見出し画像

池上 彰先生の「明」講義の「暗」点に潜む皇室問題分析の死角-皇太子徳仁の55歳誕生日を報道した新聞「記事」

 ※-1 2015年2月27日に考えてみた天皇・天皇制問題に関する議論

 本日のこの記述は,10年近くも以前であったが,『池上 彰先生の「明」講義の「暗」点に潜む皇室問題分析の死角-皇太子55歳誕生日の各紙「記事」-』という題名のもとに,主につぎの論点を日本国じたいの問題として検討する。

 ★-1 皇室関係記事の基本的な問題点,池上先生の観点にもよく映らなかった「なにか」

 ★-2 「菊のタブー」的な姿勢と無縁ではない言論人として制約・限界

 

 ※-2 皇太子〔徳仁:令和の天皇〕の「法への言及,なぜ伝えぬ」『朝日新聞』2015年2月27日朝刊19面「オピニオン」欄

 1) 前  提-菊のタブーは皆無といえるか?-

 池上 彰が朝日新聞「オピニオン」欄の特設コラムで定期的に連載している『池上 彰の新聞ななめ読み』は,本ブログが先日〔ここでは,2015年2月24日のこと(ただし現在は未公表状態)〕に「皇太子のお家大事:皇室安寧志向路線」(誕生日記者会見発言)と『安倍晋三のオモチャの兵隊さんごっこ:戦争お遊び』路線とが相剋する日本国絵柄」という題名でとりあげた内容のうち,とくに皇太子に関する問題について,すでにとりあげていた段落に関連する議論を展開していた。

 池上 彰が指摘する〈論点そのもの〉は,筆者も〈そういった論点〉として問題になりうると同感している。だが,その論点をとりあげている視座,そしてこれが議論する方向については,池上の立場に対しては重大な疑義を抱いている。この批判点は,池上だけでなく日本人・日本民族の多数派において共通する,いわば「菊の禁忌(タブー)」的に掣肘された執筆態度に感得できるものである。

 ともかくさきに,池上 彰の記述を紹介しておく。例によって,記述の途中であっても本ブログ筆者流に,遠慮なく「補注」の形式で,寸評する付説をいちいち挿入していく。

 以下につづく記述に入る前に,「その後の本日(2024年6月3日)」になった時点では,つぎのごとき事情の経緯もあったので,関連して触れておくことが必要と思い,付記しておきたい。

 『朝日新聞』が連載してきたこの「池上 彰の新聞ななめ読み」は,いまから3年近く前に終了していた。当人の池上 彰がその事情を,以下に引用する記事に説明していた。

 その間,とくに安倍晋三の第2次政権の執政が続いていたとき,この池上が『朝日新聞』に定期的に寄稿していた関係が崩壊する瀬戸際まで,双方の関係が険悪に追いこまれた出来事も発生したこともあった。だが,この危機を乗り切って現在(ここでは2021年3月時点のこと)にまで至っていた。

      ◆ 池上 彰の新聞ななめ読み(最終回)◆

 何事にも始まりがあれば,終わりもあります。14年間にわたって本紙に連載してきた当コラムは,今回をもって終わります。今回は朝日新聞の提案により,読者へのあいさつの機会をいただきました。

 単に「これで終わりです」と書くと,疑念を生じてしまうのが,このコラムの宿命だからです。そこであえて説明しますが,コラム終了は,朝日新聞社側の要請ではありません。私自身が70歳を超え,仕事量を減らす一環としての決断です。

 註記)「最近の朝日,行儀良すぎ 池上彰の新聞ななめ読み最終回」
2021年3月26日 5時00分,https://www.asahi.com/articles/ASP3Q7JMFP3LUPQJ00L.html

「このコラムの宿命」という表現は実は意味深長なのであるが
ここではあえて説明しない

〔※-2で参照する記事に戻る〕( ↓ )

 2)コラム『〈池上 彰の新聞ななめ読み〉法への言及,なぜ伝えぬ』

 記者会見に出席し,同じ話を聞いたはずの記者たちなのに,書く記事は,新聞社によって内容が異なる。こんなことは,しばしばあります。記事を読み比べると,記者のセンスや力量,それに各新聞社の論調までみえてくることがあります。

 補注)これはもっともな指摘である。だが,各社(各紙)がまったく同じ具合に書く記事であったら,新聞社は1社だけしか要らない,ということになりかねない。

 NHKだけ存在すればよいということにもなりかねない。日本のラジオ放送は戦前,1925年にこのNHKから始まった。むろん国営放送(社団法人)であったし,このラジオ放送局しか存在しなかった。

 最近〔当時〕のNHKの会長職に就いた「マダラぼけ」じゃないかと評判であった籾井勝人は,政府のいうとおり「右といわれりゃ右を向き,左となれば左にその向きを変えればよい」みたいな迷文句を吐いていた。

マダラぼけでもこれは重症であった

 籾井はまた,安倍晋三「戦後70年談話」は政府・内閣から出てくるまでは言及しないでおくみたいな,へっぴり腰であって,執権党の思いどおりの経営姿勢を採ることをあからさまに表出していた。

 放送法などにもとづくNHKの基本的な立場は,この籾井会長のいいぶんを全面的に否定しているはずである。だが,なにせ安倍晋三様の「お友達」の紹介によって,この会長職の椅子に座れた自分なものだから,政府与党のなんでもいうとおりにいたしますと,籾井は明言してきた。

 話題にしている皇太子〔当時の徳仁〕の誕生日の記者会見は,「憲法にもとづき70年間の富と繁栄を享受した日本を大事にして欲しい」といった具合にも理解されていたけれども,NHKはこの趣旨の発言をカットして放送していた。

 ネット上にうかがえる意見では,この事実に憤っている人がいた。NHKは「皇太子殿下よりも安倍首相のほうが大事か」と皮肉られていたのである。

 要するに,この居てもいなくても・どうでもいいようなというか,居ればいるだけたしかに大きな迷惑であった,この籾井会長,国民・市民・庶民・住民の視線からはトンデモにしかみえない反動的な役目を,安倍晋三政権のためにすでに遺憾なく発揮していた。

〔記事に戻る→〕 〔2015年の〕2月23日は皇太子さまの誕生日〔であった〕。それに向けて20日に東宮御所で記者会見が開かれ,その内容が,新聞各社の23日付朝刊に掲載されました。

 補注)「新」「聞」の報道だというのに,〔2015年2月〕20日に記者会見の取材,23日朝刊での報道という日程は,ニュースの伝達として相当に慎重な手順を踏んでいる。皇室記事になると「裏づけ」の問題とは別個に,過分なまでに重ねてていねいなとりあつかいがなされる。

 敬語の使用やどの面でどのようにレイアウトするかなど,それこそ神経質になってその記事を制作している。もっとも,宮内庁側こそが実質,口うるさく介入し,そうさせている側面がある。

〔記事に戻る→〕 朝日新聞を読んでみましょう。戦後70年を迎えたことについて皇太子さまは,「戦争の記憶が薄れようとしている」との認識を示して,「謙虚に過去を振り返るとともに,戦争を体験した世代から,悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と指摘されたそうです。また,今〔2015〕年1年を「平和の尊さを心に刻み,平和への思いを新たにする機会になればと思っています」と話されたそうです。

 補注)素朴な疑問がある。本ブログ内では記述したところであるが,繰りかえさねばならない。日本国憲法第7条の天皇の国事行為に関する規定からは,皇太子がこのような発言をしてもいいという明確な条項は,実際にはどこにもない。

 天皇のそれに関しては決めている事項が具体的にあるが,その息子(皇太子:男)に関してまで,とくに定めたものはない。皇太子が代理業務でできるそれはあるが,これはあくまで,天皇の不在時かその他緊急時において許されるものに限定されている。

 ところが,すでに大昔より(敗戦後からという意味)皇太子だけでなく天皇の妻(皇后)やほかの皇族たちも,誕生日などを契機に,あれこれと日本社会に向かい発言する機会が与えられている。

 しかも,彼らの発言は新聞などが逐一ていねいに報道したりもする。つまり,皇室関係者は日本社会のなかでは特別待遇であり,いいかえれば特権階級(特定集団)を形成するといえる。

 とりわけ,今回のように皇太子が〔徳仁,当時〕55歳の誕生日記者会見でこういった,あるいは,天皇やその妻がやはり自分たちの誕生日にさいしての記者会見の場を借りてだが,ああいったというような〈発言のとりあげ〉じたいが,

 日本社会のなかでは報道に値する非常な重要性があって,これを広く世の中に伝達する義務がマスコミ側には常時厳然としてあるといったごとき,いわば不文律・不可侵でもあるかのように映る,しかも暗黙・当然の大前提が控えている。

〔記事に戻る→〕 同じ記者会見を毎日新聞の記事で読んでみましょう。こちらは戦後70年を迎えたことについて,「我が国は戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,平和と繁栄を享受しています」と述べられたそうです。

 皇太子さま〔徳仁〕は,戦後日本の平和と繁栄が,日本国憲法を基礎としていると明言されたのですね。以前ですと,別に気にならない発言ですが,いまの内閣は,憲法解釈を変更したり,憲法それじたいを変えようとしたりしています。そのことを考えますと,この時点で敢(あ)えて憲法に言及されたことは,意味をもちます。

 いまの憲法は大事なものですと語っているからです。天皇をはじめ皇族方は政治的発言ができませんが,これは政治的な発言にならないでしょうか。

 補注)この解釈,今回のごとき皇太子自身の発言が「政治的な発言にならない」という理屈そのものからして,当初より疑義が出ていた。

 まず,前述のように憲法上の存在として正式には,天皇条項しか存在しない。つぎに,にもかかわらず,皇太子〔など〕までが「政治的な発言にならない」と解釈されねばならない「政治的な発言」を,たびたびしてきている。しかも,その皇太子が「日本がたどった歴史が正しく伝えられていくこと」に触れていた。

 ここでの皇太子の発言には大問題がある。つまり「正しく伝えられていく」「日本がたどった歴史」というものは,彼が考えるそれであって,ちまたの市民たちが考えるそれと完全に一致するかどうか,まったくその保証はないものである。

 皇太子の発言は,いわゆるサヨクやウヨクとも,あるいは革新や保守ともまったく異なった次元の立場・利害から発言されている。それが,彼のいいたいと思われる「正しく」「日本がたどった歴史」というものの実体なのである。

 そのさい,その徳仁の発言を報道する側の「各新聞社」は当然,公正・中立などの立場は標榜はしているものの,その正しさの判定において各社は特定の差異を示してもいる。

           ▲ 駄論的な補足説明 ▲

 『読売新聞』(ゴミ売り新聞)や『産経新聞』(3K新聞)に対するところの『朝日新聞』(浅卑新聞)や『毎日新聞』(舞道新聞)の報道姿勢との違いは,前者が大政翼賛会的な国家応援新聞社である立場だから問題外としても,後者までが現在は,ほぼ完全にへっぴり腰的な「第4の権力」機関になりはてており,つまりまがいものの報道機関だとみなすほかないくらいに体質を弱化させている。

 21世紀の現段階は,SNSからの各種多様な言論的発信が積極的に展開されているゆえ,昨今においてはすっかり足腰の弱ってしまった大手紙の不足や弱点,欠落,不備を,いわば大いに代替しうる,それも個々バラバラでありながらも,一般社会に対する政治的な影響力はけっしてあなどれない勢力にまで成長してきた。

蛇足ならざる補足のための説明(2024年6月3日)

 そこにきて,皇太子が「政治的な発言にならない」範囲内でありながらも,「謙虚に過去を振り返るとともに,戦争を体験した世代から,悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と,自分の55歳誕生日記者会見の場で指摘したというのである。

 しかしそれでは,前後する皇太子の発言全体がイコール:「政治的な発言にほかならない」という理解しかできない

 もっと現実的に理解したい。皇太子の発言は,安倍晋三の為政(なかでも2014年7月1日;集団的自衛権行使容認という閣議決定)を,核心に置いてなされていた。

 つまり,「憲法第1条から第8条」に規定されている天皇条項に対して,これと密接に関係づけられて対置されている「第9条」の改変を実現させた安倍政権の実績を踏まえて,皇太子がこれに釘を差すかのように,以上のごとき発現をしていた。これが政治的でなくて,はたしてなんであるのか?

 しかも「歴史が正しく伝えられていくことが大切」とまでいっていた。敗戦後史において日本国憲法が公布,施行されていった政治過程,すなわち,この過程の「歴史が正しく伝えられていくこと」を,皇太子が婉曲に強調したと解釈して無理はない。

 以上の指摘はもちろん,あくまで本ブログ筆者の批判的な論議である。皇太子が憲法に関する発言をしても「政治的な発言にならない」という受けとめ方そのものが,おかしい・あやしい。なによりも最初にそう指摘されて当然である。

 憲法に則ってウンヌンする話題を,それも皇太子が自分の誕生日記者会見でじかに触れていた。これが当然のように大きく新聞などにとりあげられるのを,あらかじめよく承知のうえで,彼が発言した「憲法の問題に関する話題」である。「これは政治的な発言にならない」などとは,とてもではないが,いうわけにはいくまい。

 3) 天皇・皇族たちを特別階級視して疑わない日本の政治社会・新聞社などマスコミ

 ところが,憲法第99条に,以下の文章があります。

 「天皇又は摂政及び国務大臣,国会議員,裁判官その他の公務員は,この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と。皇太子さまは,憲法のこの条文を守って発言されているに過ぎないのですね。

 でも,憲法擁護義務を守りつつ,「憲法は大事」と伝えようとしているのではないか,とも受けとれます。それを考えると,宮内庁と相談しながらのギリギリのコメントだったのではないかという推測が可能です。

 補注)前段の語句で「その他の公務員」のなかには,皇太子も入るのか? 憲法の規定に載せて観れば「客体的・対象的な存在」であるはずの「皇族の1人:皇太子」が,みずから進んで「憲法は大事」だと,しかも自分自身の主体的な立場から発言したのである。

 けれども,憲法で規定されている「天皇」の「そのまた息子」がそのように発言することじたい,実は,憲法に関する論理的な理解としてならば,自家中毒ないしは自家撞着を意味するほかない「矛盾症状の発現」でしかありえない。このいいかたが適切ではないとすれば,せいぜい,皇太子の立場からする手前味噌の発言であったと解釈するしか手がない。

 さらにいえばだから,「宮内庁と相談しながらのギリギリのコメント」だと,皇太子の発言は解釈されざるをえなかった。しかしながら,宮内庁による皇室行政のほうが,日本の政治じたいに関する実際の運営としては,憲法の上に鎮座しているかのような「日本の政治社会の構図」が,それほど疑義も抱かれることもなく,昔よりできあがっていた。

 そうした皇室が織りなす諸相が,日本の政治社会においては,ありのままの正直な実相である。宮内庁が展開している現実的な任務は,皇室のために「憲法そのものを遵守する」というよりは,できれば・なるべく,どこまで「憲法の制限から逸脱する」ことができるかに求められている。

 憲法の規定に守られているはずの天皇家の人間の1人である皇太子が,逆に国民や政府に向かい「この憲法を守れ」といっているのだから,よく考えてみるまでもなく,実に奇怪な発言である。

 天皇は日本国・民の統合する象徴であるが,とすると,その息子はいったいなんであるのか? この象徴の息子も,ともに語り,述べ,主張する光景が常態になっている。

 こうした事態は,皇太子〔など皇族たち〕が放つ発言じたいが「いい・悪い」と判定される以前において,別様に検討・議論されるべき〈憲法にかかわる前提の問題〉が存在することを意味している。

 皇居や赤坂用地に住む以外の日本国籍人は,参政権・市民権をもっているが,天皇一族はそれが与えられていない。だからといって,自分たちの誕生日を待ちかまえては,いつも「天皇家の1人」として,きわめて抽象的でありながらも,なおかつ相当具体的に,自分たちの要望・意見を披露している。

 しかも,彼らの発言の内容は,必ずしも国民だとか国家だとかのために焦点が合わせられているのではなく,むしろ自家=天皇家じたいの安寧・発展,つまりこちらの利害関係がたしかに伏在させられている。

 それゆえ,池上 彰がいうごとく「皇太子さまは,憲法のこの条文を守って発言されているに過ぎない」と解釈するのは,あまりにも皇室に対する好意的に過ぎた立場の発露でしかない。

 いまの憲法によって「自分が守られる立場」にいる者が,わざわざ「この自分」の「立場が守られる」ようにこの「憲法を守れ」と,それも今回の場合(この点は2015年時点である事実も断わっておく)では明らかに,現政権の安倍晋三という首相個人を標的に絞ったかにして,放っていた内容だといえる。

 したがって,問題の背景にあってその中核部分に控える論点は,とうてい一筋縄では理解がいくような性質のものではなかった。天皇一族の誕生日記者会見として常時おこなわれている「政治的な発言」そのものには,細心の注意を向けて観察する用心が必要である。

〔記事に戻る→〕 こんな大事な発言を記事に書かない朝日新聞の判断は,はたしてどんなものなのでしょうか。もちろんデジタル版には会見の詳報が出ていますから,そちらを読めばいいのでしょうが,本紙にも掲載してほしい談話です。他の新聞はどうか。読売新聞にも日本経済新聞にも産経新聞にも,この部分の発言は出ていません。毎日新聞の記者のニュース判断が光ります。

 こうなると,他の発言部分も気になります。朝日新聞が書いている「謙虚に過去を振り返る」という部分です。このところ,日本の戦争の歴史の評価をめぐって,「謙虚」ではない発言が飛び交っていることを意識されての発言なのだな,ということが推測できるからです。皇太子さまの,この言外に含みをもたせた発言を,他紙は報じているのか。

 毎日新聞と日経新聞は報じていますが,読売新聞にはありません。産経新聞は,本記の中にはなく,横の「ご会見要旨」の中に出ています。

 日経新聞は,「謙虚に過去を振り返る」の発言の前に,「戦後生まれの皇太子さまは天皇,皇后両陛下から折に触れて,原爆や戦争の痛ましさについて話を聞かれてきたという」と書いています。

 天皇ご一家が,戦争の悲惨さと平和の大切さを語り続けてこられていることがよくわかる文章です。朝日新聞の記事では,こうした点に触れていません。記者やデスクの問題意識の希薄さが気になります。

 補注)この最後における池上 彰の発言には一言しておく。その『朝日新聞』の「記者やデスクの問題意識の希薄さ」とは,いったいどのような言論機関に向けられたその問題意識でありえたのか?

 とりわけ「天皇ご一家が,戦争の悲惨さと平和の大切さを語り続けてこられていること」は,徳仁の祖父(ヒロヒト)が記録として残した行跡とむすびつけて再考するとしたら,その「戦争の悲惨さと平和の大切さ」と結合させて語りうる立場は,けっして生やさしいものではなかった。

 どういうことか?

 第2次戦争中,皇族で軍人だった人間で戦死・戦病死した人物は記録されていたか? 当時,皇族たちの人口が何人いたのか? それに比較して,帝国臣民(とはいっても日本人・民族だけに限定しても)は7千万人以上いた。

 その戦争における日本の戦死・戦病死した記録は,大約の数字で表現することになるが,つぎのようであった。

  ▲-1 軍人・軍属は「国内 20万人,海外 210万人で,計 230万人」
  ▲-2 民間人は「国内 50万人,海外 30万人で,計 80万人」
  ▲-3 以上の総計,310万人。

 しかも以上の統計は,戦没者となったこれら310万人のうち,1944年以降に戦没者となった者たちが281万人にも上る。つまりその91%が戦争末期に犠牲となっていた。

 こういう計算をしてみる。

 310万人 ÷ 7000万人 = 4. 44% だから,日本人の国民たちは約20人に1人は,あの戦争のために落命させられた。前段で指摘された「1944年以降に戦没者となった者たち」が,皇族軍人から出ていたのか?

 広島に原爆投下されたとき死んだ,日本人ではなかった朝鮮王族の1人がいた。その名は,李 鍝(イ・ウ,ハングル: 이 우,1912年11月15日-1945年8月7日)という人物であった。

ハングル: 이 우

 彼は李王家の一族であり,当時「日本の公族」(皇族ではなく王族)の1人に待遇されていた。日本の陸軍大学校を卒業後,当時は大日本帝国陸軍中佐(教育参謀)であった。広島へ投下された原爆の爆心地から710mの地点で被爆,翌日に逝去した。

 この李 鍝は朝鮮人王族であったので,皇族ではなかったがたまたま,運悪く広島に任地をえて軍務に就いていたがために爆死させられた。しかし,太平洋戦争中,このような目に遭った日本人皇族の軍人たち(男性皇族は皆軍人にされていた)は,1人もいなかった。

 なお,神立尚紀「【太平洋戦争秘史】意外に多かった皇族・華族の戦没者 高貴なる者の責務を果たした若者たち」『現代ビジネス』2019年12月27日,https://gendai.media/articles/-/69452 は,この題名のような内容で,皇族軍人から戦死者が少なからぬ人数,出ていたかのように強調する記述をおこなっていた。

 しかし,ウィキペディアの「皇族軍人」の記述は,ただつぎのように解説するだけに止めている。結局,第2次大戦中(戦時体制期あるいは太平洋戦争と時期を区切るにせよ)において,皇族軍人の戦死者(戦没者・犠牲者)は「いなかった」と総括せざるをえない。

 明治から昭和前期までに,戦地での殉職者2名(北白川宮能久親王と北白川宮永久王)を出し,両名とも戦死扱いで靖国神社の祭神となった。臣籍降下後では音羽正彦侯爵(朝香宮家:正彦王)と伏見博英伯爵(伏見宮家:博英王)の2名が戦死している。また,王公族の李鍝も広島市への原子爆弾投下に遭って被爆・薨去し,戦死扱いとなっている。

ウィキペディア「皇族軍人」

 このウィキペディア「軍人」の記述は,戦時体制期の以前とその敗戦までの時期それぞれを,あえて明確に区分しない説明であった。だが,原爆の直撃を受けた李 鍝の事例に似たかっこうで,「要は戦死した」ような皇族の軍人はいなかったとみなすのが,妥当な理解であった。
 
 以上の皇族軍人の話題については,小田部雄次『49人の皇族軍人-戦場に立った近代日本の主役たち』洋泉社,2016年をひもとくのがよい。小田部の関連する著作はさらに,末尾【参考文献の紹介:アマゾン通販】に紹介してある。

 要するに,あの戦争の時代,一般の帝国臣民の犠牲者は,310万人(民間人240万人と軍人70万人)死んだのに比べて,皇族軍人のそれはゼロ人であったと説明するのが順当だといえる。

 以上のごときに,話題が皇族軍人にそれたところで,「天皇ご一家が,戦争の悲惨さと平和の大切さを語り続けてこられていること」について,「朝日新聞の記事では,こうした点に触れていません」(『朝日新聞』はそこまで配慮できる記事作りになっていなかった)という池上 彰の発言をめぐっては,その程度になる「池上側の視座の据え方」で済まされるのかという,さらなる問題意識をも踏まえたうえで,あれこれ関連する論点を掘り起こすための議論を試みたつもりである。

 

 ※-3 参考:『毎日新聞』の該当記事-『毎日新聞』2015年02月23日朝刊のあつかい-

    ☆ 皇太子さま:55歳の誕生日「正しい歴史伝承が大切」

 皇太子さま(徳仁)は〔2015年2月〕23日,55歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち20日に東宮御所(とうぐうごしょ)で記者会見し,戦争の記憶が薄れつつあることに触れ,「謙虚に過去を振り返るとともに,戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に,悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と述べた。

 皇太子さまは子どものころから,天皇,皇后両陛下と一緒に,沖縄戦が終結した沖縄慰霊の日(6月23日),広島と長崎の原爆の日,終戦記念日に黙とうし,原爆や戦争の痛ましさを教わってきたことを紹介。いまは長女愛子さまも両陛下から戦争の話を聞いているという。

 今年,戦後70年を迎えることについては「我が国は戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,平和と繁栄を享受しています」とし,「本年が日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し,平和の尊さを心に刻み,平和への思いを新たにする機会になればと思っています」と語った。

 また,この1年を振りかえり,中東などで続いた武力紛争に「我が国国民を含め市民を巻き込むテロの事件がさまざまな場所で発生したことに深く心を痛めています」と言及。青色発光ダイオードの開発で日本人3人がノーベル賞を受賞したことにも触れ,「地道な研究の積み重ねと大学,民間企業をはじめ多くの方々の支援と協力から生まれた」と喜んだ。

 55歳は天皇陛下〔明仁:平成の天皇は1933年生まれ〕が即位した年齢にあたる。「身の引き締まる思いとともに,感慨もひとしお」と語り,今後も両陛下の姿に学びながら努力していきたいとの考えを示した。療養中の雅子さまについては「焦らず慎重に,少しずつ活動の幅を広げていってほしい」と思いやった。

 --本ブログ筆者が判る範囲内では,園部逸夫『皇室制度を考える』中央公論新社,2007年が天皇・天皇制,皇室・皇族の現代的な諸問題を,より具体的に案内してくれる著作としてある。


 しかし,本日の ① で関説したような疑問を解くために役に立ちそうな叙述をみいだしにくいのは,非常に残念である。

 また,安倍晋三政権になってから騒がれるようになった改憲問題について小林 節『白熱講義! 日本国憲法改正』KKベストセラーズ,2103年4月)は,こうも述べていた。

 「(天皇制,皇室制度)はとてもデリケートな問題である」と断わりつつも,「日本の天皇家は,万世一系,つまり初代の神武天皇から天皇家に生まれた男の直系としてつながっている2千年以上続く世界最古の王朝である」(25頁)といってしまい,学問する者としては,自分の土台の一部を瓦解させるような意見を吐いていた。


 要するに小林は,天皇・天皇制に関して,明治以来の神話伝説に依拠した「学問以前の立場」を,憲法学解説書のなかでうかつにも披露していた。

 小林 節は「安倍晋三政権による憲法改定」の方向にもやり方にも猛烈に反対する憲法学者であるが,本論のほうにおけるその議論はさておき,天皇・天皇制にかかわる論点になるや,前段のようにきわめてうぶな側面をみせていた。

 すなわち,「明治期に創られた天皇制」の機密に容易に騙される発言をしていた。それとも,もっと高等戦術が含意されていて,天皇・天皇制に関しては「自己単純化」の工夫でもなされたのか?

---------【参考文献の紹介:アマゾン通販】---------


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?