見出し画像

佐藤栄佐久元福島県知事が受けた「原子力村利害集団からの仕打ち:迫害」は,その後における原発問題の現状に照らし,いかに批判すればよいのか

 ※-0 AI技術の発展やリニア新幹線のために必要な電源として「原発が必要だ」と,またぞろ原子力村の盲動・蠢動が始まっている-2024年4月23日の前論-

 a) 最近,原発問題に関連する話題としてだが,AI技術も駆使し,その再稼働や新増設を促進させたらよい,といったごとき原子力村側の意向・働きかけが,露骨にめだちはじめている。

 2020年代における国際政治・経済の情勢変質として,こういう変化があった。「プーチンのロシア」は一見「先進国風」であり,かつまた,国連の常任理事国でもある立場からとなっていたが,旧ソ連邦の地域のひとつであったウクライナへの侵攻を2022年2月24日の開始し,これ以降,世界経済における資源や食料の需給問題にきびしい情勢が生まれた。

 電源としてはLNGを燃料に焚く最新鋭の火力発電は,その熱交換比率がすでに6割にまで到達している技術水準にあるにもかかわらず,LNGが「ロシアのプーチン」のおかげがあって高騰させられたがために,これを理由に原発(熱交換比率は33%しかない)の再稼働や新増設がどうしても必要だとする「大合唱」が響きだしていた。

 そういった,21世紀当初に起きた「原子力ルネサンス」の動向にも一見似たごときではあるものの,電源観の基本的な立場としては「原発事故」の怖さなど,それこそ「屁のかっぱ」の基本精神で,ひたすら「原発,原発・・・だ」,なんといっても「原発がいいのだ」と,まるで念仏を唱えるかのように再び騒ぎだしていた。

 だが,考えてもみよ。1979年3月28日に発生したスリーマイル島原発事故は,まだ少しばかりマシで救いようがあったけれども,1986年4月26のチェルノブイリ原発事故や2011年3月11日の東電福島第1原発事故の発生は,地球破壊の典型見本みたいに環境を汚染してしまった。とりわけ,人類・人間の生活・健康に対して「最悪となった各種の相乗的効果」も発生させつづける結果をもたらしている。

 いわば,原発の事故はあとの祭り状態を常態化させて残す。

 にもかからず,現状,この地球上に存在する原発の総数はまだ500基未満の水準であるが(多分440基くらいか),これからさらに原発を新増設させていくとしたら,原発の深刻かつ甚大な大事故が起こる「確率論的な『大いさ』」は,今後に向けてじわじわと,より増していく。

 b) 原発が大事故を起こす確率に関しては,以前にたとえば,つぎに引用する『グリーンピース』の記事が批判したように,その基本から疑念を提示されていた。

 従来における原子力ムラ的な説明は,ともかく肝心なところからは「逃げまわっていた論点」が残されていたが,この記述は真っ向からその欺瞞を捕捉しており,逃がしてはいなかった。

 すなわち,「原発が大事故を起こす確率」に関しては,この「いまそこにある原発のリアルなリスク」『グリーンピース』2023年3月22日,https://secure.gravatar.com/avatar/43c932deb96384d098bf526f33a1d9f7?s=96&d=mm&r=g が,つぎのように説明していた。

 いま存在する原発の安全目標というものがあります。

 原発1基が1年運転することを1炉年といいます。IAEAの安全基準では,放射性物質が原発の外に出る事故は10万炉年に1度とされています。世界にはだいたい400基(現在でより正確に近いその数字は440基くらい)の原発がありますから,230年に1度事故が起きる確率です。

 ところが実際にはスリーマイル島の2号機,チョルノービリの4号機,福島第1の3基の事故が起きていて,つまり2857炉年に1度発生したことになるわけです。国内に換算すれば10年に1度事故が発生する確率という話になってしまう。

 確率論的リスク評価でちゃんとシナリオ分析をして,事故が起きないようにいろんなことをしてるわけですけれども,現実として(安全基準を大幅に超えて)事故が起きてしまっている。

原発事故が起きる確率論的な説明

 原子力ムラ側の説明は,ごくふつうの「知の水準」にまともに照らして判断してだけでも,ギマンそのものであった。しかも,ほとんどウソだったと決めつけられて当然の,だから「確率論」で計算したなどとはとてもいえない,ただド・屁理屈をこじつけただけの「原発安全思想(!?)」を騙っていた。

 それはもうほとんど,「原発の〈罪と罰〉」の世界にまでさまよいこんだ語り口そのものになっていた。

 だから,芳賀正憲「〈連載〉情報システムの本質に迫る 第54回 原発事故はなぜ起きたのか」『情報システム学会 メールマガジン』No.06-08,2011年11月25日,http://www.issj.net/mm/mm06/08/mm0608-9-hq.pdf (⇒ 引用は https://issj.net/mm/mm06/08/mm0608-9-hq.html から)は,前段のごとき「欺瞞としか形容できなかったそのヘンテコな理屈」に向けて,以下のように「批判を差し向ける見解」を明示していた。

 原子力ムラでは長らくの間,大事故発生の確率は100万分の1程度であり,原発は限りなく安全という考え方が主流でした。主流の考え方に反して原発の安全に疑問を抱くことはタブーとする,暗黙の了解が定着していました。

 安全に疑問の余地がないのですから,「安全の研究なんかとんでもない。かえって国民を不安に陥れる」という風潮が強く,安全性と銘打つ研究が日の目をみない時代がかなり続きました。

 「当時は,安全のことをいうと,原子力ムラからムラ八分にされた」と原研の元職員は証言しています」(NHK・ETV特集「原発事故への道程」(後篇))。

原子力村の破滅的な論理

 前段に言及したそのNHKの番組,「〈シリーズ 原発事故への道程〉後編 そして “安全神話” は生まれた」https://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0925.html はまず,2011年9月25日(日)夜10時に放送され,つづいて,10月23日(日)総合 午前1時45分に再放送され,さらに,2012年1月1日(日)午前1時50分(土曜深夜)にも再々放送された。

 この番組の意図・内容は,つぎのように解説されていた。

 1973年石油ショックの翌年に電源三法が成立し,「安全」を前提に原発建設が加速していった。このとき,日本で初めて原発の安全性を科学的に問う裁判「伊方原発訴訟」が始まっていた。

 補注)2024年1月1日,北陸電力志賀原発のすぐ近い場所を震源(複数というかたくさんあったのだが)とし,震度7の地震となった「能登半島地震」が発生した。また,4月17日には,四国電力伊方原発の南方約30㎞,豊後水道を震源とする最大震度6弱の地震が発生した。

 志賀原発の場合は,以前から2基ある原発がともに未稼働の状態にあったが,原発施設に一定の損害が出ていた。また,運転中であった伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の発電機出力が約2%低下したと報告された。

〔記事に戻る→〕 裁判は原発建設に反対する地元住民と科学者たちによる原告と,建設を推進しようとする国によって争われた。そこでは今回の福島原発で起きた「全電源喪失」や「炉心溶融」などの事態がほぼすべて俎上に載せられていた。

 公判中にスリーマイル島やチェルノブイリ原発の事故も起き,安全性の見直しが迫られる状況も生まれた。しかし最高裁は「行政裁量の分野」だとし,反対派の訴えを退けた。

 原発の安全性を正面から問うルートが失われるなか,誰も疑問を挟めなくなった行政と業界,学術界により安全神話は膨張していくことになる。日本における最初で最後の本格的な原発法廷の消長を軸にして,安全神話がいかにして1人歩きしていったか,その歴史的メカニズムを検証する。

NHKの番組が触れた「原発の安全性」

 地震国として有数の一国である日本において「原発を建造し,電力を利用しようとする意図そのもの」が,ある意味,信じがたい冒険であったはずである。にもかかわらず,21世紀のいまとなってもまだ,AI技術やリニア新幹線が大量の電力を必要とすることになるので,原発が必要だという短絡の主張が再度,ここぞとばかり強調されだしている。

 だが待てよ。原発が大事故を起こす確率論的な根拠については,実際に起きたその大事故を現実的にみつめて分析する観点から論じなければならないのに,いまだに安全神話にすがりついたまま,それも「根拠のない発想(信心のごとき主張)」を,強引に通そうとする単細胞的にも無謀な連中が「原発の再稼働と新増設」を盛んにいいだしていた。

現在の2024年から回顧してみるに,1979年3月28日のスリーマイル島原発事故,1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故,2011年3月11日の東電福島第1原発事故は,「1973年石油ショック」を契機にして原発をさらに積極的に導入してきた原発発達史のなかで,あらためて吟味を要する論点を意味したのである。 

 ところが,こんどは「AI技術やリニア新幹線に大量の電力が必要だ」という理由で需要が急増するみこみだと予測をかかげて,つまり,それも問答無用的に「ともかく原発,原発の再稼働と新増設が必要だ」と騒ぎ出した。

 世界中で利用されている原発の数(だいたい440基ほど)をこれからも増加させるとなれば,またもや,どこかの原発で大事故が誘発するかもしれない危険性=恐怖も増大する。今後はその覚悟がより必要となる。

 「1973年石油ショック」の発生以後,まわりまわってというほどでもなかったが,ともかくその結果は「原発の重大かつ深甚な大事故」の発生にまでつながっていた。1979年にアメリカ,1986年にソ連,2011年に日本といった順序で,それぞれが原発の事故を発生させていた事実は,深刻に受けとめるべき大事件を意味したはずである。

 ところが,21世紀も四半世紀が経ったこのごろ,「AI技術やリニア新幹線」のために大量の電力が必要だといいだしたさい,ほかの電源の開発にはろくに触れようとはせずに,ともかくいきなり「なんでもかんでも原発,原発……」だと,またぞろ叫びだした。

 原発がこの地球においてこれ以上増えていくとした場合,前段で言及したごときの「確率論的な単純計算」にしたがう形式でもって,いままで体験させられてきた原発事故の実例にもとづく推論をするほかない。

 こうした現実そのものの事情から逃げることなどできるわけがない。要は,下手をすると近い将来にまたもや,原発の大事故がどこかの国の原発から発生するかもしれない。航空機はこれからも墜落事故を起こしうるけれども,原発に限っては絶対に事故を起こさないなどと断定する者は,多分頭の中が狂っているとしか形容できない。

 日本みたいに地震国でなくとも,「人為的過誤(ヒューマン・エラー)」が原発の事故の原因になっていた。その事実は基本的に,事故の発生の仕方として「通常の出来事」であったと解釈されて,なんら不都合はない。スリーマイル島原発事故とチェルノブイリ原発事故は,その実例を提供していた。

 それらの原発事故に比較すれば,日本国のように大地震を頻発させる地層の上に,原発をたくさん立地させている状態にあったからこそ,東電福島第1原発事故が発生せざるをえなかった。この国の原発事情はいうなれば,希有の「原発事故・恐怖国家体制」にあると表現するほかない

プレートの境目で地震は発生する

 それでも「アナタ,原発を再稼働・新増設しますか」?

 それとも「アナタ,人類・人間を止めますか」?

 「冗談にもならない恐怖」を意味する「日本的な原発事情」にもめげず,現在における人類・人間の原発利用が〈狂気の沙汰〉である事実を認めたがらない人びとの存在は,驚異の心を抱いてみつめるべき特定集団であった。

 原発にこだわる国々・人びとがそのように実在する現状は,要するに,原爆製造体制のために必要不可欠である技術水準を,恒常的に担保しておきたい,日本国の外務省・防衛省などの「潜在的だが明確な特定の政治的軍事目標」が控えているからであった。

 以上が本日,2024年4月23日の「前論」としての「最近原発事情」にも触れた記述であった。

 

 ※-1 2018年6月22日の記述-佐藤栄佐久元福島県知事が受けた「原子力村利害集団からの仕打ち:迫害」は,その後における原発問題の現状に照らし,いかに批判されるべきか

 要点・1 正義が潰され,悪徳が栄えた「故・安倍晋三政権」時,「原発に under control(?)されていた日本国」であったが,21世紀の今後を「なにも夢のないこの国」にした自民党政権の自己溶融的な基本性格

 要点・2 反原発(原発批判)勢力となった人物・集団などを,徹底的に抹殺・撲滅してきた原子力村利害集団は,皮肉にもいまや自己滅亡への迷路に入りはじめたのではないか

本記述・以下の要点

 最初に,元福島県知事・佐藤栄佐久の著書を紹介しておく。原子力村利害集団に陰謀的にはめられ,はじかれた元福島県知事が書いた原発批判の文献を,アマゾン通販を借りてつぎに紹介しておく。

 

 1) 安孫子亘(あびこ・わたる)監督,ドキュメンタリー映画「『知事抹殺』の真実」2016年10月製作発表

 この映画は,つぎの文句で簡潔に紹介(宣伝)されている。

   真実を追うドキュメンタリー ひとりの知事が
   政治生命を絶たれた不可解な過程を,一次資料にもとづき映像化

 なお,この映画「『知事抹殺』の真実」の内容をしるには,ユーチューブに予告編が上げられていたので,これをさきに視聴してもらうといいかもしれない。

 
 註記)以下,前後するこの映画に関する「本文・解説」については,つぎの,http://eisaku-movie.jp/ も参照されたい。


 
  ◆ ドキュメンタリー映画「『知事抹殺』の真実」2016年10月 ◆ 

  a) 出 演:「佐藤栄佐久」

 1939年福島県郡山市生まれ,福島県立安積高校,東京大学法学部卒業。日本青年会議所での活動を経て1983年,参議院議員選挙初当選,1987年大蔵政務次官。

 1988年福島県知事選挙に出馬,初当選,5期18年の間,県民の絶大な支持を受け,「地方分権・地域主権」の旗印のもと,道州制・原子力エネルギー政策・数々の国策に真っ向から異議を唱え「闘う知事」と呼ばれた。

 2006年,降って湧いたような「汚職事件」で辞任。逮捕。本映画はその背景と事実を描く。

 補注)2006年の7月に事件化されたこの「汚職問題」は,2012年10月16日,最高裁判所第一小法廷が「弁護側・検察側双方の上告を棄却」し,懲役2年・執行猶予4年とした高裁判決を確定していた。

 その間,日本国第90代内閣総理大臣となった安倍晋三の第1次内閣は,2006年9月26日から2007年9月26日までちょうど1年間つづいていた。参考にまで指摘しておく。

  b) 監督・撮影:「安孫子亘」

 「映画の制作を決意し,初めて佐藤栄佐久氏にお会いした。罪を犯す人ではないことは,すぐにわかった。いまだ冷めることのない栄佐久氏の国造りへの情熱が,大量の資料とともにマシンガンのように私に浴びせられた」

 「2006年突然の失脚。どうにもならない過酷な特捜の手段に,自決を決意した心境は誰にもわからない。この映画でその憂さを晴らせるとは,とうてい思っていないが,国民すべての人に,この事件の真相を知ってほしい。命がけで日本を変えようとした佐藤栄佐久を世界中の人にしってほしい」

 監督の我孫子亘は北海道小樽市出身。1982年よりTV製作にかかわり,日本テレビ「太古の森の物語」でギャラクシー賞に選奨,TBS「ダーウィンに消された男」が日本民間放送連盟賞,テレビ東京「蜃気楼の王国」が日本民間放送連盟優秀賞など,受賞多数。

 1995から2年にわたりアフリカのケニアに移住,野生動物の映像制作にとり組む。帰国後は短編記録映像製作を経て,2011年より檜枝岐歌舞伎の背景を写しとった「やるべぇや」,会津の語り部を記録する「生きてこそ」,自然と生きるマタギの姿を描く「春よこい」と精力的に長編ドキュメンタリー映画を撮りつづけている。

  c) 事件の性格-前代未聞の空虚な有罪判決-

 2006年9月,5期18年に渡り,県民とともにに福島県を築いてきた佐藤栄佐久知事は,何者かが作りあげた「謎の収賄事件」により突然辞任を強いられる。裁判の過程で明らかになっていく事実,調書の矛盾。

 裁判所は,知事に利益をうる認識がなく収賄額は0円,という前代未聞の有罪判決を出す。検察の主張の前提はすべて崩れ,いったいなんの罪で有罪になったのか。報道は操作され,ゆがんだ情報に国民が惑わされていた。

 どうしても,佐藤栄佐久を政界から抹殺したかったわけとは。なぜ,原発に近づくものが消えていくのか。

  d) 国策に異議を唱えた代償か

 佐藤栄佐久は,中央政界での経験をもとに,独自の政治スタイルを確立。国に頼らない,地方色を生かした国づくりを進めてきた。そして原発立地県として,その安全神話が空っぽであると気づいたときから,巨大な力との果てしない戦いは避けられなかった。

 市町村合併,道州制そして原発問題,押し寄せる国策に問題提起することの代償。闘う知事と呼ばれた佐藤栄佐久は,自身の身をもって証明することとなる。突然の辞任から逮捕,関係者への事情聴取,裁判に至るまでの検察側によるマスコミ報道の信用性。報道されなかった真実が,佐藤栄佐久の証言でいま明らかにされる

 2) この映画への「推薦の言葉」

 ◇-1 飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)「『あの日』も佐藤栄佐久福島県知事のままであったなら」

 なんど思ったか。3・11の日も「佐藤栄佐久知事」のままだったなら,いまの福島は,そして日本はまったく違っていたはずだ,と。東電の津波対策の先送りを許さず,メルトダウンも起きなかったかもしれない。人びとの側に立って,国や東電と真っ向から闘っていたはずだ。

 この国の司法はありもしない罪をねつ造して,その「知事」を「抹殺」した。「国策」に抗うと国は,ここまでするのかと驚きを禁じえないと同時に,この国の司法の闇や荷担するメディアの罪,そして「国策」の愚かさも白日に曝される。

 同時に希望の映画でもある。佐藤栄佐久氏の無実とこれからの氏の再起への期待がスクリーンに広がる。佐藤栄佐久氏のこれからの福島再起動に,私も参加したいと思う。

 ◇-2 池田香代子(ドイツ文学翻訳家)「保守本流が暴いたこの国の病巣」

 ふるさとを守るためなら,財界であれ政府であれ,どんな大きな力とも対峙する気概を秘めているのが保守主義者だ。佐藤栄佐久氏は当初,東電といい関係を築こうとした。それを裏切る事態が再三発生したために,厳しく臨まざるをえなくなったのだ。

 そして,まったく覚えのない「知事の汚職事件」。収賄額ゼロという前代未聞の「有罪判決」ののち,大規模な検察不祥事が浮上して氏の事件があらためて注目されたところに,原発事故が起きた。保守本流の人の剛直が,この国の病巣を暴いたのだ。

 私の直感が生涯に一度だけ,間違わなかったことがある。一審判決を待つ,初対面の氏に「無実を信じています」と断言したのだ。ふるさと復興の道はいまだ遠く険しいいま,氏の言葉を聞く意味は大きい。

 ◇-3 小沢一彦(横須賀商工会議所名誉会頭)「収賄事件など断じて起こりようがない」

 佐藤栄佐久さんと私は日本青年会議所の活動を通して,約10年間,親密にお付きあいさせていただきました。その後もときどきお会いしておりましたが,私と佐藤栄佐久さんとの長いお付きあいでの彼の人柄はまじめで正義感が強く,非常に頭の切れる,それでいて出しゃばらない,どちらかというと不器用な後輩でありました。

 収賄事件など断じて起こりようのない人物でありました。それだけに参議院議員・18年の県知事,その後のご苦労はいかばかりかとお察し申し上げます。このようなことが2度と起こらないためにも,多くの方に事件の真実を理解していただきたいと思います。栄佐久さんのこれからの心豊かな人生を祈念いたします。

 ◇-4 開沼 博(立命館大学准教授)「歴史は栄佐久知事を忘れない」

 2011年3月11日以降,世界は福島をしることになった。ただ,それ以前の福島を,あるいは3・11の表象に回収されきることのない福島の別な側面をどれだけの人がしっているのだろうか。

 佐藤栄佐久元福島県知事は,いまも,分断され,忘れ去られる多様で豊かな福島の結節点に立つ歴史上の主要人物であることは間違いない。

 職を辞して10年,裁判が終わっても,街なかでは「ちじ!」「えいさくさん!」と呼びかけられる。昭和から平成にかけて5期18年にわたって知事を務めた存在感はいまも大きい。

 その言葉は,いまや世界史の上に深く刻まれることになった福島を語るうえでいまも,これからも,必ず参照されていくものとなるだろう。

 ◇-5 下村満子(ジャーナリスト)「ズシンと胸にこたえる重い内容」

 「知事は,日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」とり調べ中,検事が発した言葉だ。佐藤栄佐久元福島県知事。18年の在任中,原発立地県の知事として,その安全性に疑念をもち,東電・政府と一貫して厳しい対峙を続けてきた。

 2008年,突然身に覚えのない収賄容疑で逮捕。有罪に。1年後の二審判決で,収賄額ゼロだったとして「実質無罪」の内容だったが,なぜか有罪。知事は抹殺された。明らかに意図された冤罪である。

 その後,2011年のあの福島大原発事故で,知事の疑念は現実のものとなった。が,最高裁への上告は棄却された。知事の正しさは証明されたが,人間佐藤栄佐久は抹殺されたままだ。「司法の中立・公正とはなんのか?」

 「日本は民主主義国なのか?」 ズシンと胸に応える重い内容だが,いまこそ,すべての日本人にこれを観て考えてもらいたい,必見の作品だ。日本人の勝負は,これからである!」

 ◇-6 田原総一朗(ジャーナリスト)「検察による凶悪犯罪!?」

 それにしてもひどい事件である。そしてこわい事件である。私も検察による冤罪事件を何件も取材している。検察は強引にストーリーをでっちあげて,これは,と狙った人間を無理やりにストーリーにはめこんで犯罪者に仕立てる。

 だが,どの事件も検察の思い違いにせよ,検察が疑いを抱くきっかけ,手がかりらしきものはあるのだが,佐藤知事 “抹殺” は,疑われる事柄がまったくないのに逮捕され,起訴され,有罪とされた。

 そして,佐藤知事が検察のデタラメストーリーを認めないと,彼の少なからぬ支持者たちが拷問まがいのひどいとり調べを受けて自殺未遂,そして自殺者も出た。これはまぎれもなく検察による凶悪犯罪である。

 ◇-7 手嶋龍一(外交ジャーナリスト・作家)「ニッポンが抱えている深き闇を鋭くえぐりだす」

 村木厚子事件をはじめ,検察の特捜事件の実態がつぎつぎに明るみに出たいまなら,佐藤栄佐久知事の事件も無罪を勝ちとっていたにちがいありません。ご本人の自白調書への署名や弁護側の法廷戦術の誤まりなど検察側に付け入るすきを与えてしまったことも返す返すも無念でなりません。

 そして,検察のいうがままに報道するメディアの姿勢も厳しく問われて然るべきでしょう。どこの国の司法にうべかりし利益がない,収賄ゼロの贈収賄事件などあるというのでしょうか。

 ニッポンという国が抱えている深き闇を今回のドキュメンタリー映画が鋭くえぐりだしてくれたことに心から敬意をあらわしたく思います。

 ◇-8 中谷健太郎(九州由布院 盆地亀の井別荘)「知事を抹殺する平和な国の「怪奇映画」を観よう」

 こんなにも善意の露わな人を抹殺して,それで安穏無事を願うのか? 善意の人じゃないか,みるからに,そして語る物語も……。

 この人は一県の「長」であり,地域の民を「代表」する人だ。その人を「国」が軽々と「抹殺」する,そのことを怒った人たちが,この映画を作った。その「怒り」が俺の「胸腺」にストレートに入ってくる。

 本当なのか,原発にブレーキをかけた知事がでっちあげの事件で逮捕され,「知事の座」を追われる,という話,まさかと思いながら映画に涙する。桜の花の下で「涙」する福島のオジサンを見切って,俺たちは無事安穏に,この国に生きていけるのか?

 地震で半壊したわが家のガラガラを片付けながら,「地震列島」に原発を造りつづけるこの国の,「謎のドラマ」を目をかっぴらいて観る。

 ◇-9 西田敏行(俳優)「この知事を抹殺してほんとうによかったのか」

 いまさらいっても仕方がないけど,佐藤栄佐久さんが知事をそのまま続けていれば,原発事故への対応もちがっていたし,福島もいくらかは前に進めていたのに。ときどき福島に戻る僕に,福島の人が同じことをいう。いったい,誰がなんのために栄佐久さんを抹殺したのかな。

 僕もそれが不思議でならない。だって栄佐久さんは原発政策の是非などいってたこと,ないもの。栄佐久さんが繰り返しいっていたのは,なにがあっても県民の安全を第一にする,地方自治を確立して共生の社会を創る,福島の美しい自然を未来に手渡してゆく,それだけだよ。今回の原発事故で,それこそ全部抹殺されたけどね。

 

 ※-2 本作「『知事抹殺』の真実」が「日本映画復興会議」奨励賞を授賞される

 1) この映画「『知事抹殺』の真実」は,2017年度「日本映画復興会議」日本映画復興奨励賞を授業されていた(2018.03.23)。

 日本映画復興賞は,平和と民主主義を守り,戦争に反対し,ヒューマニズムの理念に徹した日本映画の業績に対して,日本映画復興会議から「作品,個人,集団,団体,企業」へ贈られるもので,1983年から始まり,今回は35回目に当たる。原発問題についてこれまでにない角度から斬りこんだ映画であると,たいへん高い評価を受けた。

 註記)この 1) は,http://eisaku-movie.jp/note/award03232018/

 2) 「日本映画復興会議」奨励賞 授賞式の報告(監督,2018.05.15)

 2018年5月12日,「『知事抹殺』の真実」が授賞された「日本映画復興賞 奨励賞の授賞式」が新宿農協会館にておこなわれた。数ある優れた作品のなかから選ばれた事は,観覧してくれた人びとの声援のおかげで,あらためて感謝を申し上げる。さらにこの映画をしっていただくステップになることを願っている。

 註記)この 2) は,http://eisaku-movie.jp/note/award05152018/

 以上,安孫子亘監督が製作したドキュメンタリー映画「『知事抹殺』の真実」(2016年10月発表)に関するくわしい解説は,偶然みつけた記事であったが,このようなとりあげをした理由を,⑤ 以下に関説していく。


 ※-3「〈てんでんこ〉自然エネ100%:11 源流」『朝日新聞』2018年6月22日朝刊

 〔福島〕県の検討会は国や電力を真っ向批判した。「あんな行政文書はみたことがない」。ドキュメンタリー映画「『知事抹殺』の真実」は,最高裁で確定した佐藤栄佐久(さとうえいさく)・元福島県知事(78歳)の「収賄額ゼロ円の有罪」判決に疑問を呈し,あらためて無罪を訴えている。

 環境エネルギー政策研究所長の飯田哲也(いいだ・てつなり)(59歳)が推薦の言葉を寄せている。「なんど思ったか。3・11の日も佐藤栄佐久知事のままだったなら,いまの福島は,そして日本はまったく違っていたはずだ,と」

 東京電力福島第1原発事故から1年後の2012年3月,福島県は「2040年に県内需要の100%相当の再生可能エネルギー(自然エネルギー)を生み出す」と決めた。飯田はこの方針を決めたメンバーの1人だ。

 補注)東京電力(正確には東京電力ホールディングス)は2018年6月14日,福島第2原発(福島県楢葉町・富岡町)1・2・3・4号機を廃炉にする方針を表明していた。2011年3月の福島第1原発事故後,第2原発も全基の運転を停止していたが,これで福島県にある原発はすべてが廃炉となった。

〔記事に戻る→〕 話はその時から10年以上前にさかのぼる。佐藤は知事に4選された後の2001年6月,県エネルギー政策検討会を設置し,みずから会長に就く。県は当時,原発の使用済み核燃料からつくった燃料を使用するという東電のプルサーマル計画を拒否し,緊張が高まっていた。

 2カ月後,脱原発を主張する飯田哲也が講師として呼ばれた。原発推進のための国の審議会とはまったく違い,真正面からエネルギー問題にとり組む姿勢に驚いた。2002年9月に検討会が示した中間とりまとめは,国や電力会社のエネルギー政策を真っ向から批判した。直前の8月には東電の原発でトラブル隠しが発覚していた。

 中間とりまとめは,原子力の核燃料サイクルや高レベル放射性廃棄物処分,決定プロセスに疑問を投げかけ,自然エネは「過小評価」としていっそうの導入を促した。「あんな行政文書はみたことがない」と飯田は振り返る。

 正統派の保守を貫こうとする佐藤に,飯田は信頼を寄せた。福島県が2004年に立ち上げた新エネルギー導入推進連絡会に委員として参加した。主なメンバーは8年後〔2012年〕に「自然エネ100%」を決める顔ぶれとほぼ同じだった。

 佐藤は2006年,ダム工事をめぐる汚職事件で東京地検特捜部に逮捕される。2012年,最高裁で懲役2年執行猶予4年の有罪判決が確定した。一方,検討会は佐藤が知事を辞任した後も開かれ,2010年2月まで39回続いた。

 〔2018年〕5月22日。福島県郡山市であった「傘寿を祝う会」で佐藤はこうあいさつした。「全国の政治家のなかでも勝手な動きをしているなと思われた場面もあった。私自身の信念のもとに命がけで闘ってきた」。(引用終わり)

 結局,佐藤栄佐久は「自身の信念のもとに命がけで闘ってきた」のである。原発廃絶への取組は,国家権力(いわゆる原子力村利害集団をかかえている日本政府など)によって完全に,それも一度は潰された。

 そうして佐藤は “いったんは排除された” 。だが「3・11」の襲来によって,いいかえれば,東電福島第1原発事故が発生した事実によって,この元福島県知事が「信念をもって反原発のための闘争」を貫徹してきた立場は実証された。もともとは正義によくかなっていた〈出立点〉を用意していた佐藤の信念は,いまさらのように,その正当性を再確認できた。

 福島県にとってみれば,地元の電力をまかなうための原発施設は要らない。再生エネルギーの開発・利用を進めれば,到達可能な具体的目標が樹立できる。『ふくしま復興ステーション』というホームページがあり,福島県の「再生可能エネルギーの推進」について,こう主張していた。

 2040年ころには,県内エネルギー需要の100%相当量を再生可能エネルギーで生み出すことを目標に再生可能エネルギーの導入拡大を進める(〈てんでんこ〉自然エネ100%:11 源流」『朝日新聞』2018年6月22日)とともに,拠点整備等を通じて関連産業の集積・育成を図っております。
 註記)http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/list275-862.html

福島県エネルギー事情

 この解説につづく以下の記述中にも,あれこれと関連する説明がなされているが,ここでは引用しない。ただ,福島県は「3・11」までは「地元で消費(使用)しない」「東京電力のための原発」を,福島第1原発に6基,福島第2原発に4基を置かせていた。それらの出力合計は 911.6万キロワットであった。

 ちなみに「3・11」が発生した2011年当時において,福島県地域に電力を供給していたのは,当時はまだ地域独占企業であった東北電力であった。そして,この東北電力の保有する発電設備容量は,全体で2252万キロワットであった 註記)。ところが,福島県の地元には,東電の発電設備容量だけで「10基で911.6万キロワット」にもなっていた。

 註記)https://www.tohoku-epco.co.jp/ir/report/factbook/pdf/fact01.pdf

 ここでこういう計算をしてみる。

   「911.6万キロワット ÷ 2252万キロワット」= 0.4048……

 つまり,2011年において「東北電力が全体で保有していた発電設備容量」の4割にも相当する発電設備容量を,東京電力がしかも原発10基を福島県に配置させるかたちで,保有していた。

 東電はくわえて,新潟県の柏崎刈羽原発も有していて,こちらには1号機から7号機までの全7基の原子炉があり,合計出力821.2万キロワットである。

 なお,東電柏崎刈羽原発は,新潟県中越沖地震(2007年7月16日発生)以降,停止中で稼働しておらず,この停止状態は2011年の「3・11」以降もつづいてきた。

 補注)もっとも,最近(2024年4月時点の話),東電はこの柏崎刈羽原発の再稼働に向けて準備を始めていると報道されている。たとえば,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240418/k10014425441000.html を参照。

 新潟県は東北電力の管内である。隣接する北陸電力では,2015年3月31日現在の統計になるが,発電設備容量は合計で807.5万キロワット,これに他者受電分117.6万キロワットを足して,925.1万キロワットである。

 東電は「3・11」以前では,電力業界の親分格であった点は,こうした発電設備容量の規模から観ても理解できる関連要因であった。

 

 ※-4 いまどきに原発が立地する地元の課税方針-廃炉に課税-

 本日〔ここでは2018年6月22日〕の『朝日新聞』朝刊3面の記事「税収依存,廃炉原発にも 自治体,安全対策以外も使途」は,廃炉になった原発に地方自治体が課税する動きを伝えている。ただし,その付けまわしは結局,電力の使用者・消費者に届くことになる。

 a) 東京電力福島第1原発事故から7年

 原発の再稼働は進まず,廃炉決定が相次ぎ,立地自治体は独自の税収確保に走っている。その使い道は「安全対策や産業振興」という本来の趣旨から逸(そ)れ,原発を抱える県と市町の間で分配をめぐる綱引きまで起きている。(▼以上,1面参照)

 補注)この1面の記事「廃炉原発も課税,拡大 4県で年11億円,停止原発に続き」が,3面の記事に先行している内容を構成していたので,面倒だがここに挿入しておく。

 東京電力福島第1原発事故後,立地自治体が条例で原発に独自に課税する動きが広がっている。稼働中の原発の核燃料に課す「核燃料税」の仕組を変え,今〔2018〕年6月から福島を除く12道県すべての立地自治体で,停止中の原発からも徴税できるようになった。うち4県はさらに廃炉原発に課税できるよう対象を広げた。廃炉への課税収入は年約11億円に上る。(▼3面=税収依存)

 再稼働が滞る一方,老朽化した原発は廃炉を迫られ,自治体が新たな財源確保に動いている格好だ。

 原発の立地自治体などには1974年制定の電源三法にもとづき,交付金や補助金が国から支払われている。核燃料税は,安全対策や産業振興といった名目で福井県が1976年に初めて導入した自治体の法定外税。

 稼働中の原発に核燃料が挿入されるたび,その価格や重量に応じて課されてきた。ただ福島事故を受け,国内すべての原発が停止。福井県は2011年11月,原子炉が停止していても炉の規模に応じて課税できる「出力割」の制度を導入した。  

 その後,追随する自治体が増え,宮城県が今〔2018〕年6月,東北電力女川原発に対する出力割課税をはじめ,福島以外の12道県で停止原発への課税が可能になった。税収額は年間で少なくとも計約150億円に上る。

 福島事故後は安全対策費が増加し,老朽化で廃炉を選択する電力会社も出てきた。福井県は2016年度から出力割の対象を廃炉作業中の原発に拡大し,それまでの出力割の半分の税率を課しはじめた。同様の変更は福島事故後に廃炉になった原発を抱える佐賀・島根・愛媛の各県に広がった。

 核燃料税は原発をもつ電力会社などが納税し,電気料金が元手となっている。各自治体は電力会社に意見を聴いたうえで総務相の同意をうる必要があるが,2013年の地方財政審議会では「住民や電力料金の負担者の意見を聴く機会も必要ではないか」と,周知が十分でないことや受益と負担のずれを疑問視する声も出ていた。

 福島事故前には全国で54基の商用原発があったが,事故後にすべてが停止。現在までに9基が再稼働し,19基の廃炉が決まった。(1面の記事引用終わり)

〔ここから,3面の記事に戻る ↓ 〕

 b) 全国最多13基の商業炉を抱える福井県は,1976年度に核燃料税を全国で初めて導入した。その後,運転停止,廃炉のいずれの段階でも課税できる仕組をととのえ,今〔2018〕年度の税収見込みは計89億円に上る。一定割合を立地市町などに「核燃料税交付金」として配る。

使用済み核燃料などへの課税

核燃料税の仕組と課税状況

 敦賀市は廃炉になった敦賀原発1号機や高速増殖原型炉「もんじゅ」を抱える。中心街には日本原子力研究開発機構が2001年にPR用に建てた「アクアトム」があり,昨〔2017〕春,1階に市の子育て施設ができた。整備費約2億円のうち,1億4千万円は核燃料税交付金が使われた。

 核燃料税はもともと,原発の安全対策や,原発による地域産業への圧迫の緩和に使うとされたが,現在は道路修繕など使い道は多岐にわたる。アクアトム向かいのビルには第三セクター「港都(みなと)つるが」が入る。商店街活性化のイベントを支えるのが市の委託金で,昨〔2017〕年度予算の6割は核燃料税交付金だった。

 県が廃炉原発に課税する条例案を出した2016年6月の県議会では,県と市町でどう配分するか,などが議論になった。「いつまでも税金をとりつづけるのはいびつ」との声も漏れるが,敦賀市選出の石川与三吉議員(自民)はいう。「危険物に対し,なんらかの見返りがないといけない」

 補注)この理屈,原発は危険物なのだから「これへの見返りとして課税の対象とみなす」という見地は,ある意味で原発「神話」などすでに崩壊していて,とくに未稼働に置かれている原子炉が多い状況のなかでは,それなりに説得力があった。

 しかし,そうはいってみたところで,もしもまた原発の事故が発生したりしたら,とてもではないが,そのときもたらされるに違いない〈非常に過大である不幸な事態〉に対する「その穴埋めの一部」にすらならない。

 一方,1998年に運転を終えた日本原電東海原発がある茨城県や,廃炉中の中部電浜岡原発1号機,2号機を抱える静岡県は課税していない。福島県も「稼働を前提とする核燃料税は事故が起きた本県の状況になじまない」と2012年末,核燃料税の仕組を失効させている。

 c) 町と県「二重課税」

 課税対象は動いていたり,停止・廃炉になったりした原発だけではない。使用済み核燃料じたいも対象になり,2003年に東京電力柏崎刈羽原発がある新潟県柏崎市が課税をはじめ,いまでは3県と4市町が導入している。柏崎市の桜井雅浩市長は3月,使用済み核燃料への課税について,保管年数が長いほど税率を高くする方針を明らかにした。

 九州電力玄海原発が立地する佐賀県玄海町は昨〔2017〕年度から使用済み核燃料税の徴収をはじめた。ただ佐賀県も来〔2019〕年4月を目標に新たに使用済み核燃料への課税を検討している。「二重課税」と批判される恐れもあるが,県は「避難計画の範囲が広がり,増大した安全対策費をまかなうため」と語る。

 d)「〈視点〉電気料金からの『納税』,検証を」

 動いている原発に課税してきた核燃料税。原発の状態が変わるのに合わせ,間断なく税収を確保しようとする自治体の姿は,「原発依存」から抜け出すのはむずかしいという実情を浮き彫りにしている。

 自治体による原発への課税は今後もさまざまなかたちで広がる可能性がある。ただ,核燃料税の問題が投げかけるのは,立地自治体の地域振興はどうあるべきか,だけではない。

 多くの電気利用者は電気料金を通じ,しらずしらずに立地自治体に「納税」している格好だ。しかし,立地地域の課税の是非や額に関し,間接的に負担する利用者が意思を示せず仕組が拡大していく構造は,正常な税のあり方だろうか。原発をめぐる課税についてあらためて検証が必要だ。(引用終わり)


 ※-5「原発神話の迷路」

 原発は「安全で,安価で,安心」なエネルギーだと,いまごろになってまで,いいつづける愚かな識者はいない。原発神話が神話でありえたのは,その熱烈に信仰するかのように振るまっていた原子力工学者たちをはじめ,原子力村利害集団に直接と間接を問わず属する組織・個人が,特定の便益を享受できる状況に尻尾を振りながら追随していたからであった。

 ところが,廃炉事業をビジネスとして〈儲けの対象〉にできる一部の人たちをのぞいて,原発は厄介ものになりはてている。原発は膨大な設備投資を要してきた。

 しかし,この原発の利用が進めば進むほど,その《悪魔の火:原子力》を応用しているせいで,あの「大きな蒸気機関(複雑にいりくんだ装置としてのヤカン)」が,「トンデモない代物」以外のなにものでもなかった「技術経済的な事実(真相)」もまた,確実に暴露され理解されてきた。

 電力業界の天敵だった広瀬 隆は,それほど原発が安全だというのであれば,『東京に原発を!』集英社文庫・1986年(宝島社から再刊,1981年)置けばいいではないかと提言したあと,21世紀も10年が経ったころ『原子炉時限爆弾』ダイヤモンド社,2010年8月を公刊した。

 実際,その時限爆弾が翌年「3・11」東日本大震災を撃鉄にされて,爆発事故を起こしていた。

 「原発の基本が原爆と同じ原理で製作されている事実」は,専門家にいわせなくても,われわれ素人にあっても,いまでは常識的な知識・情報になっている。

 前段に出ていた原発に対する意見,「危険物に対し,なんらかの見返りがないといけない」(敦賀市から選出の福井県議石川与三吉〔自民党〕)は,とりあえず,この危険物に関して生まれるべき「第2弾目となる目先の見返り」について触れていた。

 さて,その「第1弾目の見返り」とは〔十分に前後と均衡のとれた話題ではないけれども〕,「原発交付金」,つまり,電源三法にもとづいて原子力施設の立地自治体や周辺自治体に交付される「電源三法交付金」のことであった。いずれにせよ,いまの日本はすでに原発廃炉の本格的な段階に〈突入〉した。19基の原発が廃炉に決まっていた(これは当時の話)。

 その原発の廃炉をめぐるもろもろの事業展開は,実は,原発によって電力をえていたころとは異次元に属するような,いうなれば「恐ろしい事業」の新しい展開として予告されている。若干ずれた話題を報道する記事の見出しのみ,つぎにかかげておく。

 「原発事故の放射性物質,東京湾奥部に大量蓄積! 最新調査で判明! 『今も汚染が継続』」『情報速報ドットコム』2018.06.17 22:40


 ※-6 木川田一隆(1961年東京電力社長に就任した人物)について

 以下に引用するのは「地質調査は全くせず,政治家の “ご都合” で原発建設地が決まる大地震国ニッポン」『阿修羅』2014 年 9 月 08 日 14:06:22,http://www.asyura2.com/14/genpatu40/msg/246.htm である。

 『ドキュメント 東京電力企画室』(田原総一朗著,文春文庫)を読んだ。東電が初の原発導入を決めたいきさつが書かれており,とても興味深い。面白いことに,当時,東電副社長であった木川田一隆は,最初は原発の導入に強く反対していた。

 「原子力はダメだ。絶対にいかん。原爆の悲惨な洗礼を受けている日本人が,あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」(63頁)

 その志を貫いてもらえば,われわれもこんな目に合わなくてすんだわけだが,彼は,あるときを境に原発推進に豹変する。なにが彼を変えたのは,著者も謎だといっている。おそらく,原子力推進のため暗躍した中曽根康弘や正力松太郎のアメとムチではなかったか?

東大経済学部で河合栄治郎の教えを受けた


 1961年,木川田は東電社長に就任していたが,翌1962年の常務会で突然発表する。

 「1962年9月21日。東京電力常務会」 ……中略…… 「だが,この日,木川田の表情は特別にはりつめていた。『当社も,いよいよ原子力発電所を建設します。原子炉のタイプは軽水炉,ゼネラル・エレクトリック社の沸騰水型,第1号炉は出力40万キロワットの予定。福島県双葉郡大熊町です』有無をいわさぬ,きわめて断定的な口調だった」(54頁)

 それまでは社内で複数の原発メーカー,原子炉の検討がおこなわれていたが,常務会の了解もえず,社長の独断で決めてしまったという。この選定の真相も謎に包まれている。おそらく政府からの強い圧力があったのだろう。誘致先についても木川田が勝手に決めた。木村守江・元福島知事がそれについてこう語っている。

 「『昭和33年ころかな,私は衆議院議員でして,いま原子力発電所がある,大熊,双葉という地区は,実は私の票田だったのです。ところが,あの辺は実に貧しい。だいたい,福島県というのは,全国でも指折りの貧しい県(1965年度個人所得,本州では島根に続いて下から二番目)なのですが,大熊,双葉のあたりというのはとくに貧しい。そこで,地元では,さかんに産業誘致を図ったのだがうまくいかない。町長たちからなんとかしてくれと頼まれて,木川田さんに話したのです』」

 「木川田一隆は,福島県梁川町の医師の家に生まれている。木村家も代々医師で,同郷のうえに同業の家系に育ったということで,木村は,木川田とは昵懇の間柄だったのだという。木村に相談されて,木川田は,即座に,『原子力発電所がよいのではないか』と答えた」(73頁)

 要するに,地質調査はいっさいにせず,社長が同郷の政治家の求めに応じて,勝手に建設地を決めてしまったのだ。そして,あとから,とってつけたように調査をおこない,活断層等不都合な事実がみつかると,御用学者に巧妙に隠させたのだ。原発のように慎重の上にも慎重が要求されるプラントの建設場所が,専門家でもない社長の一存で決まったのだ。とんでもないことである。

 註記)「地質調査は全くせず,政治家の “ご都合” で原発建設地が決まる大地震国ニッポン」『阿修羅 掲示版』2014年9月8日 14:06:22,http://www.asyura2.com/14/genpatu40/msg/246.htmlhttp://www.asyura2.com/14/genpatu40/msg/246.html

 最後。木川田一隆の「経営者・論」については,たとえば,高宮 晋編著『木川田一隆の経営理念』電力新報社,昭和53〔1978〕年が公刊されている。だが,この本は,木川田の原発「観」を教えるような段落はみつけにくい。巻末「年譜」には,原発関連に関する最低限の記載がなされている。

---------【参考文献の紹介:アマゾン通販--------


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?