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在日米軍が日本国を支配するための「疑似・日本総督府である」実情,その分かりやすい実例が赤坂プレスセンターというヘリポート併設の軍事施設(1)

 ※-1 はじめに-在日米軍は宗主国の手兵としてこの日本を実質支配しているつもりか?-


 本ブログは,半年前の2023年4月10日に記述した,題名「アメリカ軍が支配する日本国,その実例『赤坂プレスセンター&ヘリポート』https://note.com/brainy_turntable/n/n426ec1fa8608 を,公表していた。

 その記述をのぞいてもらえれば,そこには「この記述は,2014年11月17日に初出され,2019年11月28日に補正され,そして本日さらに更新する文章である。本稿の要点は,つぎの3点にとりあえず整理できる」と断わってあった。

 つまり,最初は9年前に公開していた文章の,今回の記述はその3訂版になっている。最近,先月10月中旬から下旬にかけて『毎日新聞』朝刊が7回に分けて連載した取材・解説記事「〈特権を問う〉赤プレ 占領の歴史 1~7」に出会った。

 日本国東京都の中心部のその超一等地になるが,敗戦以来,在日米軍がその機能・役割としては,軍用ヘリポートに利用している地域があった。その場所は現在もなお,あたかもアメリカにとってみれば「自国の飛び地」であるかのように,自由自在(好き勝手)に使える基地として存在している。

 まずつぎの画像をみてほしい。これは,「今でも残る『都心の米軍基地』 トランプ大統領の移動拠点『赤坂プレスセンター』とは」『J-CASTニュース』2019年05月25日07時00分,https://www.j-cast.com/2019/05/25358280.html に載っていた写真2葉である。

説明)2014年 赤坂プレスセンターのヘリポートに降り立った
ヘーゲル国務長官(当時)

前の画像と比較してみたい
むろんごくこまかい点では装備などの造りに相違がある
アメリカ大統領専用の軍用ヘリ

 以上に比較しながら挙げてみた画像に写っているヘリ(同型)は,米軍の要人輸送用〔ここではとくに大統領専用〕の特別仕立てであり,一般の軍用ヘリに比較してみるに,同じような塗装(カーキ色)を施してはいるものの,その色あいはだいぶ異なってもいて,かなり美麗な印象を与える機体である。

 関連する同じ種類の画像をさらに紹介してみたい。

大統領専用機のヘリ

 さらにもう1葉,『時事通信』から画像を借りて,赤坂プレスセンター:ヘリポート近辺の風景を紹介しておきたい。現実味=臨場感を演出するために「大判のかたち」でかかげておく。ヘリは,上の同じ日付で同時に,別に撮影されていたその大統領専用機。

日本の関係法規ではこのような場所でこのような飛行の仕方(航法)は許されない

 最後に赤坂プレスセンターとヘリポートの周辺地図。

真ん中に赤枠が記入されているのがヘリポート
その下に赤坂プレスセンターがあり
右上には政策研究大学院の校舎の屋根が写っている


 ※-2 『毎日新聞』2023年10月17日朝刊から連載がはじまった「〈特権を問う〉赤プレ 占領の歴史 1」

 この記事の中身を引用する前に,下の画像の解説からしておく。この画像は,ヘリポートを備えた東京・六本木の米軍基地「赤坂プレスセンター」の正面ゲート。右奥にみえるビルに星条旗新聞社のオフィスなどが入っている(東京都港区で20238月8日午後0時43分,大場弘行撮影)。

 この画像は道路付きから判断して,南側に面した道路からほぼ東側に向けてこの赤坂プレスセンターの敷地を撮影したものにみえる。グーグルマップ』からもそのように確認できる。

日本語表示はなし
参考にまでつぎの画像も添えておきたい
位置関係は難なくみてとれると思う
赤坂プレスセンターに南付きで東西に通る道路

 この特集記事を引用しつつ批評をくわえてみたい。この解説記事を書いた担当記者は,毎日新聞社の大場弘行。

   ★ そこは東京制圧の拠点だった 赤プレ・占領の歴史 / 1 ★     =『毎日新聞』2023年10月17日朝刊20面
         (ただし以下の引用はウェブ版からとなる)=

 a) 連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官で米占領軍トップのマッカーサー元帥は,東京に進駐したのち1945年9月8日,米国大使館で開かれた国旗掲揚式で敬礼した。

出所となった『毎日新聞』の日付には異同があるが
委細かまわずでよし

 終戦翌月の1945年9月,日本を降伏させた米軍は東京都心に進駐し,占領政策を進めるため多くの施設や土地を接収した。戦後そのほとんどが返還されたが,米軍が終戦から78年たついまも手放さないのが,ヘリポートを備えた「赤坂プレスセンター」(港区六本木)だ。

 首都のど真ん中にあるこの施設の歴史を公的な記録などをもとにたどってみると,両政府が近年強調する平等で強固な同盟関係とは別の側面がみえてくる。

 註記)東京・六本木にヘリポートを備えた米軍の「赤坂プレスセンター」について,誕生から現在までをひもとく「赤プレ・占領の歴史」は全7回です。連載ページ「特権を問う」に掲載します。

 補注)この「赤プレ・占領の歴史」全7回は,『毎日新聞』朝刊に掲載された日付は,10月17日から18日,20日,24日,25日,27日,28日である。

註記と補注

〔記事に戻る→〕 東京メトロ日比谷線の六本木駅から,しゃれたカフェやオフィスビルを横目に5分ほど歩き,ガラス張りの外観が特徴的な国立新美術館の正門前の坂を下ると「星条旗通り」と呼ばれる道に出る。道沿いに鉄柵に囲まれた施設がある。ポールに掲揚された星条旗と日の丸が風に揺れている。赤坂プレスセンターだ。

 補注)関連する「当該の画像」は,冒頭から前項のなかであれこれかかげてみた。

〔記事に戻る→〕 面積は東京ドームの半分より広い約2万7000平方メートル。敷地内に4階建てと6階建ての古いビルが2棟あり,米軍の準機関紙『星条旗新聞』の事務所や米軍関係者向けの宿泊施設などとして使われている。プレスセンターという名称は,プレスを意味する新聞社があるためだが,実態はまぎれもない基地だ。

 画像の註記)東京都内で開かれたシンポジウムでネットインタビューに答えるエドワード・スノーデン氏〔画像(東京都文京区の東大・本郷キャンパスで2016年6月4日,後藤由耶撮影)が出ているが,ここでは割愛〕。

 米国家安全保障局(NSA)や米中央情報局(CIA)の元職員で2013年,NSAが無差別に個人情報を集めたり,日本を含む各国の在米大使館の通信を傍受したりしていたと暴露。その後ロシアに亡命した。

 ビルの背後にサッカーコートほどの巨大なヘリポートを備え,そこに横田基地など首都圏郊外の基地から軍幹部らを乗せた軍用ヘリがごう音を立てながら飛んでくる。基地の活動には謎も多い。

 米中央情報局(CIA)の元職員,エドワード・スノーデン氏がもち出した内部資料によると,通信傍受などをおこなう米国防総省の諜報機関「国家安全保障局(NSA)」のオフィスが2007年まであったとされる。

 〔2023年〕8月の晴れた日の昼過ぎ,記者が星条旗通りからセンターの外観を撮影していると,サングラスをかけた背の高い白人男性から声をかけられた。センターの警備幹部と名乗り,出入り口にある看板を指さした。「許可のない撮影は禁止」「写真は没収対象」とある。

 〔しかし記者の〕これはセンター内に入る人に向けた警告で外にある公道から撮影しても問題はない。そう返すと「そのとおりだ」といいつつ,今度は撮影目的と名前を教えてほしいとしつこく聞いてきた。

 この地にはもともと,旧日本陸軍の巨大な駐屯地があった。1889年の設置後,もっとも長く駐屯していたのが,第1師団歩兵第3連隊。地名にちなみ「麻布三連隊」と呼ばれ,1936年に所属の青年将校らが「2・26事件」を起こしたことでしられる。

 事件では「昭和維新」を唱え,約1500人の下士官や兵士を率いて首相官邸などを襲撃する。高橋是清蔵相らを殺害し,国会や警視庁も占拠した。鎮圧されて未遂に終わったものの,この地が日本の権力の中枢にいかに近いかを示している。

 b) 3000人が進駐

 終戦翌月の1945年9月8日,米占領軍トップのマッカーサー元帥が横浜から東京に進駐する。先遣隊の任に就いた米軍の第1騎兵師団が真っ先に接収を目指した一つが,麻布三連隊の駐屯地だった。

 当時の敷地は約12万平方メートル。延べ床面積が3万平方メートル近くにも及ぶ3階建ての巨大な兵舎もあった。兵舎は鉄筋コンクリート製で米軍の空襲で焼け野原になった市街地の中で原形をとどめていた。

 東京都公文書館編集の「都史資料集成Ⅱ」によると,マッカーサー司令部が9月6日に「7日午後6時までに受け入れ態勢を整備しておくこと」と日本側に通知。同書の記録では15日に進駐し,その人員は17日時点で100人,翌10月15日時点で3000人まで膨れ上がる。この時点で56カ所あった東京中心部の進駐場所の中では最大規模となっていた。

当時の兵士の表情はどうみるべきか?
 

 第1騎兵師団の現役・退役軍人らでつくる協会のウェブサイトには進駐の歴史がこう紹介されている。

 「占領軍を率いて日本の首都に進駐し,『ファースト・イン・東京』の栄誉をえた。師団の最初の任務は東京の中心部の制圧だった」。主な仕事は日本の戦争遂行に貢献した施設をみつけて調査することで,武装解除にも関心を寄せたとある。

 接収した麻布三連隊の駐屯地については,警備対象だった米国やソ連(現ロシア)大使館,皇居に近いことが記されている。

 赤坂プレスセンターのある地は,まさに首都占領初期の実動部隊の拠点だった。【つづく】(引用終わり)


 ※-3「トランプ氏来日リハーサルか 六本木に米軍ヘリ5機飛来」『朝日新聞』2019年5月22日 19時26分,https://www.asahi.com/articles/ASM5Q5HKVM5QUTIL056.

 

【記事内の動画から】トランプ米大統領来日に備え米軍ヘリが離着陸

 上の画像はこう説明されてもいた。

 米軍基地「赤坂プレスセンター」のヘリポートに離着陸する,トランプ米大統領が乗るとみられるヘリ
  =2019年5月22日午後1時33分,東京・六本木,林敏行撮影 =

赤坂プレスセンターとヘリポート

 〔2019年5月〕22日,東京・六本木の米軍基地「赤坂プレスセンター」北側に隣接した敷地にある〔米軍〕ヘリポートに,米軍のヘリコプター5機が離着陸した。25日のトランプ米大統領来日に備えたリハーサルだったとみられる。

 ヘリポートには午後1時10分ごろから約25分間,トランプ氏が乗るとみられるヘリなど5機が離着陸した。ヘリはその後,安倍晋三首相とトランプ氏がゴルフを予定している千葉県内のゴルフ場に向かった。

 補注)そのゴルフ場上での出来事としてこういう様子が生じていた。安倍晋三首相(当時)が,急坂のついている深いバンカーに落ちたゴルフボールをなんとか打ち出したあと,そのバンカーからはいだそうとした登り出したさい,途中でもんどりうって一回転,その底のほうに転がり落ちた画像が流れた。

 その事実はいまだに記憶に残っている。ところで,トランプはそのアベのみっともなかった姿を「『どの体操選手よりも素晴らしかった』と褒め」たそうであるが,嘘つきで有名なアベ自身の発言なので,話しは半分よりずっと以下の程度に聞き流しておけばよい。

 そのときトランプはアベの存在などおかまいなしに,さっさと,つぎのコースへ歩いていった。それにしても,なんともミットモナイ風景ができあがっていた。ただしその風景は,ある新聞社(のヘリが上空から空撮したものであった。

 話を本題にもどす。実際に,トランプはアメリカ大統領として「正式に」日本を訪問した。ところが「日本の主権」などおかまいなしに,つまり無視したかたちで,いいかえると,羽田国際空港や成田国際空港から入国するのではなく,治外法権で占有・専用が認められている「アメリカの飛び地」というべき「赤坂プレスセンター隣の米軍専用のヘリポート」から日本に入るかたちで移動してきた。

 すなわち,アメリカのどこかの空港から出発し,日本の米軍基地へ降り立ったトランプは,そうした日本国に対する「最高度の無礼を犯す関係でもって東京都に位置する米軍基地に降り立った」。この実態をとらえて「米日間には上下の服属関係が現在する」と理解して,なんらおかしい点はない。

 トランプはいままで,アメリカの歴代の大統領が日本を訪問するさい守っていた「外交上必要な最低限の礼儀」を,平然と無視・放棄した。だが,日本側はその無礼を誰1人,とくに与党側の政治家から日本の世間に向けてしらしめるように,つまりアメリカ政府側に対して詰問・批判する者がいなかった。

 アメリカの現大統領バイデンも日本の来たときは,トランプの方法を前例にした。バイデンもトランプに倣って,この国・民を軽んじる態度を露骨に示したことになる。

 さて,敗戦後1974年になり初めてアメリカの大統領が訪日したが,それ以来,アメリカの大統領たちは,在任中少なくとも1度は,日本を訪問してきた。ところが,トランプはこの記録を面と向かって汚したことになる。

 どういうことか?

 a) 2000年当時,クリントン大統領が九州・沖縄サミットに出席するため,沖縄の本土復帰以降,アメリカ大統領として初めて沖縄を訪れた。

 b) さらに2002年,その前の年に就任したブッシュ大統領が日本を訪れ,当時の小泉純一郎総理大臣と会談した。このブッシュ大統領はその後も,2003年と2005年に日本を訪れていた。

 小泉総理大臣と会談し,自衛隊の派遣も含めたイラクの復興支援や,北朝鮮の核や拉致をめぐる問題,さらにはアメリカ軍基地の再編などが繰り返し,話しあったのである。

c) またオバマ大統領は,在任中に合わせて4回,日本を訪れた。最初の訪問は,大統領に就任した2009年で,同じ年に誕生した民主党政権の鳩山総理大臣と会談し,

 翌年の2010年に再び日本を訪れたオバマ大統領は,民主党の菅総理大臣と会談し,アジア太平洋地域における日米同盟の存在が重要だという認識で一致した,と報道されていた。

 d) ところが,トランプ大統領は2019年5月に来日したさい,羽田国際空港や成田国際空港から日本に入国するのではなく,赤坂プレスセンターのとなりに位置する「米軍支配下のヘリポートに舞い降りる」かたちで,日本に移動してきた。

 つまり,日本に正式に入国する形式を踏んでおらず,赤坂のそのヘリポートから日本に直接入った,いいかえれば,土足で他人の家に押し入るかのように移動してきた。そうであったからには,アメリカのこのガサツな大統領は,日本・日本人立ちに対して「外交儀礼上〈最高度の無礼〉」を働いたことになる。

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 付記)『毎日新聞』朝刊が先月10月中旬から下旬にかけて7回に分けて連載した取材・解説記事「〈特権を問う〉赤プレ 占領の歴史 1~7」について,以上の記述は第1回目を「本稿(1)」としてとりあげ論及したに過ぎない。

 明日以降「本稿(2)」以降をさらにとりあげ議論していきたい。その続編についてはできしだい「ここにその住所(アドレス)」を指示するつもりである。

 ⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/n8cc381e5a703

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