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小池百合子の対アジア人に向けた差別意識のありようを吟味する

 ※-1 またもやカイロ大学「学歴詐称疑惑」が噴出した小池百合子の胡散臭さ-2024年4月になって俄然再浮上した東京都知事の「学歴詐称疑惑」

 小池百合子東京都知事の「カイロ大学文学部社会学科」卒業,それも外国人(日本人)として首席で,もちろん留年などすることもなく,その学業を修了しえたというのだから,カイロ大学というエジプトで第1番の高等教育機関を卒業した外国人としては,出色どころか飛びっきりに抜群の成績を挙げていたと思いたかった。

 ところが,最近,小池百合子と政治活動をいっしょに,それも側近として仕えてきた小島敏郎(東京大学法学部卒業後,環境省〔当時〕勤務,青山学院大学教授職もこなし,現在は弁護士の仕事に従事)が,小池の「学歴詐称疑惑」に対して,あらためてその疑惑を問い直す問題提起をおこなった。

弁護士の小島敏郎は小池百合子の疑義について
きわめて慎重に指摘していた


 小池百合子は,東京都知事の2期目をこの7月に終えるので,3期目に立候補することを検討中か,あるいは4月28日に予定されている衆議院議員補選への立候補(国会議員への鞍替え模索)を考慮しているなどと憶測を呼んでいた。

 しかし,今回,小島敏郎が公表した「小池百合子の学歴詐称疑惑」に対する指摘は,小池にとって完全に瀬戸際に追いつめられたごとき窮状の出来を意味した。それゆえ,都知事選あるいは衆院補選への立候補を以前から検討していたはずの小池の予定(目算)は,大いに狂わされてしまったと推察できる。

 小島敏郎のおこなった記者会見によって再燃した,小池百合子「学歴詐称疑惑」に関係した本ブログの記述は,2024年4月12日と13日の記述をもって詳論したつもりなので,ここではとくべつにとりあげない。

 だが,小池百合子自身が小島の事情暴露に対してはこれに応答しようとした記者会見もおこなっていたけれども,ここではつぎの『東京新聞』の記事を参考に挙げておきたい(『共同通信』の配信記事であった)。

小池百合子側の苦しい対応

 以上,本日(2024年4月14日)に書き出した段落であった。本ブログ筆者は小池百合子の政治屋としての資質や固有に抱える問題を,いままでとりあげ検討してきた経緯があった(その全部が現在公表されていない状態にあるのが残念であるが)。

 本日の記述として,次段の※-2「以下に復活させる一文」は,以前の2020年7月25日,ブログ筆者が書いた文章であった。

 そこに描かれていた「東京都知事である小池百合子の姿」は,彼女なりに独自の采配ぶりを通してみせてきた「その指揮ぶり」に関したもの,すなわち,そこに色濃く反映されていた「東京都の政治的な代表者である立場」から披露されていた「対・アジア蔑視に映るほかない〈政治的な価値観〉もどき」が,どうしても問題にならざるをえなかった。

【参考記事】-こんな話もあったとかすれば,信用もなにもあったものではない-



 ※-2 都知事小池百合子は自身の韓国・朝鮮差別「観」をみずから説明できておらず,つまり,極右・反動のネトウヨ的偏見を充満させていて,とりわけ関東大震災直後の朝鮮人虐殺を認めない点にその嫌らしさを露呈させていた

 おフランスは大好き(!)だが,韓国(朝鮮:アジア)は大嫌い(?)という感覚の持主「小池百合子都知事」に,まともな国際感覚は備わっているのか。欧米コンプレックスとアジア差別的な「潜在的に露骨な偏見の意識」が混濁している「自分自身の精神特性」が自覚できていなかった。

 関東大震災で虐殺された朝鮮人・中国人も(人災のこと),この大地震で死んだ日本人も「同じ犠牲者だ」だったのだから(天災のこと),その死については「なんら質的な差異はない」などと,大真面目にのたまえる「不思議な都知事:小池百合子」流の「奇怪な理屈」は,その意識下に隠されている極右・反動的なアジア人差別の感情が根深く控えていたとしか,とらえようがなかった。

 最近の話題(2020年7月から2024年7月へこれが移っていたとしても)カイロ大学を卒業しているから,通訳ができる実力があると公称していたはずのアラビア語運用力が,実は流暢に駆使できていなかった事実が暴露されていた「小池百合子という都知事」がいたが,これはアラビア語を専門とする識者が指摘した事実であった

 つまり,小池百合子のアラビア語についてエジプト人の知識人が指摘してくれたところによれば,「日本で6カ月やった程度のレベル」であり,「ハチャメチャな語学力」であると喝破されていた。

 小池百合子のやること,なすことの一事が万事であった。

 この※-2以下の記述に関して,まえもって要点を挙げておく。
  
  要点:1 そもそも説明ができない「アジア系の諸国・人びとの全般に対する差別主義者」でもある小池百合子都知事の本性

  要点:2 その本性はコロナ禍が日本を襲っている本年(2020年)にも,いよいよ鮮明になっていた

  要点:3 〔これは2024年4月段階になって追加するこの「要点」となった〕 自身の学歴詐称問題に関しては,以前からいままでずっと,その怪しさ漂わせつづけてきただけに,単にひとつの問題をめぐってのみ,この女性に対する批判を意識することでは済まない「問題の広がり」が隠されていたことが分かる。

  ▼ 事前の断わり ▼

 以下の記述ではひとまず,東京都知事が舛添要一から小池百合子に代わる時期(2016年)および,小池都知事が2期目になる時期(2020年)を,時期の区切りとして念頭に置いてほしい。

 小池は3期目となる都知事選がある今年(2024年7月)に,はたして立候補できるかどうかむずかしい判断を迫られているが,いまとなってはそれこそ「身から出た錆」としての問題を意味する。

事前の断わり

 a) 本ブログが以前問題にした小池百合子都知事の韓国(朝鮮)差別

 本(旧)ブログがいまから8年ほど前の2016年4月8日に書いてみた記述は,このブログ内ではまだ復活させていないので,後日再掲することを予定することにしておき,つぎのように付けられていた題名を紹介しておく。

 主題「韓国学校は気に入らないが,フランス学校ならよいのか? 都立高校跡地を利用する第2の韓国学校設置問題」

  副題「1世紀半もの伝統を誇る隣国差別の政治精神が,現在の庶民的な嫌韓意識にまでつながっているのか」

  副題「お尻の穴の小さいところをはしなくもみせたヤマト民族だが,欧米系の《民族》学校ならば「無条件にウェルカム」?」は,この小池都知事という女性が,根強く韓国(韓国人)に対する差別感情を抱くことを指摘していた。

 註記)この2016年4月8日の記述は,本記述の前論を構成していたので,なるべく早めにつづけて復活させる予定である。

断わり

 以上の断わりを入れさせてもらい,ともかく,本日の本論に進みたい。

 一般的にまだ日本・日本人の意識は,アジア・アフリカ系の人びとや国々を見下す差別意識が完全に払拭されているとはいえず,それに比較するに,欧米系(白人系という意味で)の人びとや国々に対しては,劣等感を根柢に控えた特定の感情を伏在させている。

 なにかといっては,そうした差別(絶対的な区別観)にもとづく「各種の外国・外国人」に対する対応姿勢をめぐっては明確に,一定の違いが表現されている。関連して抱くひとつの印象は,たとえば白人系の女性と突きあっている日本人男性は,その女性の日本語が粗雑というか粗暴な話法であっても,そのまま甘く許す事例があった。

 最近(2024年の話)も,若い「日本人男性と白人系女性のカップル」が勝手に対話するユーチューブ動画サイトを,なんどか視聴する機会があったけれども,とくに女性の日本語の言葉遣いのその汚さには辟易させられた。

 タレント夫婦のなかにも,日本人男性の妻である「白人系女性の日本語の乱雑でただ小生意気な口舌」には呆れたことがあったが,そもそも,そのまま放置している夫の立場が疑われる話題であった。

 b) さて,ここではおフランスのほうへ話題を振ってみる。

 フランスという国の場合,たとえば,サッカー代表チームを組むとこの過半数が「アフリカ系で肌の色が黒っぽい感じの選手」で構成されたことがあった。こうなると,話は少々というよりもだいぶこみいってくる。

 同国のサッカー選手では有名なジネディーヌ・ヤジッド・ジダン(仏語,Zinedine Yazid Zidane)というフランス代表のサッカー選手がいたが,この彼もフランス人(白人系)の出自はもっていなかった。

 ジダンの両親は,アルジェリア独立戦争が起きる少し前の1953年にフランス領アルジェリアからパリに移住してきた少数民族ベルベル人であり,一家は,1968年から港町マルセイユ北部の北アフリカ移民が集まって住む一角で暮らしはじめたという。

 このジダンも(多分?)フランス人と認めるはずの日本・日本人側は,日本の東京都にあるフランス学校に対するイメージは,もしかすると白人系のフランス人しか想像していないのもしれない。いささか茶化した表現になるが,おフランス「人」の学校が都内にできたのであれば,大歓迎だという仕儀にあいなっていた。

 c) だが,東京都内に韓国「人」の学校を “増やすなんて” とんでもないというのが,小池百合子都知事の基本精神であった。

 いま(これはだいぶ昔になる「当時の時点」での「いま」のことであったが),都内にある韓国学校が手狭で困っている事情があって,第2韓国学校を開校したいと計画し,その候補となりそうな都内の廃校となった学校のなかから適当なところを探しだし,これを借りるべく交渉しはじめたところ,これをムキになって潰していたのが小池都知事であった。

 その理由はなんであったか? 前段で言及してあったことだが,その話題は「8年ほど前の2016年4月8日」の,いまは未公表状態になっているその記述が説明していたものなので,ここでは説明不十分になるかもしれないが,

 ともかく,小池百合子は,その第2韓国学校の開学をめざしていた韓国政府関係側の希望,つまり,廃校となった都内の学校(とこの敷地)を借り受けたいという申し出を,すげなく寸断させるという経緯になっていた。


 ※-3「『パリ東京文化タンデム 2018』ラインアップ発表会」『知事の部屋 GOVERNOR'S OFFICE』2018年6月11日更新,http://www.metro.tokyo.jp/tosei/governor/governor/katsudo/2018/06/06_01.html が語る「おフランスのイメージ」

 まず以下のような文章を紹介する。 

 平成30年(2018年)6月6日(水曜日),「パリ東京文化タンデム 2018」のラインアップが決定し,駐日フランス大使公邸において発表会が開催され,小池知事が出席しました。

 「パリ東京文化タンデム 2018」は,2018年にパリ市,東京都及びアンスティチュ・フランセ(フランス発の文化などを発信しているフランス政府の公式文化機関)が,在日フランス大使館の協力をえて実施する文化交流事業です。

 平成29〔2017〕年10月23日付「東京都知事とパリ市長による共同コミュニケ」の取組の一環として,東京およびパリにおいて多彩な文化イベントを実施し,両都市の文化の魅力を世界に幅広く発信するとともに,東京2020大会の気運を文化面でも高めていくものです。 (後略)

「パリ東京文化タンデム 2018」

 東京都は,おフランスのパリ市などとの交流にはこのように熱心である。そのあたりの事情をより分かりやすく説明する記述を,さらに以下につづけていく。

 1) 「東京国際フランス学園」(の「沿革」から抜粋による紹介)

 「2012年5月」 リセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京は,東京国際フランス学園と学校名を変更し,北区滝野川に移転した。もとは,都立池袋商業高校の跡地である。新校舎完成に伴い,幼児・初等教育科の生徒は富士見校に別れを告げ,春休み明けの5月8日,滝野川校舎に移る。

 「2012年9月3日」 中・高等教育科も含めた全校生徒が滝野川校で初めての新学期を迎える。

 「2012年10月9日」 エレーヌ・コンウェイ・ムレ在外フランス人担当大臣,田中真紀子前文部科学省大臣,アンヌ=マリー・デコットフランス在外教育庁長官,クリスチャン・マセ駐日フランス大使,安藤立美東京都副知事の立会いのもと,東京国際フランス学園の開校式が執りおこなわれた。

 東京国際フランス学園学園長ミシェル・ソゼと共に,来賓の方々によるテープカット,つづいて新校舎記念碑の除幕式がおこなわれた。

 「2017年5月27日」 東京国際フランス学園創立50周年記念。
 註記)以上,http://www.lfitokyo.org/index.php/ja/

東京国際フランス学園

 本ブログ筆者の「以前の記述」(現在は未公表であるが)のうち,前段に触れてあった,2016年4月8日の記述の主題は「韓国学校は気に入らないが,フランス学校ならよいのか? 都立高校跡地を利用する第2の韓国学校設置問題」であった。

 それは,小池百合子が都知事に就任する以前の経過にも言及していた。つまり,それまでの経過は,舛添要一がまだ都知事であった時期,話が進展しようとしていたその矢先,都知事が小池百合子に代わったことで,その第2の韓国学校設置の問題は故意に反故にされていた。

 2)「都立高校跡地,仏政府に売却へ 仏語の国際学校に」『日本経済新聞』2010年9月16日 5:58,https://www.nikkei.com/article/DGXNZO14721530V10C10A9L71000/nikkei.com

 東京都は旧都立池袋商業高校(東京・北)の土地や建物を仏政府に約41億5000万円で売却する。建物を仏語のインターナショナルスクールに改装するという。外国政府への都有地売却は珍しい。都は関連議案を〔2010年9月〕21日開会の都議会第3回定例会に提出する。

 跡地を利用するのは,仏政府が関与する法人が運営する「リセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京」。既存の校舎が手狭になったことから,移転先として都に旧都立池袋商業高の売却を打診していたという。

 同高は都営三田線の新板橋駅近くにあり,敷地面積は約2万1000平方メートル。2004年3月に閉校したが,4階建ての校舎や体育館,グランドはそのまま残っている。都は建物を約2億円,敷地の一部を約39億5000万円で売却する。グランドやテニスコートなどの一部用地は20年間の契約で貸し出す。年間借地料は約4300万円。

 都は国際交流拠点としての役割や教育機関としての公共性の高さを考慮し,競争入札をせずに売却することを決めた。都によると,駐日仏大使側は賃貸部分の都有地も,将来的に購入する意向を示しているという。

都立高校の跡地をフランス政府に売却

 この記事のなかでは「国際交流拠点としての役割や教育機関としての公共性の高さを考慮し,競争入札をせずに売却することを決めた」と説明されている点が注意されてよい。ともかく,おフランスのためであれば,特別に優遇もして,その出先的な教育施設のために廃校となった都立高校の敷地と校舎はお譲り(売却いた)します,というしだいであった。

 ところが,東京都知事が舛添要一から小池百合子に交代したあとになると,おフランスの学校と同じ「外国人学校」である韓国学校が第2の学校を設置したいと企画し,やはり都立高校で廃校になっている敷地と校舎の購入を希望していたのだが,舛添要一都知事の任期中にはある程度話が進展しはじめていたこの一件が,小池が都知事になると一転「ダメだ」となった。

 この当たりの問題を描写したのが,筆者の旧ブログ,2016年4月8日の記述,主題「韓国学校は気に入らないが,フランス学校ならよいのか? 都立高校跡地を利用する第2の韓国学校設置問題」であった。

 3) 赤塚不二夫原作になるテレビアニメ『おそ松さん』に欠かせない存在であった「迷(?)脇役のイヤミさ」

シェー!!

 --昭和を代表する一発ギャグ「シェー」の立役者でもある彼は,このアニメ「おそ松さん」では,いなくてはならない1人なのだ。こんなにもいやみったらしいのにどうして彼をみんなに愛されるキャラになったのか。今回はその魅力を徹底解剖していく。

 「イヤミ」とよく表記されているが漢字では「井矢見」と書かれる。『シェー !! 』や「~ザンス」など特徴的な口調で非常に胡散臭く,前歯が飛び出しており,かなりの出っ歯である。本人はあまりそのことを気にしていない様子。

 「おフランス帰り」を自称しているが,フランスにはまったいったことはなく重度のフランスかぶれ。だが,彼の1人称は「Me(ミー)」であり,徹底したフランスかぶれではない。 (中略)

 補注)「Me(ミー)」というのは,たしか英語ではなかったか? 赤塚不二夫流のいやみ-なギャグか?

 胡散臭さに磨きをかける要因としてまったく渡仏経験がないのにもかかわらず,重度のフランスかぶれで自身をフランス帰りと称し,フランスのことを「おフランス」と呼ぶ。

 (ここで余談だが,「おそ松さん」第6話Bパートにおいてイヤメタルがイヤミの出っ歯から発見されたとき,フランスの大統領からお呼びがかかって渡仏するが,大地に脚を踏み入れる前に嘘がバレて追い返され,念願のおフランスにはまだまだいけそうにない)。(中略)

 今後も迷(?)脇役としてのイヤミに注目である。

 註記)以上,「〈おそ松さん〉おフランス帰りのミーのことをもっとよく知るザンス! イヤミの魅力を徹底解剖ザンス!【おそ松さん】」『Tips』2018年5月21日,2018年5月29日,https://festy.jp/web/posts/4875

 小池百合子都知事の場合,アラビア語を流暢には駆使できないにもかかわらず,いかにも自分は堪能であるかのような “イメージ” をバラまいてきた。 

 

 ※-4 小池百合子都知事の韓国(アジア全体に対する)嫌いが感情も露わに表出されていた事由

 本日〔ここでは⇒〕2018年8月25日の『朝日新聞』朝刊38面「社会」に「『追悼文送らず』小池知事側伝達 朝鮮人犠牲者の追悼式」というベタ記事が掲載されていた。この記事はベタ形式でもって同様に,いままでもなんどか報道されてきた小池百合子の対「隣国観」を,非常に正直かつ端的に表現している。

 東京都は〔2018年〕8月〕24日,都内で9月1日に営まれる関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式典に対し,小池百合子知事が今年も追悼文を送らないと主催者に伝えた。主催者は「震災という自然災害の犠牲者と,人の手によって命を奪われた犠牲者を同列にみるものだ」と抗議する声明を発表した。

 式典は,1923年の関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマを信じた住民らに虐殺された朝鮮人らを悼むため,日朝協会などが墨田区で開いている。毎年,都知事が追悼文を送ってきたが,小池氏は昨〔2017〕年,別の行事に追悼文を送ったことで「すべての犠牲者に哀悼の意を示しており,個別のかたちでの追悼文は控える」と中止した。

 ここに表明されていた小池百合子の都知事としての理屈は,論理学的にその中身を分析すれば,矛盾に満ちたヘリクツでしかありえない点は,簡単に指摘できる。

 つまり,関東大震災の直後に,日本「人の手によって命を奪われた〔朝鮮人などの〕犠牲者を〔地震による日本人犠牲者と〕同列にみるものだ」と批判されたとき,この朝鮮人の犠牲者とは,当時の帝国日本に移入してきた植民地出身の人びと(肉体・筋肉労働に従事する者が多かった)であった。

 この人たちは,大震災発生直後数日間のうちに,それもいろいろな調査結果があるのだが,少なくとも数千人単位(朝鮮人側自身による調査では6661人)で虐殺されていたし,さらには中国人,そして同じ日本人でも社会主義者や無政府主義者が,ついでにといってはなんだが,勢いをつけたかっこうで抹殺されていた(平然と虫けらを踏み潰すように……)。

 10万人といわれる関東大震災の犠牲者についていえば,日本人は,家屋の倒壊などよりもその後発生した大火災に巻きこまれた焼死した者が多かった。

この震災の犠牲者と,事後において「騒動を起こした」とデマ(流言蜚語)が飛ばされていた社会状況のなかで殺された朝鮮人・中国人・日本人「主義者」とを,意図して「犠牲者のすべて」のなかにくくりこんだうえで,これらの犠牲者たちを「個別のかたちでの追悼」はしない〔できない〕といいきった小池百合子の都知事としての発言は,ほかでもなく,合理的に納得がいく説明にはならず,単に『完全なる詭弁』であった。

 

 ※-5「小池百合子の研究3-関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式の追悼文を断った理由-」『51%の真実』2017年8月26日,http://abmt.blog.fc2.com/blog-entry-569.html

 前項※-4で指摘した小池百合子都知事のアジア人差別観は,なにもいまに特別にはじまった感情ではなかった。昨(2017)年においてもすでに登場し,問題になっていた。

 ここでは,つぎ記者会見の場面を紹介しておく。少し長い引用となるが,小池のみせた「人間としての本質(本性)」が「政治家としての次元」においてよく表現(自白)されている。

 1) 2017年8月24日(木)の時点で,小池都知事が関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式の追悼文を断わったことがニュースになっていた。まず「関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断わる」『東京新聞』2017年8月24日という記事 を紹介しておく。

 東京都の小池百合子知事が,都立横網町(よこあみちょう)公園(墨田区)で9月1日に営まれる関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断わったことが分かった。

 例〔2016〕年,市民団体で構成する主催者の実行委員会が要請し,歴代知事は応じてきた。小池氏も昨年は送付していたが方針転換した。団体側は「震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」と,近く抗議する。

 追悼文を断った理由について,都建設局公園緑地部は本紙の取材に,都慰霊協会主催の大法要が関東大震災の9月1日と東京大空襲の3月10日に開催されることを挙げ,「知事はそこに出席し,亡くなった人すべてに哀悼の意を表わしているため」と説明。「今後,他の団体から要請があっても出さない」としている。

 追悼文は1970年代から出しているとみられ,主催者によると確かなのは2006年以降,石原慎太郎,猪瀬直樹,舛添要一,小池各知事が送付してきた。 (中略)

  追悼碑をめぐっては,今〔2017〕年3月の都議会一般質問で,古賀俊昭議員(自民)が,碑文にある六千余名という数を「根拠が希薄」としたうえ,追悼式の案内状にも「六千余名,虐殺の文言がある」と指摘。「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず,追悼の辞の発信を再考すべきだ」と求めた。

 補注)「歴史をゆがめる行為」という言辞は,小池百合子らの次元でいうとなれば,関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為そのものを認めてしまう認識を意味する。そのために,人数の多寡をとりたてて問題にする(テコに悪用する)方向で,追悼そのものを止めさせる(なくさせる)理由に利用していた。

 結局,そこには,きわめて「単純で明解な論理のすり替え」と「ともかく外国人虐殺の事実をなきものにしたい欲望」がないまぜになった,弩級(ド級)のヘリクツがまかり通らされている。端的にいえば「ネトウヨ的な極右の発想」であって,ここまでくるともはや,理屈もヘリクツもヘッタクレもなにもなくなっていた。

 工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』産經新聞出版,2009年や,この工藤の夫である加藤康男『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』 WAC BUNK,2014年はともに,関東大震災時における朝鮮人虐殺事件を全面否定していた。

 だが,工藤美代子夫妻は,当時の新聞が日本の庶民たちによる,それも正々堂々たる「朝鮮人に対する殺戮行為」を報道するのではなく,流言蜚語にもとづく「朝鮮人の暴動説」に関する,それも完全に虚偽であった報道だけをもっぱらたよりした〈論旨の構成〉をもって,そう主張していた。

 だが,その震災後における朝鮮人暴動説に関する報道が,まったく事実に反しており,いわば明々白々に “完全なる間違い” であったにもかかわらず,当時におけるその新聞記事の掲載記事を全面的に根拠として解釈したうえで,「朝鮮人の犯罪行為もろもろ」がすべて真実であるかのように,わざ(?)と「間違えて」とりあげていた。

 換言していうと,その99. 9999%までが『 “フェイクの報道” であった「事実であったところ」』を,この逆方向において意図的に,その嘘の報道を本気で真(!)に受けとっていた。それで,関東大震災のときには『朝鮮人の虐殺はなかった』と,21世紀のいまになってから,わざわざ主張していた。

 文部科学省前次官前川喜平の文句を借りれば「あったことをなかったことにはできない」はずであるが,工藤美代子夫妻はシャカリキになってその事件を全面否定していた。その意味でこの夫婦は,物書きとしては完璧に近い「理想的なウソつきバカップル」といわれても仕方ない。文句を申したてられるような筋あいも,全然ありえない。

〔ここで『東京新聞』の記事に戻る→〕 これに対して,小池知事は「追悼文は毎年,慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通したうえで適切に判断する」と答弁しており,都側はこの質疑が「方針を見直すきっかけのひとつになった」と認めた。また,都側は虐殺者数について「六千人が正しいのか,正しくないのか特定できないというのが都の立場」としている。

 これに関して小池百合子都知事は,〔2017年〕8月25日(金)の知事記者会見で記者からかなりしつこく質問を受けていた。「関東大震災の朝鮮人虐殺」を否定する「歴史修正(改竄)主義」ように思われる行為だから,記者がしつこく食い下がるのは当然のことだろう。

 2)「小池知事「知事の部屋」/ 記者会見(2017年8月25日)」『知事の部屋 GOVERNOR'S OFFICE』 2017/8/25)から

【記者】 共同通信の河村です。2点お伺いいたします。1点目です。毎年9月1日に都立公園で市民団体が主催で開催されている,関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式への追悼文送付に関してです。これまで歴代の知事は追悼文を送ってこられたようですが,

 今〔2017〕年から知事が送ることをとり止めるということなので,これに関して,3月の定例会の一般質問でも,自民党の都議から慰霊碑の犠牲者数に疑義が呈されて,「追悼文の送付を考えなおすように」という質問があったかと思うんですが,それも含めて,知事からあらためて,どのようなお考えで追悼文の送付を取り止めるという決定をしたのかお聞かせください。(中略)

【知事】 まず,1点目のご質問でございます。横網町公園での追悼行事に関してのご質問だと思いますけれども,今〔2017〕年も私は3月に,関東大震災と都内の戦災遭難者慰霊大法要という,9月にもおこなわれるわけでありますけれども,3月にはその大法要にも出席をいたしております。

 その場で都知事として,関東大震災で犠牲となられたすべての方々への追悼の意を表したところでございます。ということで,このすべての方々に対しましての慰霊をおこなっているということで,今回,特出しの意味でおこなったわけではございません。追悼文を送ったということではございません。それに尽きます。(中略)

【記者】 朝日新聞の岡です。先ほどもあった朝鮮人の犠牲者の追悼式典に関して追加で伺いたいんですけれども,いま,知事が「犠牲者全体への追悼の意を込めて」というようなお話,理由の説明がありましたけれども,一方,主催者側からは,一般の犠牲者,震災の犠牲になられた方と,それから,不幸にして,流言などによって虐殺をされた,人の手で殺された犠牲者の方への追悼というのは,これは意味が違うというようなことで意見も出されてるわけですけれども,この反論については,知事,どうお考えでしょうか。

【知事】 それぞれ主催をされる方々のお申し入れというのは,切り口は異なってるかと思います。しかし,いずれにしても不幸な死を遂げられた方に対しての慰霊をする気持ちには変わりません。ということで,3月と,それから,9月,都知事として,また,都としてすべての方々への哀悼の意を表するということは,大変意味の深いことだと思っております。

 補注)ここでは「すべて」ということばがマジック,いいかえればジョーカー的に使われている。交通事故で死んだ人間も飛行機が墜落して死んだ人間も,殺人事件で殺された人間も戦争で弾丸に当たって死んだ人間も「みな:すべて同じ」,だから同じに慰霊すればよい,その違いにいちいちこだわるなという理屈なのである。こうした種類の理屈は常識的には通らない。  
 つまり,それらの死因に関してはまたそれぞれに個別の問題もあって,あれこれ細かい問題が派生して存在する。それゆえ,事故の原因や戦争の場面に関して注目すれば,それぞれに個別の事情を異にした死亡・犠牲があった。だから,それらをいっしょくたにしてとりあつかってもいいという理屈は,最初からなりたちえない。

 交通事故で死者が出た原因はなにか。旅客機が墜ちた原因はなにか。戦争を発生させた国際政治・外交問題はなにか。戦争で弾丸・砲弾に当たって戦死するのと戦闘機乗りが対空砲火などで撃墜されて戦死するのとでは,同じ戦死であっても,それぞれに死因が違う。以上の違いに触れないままでいいと,誰がいい切れるのか。

【記者】 そういう民族差別ってものが背景にあるようなかたちで起きた不幸な悲劇について,特別にその追悼の文,追悼の辞を述べる,送るということについて,ここにはなにかしら特別な意味というのは見出されないですか。

【知事】 そこで民族差別という観点というよりは,私はそういう災害で亡くなられた方々,災害の被害,さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべきだと思っております。

 補注)この小池百合子の答えも答えになっていない。合理的に説明するすべがない問題に対する質問が記者が放たれていたにかかわらず,このように平坦に,のっぺらぼうにしか答えていない

【記者】 あと,ごめんなさい。去年も出されてるわけですけれども,去年出されて,今回はとり止めされたと。この判断の違いというのは,なにか理由があるんでしょうか。去年は判断誤っていたという観点なんでしょうか。

【知事】 一言で申し上げますと,こういう追悼文であるとか,さまざまなメッセージについては,都知事みずからが案文を考えたりするわけではなく,また,慣例的に,そのまま事務的に繰り返し,日付だけ変えてかどうかしりませんけれども,送られるということもあるようでございます。

 昨年は慣例的に,事務的に戻していたといったことでございまして,それは後で,私はそのことについてたまたましったということから,今回は私自身が判断をしたということでございます。

 補注)この理屈もおかしい。この寸法・要領でいくと,都知事が最終的に責任のある事案であっても,これが慣例的も事務的であっても,私(小池百合子)の場合,はじめから責任はなかったという理屈になりうる。要は,知事の立場として,たいそう無責任な,それも放言になる答えをしていた。

 また「私自身の判断をした」のであれば,その理由が明解に提示されるべきであったが,以上のやりとりのなかにはその点に対する納得のいく説明はない。私が(小池百合子が都知事として)嫌いな行事に対しては,これにイチャモンを付けて『排除します』というのが当然だというヘリクツにしか聞こえない。 

【記者】 送られたのしらなかったということですか,去年については。

【知事】 そのような文言という,メッセージというのはあちこちからお申し出がございますので,しっているものとしらないものと,そして問題のあるものと問題のないものがあるかと思いますけれども,こういった背景と判断が必要なものについてはきちんと,それ以降,私自身に確認をとるようにということを伝えたところでございます。

 補注)小池百合子の話法は問題の焦点が二重になっていながら,かつ分離させられている。それだけでなく,しかも問題そのものをテンでバラバラに答えていた。要は合理的・納得的な回答はできないゆえ,このように支離滅裂気味で,なにをいいたいのか分からない語り方に終始していた。 

【記者】 ジャパンタイムズの大住です。先ほどの質問と関係ありますが,都知事が今年追悼文の送付を断られたことによって,朝鮮人コミュニティーのなかでは,「大震災のときに朝鮮人が殺害された事実は否定されることになる」という受けとめの声が,そういった批判の声が出てるんですけれども,それについては知事はどう思われますか。実際は,その事実,そういったことがなかったという批判に対してどう思われますか。

【知事】 さまざまな歴史的な認識があろうかと思っておりますが,この関東大震災という非常に大きな災害,そしてそれに続くさまざまな事情によって亡くなられた方々に対しての慰霊をする気持は,これは変わらないものでございます。(中略) 

 補注)「さまざまな歴史的な認識があ〔る〕」とはいっても,関東大震災時における朝鮮人虐殺事件の問題を,その犠牲者数に関する見解の相違をめぐっては,しかも小池百合子の場合はそれを全面否定したい気持をにじみ出させていた。

 「さまざま」だとあえていってみたところで,そのさまざまに認識がありうるこの虐殺事件そのものを基本的に絶対認めたくない気分だけは,はっきり表現していた。

【記者】 東京新聞の森川です。追悼文について追加でお尋ねします。仮に,昨年の追悼文が慣例的であったとして,知事は今年3月の議会答弁で,「今後については私自身がよく目を通したうえで適切に判断する」と答弁されています。追悼文を実際読まれたかと思います,昨年のやつを。

 一節を読みますと,この極度の混乱のなか,多くの在日朝鮮人の方々がいわれのない被害を受け,犠牲になられたという事件はわが国の歴史のなかでもまれにみる,まことに痛ましい出来事でしたとあります。

 追悼文の中身で,実際読まれて,ご自身として,内容についてはどのようにお考えであるのかと,内容に違和感があるのかないのか,あるいはどのようなご感想をもたれているのか,そのあたりはいかがですか。

【知事】 基本的に関東大震災という大変大きな災害があり,そして,それに付随したかたちで,関連したかたちでお亡くなりになった方々っていうのは,国籍を問わず多かったと思っております。その意味で3月そして9月の大法要ということについては,すべての方々に対しての慰霊をおこなっていくという点については変わりがないわけでございます。

 これまで毎年出していたということについては,そういう見方もあるだろうと思いますけれども,私は今回は,すべての方々への法要をおこなっていきたいという意味から,今回特別なかたちでの追悼文を提出をするということは控えさせていただいたということでございます。多くの方々が被害に遭いました。以上です。

 補注)ともかく,関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為そのものは,その歴史的な意味を絶対的にも相対的にも極力に薄めておきたい。できればないものにしたい,そのためには犠牲者全般のなかに溶解させておきたい。おまけに戦争中の大空襲の犠牲者たちといっしょにもする発想を示していた。  
 とくに「国籍を問わず」などとも断わってはいるものの,この国籍を問うかたちでこそ,しかも地震による物的被害者ではなく,日本人によって殺された朝鮮人の国籍(とはいっても当時は朝鮮人も帝国臣民であったが)が問題にされている最中に,このように「国籍を問わず」といったのであれば,これは「朝鮮人が虐殺された事実は無視する」と宣言したに等しい。

 そうした論法は,たとえばいえばこう比喩できる。「白人も黒人も同じ人間ですから,肌の色は問題になりません,問題にするほうが問題です」と。しかし,そんなことは現実にはありえないのが人種差別の問題であった。いまも「肌の色による差別」がないなどとは,けっしていえない現実がある。ありえない発想を自分だけの理屈のなかではありうるかのように,ヘリクツとして通そうとするのが「小池百合子流」に非論理的にも無理筋の話法であった。

〔ここまでで記者会見の段落:記述は終わり,記事に戻る ↓ 〕 

 〔つまり,小池百合子の都知事としての発想は〕3月の戦災遭難者慰霊大法要において「関東大震災で犠牲となられたすべてての方々への追悼の意を表した」という理由で,煙に巻こうとしていると感じる。

 朝鮮人犠牲者は関東大震災という自然災害が主因ではなく,大震災による異常な精神状態のなかとはいえ,根底にレイシズムがあることにより引き起こされた人災だろう。これをきちんと理解し反省していれば,大法要ですべてての犠牲者に追悼の意を表したからといって,朝鮮人犠牲者追悼式の追悼文を断わる理由にはなりえない。

 小池都知事の本音は,「民族差別という観点というよりは」と「さまざまな歴史的な認識があろうかと思っております」という言葉に,すべて集約されていると思う。まさに「極右保守」で「歴史修改竄主義」の顔が炙り出された瞬間だろう。

 さらに,「昨年は慣例的に事務的に戻していた,あとでそのことについてたまたましった,今回は私自身が判断をした」という言葉も衝撃的だ。「昨年もしっていたら送らなかった」ということをいっているのだ。

 それにしても追悼文の内容に違和感があるのかないのか,自分の考えをまともに答えようともしない,こんな人が率いる小池新党がどのようなポリシーをもった政党かは推してしるべきしだろう。(引用終わり)

 さて,小池百合子が2017年9月29日の都知事記者会見のときでは,調子に乗って,つぎのように解釈される発言を放っていた。

 安倍政権打倒の先頭に立つはずの希望の星,改革の旗手が一転,リベラル派の「大量虐殺」に手を下す「詐欺師」に豹変したのでは,国民にこんな疑念が浮かんだきっかけは,〔2017年〕9月29日の都知事会見だったことだろう。  
 「前原代表を騙したのか,(それともリベラル派排除のために,前原氏と)共謀したのか」との私の質問に対し,小池百合子都知事(希望の党代表)が笑みを浮かべながら「排除します」と断言したときのことだ。

 註記) https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53285 

「排除します」

 これ以降,小池百合子率いる「希望の党」は一気に信頼性をうしない,落ちこんでいった。ウィキペディアに「希望の党」はこう解説されている。

 2017年9月25日,〔小池百合子〕みずからが代表となる新党「希望の党」の結成を発表し,同日に総務大臣あてに「希望の党」の設立を届け出て受理された。第48回衆議院議員総選挙では民進党との合流を決断。

 民進党議員の公認を希望の党で受け入れるかたちとなったが,『全員を受け入れるつもりはない』という小池の発言が民進党の一部議員の反発を招き,立憲民主党の結党へとつながる。

 野党が2分された結果,自民党に大敗し,野党第一党の座も立憲民主党に奪われた。この結果に党内の求心力は低下し,11月14日に代表を辞任した。11月20日,後任代表の玉木雄一郎の要請で特別顧問に就任した。

 その後,野党再編のあり方をめぐり希望の党が分裂。分党措置により保守系議員らが新たに結成した希望の党から特別顧問就任を打診されたものの固辞し,国政からは距離を置くことを表明した。

 この小池百合子の「政治家としての経歴」は,悪い意味での「渡り鳥的な性分」をよく物語っている。現状のごとき「日本国における衆愚の政治」のなかでは,最初の一瞬はこの “政治屋の女” によく食いついてきた庶民たちであるが,すぐに飽きた。

 日本の政治をいっそう悪くするための機能を,遺憾なく発揮してきた政治家として,この小池百合子は安倍晋三君に比較してよい要素をもっていた。その悪さに格(?)の格段の差はあれ,である。

 補注)2020年7月5日の投票日となっていた都知事選で,小池百合子は再選された。都民たちの,この都知事の本性などみぬけない状態での,それもミーハー的な衆愚の投票行動の結果が,今回も正直に出来していた。これもまた民主主義の正直な現象のひとつであった。

 補注の補注)2024年7月初旬に予定されている東京都知事選にはたして,小池百合子が出馬できるかどうか見物である。

 

 ※-6平成天皇にくらべてスケスケにみえていた小池百合子の政治家として劣情的な資性 

 『日本経済新聞』朝刊に連載されていた解説記事のうち,「平成の天皇と皇后30年の歩み(18) 2011年~20年 韓国との『ゆかり』思う 個人同士の交流に希望」(2018年8月25日38面「社会1」)に描写されていた,天皇明仁の韓国に対する友好・善隣志向の基本姿勢に比較すると明白になるのが,小池百合子の「隣国関連問題」に関した立ち位置であった。

 それは,異様に発出されている差別的な基盤を示唆していた。それどころか,故意に反目を志向する基本姿勢が問題として,当初から含意されていた。この問題点はこの記事を読んでみれば,よく汲みとることができるはずである。

 日韓間の国際政治史には,いまはもう,それをしる日本人は少数派だろうが,こういう史実が記録されていた。

 戦前,朝鮮の「李王朝」最後の皇太子に嫁いだ日本の女性皇族がいた。香淳皇后のいとこにあたる李(旧名・梨本宮)方子(まさこ)さん。1989年4月に87歳で亡くなった。日本の朝鮮支配のためのいわゆる政略結婚だった。本人がしらぬうちに婚約が決まった,と述懐している。戦後の韓国社会で,障害者福祉に情熱を傾けた。

 晩年,日本の病院で入退院を繰り返したが,「運命だから韓国で死にたい」と望んだ。ソウル市での葬儀に,天皇,皇后両陛下は弔花を届けられた。日本と朝鮮半島をめぐる悲話のひとつだ。陛下にとっては,縁者の生涯を通じてしる,近現代史のひとこまである。

 1990年5月。盧 泰愚韓国大統領が国賓として来日したさい,陛下は,宮中晩さん会で「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に,貴国の人々が味わわれた苦しみを思い,私は痛惜の念を禁じえません」とあいさつされた。一方,大統領は,「韓国国民はいつまでも過去に束縛されていることはできません」と応じた。

 未来志向と,歴史問題に根ざす対立。政府は1986年,昭和天皇の名代として当時の皇太子(いまの天皇陛下)の訪韓を計画した。が,皇太子妃美智子さまのご病気などさまざまな事情で中止を決定。それ以来,実現の見通しは立っていない。

 2002年(同14年)の日韓共催サッカー・ワールドカップ(W杯)は融和への糸口になることが期待された。W杯開催を控えた2001年12月。誕生日の会見で陛下はこんな発言をされた。

 「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています」と。

 仏教を軸とした文化交流の歴史に触れつつ,「ワールドカップを控え,両国民の交流が盛んになってきていますが,それが良い方向に向かうためには,両国の人びとが,それぞれの国が歩んできた道を,個々の出来事において正確にしることに努め,個人個人として,たがいの立場を理解していくことが大切と考えます」と結ばれた。

 「個人」という立場に力点を置かれた。国と国との交流にはさまざまなレベルがある。国家間の外交。民間企業によるビジネス。個人同士の草の根の交流……。とりわけ,自律した個人として過去を学び,相互理解を深める姿勢が両国の未来志向の前提である,とのメッセージだろうか。

 2007年1月。両陛下は,東京・JR新大久保駅で,線路に転落した人を助けようとして電車にはねられ,26歳の若さで死亡した韓国人留学生,李 秀賢さんを題材にした日韓合作映画を鑑賞された。上映後,両陛下は李さんの両親と懇談。「命を落とされて残念です」などと親しく言葉を交わされた。

 今年1月,李さんの命日に訪日し,新大久保駅で献花を終えた父親の盛大さんを取材した。「息子は韓日の懸け橋となるべく日本語を学んでいました。両国の関係が改善するよう切に願っています」と穏やかに語った。陛下が希望を託された「個人としての相互理解」とは,このことなのだろう。

 さて,関東大震災時に朝鮮人などに対する虐殺がなかったなどと,その点を堂々と公刊する本のなかで主張できる,それも「完全に嘘である説明」をともなった内容で唱えるのは,『狂気の精神』がなせる業だと受けとるほかない。だが,「自分たちがそう思いたい・解釈しておきたい虚構」が「本当の事実でない」ことは,あまりにも明白であった。

 ここでは,最近刊行されたつぎの2作を紹介しておく。前段に言及した工藤美代子・加藤康男夫婦は,この2著を全面否定できる論旨を明示すべきであるが,100%無理難題である。

 仮に,日本には「原爆が投下されなかった」などと,まかり間違えてアメリカ人がいったりしたら,日本人側ではどのような反応を示すか? 

 ★-1 西崎雅夫編『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』筑摩書房(ちくま文庫),2018年8月。

 ★-2 西崎雅夫編著『関東大震災朝鮮人虐殺の記録-東京地区別1100の証言-』現代書館,2016年9月。

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