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ドイツ・ナチス期「戦時・ゴットル経済生活論」から敗戦後「平時・経営生活論」へと隠密なる解脱を図った「経営哲学論の構想」はひそかに「ゴットルの名」を消していた(1)

 ※-0「冒頭での前論」-本稿の意図はなにをとりあげ討究するのか-

 a) 本稿の記述は優に1冊の著書を構成する分量になっていた。いつも長文癖のある本ブログ筆者の文章とはいえ,本日からしばらく連続ものとしてだが,あらためて公表していくこの論稿の意図は,いささかまわりくどい表現となるが,つぎのように説明してみたい。

 ある経営学者が「経営学における経営哲学の構想」を試みた。さて,この自説の足場造りにおいては《特定の蹉跌》を確かに味わっていたはずであった。ところが,その社会科学の立場・思想から観るに「きわめて肝要なる問題性」が,なぜかひそかに封印され密閉した状態になっていた。

 だから,事後における自説の理論は,その問題の部分を除外しえたかっこうでもって,それでも,あたかも持続可能であったかのように振るまってきた。

 いいかえれば,学究であれば回避できないはずの基本作業だと,誰しもが躊躇なく共通してみなすほかなかった,自説「理論の発想と展開」において必然的にも随伴したその問題性であったゆえ,この論点=難関の事後処理というかその後始末を回避しただけでなく,その種の事実じたいを棚上げした状態で,いままですでに20年近くの時が経過した。

 ということで現在までも依然,その秘匿・維持された体裁で放置してきた「自説の一部崩壊現象」,これをさらに詰めていえば,自説の理論構成「全体」において,その「部分」じたいが,いうまでもなく非常に重要かつ不可欠で決定的な位置を占めていた点,具体的にいえば,「自説理論の枠内では有機的に枢要な部品」を提供していたその「学問上の基幹(部分)」が,撤去というか撤回されていた事実は,そのまま放置できない,みのがしがたい記録になっていた。

 本稿は,そのようにして,ある著作のなかからいつの間にか全面的に放逐されていた事実の一例,簡明にいえば,いまとなっていてもけっして座視しえない,その,いわば「ほっかむり状態にされてきた〈操作の事実〉」に注目する議論を試み,批判的な考察をくわえることになる。

 b) 経済学史分野においては基礎的な素養のひとつとして,ドイツの学史的な事情に関したつぎのような「潮流としての分流」があった。

 歴史学派経済学者クニース(Karl Gustav Adolf Knies,1821年3月29日-1898年8月3日)の有機体論の影響が強かったドイツにおける学風の問題でがあった。

 すなわち,個人は自由意志をもつとしたクニースの主張が,ゴットル‐オットリリエンフェルト(Friedrich von Gottl-Ottlilienfeld,1868年11月13日-1958年10月19日)の主唱に移ると,その影をひそめたかっこうになり,個人は超越的な有機体=社会構成体に従属するとされた。

 個人主義,自由主義を排撃したゴットルの全体主義的な経済理論は,ナチの社会観と合致し,実際彼はナチの時代に重用された

 さて,本稿全体がとりあげ批判的に吟味するのは,小笠原英司『経営哲学研究序説-経営学的経営哲学の構想-』(文眞堂,2004年11月)という著作である。

 本稿全体において基本となる問題意識は,「なぜ歴史は繰りかえされようとしているのか?」という疑問点をめぐり,同書の一見「新しさのなかの旧さ」に関した批判的分析となる。

 なお,小笠原英司自身はこのような自説の発想,理論体系の試みに対して全面的な批判が繰り出された,しかも,根柢から徹底的に対決するがごとき迫ってきた試図に,戸惑いをみせていた。

 ところが,こうした「批判的検討」を特別視(多分「邪視」)することで,「自説への論迫の意味」を希薄化させ,できれば「排除しつつ否定もしておこう」と意図した,いうなれば「遁辞」をもちだしていた。とはいえ,その付近の応答ぶりに関しては,それじたいが「説得性ある発言」として,具体的に開陳されたわけではなかった。ただ,そうした意向そのものが伝播させられてきた程度に過ぎなかった。

 ところで,グンナー・ミュルダール,山田雄三・佐藤隆三訳『経済学説と政治的要素 増補改訂版』春秋社(初版1967年),1983年の末尾に寄せられた山田雄三「解題」は,つぎのような注意点に触れていた。

 価値と事実とを無造作に混同し,自然法的もしくは功利主義的な裏づけによって,規範的事実を示すような基礎原理なるものを固執したところの経済学的思考は,どこまでも批判されなければならない。そのことは,本書のように,とくに学説的展開を反省するという形でやるのが有効である。学説的発展の反省がないところでは,同じ過ちがくりかえされ,現に新古典派や近代理論にも多分に自然法的・功利主義的な残渣が残っている(同書,355-356頁)。

ミュルダール『経済学説と政治的要素 増補改訂版』山田「解題」

 なお,本稿は2005年3月に一度正式に公表されていたが,その後,2005年の5月19日,6月30日,7月10日,2006年の8月27日,10月5日などの期日に,とくにこの冒頭段落での加筆をおこなっていた。

 それらは本文じたい(次回以降に公表していく部分)にじかに手を入れると,当初執筆した意図に対して記述全体の流れにそぐわないきらいが生じるおそれがあると考え,こちら,最初のほうの段落にすべて増殖させる形式で挿入することにした。

 ◆ 冒頭「補述,その1」(2005年5月19日,6月30日 加筆)

 批判を侮辱とは思わず,学習と成長の糧だと考えて歓迎するようにと教育されてきた。これも,試行錯誤をつうじて学び,つねに仮説に検討をくわえ,欠陥を探し,思考を練りあげ,再び検討をくわえて欠陥を探せとする,K・ポパーの考えと符合した。註記1)

 批判〔なる行為〕は,自己をして,単なる「後継者や追随者たる」……,いわゆる “世論” “その他大勢” の1人,すなわち亜流として,満足しえず,ときに「伝統からの離反……通説から離反する」どころか,

 「伝統に対する……攻撃」〔もちろん,そこには伝統についての学習,知識を前提とするが〕,さらには「論争」さえあえて意に介さない〈特別の個人〉においてのみ可能な〈特別な行為〉といわねばならない。註記2)

 あえて断わっておくが,本稿の筆者は,いかなる反論・批判であろうとも,学問・理論・思想的な性格を基本的に有するものであれば事後,可能なかぎり議論:対話をする用意がある。

 学史の基準となる原理論そのものが,歴史の試練を浴びつつその客観性を維持してきたものであるとしても,……ある認識の深まりを受けて訂正され変化してゆく可能性を絶えず秘めている……。

 そして理論を継承しながら,歴史のなかに生きつつその理論を絶えず吟味し検証してゆく仕事は,経済学者の果たさなければならない主体的な課題でなければならない。註記3)

註記3)

 ところで,本稿が考察の対象にとりあげた『経営哲学研究序説-経営学的経営哲学の構想-』2004年の著者小笠原英司は,広い意味での経済科学者の1人である。

 註記1)マイケル・T・カウフマン,金子宣子訳『ソロス』ダイヤモンド社,2004年,114頁。

 註記2)川田俊昭「経済学説史の方法-経済学の現状についての批判と展望のための(3)」,長崎大学『経営と経済』第62巻第2号,1982年9月,104頁。

 註記3)櫻井 毅『経済学史研究の課題』御茶の水書房,2004年,28頁。

註記)

 ◆ 冒頭「補述,その2」(2005年7月10日 加筆)

 2005年7月9日東洋大学で,経営哲学学会関東部会が開催された。同部会のプログラムは,「2名による研究報告」と「1題のシンポジウム」をもって構成されていた。

 後者のシンポジウムはとくに,同日16時から18時まで2時間を充て,報告者小笠原英司氏(明治大学)の「『経営哲学研究序説』について」という設題のもと,同氏の発表とこれをもとにする議論が交わされた。

 本稿の記述,「経営学における経営哲学の構想」の筆者は,そのシンポジウムにおける「小笠原氏の研究報告」について,つぎのような「事後の感想」を記しておく必要があった。

 a) 筆者の本稿「経営学における経営哲学の構想」の抜刷は当然,小笠原氏には事前に進呈してあり,同氏からは,丁寧な返事〔書状〕も拝受していた。

 しかし,今回の学会発表「シンポジウム」における小笠原氏の発表内容は,筆者の同稿「経営学における経営哲学の構想」が提示していた「批判的議論」をいっさい無視し,棚上げするものであった。

 筆者はそれでも,そうした「不可思議な現象:事実そのもの」を理解しようとする気持は,いちおうもちあわせているつもりである。

 今回〔とは,ここでは2005年7月9日のことだが〕の「学会発表:シンポジウム,小笠原英司氏報告」は,小笠原英司著『経営哲学研究序説』(文眞堂,2004年11月)の出版記念祝賀会の性格を有してもいた。

 b) 筆者が当時書いた「経営学における経営哲学の構想」という論稿は,その著作『経営哲学研究序説』に関して,詳細に議論をおこない,徹底的に分析し,根源的に批判をくわえ,小笠原氏の,ゴットル「経済科学」論や山本安次郎「経営学説」の理解に対する《基本的な疑問》を提示した。

 だが小笠原氏は爾来,筆者の同稿を,等閑に付してきた。

 思うに,今回のシンポジウム形式による「研究発表」報告にそのような姿勢で臨んだ小笠原氏の立場には,重大な疑念が生起されて当然であった。

 もっとも,小笠原氏自身の研究生活における「本格的な著作」,この「処女作の公刊実現」に水を差すかのような発言(?)を控えることは,斯学会(斯学界)に所属・生息する仲間としてひとまず,紳士‐淑女的な振舞でありうるかもしれない。

 c) ともかく,筆者の「本稿」抜刷は前述のように,小笠原氏が研究発表報告をする数カ月も以前の段階において進呈済みであった。だが,今回の「シンポジウム」で発表した小笠原氏は,その存在に一言も触れていない。あえて黙殺したかのような態度であった。

 前記,経営哲学学会関東部会「シンポジウム:当日」に準備され,配付された小笠原氏のレジメ「経営学と経営哲学-拙著『経営哲学研究序説』をめぐって-」は,末尾の参考文献のなかに,

 ■ 村田晴夫「小笠原英司著『経営哲学研究序説-経営学的経営哲学の構想-』」『桃山学院大学経済経営論集』第46巻第3号,2004年12月,

 ■ 佐々木恒男「小笠原英司著『経営哲学研究序説-経営学的経営哲学の構想-』」『青森公立大学経営経済学研究』第10巻第2号,2005年3月

を含んでいたが,筆者の「本稿:経営学における経営哲学の構想」はみいだせなかった。

 d) 筆者の「本稿」が,今回の研究発表報告においてその参考文献に挙げられなかった点は,つぎの2様〔=いくらかは極論的にもなるが〕のいずれかに解釈可能であった。

  ① 筆者の「本稿」は,小笠原英司『経営哲学研究序説』の研究展開にとって,まったく意味のない批判を与えていた。

  ② 筆者の「本稿」は,小笠原英司『経営哲学研究序説』の研究展開にとって,重大かつ決定的な批判を与えていた。

 むろん,① と ② の中間領域も想定しておく余地も否定はしないけれども,今回のシンポジウムにおける小笠原氏の対応は基本的に,筆者の「本稿」の存在を「出席者たちに対して絶対にしらせようとはしない態度」を採っていた。このことについていえば,みのがせないある種の問題性が示唆されることは,あまりにも当然であって,この点はいちいちこまかく説明する余地もあるまい。

 なぜなら,小笠原氏は前段にも指摘してあったように,村田晴夫氏および佐々木恒男氏が著わした「書評」(2004年12月および2005年3月)は,きちんと紹介していたのにもかかわらず,なぜか,筆者の「本稿」2005年3月だけは無視し,参考文献に挙げていなかった。

 e) 筆者は,私信の次元では小笠原氏より丁寧な礼状を拝受している。このことじたい,ありがたく感じている。とはいえ,あくまで学問・理論上の交流であるからには,単なる私的なやりとりに問題を閉塞させ,「学術的な相互間の議論=批判的な応酬」を打ち切りにしてよかったはずはない。

 私信中のことなのでその具体的な文節を紹介することはできないが,筆者の「本稿」の批判を,小笠原氏は「理解できるつもり」と答えていた。しかしながら,筆者は現段階(2024年7月)まで,その理解に関連する具体的な反論をもらえたことはなかった。

 いずれにせよ小笠原氏は,今回(ここでは2005年7月9日,東洋大学)の学会発表の場で,自身が「理解できるつもり」だと述べた「小笠原著作」に対する「筆者の批判」を,とりあげることは,一言たりとてなかった。

 以後においても,筆者に対する氏の反批判が具体的に返されることも,いっさいなかったことは,前述した。これから時間をかけてその時期が到来することを待つ余地が全然ないとはいえない。しかしながら小笠原氏は,事態をこのままに終息・終焉させる「つもり」だ,と受けとるほかないかもしれない。

 以上の説明は,本日:2024年7月29日における所感として,そのまま継続するものである。

 しかし小笠原氏は,今後につづく自身の研究に関して,さらなる展開を意欲していることを表明していた。けれども,本日の時点(ここでは2005年7月10日のこと)で思うに,結局,筆者の批判を回避した学問を進展させてきた「つもり」だったのか?

 それでははたして,学術的な交際作法に関して疑念が残ることになっていなかったか? 

 f) 今回部会(2005年7月9日)の出席者のなかにはすでに,筆者のこの本稿「経営学における経営哲学の構想」を閲覧してくれていた会員もいる。「問題のありか:核心」も認識してもらえていた。

 その会員のなかには,この記述のなかで本ブログ筆者が強調している問題点に関してだが,「小笠原英司先生は本ブログ筆者から差しむけられた批判点のうち,ゴットル経済科学論の部分は排除した〈発表〉をおこなっていましたね」と,その部会のあとに設けられていた懇親会の場で「そっとそばに来てささやいてくれた」人もいた。

 その人の氏名はいわないことにするが,英字のイニシャルはI・Mさんであり以前,日本大学の経済学部に勤務していた人である。

 それゆえ,小笠原氏が学会発表の場で,筆者の本稿を「個人的に無視しえた」としても,それは無意味な行為である。みかたによっては意図的に「〈学術的なエチケット〉をないがしろにした応答」だと非難される覚悟も必要である。

 ◆「冒頭:補述,その3」(2006年8月27日 加筆)

 磯前順一『近代日本の宗教言説とその系譜-宗教・国家・神道-』(岩波書店,2003年)は,宗教学における学問動向について,つぎのような発言をしていた。

 a) 「今日における歴史研究」が人々に訴える力を回復するためには,それにまとわりつかざるをえない「複合的で不明瞭な構造性」を認めたうえで,歴史的主体の構築と分析をどのようにおこなうかが問われている。私たちのうちには,その複層性を否認して,特定の言説に同一化しようとする主体の単一化欲求が根強くみられる。

 b) 研究者の例でいえば,自分の帰属する学閥や学会あるいはジャーナリズムの支配的言説に同化することで,そうした「複層性への不安」を封じこめようとする主体の単一化欲求が根強くみられる。

 c) 「他の言説から遮断された認識の枠組」のなかで,史料や解釈に携わる方法をもって,安定した世界像と一定の社会的地位を手に入れることが可能になる。研究者の業界にかかわる者であれば,誰しもこのような光景は,ウンザリするほど目の当たりにしている。

 d) だが,私たちが単なる技術者でないのならば,諸言説が内閉しないように,その構成原理や社会的性質を他に向けて顕現させてゆく努力が求められる。そのためには,研究者は「自分が歴史的に制約されている」ことを自覚したうえで,そうであるからこそ,

 アイデンティティが固着化することを拒み,さまざまな言説を自分の内部で衝突させ,みずからの「主体構成を絶えず揺り動かして」みせなければならない。それは同時に,個人の内側にひそむ「諸言説の葛藤」を表出させることで,社会の支配的言説を対象化する試みともなるはずである。 註記1) 

 本稿,「経営学における経営哲学の構想」は,以上の磯前順一の指摘に賛意を表する。その内容を,小笠原英司のばあいに当てはめ,具体的に考えてみたい。

 まず,a) b) の現実は,当人が他者との学問的な対話を拒否し,回避する姿勢をとりつづけるかぎり,その問題性を超克することは,理の必然というか,不可能になる。

 つぎに,c) の「ウンザリする光景」は,斯学関係の諸学会においていえばその多数派が織りなす〈光景〉でもある。それゆえ,磯前順一のように突きはなして観察し,「ウンザリする」と明確に意思表示できない人たちのほうが,現実には多数派であるから,この付近の様子を観察するさいには〈要らぬ配慮〉が,どうしても必要となる場合も生じる。

 さらに,d) のように,研究者がそもそも「自分が歴史的に制約されている」ことすら意識できておらず(というのは要するに文献の渉猟が不足していたがゆえのそれだが),したがって,自身の立場が固着化している現象に気づくこともないとなれば,自説・持論の相対化・対象化を試みる必要も感じないで,ふだんの研究生活を過ごしていたことになる。

 それだけでなく,以上のごときにきびしく指摘された批判点そのものすらを,十全に理解しようとする姿勢を採れないという事態が生まれていたのであれば,これでは「学問・研究の発展」が期待しにくくなる。

 いままで「経営哲学」を大学で講じてきた経営学者小笠原英司は,還暦にも近づく年齢になったころ,その集大成ともいうべき著作『経営哲学研究序説』(文眞堂,2004年11月)を刊行したのである。

 本ブログ筆者が,それへの書評というにはあまりも長文の,しかも「遠慮なしの批判論稿」を執筆・公表し,学問的対話を求めた。

 しかし,小笠原の対応はきわめて消極的であり,経営哲学学会の内輪でしか通用しないかのごとき姿勢を示すにとどまった。

 筆者がこの「補述,その3」を執筆している2006年8月下旬における時勢を問えば,小笠原英司流「経営哲学」論の危うさが,まさに徐々に証明していくような時代の潮流,思想の変化が起こされていた。

 これがさらに最近(ここでは2024年7月下旬時点)におけるこの日本の「政治経済,産業社会,企業経営の基調」,いいかえれば「政治思潮の反動化⇔産業動向の競争激化⇔会社企業の格差化」を踏まえていうとしたら,いうところの「経営哲学」論はとても大事な学問の一部門たりうるはずであった。

 前段のごとき時代の潮流に関した指摘は,安倍晋三の第2次政権が発足した2010年代から,いよいよ本格的にその姿容を現出させてきた時代の特性として,すでに確認済みである。

 故・安倍晋三は「戦後レジームの脱却」といった標語をかかげていたが,現在の日本国はその彼の志向そのものが腸捻転的なのであれば実現させえたかもしれない事実となって,しかも,在日米軍基地によって首根っこを抑えられているような,つまり,実質的な宗主国であるU.S.A. の日本総督府(在日アメリカ大使館のこと)が,この国の進路を水先案内しているがごとき国内事情によっても,明白に観てとれるものであった。

 「戦争を知らない世代に生まれた社会科学者」だからといって,戦争という不幸で残酷な状況に直接放りこまれなければ,実際にその悲惨と不条理に気づかないというでは,研究者としての理性・理性の立場からだけでなく,感性のもちかたとしてまで疑われるほかない。

 最近では(ここでは2006年ころの話題だが),アメリカが一国覇権主義による世界支配を拡大・強化させようとしており,日本の自衛隊もまきこんでイラク戦争をおこなってきた。経営学者も,その実相を,自分自身に少しでも引きつけて想像してみればよい。

 「戦争の問題は〈経営=商売〔ビジネス:金儲け〕〉に直結する問題」でもある。イラク戦争では民間軍事会社の話題が,経営学の研究領域でも観過しがたい「戦争商人(死の商人の新類型)」の問題となって,具体的に浮上していた。

 小笠原英司『経営哲学研究序説-経営学的経営哲学の構想-』は,過去の戦争が深く大きく遺した「傷跡」,いわばその「道路〔=戦乱〕の轍」に嵌っていたにもかかわらず,そこから抜け出せていない「自身の発想と立論」のありように,自覚できていなかった。

 辺見 庸『いまここに在ることの恥』(毎日新聞社,2006年)は,こう喝破していたが,前段のとおりの立場だったとしたら,つぎのごとき辺見の警告はよく聞き取れなかったのかもしれない。「日本にはもうファシズムはこないよ。なんというなら,すでにファシズムだからだ」 註記2)

 そのファシズムなりの21世紀的な実現の追求に向けて,現在の自民党と公明党の野合政権は着実にその歩を進めてきた。

 日本の経営学は過去,「戦時体制期のファシズム」を体験してきた。同じような体験をまたもや,性懲りもなく重ねていくつもりなのか? それとも,当時とは別様な学問的展開をしていく覚悟があるのか?

 筆者が小笠原英司『経営哲学研究序説-経営学的経営哲学の構想-』に対して危惧するのは,「この道はいつかきた道」〔にしらずしてそのぬかるみに〕足を取られるのではないかという点であった。

 当初,その本が2004年に発刊された時点で感じとれていた「時代の危機感」は,それから20年が経った現在,まさにジョージ・オーウェル『1984年』の予告として,再び実現されつつある。

 筆者の本稿「経営学における経営哲学の構想」の本文は,たいへん長文の論稿である。これから明日以降も連続して分割記述していくことになる。

 註記1)磯前順一『近代日本の宗教言説とその系譜-宗教・国家・神道-』岩波書店,2003年,253頁。

 註記2)辺見 庸『いまここに在ることの恥』毎日新聞社,2006年,94頁。

註記)

 ◆「冒頭:補述,その4」(2006年10月5日 加筆)

 2006年8月31日に経営哲学学会が発行した『経営哲学(Journal of Management Philosophy) 』第3巻が届いたときで,早速これに目を通してみた。

 同誌は横2段組,しかも小さい活字で組まれているが,そこには,藤井一弘「書評 小笠原英司『経営哲学研究序説-経営学的経営哲学の構想-』」が投稿されていた。四百字詰で60枚相当の分量になる「書評」論稿であった。

 同稿末尾の註記12には,筆者の論稿「小笠原英司『経営哲学研究序説-経営学的経営哲学の構想-』に関する批判的分析:「新しさのなかの旧さ」, なぜ歴史は繰りかえされようとしているのか?-」に触れた記述があった。

 評者は,書評本文に述べたような意味において,現代の経営体へのパースペクティヴとして「山本経営学」を非常に重要な意義をもつものと考えているが,その体系が,どのような歴史的・社会的コンテクストのもとに形作られ,それゆえにどのような歴史的・社会的制約を有するのかという観点からは,当然,別様の評価もある。

 それについては,たとえば(本ブログ筆者,2005)を参照されたい。なお,同論文は,小笠原の著作の書評という性格も有しており,その点でも非常に重要な指摘を含んでいる,と評者は考えるものである。

 註記)註記)経営哲学学会『経営哲学』第3巻,2006年8月,104頁。「本ブログ筆者」の個所だけは表現を変えてある。

藤井一弘「書評」

 小笠原英司『経営哲学研究序説』2004年11月に対しては,いくつかの書評や論稿が与えられており,また個人的なやりとりによる学術的な議論も投じられていた(たとえば,中部大学・辻村宏和から)。

 小笠原がせっかくもらえたこれらの議論に答えないという手はない。ここで議論を返さないのであれば,彼はそのなかで他者の批判があっても,これを甘受・黙認したものとみなされるほかない。

 とりわけ,自身の学問の発展,そのさらなる飛躍を期待するのであれば,同学の士から与えられた分析・批評に対していまだに答えていない姿勢は,みようによっては「山登りに挑戦しない登山家」のようではないか,とさえいいたくもなる。 

 以上のごとき「前論」の段落を終えたところで,本稿「経営学における経営哲学の構想」の本文に進みたいが,期日をあらためて公表しなおすことになる。

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本ブログ内参考記述】

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【付記】 本稿の続編のリンク先・住所。

  ⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/nebf1af9c37ed


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