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「プーチンのロシア」に侵略され戦争中であるウクライナ原発関連の懸念(前編)

 ※-1 2022年2月24日,「プーチンのロシア」がウクライナに対して侵略戦争をあらためてしかけ,その後すでに600日を越えて両国の戦争状態は継続している

 旧ソ連邦時代,一地方であったウクライナ地域は1991年8月24日に独立を宣言していた。それから早30年以上が経過した時点で開始された,「ロシアのプーチン」によるウクライナ侵略戦争をめぐっては,つぎの図解のようにウクライナ国内に15基も建設されていた現役活動中の原発が立地する現実が,ある意味,とてもではないが「恐怖すべき対象」にならざるをえないでいる。

ロシア軍に占拠されたのはザポロジェ原発の6基ある
だがロシアはさすがに
この原発に戦争行為:破壊戦術をしかけるといった軍事行動は
採ってはいない

ウクライナの人口は確定的な統計を与えられていないが
2023年では2800万人から3400万人と推定する観方がある
6基の原発が建設されており
1箇所における規模としては欧州最大である


 旧ソ連時代からウクライナ地域に立地していた原発が,その戦争行為に巻きこまれ大事故を起こすのではないか,という危険が原発問題に少しでも関心のある人びとにとっては,いつも心配の種として心の隅に残っている。

なお排出された放射性物質に関する説明はそれもとくに
東電福島第1原発事故現場の場合に関しては
甘い評価である
太平洋側に流れていったそれを
どのように推算するかについて疑問なし
とはいえないからである。

 ところが,すでに1986年4月26日にこの地球で初めてとなったが,現在はウクライナ国内の位置しているチェルノブイリ原発で ,「国際原子力事象評価尺度」(「事故」とは呼ばず「事象」と呼ぶ点は不可解であるが)に当てはめると「7 深刻な事故」が起きていた。

 つづけてはその25年後,2011年3月11日,日本の東電福島第1原発で同じその「7 深刻な事故」を発生させていた。すでにアメリカは1979年3月28日に「5 広範囲への影響を伴う事故」を起こして以来,原発を新設する意欲をすっかり削がれていた。

 そもそも「資本の論理」「企業の目的」に照らしていうまでもない真実なのであるが,原爆の応用技術として開発された原発(原子力発電所)は,採算など本来とれない出自を有していたものを,アメリカが第2次世界大戦後におけるこの地球全体に対する帝国主義的な支配欲を,自国有利に維持・再編するためにこそ,その「原子力の平和利用」を唱えていた。

 その理の必然であったが,原子力エネルギーの利用方途として観た場合,「技術の倫理」「経済の方途」としてはお門違いをあえて意図して〔するまでもなかったか?〕犯していたがゆえ,技術経済的かつ政治問題的なその未来が「原発の大事故」となって,その仕返しをこうむった。この歴然たる事実は,技術の歴史に照らしていえば必然のなりゆきであった。

 1953年12月8日であったが(この月・日については説明の要もあるまい)アメリカ合衆国のドワイト・D・アイゼンハワー大統領は,ニューヨークの国際連合総会で演説をおこない,「平和のための原子力利用(peace for atoms)」を提唱した。それは原子力に対する考え方であり,核の平和利用を強調していた。この考え方じたいが初めから矛盾していた事実は,原発史そのものが実証していくところになった。

 しかし,原子力を平和利用すると意図したところで,このエネルギーを転用し,電力を生産する原発は,一度でもとくに大事故を発生させると,チェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故がものにもみせたように,取り返しのつかない損害と危険を,この地球環境の全体に対してまで重大かつ深刻な打撃として与える。

この図解は太平洋に向かった放射性物質の流出を
描かれていない
その総量の8割近くは海域に放出された結果に
なっていた
観てのとおりの「重ね地図」


 原発事故のその現実は,その原発の大事故を起きた現場をみれば一目瞭然であるように,地球環境に対する決定的な破壊とをもたらし,現状回復などとうてい不可能になる〈大損害〉を残してきた。

 付記)本稿は2022年6月23日に「原発の事故が心配,エネルギー問題も深刻化したなかで,またぞろ再稼働をささやく悪魔的な動向(前論)」として執筆され公開されていたが,その間,未公表であったものを,本日(2023年10月23日)復活させ再掲することにした。

 前段までの記述は本日,冒頭の段落として新たに,その間において世界政治経済の事情推移なども配慮して,若干の加筆をおこなった。もっとも,以降の記述も時間の経過(1年と4ヵ月)があったので,必要に応じて補正や追論をしている。

 付記)冒頭の画像資料は上掲の「重ね地図」を借りた。

 「ロシアのプーチン」が始めた ウクライナへの侵略戦争は,チェルノブイリ原発が15基も立地していた国であるだけに,軍事行動に原因する原発の事故発生が当初から心配の種になっていた。だが現在にあってもまだ,すれすれのところで,その危険の暴発が留められているに過ぎない。

 プーチンが独裁・専制主義を好む『悪魔的な人物』だとすれば,エネルギー問題において「招かざる電源であった原子力」を導入・利用した人間の世界は,エネルギーの世界のなかに《悪魔の火》を取り入れた事実を意味する。

 ウクライナ情勢にかこつけて,またぞろ再稼働をささやく,その種の悪魔的な動向が,この日本でも生まれていた。しかし,歴史を長期的な視野から観察しない者によるその種のエネルギー観は,今後それほど長く待たなくとも,間違いなくその短絡した思考回路を暴露することになる。

 元来,原発事業ほど危険で採算のとれない商売はなかった。その核心の問題は今後にむけてもマスマス明白になっていく。いまでは,なによりも再生エネ産業・事業のさらなる導入・活用が一番大切であり,未来へ向かってはその方向で展開するほかない。 

【参考書評】-大島堅一の著作に対する論評,これはそれほど長い文章ではないので,興味ある人はのぞいてみてほしい-

 ⇒ https://www.jstage.jst.go.jp/article/reeps/7/2/7_94/_pdf/-char/ja

 2020年までには原発事業の展開に完全に失敗しつづけ,すでにそれから逃げはじめた日本企業は,金儲け算段であれば当然,再生可能エネルギーに向かわざるをえない。しかし,日本の産業経営は,再生可能エネルギー事業ではすでに周回遅れを来たしている。

 つぎの表は2017年だからもう6年も前の「太陽光発電パネル製造業の世界順位づけ(市場占有率)」であったが,このころ(2010年代)ですでに,日本企業はすっかり後塵を拝するようになっていた。

太陽光発電装置「市場占有率・世界順位」

 
 つまり,実に “みっともないかっこう” で,自然が恵んでくれるエネルギー関連分野に対する営利的な事業展開に遅れをとってしまった「その後における日本企業」を囲む「時代の流れ」になっていた。

 かつて,日本の会社が太陽光発電のための関連機器の生産・販売では先端を走っていた時期があったものが,その間においてはなお,原発に非常に執心するあまりという事情があってか,いつのまにか他国の競争企業に追い抜かれてしまった。 


 ※-2 本稿の記述は本日,2023年10月23日分の記述を「前論」とし,明日の記述は「後論」として構成している

 まず,議論するにあたりとくに前提に置く問題意識は,つぎの2点である。

 【要点1】 チェルノブイリ原発事故が起きた直後からの「日本における当該言論の様子」をみていると,その後においても「なんら変化させてない」傲岸な態度なまま,依然「原発安全神話」信仰にこだわってきた基本路線から,完全に離脱できていない。

 【要点2】 経済産業省・資源エネルギー庁は,2030年における電源構成比率のうち原子力を「20~22%」としていた看板を,いまもまだ下げていなし,このまま「堅持していく」決心をなにも変えていない。

 つまり,本心では,21世紀のエネルギー政策をどのように展開していけばいいのか「オロオロしている始末」だと観察されて当然であるが,いまだに,そうした周囲の懸念を「蛙のツラにおしっこ」の要領で無視しつづけている。

 本日の記述は上記のうち主に「要点2」が主論の材料となるものだが,こちらは明日の記述にまわす構成となり,その前に「要点1」に関して “いまから36年以上も前の記事” に報告されていた「原発・賛否」論を,当時の新聞報道に現われた記事を借りて回想しておきたい。

 1)新エネルギー総合開発機構企画部長・伊藤敬一「停滞許されぬ新エネ開発」『日本経済新聞』1984年8月16日朝刊「経済教室」の寄稿。

 この解説記事は,チェルノブイリ原発事故が1986年4月26日に起こる1年と8カ月前に出ていたものである。「石炭液化」と「太陽光発電」そして「燃料電池」が話題に取りあげられていた。

 補注)チェルノブイリ原発の地名はウクライナ侵略戦争直後から,ウクラナイナ語による表記「チョルノービリ」が使用されているが,この記述中では前者を使用している。

 21世紀になった現時点にあっては,そのうちでもとくに太陽光発電が再生可能エネルギーの重要な領域になっている。この事実についてはあらためていうまでもない。

 伊藤敬一は「石油動向に左右されぬ視点」が必要だ,それは「停滞を許されぬ新エネ開発」の未来のために必要だと指摘していた。だが,どうであろう,現在=2022〔2023〕年になってもまだ,同じ指摘がそれも日本においては反復されねばならない。

 2022年2月24日に開始された「プーチンのロシア」によるウクライナ侵略戦争は,そうしたエネルギー問題の動向に対する観方・立場を,あらためて強調することになった。だが,日本は1984年以降,原発に重点を置いたエネルギー政策に偏向してきた。

 2011年3月11日に東電福島第1原発事故が発生した日本であった。けれども,その後おいてもなお,原発の大々的な稼働体制を維持することをもくろむエネルギー政策:「方針=思考回路」にこだわってきた。その方途は時代錯誤だと非難されて当然である。

 要は,原子力ムラ的な利害によってエネルギー問題を観察するための立場は,溶融(崩壊)させられていた。いいかえれば,その将来への展望に対してとなれば,みずから視野狭窄の方途を選んでいたのである。

 ともかく,この伊藤敬一の解説記事が書かれてから2年後,1986年4月26日にチェルノブイリ原発の大爆発事故が発生した。

 2) 日本原子力研究所理事・熊沢雅夫「極めて特異,ソ連原発事故 日本ではあり得ぬ運転規則違反」『朝日新聞』1986年11月4日朝刊「論壇」  

 熊沢正雄のこの寄稿記事は,現時点においてもなんら特別にくわえて批判する余地がないほど,つまり「完璧なる誤謬」を,それも自信を抱いて犯していた,つまり極めて愚昧な言説であった。

 ここでは,「日本の原発は世界一安全だ」という神話の幻想を本気で信仰するフリをしていた人たちの,ただ軽率だったと批判することよりは,原発イデオロギーというものの〈観念的な転倒性〉そのものが,当時からすでにバカ正直にまで露呈されていた事実・事情を思い起こすための参考資料として,この記事に接しておけばよい。

 その種の意見のいい見本であったが,つまり当時(1986年)の時点にあってはまだまだ,原発信者だと決めつけれてもなんとも思わず平気でいられた関係者が,多くいた。

 つまり,そういわれて批判される点などそっちのけで,ともかく,その「原発路線のバスに乗車する」ことによってえられる「利得の良さ」にひたすら魅せられていた人びとは,原子力ムラの村民となって,みずから進んでその住民登録していたわけである。

 3) 理化学研究所研究員・槌田 敦「日本の原発も安心できない 起こり得る角棒層や規則違反」『朝日新聞』1986年11月24日朝刊「論壇」  

 槌田 敦は,この寄稿の最後で「欠陥があると知りながら」「日本の原発」,その原子「炉を運転しつづけることに,反対である」と主張していた。

 前段にその氏名が出ていた久米三四郎は反原発の立場,それも理論的に明確な旗幟を揚げている識者であった。『科学としての反原発』市民科学ブックス,七つ森書館,2010年8月を公刊していた人物である。反原発の代表者である高木仁三郎ともに著名な人物である。

  4)「『原発神話』崩れる エネ庁の発電コスト 石炭などより割高  今年度 円高が大きく影響」『朝日新聞』1987年1月21日朝刊1面 

 この記事は,冒頭の前文のなかに書かれてもいるとおり,原発が廃炉工程に入ってからそれこそ,そこからつぎつぎと発生してくる諸経費の増大(たゆまなく発生していくその「増分原価の上昇傾向」)を,当時においてすでに指摘していた。いまから36年前の話題であったが……。

 最近になってもまだ,この種の「各電源別の原価・比較論」がよく話題になるが,ここに書かれている廃炉関連において発生する経費の見積もりのほうは,結局,ひどく大甘であった。

 原子力の試算には,原価の1割とされる老朽原子炉の解体費用が放射性廃棄物の処分費用が含まれておらず,この費用を上積みすると発電コストは石炭を上まわる13円強になる。

 原発には放射能事故への不安がつねにつきまといながら,低コストという経済性を前面に打ち出して建設が促進されてきただけに,「原発神話」の崩壊は各地の原発建設に深刻な影響を与えそうだ。

 1979年3月28日起きたスリーマイル島原発事故も,実は,アメリカにおける原発の建設に冷水を浴びせる出来事になっていた。さらに,チェルノブイリ原発の大事故は,それをはるかに上まわる衝撃を世界中に与えた。

 そして,2011年3月11日に発生した東電福島第1原発事故はむろん,事故を起こした原発じたいと敷地からその周辺地域にまで対して,「公害的に広域にわたる大きな被害」をもたらした。

 廃炉に関連して発生していく諸費用には,原発災害に被災させられた地域住民に対する損害賠償までくわわり,原発による電力生産のコスト水準をさらに引き上げる要因となっている。    

 5) それでも懲りない電事連(電気事業連合会)の反攻〔反抗・犯行〕的な新聞広告-2011年「3・11」以前にゴチャゴチャと「安全」を強調してきた電事連的な過去-

 チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)が発生したあとでも,電事連はなおも,「原発安全神話」に固執する情宣活動を展開してきた。しかし,この広告に述べられている原発理解は欺瞞的だと批判されるべき中身にしかなっていなかった。

 つぎにかかげるのは,本間 龍『原発広告』亜紀書房,2013年のある「見開き頁の複写画面」である。1988年4・5・6月にかけて原子力村側の構成側が出していた広告であった。

 2011年「3・11」の東電福島第1原発事故の発生など,もしかすると夢にも思いたくなかったのが(思ってさえいなかったのか?),これら広告の「狙い」であったのかもしれない。

本間 龍『原発広告』226-227頁  

 本間のこの本ではなかったが,原子力村は「原子力発電」は「少食」だという主張をしたことがある。だが,原発の本質(本性)とはなんら特別の関連がありえないのが,その修辞であった。多分,核燃料のことを指していたはずだが,問題の次元⇒比較する材料のとりあげ方に作為がありすぎた。

 それならば,石炭火力発電の場合だと,それでは「多食」なのだと表現すべきか? それほどにまで比較の材料をもちだし,意識していうべき対象であったのか? その「反対の意味」に特別な関連性はなかった。核燃料のあつかいに関して生じているその手数の多さのほうが,その意味でいうと「超過食」であると形容できるはずである。

 とりわけ,核燃料サイクル(原子燃焼サイクル)の問題は,前段のごとき諸広告がなされてからでもすでに35年もの長い時間が経過してきた。けれども,その以前からずっと,実現していないもくろみでありつづけてきた。これからも「そのみこみがありそうには,とうてい思えない」。

 ともかく,その「夢のエネルギー計画」の実際は失敗つづきであった。というか,とことん虚しい,それも試行錯誤にもなりえずに,そしていまでは実現不能であるとみなすほかない顛末になっていた。

 原子力発電は以前,「これからも安全第1でますます頑張っね」という文句も披露していたが,こちらは正直いって,とても笑わせた。電事連は各電力会社が組織する。原発事情に関してだったが,他人ごとみたいに「頑張ってね」とは,これ,いったいどういう文句であって,どういう意味をもたせたかったのか。

 そもそも,現時点では原発をめぐる安全神話は「逆夢」化している。原発,それもとくに東電福島第1原発事故現場から排出されるトリチウムなど,「各種の核種の最終的な処理問題」は,原子力を利用する発電方法それじたいが,究極的には「詰めとなっている段階」を,以前から迎えていた現実を教える。

額からは冷や汗か?

 要は,原子力発電は少食どころかゴジラのように大食であり,もちろん,その図体にみあって大きなウンチを排泄するだけでなく,そのウンチからは非常に有害な放射性物質を長期間発散させつづける。どういったところで,ネコババ的な処分を本格的に迫られているたいそう厄介なゴミなのである。

 おまけに,そのウンチを出す原発という機械・装置じたいが「地球環境の温暖化」に対して,稼働中に限っては炭酸ガスを(わずかしか?)出さないとまでとりつくろいながらも,本当のところ,じかに多大な影響を与えている。

虚説・偽論が多い原発関連の言説

 炭酸ガスを「出さない・出す」の問題などといった問題のその以前に,原発はもともと,とてつもなく危険な物質を燃料に使用する。それがゆえに,これ以外の発電方式とは異次元の,すなわち,非常に有害な電力生産方式であるほかない。

 なぜ,原発の再稼働にこだわるのか? 「ロシアのプーチン」がウクライナ侵略戦争を開始したがためにも発生している化石燃料の高騰は,長い目で観ればひとつの一時的な影響要因である。

 ウクライナ戦乱を奇貨として原発の再稼働や新増設を唱えたがる人たちがいないわけではないが,いずれにその間違いにはイヤというほど自覚させられるはずである。

 ★-1 1979年3月28日 スリーマイル島原発事故が起きていた。

 ★-2 1986年4月26日 チェルノブイリ原発事故も起きていた。

 ★-3 2011年3月11日 東電福島第1原発事故まで起きてしまった。

 ★-X 202x年?月?日 某国の某発電所で大事故発生という事象(=事件)が起らないとは限らない。そうした想定が十分に可能である。その非常なる危険が事態の不確実性のもとに,意図的かつ偶発的に発生しないという保障が,人間の世界にあるわけなどない。

 安全神話のごとき妄想的な信仰は,いまとなって,原子力村内でもまったく通用しない。この事実は,原発推進派の関係者でも嫌というほど承知している。

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【断わり】 「本稿(前編)」の続編はできしだい,ここにその住所(リンク先)を支持するつもりである。

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