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ロナルド・ドーア,日本大好きだった欧米人が Japan 嫌々になった経緯,「憲法改正論:1992年」でもすでに骨抜き状態の第9条

 ※-0 昔,ロナルド・ドーアというイギリス人の社会学者がいて,「日本の社会」をこの日本:現地で研究するために在留していた

 本稿はロナルド・ドーア(Ronald Philip Dore,1925-2018年)というイギリス出身の社会学者が,日本大好き人間になってからのちに嫌いとなっていたその精神の推移も含めて,この Japan をどのように研究し,そして人間としての自然な感情をどのように抱いて,その間,変化させてきたのかという次元に沿って,以下に言及する課題を議論することになる。 

 なお,本稿はいまから10年あまり以前の2013年4月15日が初筆であり,本日は,その間で「一昔分もの期間」を置いたかたちとなったが,あらためてこのロナルド・ドーアの立論や主張が,どのように日本社会を分析,解釈し批判してきたかを吟味することになった。ドーアが死去したとき,『日本経済新聞』が掲載した訃報は,つぎの画像で紹介しておく。

ロナルド・ドーア訃報記事

 ロナルド・ドーアが日本研究をはじめて本格的に著作を公刊した『都市のの日本人』(原著,CITY LIFE IN JAPAN,1958年。日本語訳,岩波書店, 1962年)をあらためて開いて「訳者あとがき」,これは1962年2月に書かれていた文章であったが,そのなかにつぎのような行(くだり)があるのを読んで,

 2013年9月現在におけるこの日本という国を現況ののなかで,「この目前の〈渦中〉そのもの」のなかを,毎日を生きているわれわれの立場にとってみれば,まさしくドンピシャリであることを認めざるをえなかった。

 その行の引用はつぎ段落から3段目となるが,もう少し関連する説明をくわえておく。

 「2023年マイナス1958年」=65年となるが,その間に敗戦を体験したこの日本は,栄枯盛衰の典型見本である政治・経済のひとつの循環を「どん底⇒経済大国⇒社会貧国」という周期的な経路を歩んできたことになる。

 とりわけ21世紀に入ってからは2019年9月から2012年12月までの民主党政権時代をのぞき,自民党と公明党の野合オカルト政権が持続してきた日本の政治は,とくに小泉純一郎⇒安倍晋三⇒岸田文雄の各政権ごとに,確実に劣化していく過程をたどってきた。

 ★ ロナルド・ドーア『都市の日本人』原著1958年,日本語訳1962年
       青井和夫・塚本哲人「訳者あとがき」から ★

 いったい日本の工業化・都市化はどこまで可能なのか。彼も「あとがき」に書いている。「『大国日本』と聞いて苦笑する日本人は日々すくなくなり,『大国イギリス』と聞いて苦笑するイギリス人が日々多くなっていく」と。

 だとすると,理念的尺度を基礎とするかぎり,『大国日本』と聞いて苦笑する日本人が多くなっていく日もやがて来るのではあるまいか。もっとも,〔日本〕政府の所得倍増計画といっても,20年後に現在の西ドイツやフランスと同じ程度の生活水準を目ざしているのであるから,あまり近い将来の問題ではなかろうが。

ロナルド・ドーア『都市の日本人』訳者あとがき

 上の引用中で「20年後に現在の西ドイツやフランスと同じ程度の生活水準を目ざしているのであるから,あまり近い将来の問題ではな」いと指摘されていた点は,21世紀の今日となっては,その3倍もの期間が歴史の時間として経過した現在,いってみれば,いまや「大国日本」であったはずのこの国は,再度反転させたごとくに,「後進国もしくは発展脱落国である日本」に転落した,というほかなくなっている。

 21世紀の最初の10年間が経過する時期,この国の首相となった小泉純一郎は,「自民党を変える,日本を変える」と意図で「自民党をぶち壊す」と大声で訴えていた。この彼の政権(2001年4月26日-2006年9月26日)はしかし,自民党だけでなく日本の政治そのものを壊しはじめていた。

 民主党政権をあいだにはさんで登場した安倍晋三第2次政権(2012年12月26日-2020年9月16日)は,小泉純一郎のおかげでがたがたにされた日本の政治と経済(この経済面は竹中平蔵が前面に出てその破壊に大いに貢献した)を,ほぼ完全にといってくらい壊してきた。

 この安倍晋三の手腕によって日本の政治・経済は完全に4流と3流とに後戻りしてしまった。手っとり早くいえば,昭和20年代後半(1950年)程度の水準まで後戻りした。このころの日本社会をじかに観察し,著作をものにしたのがロナルド・ドーアであったことになる。

 昨日(2023年9月20日)における円ドル相場は「2023/9/21 7:55 現在(単位:円)」が「148.25 - 148.26」まで下落していたが,この実質的な円の力は,多分,1ドル360年の当時と大差ないと観るべきである。

 いまや日本は,世界のなかでも有数とみなせるほど,外国人観光客が大勢来てくれる。だが,この事実は二律背反的な含意が,日本の現状に対して突きつけられているのであって,手放しで喜べる「最近における観光経済の繁栄ぶり」ではなかった。

コロナ禍以後の訪日外国人観光客の回復基調


 ※-1  ロナルド・ドーア「憲法改正論:1992年」でもすでに骨抜き状態の第9条

 「米軍基地をどかし,天皇制ものぞき,自衛隊を〈素顔の軍隊〉にせよ」
 「憲法第9条と天皇・天皇制の矛盾」

ドーアの議論

 「ドーア憲法改正論」1992年

 日本国憲法第9条と裏表=抱きあわせ状態で存在している「天皇や天皇制」を捨てられないまでも,「憲法を改正して,自衛隊の現実の存在および正当性を認めて,しかし軍隊の使いかたを厳しく限定する条項を代わりに入れると,はじめて,ホンモノの平和憲法ができるという主張」を,

 いまから20〔2023年からだと30〕年前に公表していた人物がいる。それは,ロナルド・ドーアであり,その主張を書いた本が『「こうしよう」と言える日本』(朝日新聞社,1993年)であった。

 ところが,日米安保体制中心のアメリカ依存外交に甘んじてきたこの国の体制派にとっては,「国連中心の外交に戻れ」というドーアの主張は気にくわなかったらしい。同時にまた,政治的に左派の人たちからも敬遠されてしまった。

 「『陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない』とする現行憲法(第9条2)を,政界全体のコンセンサスのもとで,実際行為で踏みにじっている。それは恥じるべきことだ」と,ドーアが主張したからである。

 註記)ロナルド・ドーア『日本の転機』筑摩書房,2012年,13-14頁。 
 
 補注)安倍晋三の第2次政権時,2015年から2016年にかけて集団的自衛権を認めた米日安保法制が国会で成立し,公布・施行されていた。日本国憲法などそれこそ,もう「▲ソ食らえ」となったのがこの国における憲法精神の基面である。

 この憲法の実質改正(改悪)は,憲法の精神を軽視ないし無視する態度すら,もともとなんとも思っていなかった安倍晋三個人に特有の悪癖を端的に反映していた。

 当時,自民党副総裁であった高村正彦は,「集団的自衛権について,一部は憲法解釈の変更で可能だ」と,いかにも弁護士資格のある人間がいいそうなド・ヘリクツを行使したがごとき,まさにヘンテコなリクツを案出していた。なお,この高村は,安倍晋三と同じに世襲議員(高村正彦は2世,この息子は現在,3世議員の現役)であった。

 ろくでもない自民党の国会議員が,またさらにろくでもない,とてもまともな論理とはいえない,アクロバット的な話法だとしても,下手であることに変わりなかったリクツを駆使したあげく,反面教師ならぬ「民主主義に対する反動的な国会議員」ぶりを,遺憾なく発揮していた。
(以上,2023年9月21日,補注の記述)

 ドーア『「こうしよう」と言える日本』1993年は,つぎのような主張をしていた。まず共通する前提をふたつ置く。

 a) 日本外交の当面の課題は,外国の期待にどれだけ応えるか,ないし外国の圧力にどれだけ屈するかである。つまり,日本が国際秩序の構築という人類の大事業に建設的に参加する機会を,どう掴むかという意識は毛頭ない。

 これは,盛田昭夫・石原慎太郎『「NO (ノー)」と言える日本-新日米関係の方策(カード)-』(光文社,1989年)をもじって,この本に「こうしよう」〔ではないか〕云々という題名を選んだところから明らかにしていた。

 b) 「憲法改正」とは結局,第9条の改正・廃止による平和憲法の放棄を意味する。この憲法改正はイコール平和憲法放棄を意味しない。平和憲法と名づけられる資格をかえって強めながら,現実に則った条文は充分考えられるし,しかも,日本の世論や政治状況から考えて,そのような改正に必要な支持をえることは不可能ではないはずである。そこで,ドーアが焼き直しを考えた第9条はこうなる。

 「日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する」
 
 「以上の決意を明確にするために,日本国民はここに宣言する。日本が保持する陸海空軍その他戦力は以下の目的以外には,これを発動しない」

 イ) 日本の国際的に認められている国境に悪意をもって侵入するものに対する防御。

 ロ) 国内外の災害救援。

 ハ) 国連の平和維持活動や,国連憲章第47条による。国連の直接指揮下における平和回復活動への参加。

 最後の綱目は説明が必要である。平和維持活動とは,たとえば湾岸戦争のように侵略がおこなわれたばあい,第43条を発動させて,武力の行使によって侵略者に対処することである。第47条は,湾岸戦争の場合,アメリカの総司令官指揮下における〈多国籍軍〉ではなく,国連じたいが任命する司令官の指揮を規定している。

 

 ※-2 日本国憲法の現状(矛盾を矛盾とみない矛盾の醜悪)


 1) 1993年のドーア発言

 一国の憲法が「陸海空軍……戦力は,これを保持しない」とはっきり規定しているのにもかかわらず,実際には,GNPの1%を軍事費にまわし,最新兵器を備えた陸海空軍をもっていながら,日本国民はどうして平気な顔をしているのか?

 憲法が禁じていない「国内治安維持」のための警察予備隊から,自衛隊に発展し,その自衛隊がアメリカとの共同防衛体制・シーレーン確保作戦・装備の強化などと,段階的に「1人前の」軍隊に近づいいてきたその段階ごとにおいて,日本政府は「平和4原則」のように,「これだけでお終い。軍事力,軍部の行動の自由をこれ以上拡大することは絶対しない」と約束してきた。

 そして,つぎの段階でその約束を徐々に侵蝕してゆく。この歴史的過程を誇りをもって顧みられる日本人がいるのか?

 最近のPKO法案の通過過程での政府要人のいいかげんなごまかしや,法制局超の「ピストルに弾丸を入れたまま歩かないかぎり」といったような,真面目くさったような「自衛隊法や憲法の現行解釈にかなった限度」の説明などを新聞で読んでいて,「醜態」と思わなかった日本人はいないのか?

 註記)ロナルド・ドーア『「こうしよう」と言える日本』朝日新聞社,1993年,178-180頁。

ロナルド・ドーア略歴

 ロナルド・ドーアは,なぜそのように改憲派・護憲派の両陣営から忌避される見解を唱えたかその理由を,こう説明している。

 1950年代にはまずまず政治的な合理性があったかもしれないが,その命題にこだわりすぎて,いろいろな意味で機能不全に陥っている憲法をそのまま保持しようとするのは,宗教的誠実さの証しかもしれないが,かたくなな非現実性か精神分裂か,いずれかの兆候としか思えないと嘲ったのは,悪かったかもしれない。

 とにかく,私の友人もかなり含む,基本的に善意の擁護派の人びとから「危険人物」扱いされた。

 註記)ドーア『日本の転機』2012年,14頁。

 2) 1992年のドーア発言

 ドーアが『「こうしよう」と言える日本』1993年のなかに記述する以前,『朝日新聞』1992年6月12日朝刊「声」欄への投書で提言したのは,こういう中身であった。

 憲法第9条の形骸化をすっきりした本当の平和主義に変更すればよい。社会党(いまは存在ない政党)が先手を打ってさきに,明確な平和主義の改正案を提起すべきである。そのためには前述のように,第9条の第1項はそのままにしておき,自衛隊を認めたうえでその使命を,つぎの3点として明確に限定する。これは,いまから20年も以前における提唱である。

 ◎-1「専守防衛」
 ◎-2「国内外の災害救援」
 ◎-3「国連軍指揮下の平和維持活動(PKO)への参加」

 このドーアの提言に反応して当時,つぎのように応えた大学教員の見解(『朝日新聞』1992年6月24日朝刊「声」欄)「改憲は避けて,平和基本法は」があった。だが,この意見は時代の制約がありすぎて,いまではあまり参考にならない。

 9条2項は,21世紀にわたって,日本が国際社会で名誉ある地位(世界軍縮を外交国是とする立場)を確立する憲法政策を示すものとして,一層重要さを増している。削除,改正すべきではない。同時に,とめどない解釈改憲を防ぐために,ドーア提言の趣旨を含む「平和基本法」を作り,冷戦後の新国際秩序に対応すべきだろう。

 当時において,ドーアの相手とされていた社会党は消滅しており,最近では改憲の方途に関する議論ばかりが声高に聞こえる。ドーアから提案のあった国内外の災害救援・国連の平和維持活動(PKO)も自衛隊は体験済みであるだけでなく,イラク戦争に関連してはこれにも「後方支援・復興支援」のかたちで派遣(実質的に本格的な派兵)をしてきたから,

 前記の◎-1,◎-2,◎-3はすべてがすでに『実現されて済んでおり』,さらには,これらを超えてアメリカ軍の戦争に加勢する日本国軍の勇姿(?!)も具体的に登場していた。

 3) ドーア『日本の転機』2012年

  a) 船橋洋一の話題

 以上の話題から20年が経った時点で公刊されたドーア『日本の転機』(筑摩書房,2012年)は,こう述べるに至っていた。「3世代も憲法9条をまともに改正しようとしないで,世界6番目の軍事予算で陸海空軍力を築いてきた国民は正論音痴になったのだろうか」。

 註記)ドーア『日本の転機』2012年,232-233頁。

 このドーアの発言:「長期間憲法改正なしの日本」は奇抜な理解ではなく,現実を突いた意見である。それでも,日本における憲法論議においては「改憲と護憲」との二項対立的な思考方式が幅を効かせている。そのせいで,そのあいだに立体的な妥協点を求め,具体的な改正を立案しようとする議論にまで至らない。

 今日まで,その二項対立的な思考方式を超克するための議論が盛んでなかったのは,日米軍事同盟に対する不可解な認識:対米追従の属国的根性があり,その軍事方面に関しては斜視的視点が顕著であったためである。だが,この種の疑問を提示することじたいが,日本の憲法論議では邪視されるべき発想とみなされてきた。

 だからか,ロナルド・ドーアは多少皮肉をこめて,たとえば船橋洋一(元朝日新聞社主筆)の時代認識を批評していた。

 「米中関係はいつも対立の火種をくすぶりながらも,大人らしく相互規制された関係を築くのに成功したとしても,依然として通常の軍事力競争の激しさは低減しないだろう。そのとき,日本がドイツを凌ぐ軍事力をもって,米国の戦争準備体制に100%統合されているとしたら,それにもかかわらず,政経分離,軍経分離を貫徹して中国と親密な友好関係を保てるという主張である。船橋さんはお人好しとしかいえない」。

 補註)参考にまで触れると,最近のニュースとして「大宅壮一ノンフィクション賞:船橋洋一さん『カウントダウン・メルトダウン』に」2013年4月10日があった。

 第44回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)の選考会が4月9日,東京都内で開かれ,日本再建イニシアティブ理事長で元朝日新聞主筆,船橋洋一さん(68歳)の「カウントダウン・メルトダウン」(文芸春秋)に決まった。賞金は 100万円。贈呈式は6月,都内で開かれる。

 ドーアの意見にもどる。

 「日本の政界・メディアが前提しているというか,とにかく間違っている。厳しい現実をもう少し直視すれば,米国への従属的な依存が,永遠に有利な選択ではありえないという結論にしか到達しえないはずだ,そのことに気づけば,現在の核不拡散体制にかわる新しい核兵器管理体制を提唱して,米国との軍事同盟をゆるやかに解消することは,日本の安全保障にとっても,日本の国際的名声にとっても,『人類の進歩』にとっても,豊かな実りをもたらしてくれるように思う」。

 註記)ドーア『日本の転機』127頁,136頁。

  b) 対日「年次改革要望書」

 現状においては,米日軍事同盟にかかわってこのように「きわめて大胆に聞こえる改革の方途」を,まともに受けとめられる日本の政治家はいない。「米日」軍事同盟ではない「日米」安保条約に向けてこの2国間軍事体制を変換できるような「国家政治の基本理念」と「政治家としての行動力」をもちあわせた日本の政治家がいない。

 ドーアにもう一言,いわせてみる。

 要するに,現代の中国と戦前の日本に共通する第1の類似点は,外交の原動力としての「平等力」である。現代の日本でもその感情が 100%満たされているわけではけっしてない。

 普天間問題で,ゲーツ国務大臣が東京を訪問して無礼に振るまったり,鳩山内閣の倒閣にあからさまに加担したりする現実をみると,似たような感情〔→「黒船がもたらした1850年代の『不平等条約』の記憶をつねによみがえらせる材料」のこと〕を覚える人が多いかもしれない。

 しかし,中国および呉王越王と全く異なるのは,「ザマミロ」といえる時代が来ると思っている日本人が,現在は皆無であろうということだ。つまり,中国と日本の違いは,1945年の決定的な敗戦の記憶である。

 註記)ドーア『日本の転機』101頁。〔 〕内は,100頁。

 1970年代以降,高度経済成長を成就した日本国に「経済的な脅威」を感じたアメリカは,1980年代以降,日本を経済面からやっつける=「経済的にも対米追従の国家体制」にするための〈必死の努力〉をしてきた。

 対日「年次改革要望書」は1994年に始まり(関岡英之『拒否できない日本-アメリカの日本改造が進んでいる-』文藝春秋 2004年参照),民主党政権の鳩山由紀夫内閣の時代になって2009年にようやく廃止された。

 だが,これを実質的に継続させようとするアメリカ側の「日本に対する要求」は,いまもなお執拗につづけられている。しかも,こうした「経済的な日米従属関係」が日本国民にきちんとしらされない方法で,いまもなおひそかに実行されているところが問題である。

 衆議院議員小泉龍司(2005年9月の総選挙で落選したが,2023年9月現在は現役)は,2005年(平成17年)5月31日の郵政民営化に関する特別委員会において,要望書について「内政干渉と思われるぐらいきめ細かく,米国の要望として書かれている」と述べている。

小泉龍司ホームページ表紙から

 とすれば,日本に対する「年次改革要望書」はまさしく日米安保体制の経済版であり,あるいは日米安保体制を経済面から補完する機能を果たされている,といってよい。

 日米安保体制・日米地位協定に関しては「思いやり予算」があるが,この思いやりを日本の経済社会全体に拡大浸透させるための指図書になっていたのが,対日「年次改革要望書」である。この要望書の真意は「日本への請求書あるいは要求書」である。

  c) アメリカにいいように操られる日本,そして,その手先たち

 われわれは,過去における「以下のような出来事」を想起して,前段の記述(アメリカが日本に対して出していたその「年次改革要望書」)を再考してみる必要がある。いかに「アメリカ好みの日本」になってきたか,この一覧をみても一目瞭然である。

     ☆ 年次改革要望書と日本の内政との密接な関係 ☆

1997〔平成9〕年 独占禁止法が改正される。持株会社が解禁される。
1998〔平成10〕年 大規模小売店舗法が廃止される。大規模小売店舗立地法が成立する(2000〔平成12〕年施行)。建築基準法が改正される。

1999〔平成11〕年 労働者派遣法が改正される。人材派遣が自由化される。
2002〔平成14〕年 健康保険において本人3割負担を導入する。

2003〔平成15〕年 郵政事業庁が廃止される。日本郵政公社が成立する。
2004〔平成16〕年 法科大学院の設置と司法試験制度が変更される。労働者派遣法が改正(製造業への派遣を解禁)される。

2005〔平成17〕年 日本道路公団が解散する。分割民営化がされる。新会社法が成立した。
2007〔平成19〕年 新会社法の中の三角合併制度が施行される。

対米従属国家体制の経済政策面

 

 ※-3 日本政府当事者の認識-おトボケ大臣時代の竹中平蔵という喰わせ者がこの国を壊しはじめていた-

 小泉純一郎が首相だったとき,竹中平蔵郵政民営化担当相(当時)は2004〔平成16〕年10月19日の衆議院予算委員会で小泉俊明の「(年次改革要望書を)御存じですね」という質問に対して,「(年次改革要望書の存在を)存じ上げております」と答弁した。

 2005〔平成17〕年6月7日の衆議院郵政民営化特別委員会では,城内 実の「郵政について日本政府は米国と過去1年間に何回協議をしたか」「米国の対日要求で拒否したものはあるか」という質問に対して,竹中大臣は米国と17回協議したことを認めるも,対日要求についての具体的言及は避けた。

 郵政法案の審議が大詰めを迎えた2005〔平成17〕年8月2日の参議院郵政民営化に関する特別委員会で,櫻井 充の「(年次改革要望書に)アメリカの要望として日本における郵政民営化についてという文書が書かれている。

  --中略--

 国民のための改正なのか,米国の意向を受けた改正なのか分からない」という質問に対し,竹中大臣は「アメリカがそういうことをいい出すまえから,小泉総理は(もう10年20年)ずっと郵政民営化をいっておられる」

 「アメリカはどういう意図でいっておられるか私はしりませんが,これは国のためにやっております。このまあ1年2年ですね,わき目も振らず一生懸命国内の調整やっておりまして,アメリカのそういう報告書(年次改革要望書),みたこともありません」

 「私たちは年次改革要望書とはまったく関係なく,国益のために,将来のために民営化を議論している」と述べた。

 註記)以上の記述に関しては,必要に応じて,http://ja.wikipedia.org/wiki/年次改革要望書を参照した。

 竹中平蔵が本当に『年次改革要望書』をみたことがないといったのであれば,これは日本の政治家として失格・落第であった。仮に読んだことがなくとも,自分たちの推進してきたつもりであるたとえば,郵政民営化がアメリカの要求と合致していたのであれば,これに関心を向けていて当然であった。

 それなのに,わざとらしいそのオトボケぶりをみると,やはりよくしっていたと受けとるほかない。もっとも竹中であれば,その年次改革要望書の内容については,いまさらみなくてもソラでいえるくらい熟知しています,といっておける立場であったと推察してもよい。

 このように,もとは学究であってもいったん政治家になると急に,意味不明の発言を,国会のなかで弄ぶようになる事実は,いいようもないほど奇妙・奇怪であった。 

亡国の首相が居ればこのような滅国の経済学もいた 

 また竹中は「私たちは年次改革要望書とはまったく関係なく,国益のために,将来のために民営化を議論している」といっていたけれども,ここでいう〈国益〉とは「アメリカの〈それ〉であった」に過ぎなかった。

 それゆえ,ここにもまた,『外務省官僚的にいえば,売国的なアメリカン・スクール風の「大学教授あがりの政治家がいた」こと』になる。その後,竹中はまたもや古巣の慶応義塾の教員に収まって〔下がって〕いた。平蔵は,アベノミクス応援団の名誉会長然としていた。

 21世紀の日本国は天下太平,順風満帆とは全然いえない。ところが,民主党政権から自民党に政権にもどったこんどは,いきなり当初から「アベノミクス」は「アホノミクス」だと浜 矩子(同志社大学経済学部教授)に罵倒される始末であった。

 それほどに断定されるくらい最初から,アベノミクスの実体はゾンビ同然の発想でしかありえなかった。伊東光晴『アベノミクス批判-4本の矢を折る』岩波書店,2014年などは,「安倍首相の現状認識は誤っている」し,その「幻想につつまれた経済政策」とまで,これまた断定しつくしてもいた。

 当時の安倍晋三は,経済学専門家の意見であっても,気に入らないものには「聞く耳をもたないのだから……」と,経済同友会の小林喜光代表幹事はいっていた。

 註記)「〈本社コメンテーター 菅野幹雄〉アベノミクス 危機の足音」『朝日新聞』2017年4月5日朝刊6面「オピニオン」。

 2021年9月1日の『朝日新聞』朝刊で編集委員原 真人は「〈多事奏論〉アベノミクス錬金術 財政健全化 語らぬ無責任」と,安倍晋三が第2次政権を放り出したあと1年後になっていたが,このように批評していた。いまさらの感もあったが,いちおう触れておく価値はあるかもしれない。

 竹中平蔵と浜 矩子はともに経済学者であったが,どちらがアベノミクスのことを確実に評価し,適切に位置づけていたかは贅言を要しない。

 この世には “曲学阿世の経済学者” はたくさんいるけれども,竹中はその本当の代表格であった。日本の一般的な労働者階級(階層)の全般をじわじわと貧困化させることあれば,多大なる貢献をしたこのエセ的な経済学者は,それこそ経済学者の風上にも置けない “政治屋としての悪業” にも手を貸していた。

非正規雇用者の比率は竹中平蔵の手によって
より確実に増大化・高率化させられた

 とやらで,近いうちに一般大衆の経済生活を根柢から困窮させるかもしれない経済政策を推進している最中である。最後に一言,現在のところ,アメリカから「年次改革要望書」の提出は途切れているが,その実質的な継承をもくろむ《日米経済安保体制》の構築に資するのが,TPP(環太平洋戦略的経済連携協定:Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement〔単に,Trans-Pacific Partnership )である。

 補注)その後10年も経っているので,このTPPの実際については相当の変遷があった。ここでは,以上の10年前における言及「以上」には触れないでおくが,さらにくわしくはそれも,つぎの外務省の説明に,ひとまず聞いておくことにしておきたい。満足できる内容ではないが,基本知識をうるためには有用である。

 ただ,『朝日新聞』2012年10月31日朝刊15面「オピニオン」,その表題は「〈主筆 若宮啓文と論じあう〉「競い合う米中の間で 中国の関心は米。根底にアヘン戦争の屈辱-日本は米の衛星国をやめよ(ドーア),知恵絞りアジアで存在感を(若宮)」と付けられた,その見出し文句のみを紹介しておく。

 「本稿」はいまから10年と5ヵ月も前に執筆されていたが,取り上げていた中身そのものにはなんら古さを感じない。それは「日本の国家体制としての本性(本質)」がなにも変われないでいるゆえであった。

 その間,日本のアメリカに対する「服属精神にもとづく上下関係」は,集団的自衛権を基礎とする軍事同盟関係をもって,いよいよますます固着化させられてきた。ある意味,日本の自衛隊3軍は米軍の麾下にあるとさえ断言してもおおげさではないほど,その依存というかたちでの下属関係を深化(進化?)させてきた。

 ロナルド・ドーアが,日本という国家体制そのものに対して,途中からはいらだちながらも議論を展開してきた背景には,この国の「政治的な主体性の不在」性が,いつもみせつけられてきたためである。

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