兵に敵を殺す「度胸をつけさせる」という新兵教育一環であるが,刺突銃を受けとった渡部氏はキリスト者としてこれを拒否する。

 はじめからそう決意していたわけではなかったが父の言葉が浮かび,とっさに拒否したのだった。「上官の命は天皇の命令だぞ,それでもか」といわれても拒否する。結局は「敵前抗命罪」に問われることはなかったが,その後は猛烈なリンチやいじめが始まった。渡部氏22歳のときだった。

 父弥一郎氏は内村鑑三の流れをくむ無教会派の牧師で歌人。その影響もあって良三氏も戦線の日々,廁のなかで歌を詠むのが生きる励みとなった。同歌集には約 700首の歌が納められているが,復員時これらは下着に縫いこんで検閲を免れもち帰ることができた。

 父親もまた反戦言辞で検挙され,家族は「スパイ一家」として,近所から配給食物の拒否などの差別など受け,困苦の道を歩んだ。

 渡部氏は復員後,大学復帰,国家公務員をつとめ退職後ようやく歌集の編纂にあたり出版されることになった。私は歌のことはよく分からないが,歌に優劣はなくいずれも貴重な記録である。

 国際法では捕虜は殺してはならないが,「スパイ」は軍法裁判で処刑されることもあった。中国人刺突はよく聞くが,多くは「度胸をつけさせる」のが目的,「死人に口なし」,本当にスパイであったかどうかは分からない。

 なにしろ中国人全部を「敵」に戦っていたのであり,周辺の民を捕まえ「スパイだ」との名目で虐殺したのが皇軍であった。渡部氏は「敵前抗命罪」で軍事裁判にかけられなかったようで,リンチで死ぬこともなく激しい戦線で生きぬき帰還した。

 以下は蛇足。

 自衛隊の三大訓練目的は射撃,持久走,銃剣術。現在も銃剣刺突訓練がおこなわれており,「そんなへっぴり腰で人が殺せるか」と戦争体験のない戦後生まれ上官が叱咤する。「銃剣道」は〔19〕80年ころから国体に参加,いまもつづいているが,ほとんどは自衛隊関係者であり,連絡先が自衛隊基地のところもある。

 〔19〕97年の大阪国体では近くで銃剣道大会がおこなわれたが,「これだけは止めさせたい」と反対を申し入れた。「剣道も人殺しではなかったか」と答えがかえってきたが,翌年からは白服は剣道着に改編され,現在も国体参加は続いている。

 2012/01/11 W (以上で引用終わり)


 ※-5 井上俊夫『初めて人を殺す-老日本兵の戦争論-』岩波書店,2005年

 この本について紹介した新聞記事があったので,これをつぎの画像資料のかちにして引用することにした。

井上俊夫・記事

 日本は少子高齢社会になっている。兵隊さんになる人間資源は,なんといっても若者たちから要員されねばならない。ロシアもウクライナも人口統計上は活力のない国同士である。その両国が戦争をしている。すでに1年と10ヵ月もその状態つづいてきたが,いったいいつまでこの戦争を継続させていくつもりか?

 ウクライナのロシアに対する人口比は(2021年)「4379万人対1億4340万人」だから「1対 3.3」になる。昨日の報道によれば,ゼレンスキー大統領は50万人分の兵員を増やすと語っていた。両国ともに人口が増えない状況にある。それでも戦争中である。プーチンの凶器(狂気)性が終わらないかぎり,まだこれからも戦争はつづいていく。

 戦前日本の場合だと,第2次世界大戦の開始〔1939年9月1日〕後の2年目に始まった大東亜戦争(太平洋戦争,1941年12月8日開戦)だけの期間を区切っても,3年と8カ月ほど継続させてきた。宇露戦争はすでに1年と10ヵ月継続している。戦争は無条件に,万事に関してとなるが「最大のムダ」を費やす。破壊しながらでないと戦争が戦争にならない。

米軍の「鬼畜」の行為
民間人殺戮のためだけの空襲

 アメリカは1945年8月14日夜からであったが,なおも日本本土空襲をおこないつづけた。その日には,B29などをなんと千機以上も飛ばし(そのうちB29爆撃機が825機),まだ空襲を受けていなかった都市を中心に,民間人を殺戮するための攻撃をおこなった。その1週間前には広島と長崎に原爆を落としていた。まさに鬼畜の行状であった。

 ところで,宇露戦争の解説にテレビなどに登場する元自衛隊の元将官たちは,人にもよるがなかには嬉々として分析・説明する者がいないわけではない。

 宇露戦争ではとくにロシアの将官が二桁の単位で戦死しているが,太平洋戦争で戦死した旧日本軍の将官で「戦場で命を落とした者」は何人いたか?つぎの2人しか浮かばない。

  ★-1 1943年4月18日,山本五十六海軍大将がブーゲンビル島上空で     前線視察中に戦死した。

  ★-2 1945年3月17日,栗林忠道中将が硫黄島の戦いで戦死した。

一般の下級兵士がどのくらい死んだかについては,その全員についてではないが,靖国神社にいって聞けば分かる人数もあった。それはたいそうな数字になっている。

 インパール作戦(1944年3月8日~1944年7月3日)の作戦・戦闘は大失敗であったが,あるとき,司令官牟田口廉也が作戦参謀にいわせた文句が「5千人殺せば,作戦を打開できる・・・」というものであった。その意味は敵兵をその人数撃滅すればという意味ではなく,自軍の兵士を殺す(戦死させて)という話法であった。

 それならば一兵卒の立場からは,「将棋の駒の歩兵」にでもなって「何回でも死んだり生きたりできた」ほうがよほどマシであるが……。まあ「将棋の話」と「実際の戦争話」とのあいだには,雲泥の差,天地ほどのへだたりがあるものの,あくまでたとえ話。

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