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畑村洋太郎『失敗学』の視座から原発事故を分析する問題(3)

 「本稿(3)」は,畑村洋太郎が創設した『失敗学』という学問の見地から,原発事故を予防するための構想--方法論や具体策--が提供できるのかという論点を,あらためて重ねて批判的に考察する。

 #失敗学  #畑村洋太郎  #原発事故  #安全神話  #再稼働  #岸田文雄  

 2022年7月8日,安倍晋三元首相が街頭演説中に狙撃され死亡する事件が起きた。この殺人事件を契機に自民党極右政権はかえって,民主主義を真っ向から否定する19世紀的な政治イデオロギーを昂揚させている。

 いま,日本の『政治はデタラメのし放題となり,経済はいい加減に運営され,社会は意気消沈を放置する』ような実態に追いこまれてきた。これでは,今後に向けて明るい展望がもてない。

 そんな日本に誰がしたかといえば,「こんな人」=安倍晋三とその政権のしわざであった。もっとも,自民党政権をはびこさせる結果をもたらした「選挙・投票をしてきた」国民たちも,一部の責任がないとはいえない。

 ※-1 「〈ウクライナ侵攻〉 チェルノブイリ原発,露軍占拠(その1)職員 『このままでは福島のように』『安全』巡り応酬8時間」『毎日新聞』2022年7月16日朝刊1面は

 前文の段落をつぎのように書いていた。

 ウクライナ北部のチェルノブイリ原発が〔2022年〕2~3月,侵攻してきたロシア軍に占拠され,世界中に衝撃が走った。当時,内部で勤務していた原発職員で警備部門責任者のワレリー・セメニョフさん(47歳)が毎日新聞の取材に応じ,36日にわたるロシア側との緊迫したやりとりを証言した。

 「このままでは福島のようなことが起きるぞ」。セメニョフさんは日本の原発事故の例も挙げ,ロシア側に安全確保を求めたという。
 
 チェルノブイリ(チョルノービリ)原発は,ウクライナでも首都のキーウに近い場所,しかもロシアとも近接した場所に立地している。1986年4月26日,この原発のうち4号機が大爆発事故を起こした。

 その時発生した被害は,「原子力をあつかう施設で起きたトラブルは0~7まで8段階に分類される最高の「7」であった。

国際原子力事故評価尺度

  なお,2011年3月11日に発生した東電福島第1原発事故も,同じこの「7」であった。この旧ソ連と日本において2度にわたる原発大事故は,原子力を燃料に焚く電力生産方法がいかに危険に満ちているかを,イヤというほどわれわれに教えた。

 もしも今後,その3度目となる大事故が起きた時,人類・人間たちはどのような反応を示すことになるのか,いまから心配ばかりが多い関心事である。

 「プーチンのロシア」が2022年2月24日,ウクライナへの侵略戦争を開始したが,ただちに(せいぜい48時間くらいで)首都のキーウ(以前はキエフと表記)近郊を一気に制圧してしまい,数週間もあれば,全国を「ロシアのプーチン」の支配下に置く予定(日程・作戦)を組んでいたらしい。

 だが,ウクライナの抗戦が粘り強く展開されており,いまだに両国の戦争状態は続いている。この記述の関心でいえば問題は,ウクライナは電力の50%を超えて原発に依存している現状にあった。

 「ロシアのプーチン」は戦術的に当然,原発も掌中に治めておく戦略を立てていたが,その間,チェルノブイリ原発からは3月31日に撤退していた。しかし,ウクライナ南部に立地するザポロジエ原発は,まだロシア軍の支配下に置かれている。

ザポロジエ原発


 ※-2 「露軍支配下のザポロジエ原発  攻撃される基地 整備」『毎日新聞』2022年7月16日朝刊3面

 a) この記事は「最後の段落」において「電力を『人質』として取ることは死活的な意味を持つとの見方」を指摘している。

『毎日新聞』2022年7月16日朝刊

 本来であれば,交戦相手国のインフラである発電所を,目標にし,攻撃をくわえ,破壊することは「戦争のやり方として合目的的である」。だが,この原発という発電装置・機械の物理・化学として有するきわだった特殊性が,従来のそうした戦争のやり方を変更させた。

 この『毎日新聞』2022年7月16日朝刊の7面「経済」には「〔岸田文雄〕首相『原発稼働』の狙いは 電力需給改善効果は限定的 政府主導で貢献アピールか 今冬めど最大9基」という記事が出ていた。

 こちらの記事はいってみれば,原発の稼働体制についての奇妙な発言をわざわざしていたゆえ,この岸田文雄首相のエネルギー「事情」観が疑われるだけであった。

 元来,この岸田文雄首相は「内政も外交も」そうであるが,自分の考え方や方針,やりたい政治を,国民側にまともに伝えられない人物であった。より正確にいえば,世襲政治屋3代目として独断先行が過ぎていた。

 岸田文雄君は,圧倒的な与党の国会勢力を笠に着て,ひたすら恣意に走る決めごとが多かった。そうした政治手法しかとりたててみるべき実質がないこの首相が実は,なにごとについても,よく勉強していない「世襲3代目の政治屋」だったという側面を,みずから暴露させてきた。

 ろくに勉強もしていない首相が「聞く力」を強調したところで,自分の耳に聞こえてくるあこれをに対して,まともな識別力を機能させうるわけもなかった。岸田文雄が「検討士」だとヤユされる一因は,あまねく「知識や情報」が貧困である自身の立場じたいをめぐり,みずからがまともに知覚できていないところにあった。

 b) 前段,『毎日新聞』2022年7月16日朝刊は3面に設けた「土記(do-ki)」と称する欄で,客員編集委員の青野由里が「原発事故の責任」という文章を書いて,岸田文雄首相の曖昧模糊的な原発観を,こう批判していた。

 安倍晋三元首相が熱心に取り組んだ科学技術政策はなんだっただろう。あってはならない事件〔安倍晋三元首相銃殺事件〕の衝撃のなかで思い返してみた。「これぞ」というものは浮かばなかったが,原子力政策では福島第1原発事故後の「原発回帰」にかじを切った印象が強い。

 (ここから大幅に中略)

 今週〔7月10日からの〕,岸田文雄首相は記者会見で,電力安定供給の名のもとに「できるかぎり多くの原発,この冬でいえば最大9基の稼働を進める」と唐突に述べた。「再稼働が円滑に進むよう審査効率化を着実に実施していく」とまでいっている。

 まるで福島の原発事故前に逆戻りしたように聞こえた。その結果,事故が起きたとして責任を負うことになるのは誰か。電力会社の経営陣は考えどころだと思う。

『毎日新聞』2022年7月16日朝刊。

 以上の点について本ブログは,岸田文雄のそのいいまわしのじれったさをも含めた「面妖ぶり」を批判するのに,『くろねこの短語』というブログから,つぎの的確な批評を紹介していた。昨日も借りた文章であるが,面白い中身なので再度紹介したい。

 「ヘタレ総理は,9基の原発再稼働も高らかに謳い上げましたとさ。でも,これって,すでに再稼働している原発を動かすといってるだけで,追加で9基本ってわけではないんだね。ヘタレ総理のお得意の『やってる感』アピールなわけだけど,原発再稼働を記者に質問されたわけでもないのに口にしたってことは,原子力村に配慮したってことなんでしょうね」。

 「自分を支持しない市民を『こんな人たち』呼ばわりしたカルト宗教の広告塔を『国葬』にするとは,とことん舐められたものだ!!」『くろねこの短語』2022年7月15日。

 岸田文雄が首相になってからというもの,その一国の最高指導者としての「幽霊ぶり加減」ばかりが,とても強く感じらる日々を,われわれは過ごしてきた。

 ここで話は本題, 『畑村洋太郎「失敗学」が失敗だった』のは,原発の問題までその構想:対象に組み入れようとしたからであった,というところに戻すことにしたい。

 畑村洋太郎がせっかく創造的に提唱していた「失敗学」は,どう考えても失敗を完全に防止しえない構想である。

 つまり,今後に起こるかもしれない「原発事故の失敗」にも学ぶ着想だとしたら,原発の大事故がまたもや「再発したとき」にさいしてもまた,「事後においてその失敗に学」ぶという「前後関係」が許されるというか,当然の前提に置かれていてよいのか,という疑問が生じる

 以上ごとき指摘を耳にした人は,畑村洋太郎の失敗学に対して,どうしてそのような「きつい冗談(?)をいえるのか」といった,素朴な疑問を抱くはずである。

 c)  本日,2023年3月2日の『毎日新聞』朝刊は面につぎの記事を掲載していた。解説記事であるが,「フランスや日本で,核燃料サイクルがゆきづまっている」と書いていた。

『毎日新聞』2023年3月2日朝刊

 プルトニウムとウランを混ぜた「MOX燃料」を繰り返し利用する技術が確立できないのだ」といってから,例の核燃料サイクルがいまだに不首尾・不成立のままである困難を解説していた。

 この記事が示唆するのは,どういう点か?

 プルトニウムという化学物質のもっともその用途してふさわしい舞台は,核兵器のなかに爆発する物質として利用される戦争の場面にしかなかった。

 「これまでの原爆史あるいは原発史」は,核燃料サイクルが依然うまく商用化段階にまで到達できないまま,半世紀以上もの時間が経過した現時点にあっても,「プルトニウムという化学物質」を残しつづけていくほかない原発に固有である「不可避の困難」を教示している。 

 ※-3 本日の議論の要点は,つぎのものである

 要点:1 原発は,地球で使える多くエネルギーとは基本的に異質:異物である「原子力のエネルギー」を利用するかぎり, そのあつかいでは『失敗が絶対に許されない本性(本質)』を有する

 要点:2 にもかかわらず,その原子力利用の「失敗の体験」(今後において発生するかもしれないそれ)も,研究対象に含めざるをえない「失敗学の発想」であったとするならば,そもそも構想の初めからすでに「失敗を予定したごとき失敗学」であったことになる 

 a) 緒 論
 本日の題目をより的確に表現するとしたら,『畑村洋太郎の「失敗学」が原発(事故の)問題にまで適用される誤謬』とでも名づけたらよいかもしれない。

 畑村の失敗学については,原発事故の問題(つまり「原発の失敗」のこと)にからめていうと,そもそもその学問構想じたいが初めから破綻していた点,いいかえれば,その提案じたいが成立不能であったとみなすほかない学問の方途であった点が確認されねばならない。

 「本稿(1)」2023年2月28日と「本稿(2)」3月1日の記述はさきに,そうした問題点を批判しつつ詳細に議論していた。

 上の2回の記述が,最初に執筆・公表されてから早8年ほどが経った。だが,畑村洋太郎がこうした批判がなされている事実を,まったくしらないでいたとは思えない。

 ただし,畑村の「失敗学」の構想を称賛する論調は,数多くみうけられた。けれども,「原発事故という失敗の問題」をその「失敗学のなかに投入して,この本質を問うた議論」はなかった。

 ネットの記事であったゆえ,誰かが彼に教えてくれている可能性もなきにしもあらずである。ともかく,当人が気づいて読んでくれないにしても,本ホームページの記述に関しては,ネット上につぎのような言及があった。つぎの ② の内容として紹介しておく。これは5年前の記述であった。

 ※-4「畑村洋太郎氏は信用できないタイプ」(『アラセブ1944の雑感・随想』

 (2017-07-19,https://reed4491.hatenadiary.org/entry/20170719/1500473697)

 福島原発事故の政府事故調査・検証員会の委員長を務めた畑村洋太郎氏のインタビュー記事を,毎日新聞の社会面(25面)で読んだ。一読して強い違和感を覚える内容。2017年7月1日の毎日新聞1面は東京電力福島第1原発事故の強制起訴裁判の初公判記事〔を報じていた〕。

 あいだに説明を入れる。『毎日新聞』におけるその当該記事は「東日本大震災 福島第1原発事故 東電旧経営陣初公判  菅 直人・元首相,畑村洋太郎・元政府事故調委員長の話」『毎日新聞』2017年7月1日大阪朝刊,https://mainichi.jp/articles/20170701/ddn/041/040/022000c であった。

 ここではたとえば,「福島事故。畑村洋太郎・元政府事故調委員長に聞く-『原発は外国から持ってきた技術,生みの苦しみを通っていない』」(聞き手;竹内敬二・エネルギー戦略研究所シニアフェロー『論座』2015年03月27日,https://webronza.asahi.com/science/articles/2015032600003.html)  も挙げられる。しかし,こちらでは質疑応答の筋とが読みとりにくかった。

〔記事に戻る→〕 畑村洋太郎氏は同日の社会面で,事故原因に関して3被告〔東電の元会長勝俣恒久被告,元副社長の武黒一郎被告,元副社長の武藤 栄被告〕を擁護して〔いわく〕,〔彼らに対する〕個人攻撃はよくない。事故からの学びが重要。と巧に論点をずらして被告を弁護している。
 注記)『朝日新聞』(asahi.com)2019年7月11日,https://www.nicovideo.jp/watch/sm33034509 参照。

 補注)「本稿(1)」2023年2月28日で触れたところだが,上記に氏名の出た3名に対しては最近,株主代表訴訟の結果が出ていた。この3名に対しては,「東電旧経営陣4人に13兆円の賠償命令 原発事故めぐる株主代表訴訟」『朝日新聞』2022年7月13日 15時07分,https://www.asahi.com/articles/ASQ7F3Q0DQ76UTIL03D.html  という東京地裁の判断が下されていた。

補注。

 前段のごとき,政府事故調委員長の立場にいた畑村洋太郎の意見に関しては,こう議論しておく。

 政府事故調のヒアリングを非公開にしておきながら,〔つまりこの〕3被告を擁護して〔畑村洋一郎がいうことには〕,誰か〔この3被告のこと〕を責めてガス抜きをするのではなく,事故を社会全体にどう生かすかという議論こそ必要だと主張していた。

 だが,ヒアリングを非公開にしたままでは,具体的な事実が世間には分からないし,一般のあいだでまともな議論などできなくさせた。

 この『毎日新聞』のインタビュー記事の中身は,いたる箇所で欺瞞性を浮上じさせていた。毎日新聞でこの記事を担当した石山絵歩記者は,畑村洋太郎氏に説得されたかのように編集・構成していた。

 本ブログ筆者は,畑村洋太郎著『図解雑学 失敗学』(ナツメ社出版,2006年)を約13年前に購入していたが,斜め読みして本棚にしまってあった。そのころは,この著者が「そういうタイプの人間だ」とは,当時は気づかなかったが,今回,初めて分かった。

 この本の内容は,こういう主旨であった。

 失敗に学び,教訓を創造に生かし,大きな失敗も未然に防ごうと提唱する「失敗学」を,さまざまな事故・不祥事の分析をちりばめて解説。失敗の原因を10分類し,失敗情報の伝わり方や伝え方,創造への道筋などを示し「失敗文化」を変える必要を説く。

畑村洋太郎著『図解雑学 失敗学』

 以上,ある人が畑村洋太郎の「失敗学」に関して述べた「感想」を,なにかの参考になると思い,引照してみた。

 さて,つぎの※-5は,『朝日新聞』昨日(2019年8月21日)夕刊の記事に “畑村洋太郎のいいぶん” が登場していたので,これにあらためて聞くことにしよう。

 ※-5「〈時代の栞〉『失敗学のすすめ』2000年刊・畑村洋太郎  事故からなにを学ぶのか」『朝日新聞』2019年8月21日夕刊3面

 1) 責任の追及から教訓の共有へ
 その失敗の記憶は,40年ほど経っても鮮明だ。東大で産業機械工学を研究する助教授だった畑村洋太郎さん(78歳,当時)が学生と,リン青銅という金属を圧縮する実験をしたときのことだ。金属は変形し,破断。吹っ飛んだ破片は壁に跳ね返り,左耳をかすめた。「直撃すれば死んでいた。本当に腰が抜けた」。

 壊れ方を調べるなら圧縮せず引っ張ればよく,圧縮するなら飛散防止カバーをつけるべきだった。失敗から学ぶことの多さを痛感した。ただ,こうも思った。学生が負傷していたら自分は責任を問われただろうが,なんでもかんでも責任を問う発想でいいのか。失敗から改善策を学ぶほうが,より重要なはずだ。

 ここに引用した段落の意見は,※-4で指摘されていた〈問題点〉,それも畑村洋太郎「個人」の原発事故問題にもかかわるはずの,なにか特定の価値判断を匂わせるような発言である。

 だが,それにしても金属工学的な実験における体験と原発事故の実際の事故とが,はたして同じ次元で語られうるものなのか,この種の疑念が最初から浮上していた。

 畑村洋太郎いわく,さまざまな失敗談を学生に伝えるようになった。「自分の問題だと思って聞くから腑(ふ)に落ちていた」。経験をもとに,世にし知られた事故の分析もくわえて失敗に学ぶ本を書き,さらに一般向けに著したのが『失敗学のすすめ』〔講談社,2000年。文庫本 2005年〕だ。

 編集を担当した講談社の田中浩史さん(52歳)は「元気のない時代に,失敗を肯定的にとらえる発想が必要だと感じた」と語る。文庫と合わせて38万部が売れた。

 「失敗学」の考えにもとづき,畑村さんはみずから事故調査に乗り出す。2004年,東京・六本木ヒルズの大型自動回転ドアに6歳の男児が挟まれて亡くなった事故を受けた「ドアプロジェクト」だ。

 畑村さんはヒルズを運営する森ビルに主体的な原因究明を促したが,捜査を受ける立場の森ビル側にはためらいもあった。ならば第三者として企業や役所に縛られず,責任追及とも切り離し,ドアに潜む危険を科学的に調べよう。賛同した有志による「勝手連事故調」は,欧州で開発された回転ドアが日本向けモデルチェンジであり,重く危険になったことなどを明らかにした。

 畑村さんは森ビルとドアメーカー側に,動く状態でのドアの保存も提案。ドアは埼玉県の工場に移され,森ビルはドアが回る様子を社員がみて意見交換する研修を2006年に始めた。事故の物証を保存して再発防止に生かす取り組みは,この前後から日本航空や鉄道会社にも広がっている。

 「2列で止まってご利用ください!」。ヒルズ内のエスカレーターで今〔8〕月9日,小学生の声が響いた。森ビルの「安全・安心なエスカレーターの乗り方教室」の参加者だ。教室開催を決めた「安全会議」は回転ドア事故を受けてつくった部署横断の会議で,原則毎週開催。「問題点を『自分ごと』として解決する場」(中江川潤事務局長)と位置づけ,安全対策を話しあう。

 危険回避策の「発信」にも力を入れようと,畑村さんは2007年に「危険学プロジェクト」を始めた。組織に頼らず,有志が手弁当でさまざまな活動に取り組みつづけた。

 たとえば,絵本や冊子で子どもの事故防止に取り組むグループは,小学校で身の回りの危険を考えさせる授業を重ねてきた。リーダーの原 秀夫さん(73歳)は「子どもが『これは危ない』と実感し,みずから危険に気づく力をつけられるよう工夫しています」。

 プロジェクトの途中,東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が発生。畑村さんは原発事故を受けた政府の事故調査・検証委員会の委員長に請われて就いた。「再現実験をやらないと本当の理由はわからない」と訴えたが,予算も陣容も時間もなく諦めた。

 以上の紹介に関して,まず素朴な疑問が浮かぶ。規模を最小にできたとしても,どうやって原発事故の再現実験ができるのか?

 計量的にするシミュレーション実験を試すにしても,数値計算的にそれはおこなえるのか? このあたりが原発の問題に関しては,なお不詳のままである。

失敗学「経験の総量」

〔畑村洋太郎に戻る→〕 東電や国の姿勢を批判し,原因究明や被害調査の継続を求めた報告から7年。不安がある。「自分なりに調べ,しっかり語ったつもりだけど,どうも世の中に伝わっていない」。失敗から教訓を学び取ろうとしない「日本人の失敗文化」は,あれだけの犠牲を払っても変わらないのか。

 気になるのは南海トラフ巨大地震だ。発生確率は30年以内に70~80%とされる。「自分の周りでなにが起き,なにをしておけばいいかが十分考えられておらず,実行もされていない」。過去の教訓に目を背け,みたいところだけをみていないか。ずっと鳴らしてきた警鐘を,なお打ちつづける。〔畑村洋太郎の引用終わり〕

 ところで,南海トラフ巨大地震震度および「津波予想」は,地域によっては30メートルを超える超特大の津波まで押し寄せると,いまから確実に予測されている。この事実を踏まえてその該当する地方や地域が,現在の時点で「いったい,なにを,どのように対策として実行しえている」かといったところで,まだまだそれはこころもとない点を残している。

 南海トラフ巨大地震は,極論するまでもなく,今日や明日のいつであっても発生しておかしくない。それゆえ,もしもであっても実際に発生したときは,おそらく日本国全体が大混乱に陥るはずである。「3・11」の比などではない。桁違いの大惨事になる。それこそ,堺屋太一の「日本沈没」の到来である。

南海トラフ地震津波予想

 しかも,現在の国家最高指導者は岸田文雄(安倍晋三から菅 義偉を経て)であるが,この政治家としての人間的な信頼度でいったら曖昧模糊としており,いまのところだけで評価しても及第点はあげられない。その程度の「日本国の総理大臣」しか登場していない。

 この世襲政治屋は,有事発生に対峙させられたとき,下手をすると腰を抜かしたまま使いものにならない可能性もある。国民たちはいまから,そのことまで覚悟しておかねばならず,自分たちなりにそのときに備えた生存方法を準備しておく必要がある。

 南海トラフに代表される「巨大地震の災害発生時」は,安倍晋三政権時風の「忖度の政治」の感覚なども,なんの足しにもならない。地下の大ナマズ様は忖度の精神とは無縁である。

 実践的な緊急対応体制を十全に立案・準備したうえで,いざという時に即応的な行動を可能とするための具体的な対策を講じておかねばならない。そうでなければ,再び「巨大地震とその津波」が太平洋側沿岸一帯を襲ったときは,「日本沈没」からまともに逃れられない地域が無数発生する。

 中部電力の浜岡原発は,大津波が発生する事態に備えて防潮堤の高さを22メートルにまでかさ上げする工事を終えている。浜岡原発は1号機と2号機は廃炉になっており,3号機・4号機・5号機が稼働可能であるが,「3・11」が発生した翌年の2012年からは休止している。

 南海トラフ地震によって発生が予想される大津波から原発を守るためには,25メートル以上の防潮堤が必要かもしれない。もちろん海抜の高さであるが,浜岡原発の所在地には太平洋からもろに津波が押し寄せる立地条件にあった。

 さてところで,つぎの 2) ではあえて話題が変わるが,無理やりつなげる構成としたい。

 2)戦争でも向きあう機会失った,歴史学者・東大教授,加藤陽子さん(58歳,当時)
 さて,ここで紹介する記事は,前段※-4でとりあげた『毎日新聞』に掲載された畑村洋太郎「インタビュー記事」のとなりに配置されていたものであった。ここであわせて紹介しておくことにした。

 若干は,という理解でいっておくのだが,「歴史を回顧する観点」からすれば,畑村洋太郎から加藤陽子につながっていく確実な〈なにか〉があったと理解してみた。

 加藤陽子は,伊藤 隆という東大の有名な国粋的右派・保守系の教授の後任として,東大文学部(大学院人文社会系研究科)に迎えられた人物である。しかし加藤は,大学院で指導を受けたその伊藤(体制擁護・保守的歴史学者の重鎮)とは,ほぼ正反対の政治的視座に立っている。

 すなわち加藤陽子は,安倍晋三首相の歴史認識を批判し,特定秘密保護法に反対し,「安倍政権をとくに危険だ」とみなして集団的自衛権に反対する「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人となってもいた。

 のちの2020年,加藤陽子は日本学術会議の新会員候補に推薦されるものの,他の5名の候補とともに,内閣総理大臣菅 義偉によって任命を拒否されていた。伊藤 隆にいわせれば「瓢箪から駒」(!?)であったかもしれない。

 〔記事:加藤陽子の引用に戻る→〕 「なぜ戦争をしたのか,みずから追及し解明する努力を十分にしてきたか」。2015年,朝日新聞の世論調査の質問に65%の人が「まだ不十分」と答えました。戦後70年にしてその高さに驚きました。

 1945年秋,幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)首相は内閣に「大東亜戦争調査会」を設けました。会に呼ばれた経済人の水津(すいつ)利輔は「平和的,文化的世界に対して日本はひとつの贈りものがある」と述べ,それは失敗の原因をつぶさに,冷静,公平,適正に研究し報告することと説きました。

 しかし,調査会は1年も経たずに解散。英国とソ連が原因究明も東京裁判でと主張したからです。

 日本人の戦争への深い反省を阻むの壁があります。対中戦争と対米戦争への「反省度」の違い。富豪や高学歴の人も苦しんだことで格差が解消した気分が広がったこと。天皇,軍部,国民の三位一体の責任を十分論じなかったことです。

 幣原の調査会が成就し,報告が広く読まれていれば,戦勝国から迫られた反省とは違った自前の反省が育まれ,これらの壁を乗り越えられた可能性があったと思います。日本の「失敗に向きあう文化」も変わったかもしれません。

 家族や親族で集まったとき,家族の歴史,戦争,政治について話してほしい。それぞれに映画「この世界の片隅に」のような物語があるはず。多くの人がそれをしれば,戦争への意識は少しずつ,変わっていくでしょう。

 以上,ここまで加藤陽子の話は,日本においては「失敗に向きあう文化」がまだまともに成熟していない点を指摘していた。安倍晋三などは「明治帝政体制⇔旧大日本帝国」が,なぜ敗戦(大失敗)したのかといった「歴史の体験」などそっちのけにしたまま,「戦後レジームからの脱却」をさけんでいた。

 安倍晋三なりのその歴史(?)の理解は,まだ「坂の上の雲」を追いつづけているらしく,まさしく政治精神としては完全なる妄想・狂乱ぶりを披露していた。「戦後レジームからの脱却」とはいきどころ,戻るところを指し示せないまま,明治的な時代を錯覚的に標榜していたに過ぎない。

 3) 安倍晋三政権以前であれば,旧自民党なりに構えていた態勢をもって,それでもなんとか東アジア諸国とは戦後史における折りあいを,それなりにつけながら築き上げてきた実績が,

 この日本の憲政史上「最凶・最悪となった首相:安倍晋三」の時期になってからは,なにもかもがメチャクチャのグシャグシャになってしまった。

 分かりやすくいえば,人口5百人ほどの村長の座にさえ収まりえない実力であるいわば単なる「世襲3代目の政治屋・総理大臣」が,「今日まで重ねてきてしまった大ちょんぼの数々」によって,とうとうこの国をまっとうに修復する余地までなくした。つまり,この国の中枢までも完全近く損壊させてきた。

 「内政はアベノミクス」でこの国の経済が破壊された。「外交はアベノポリティックス」で諸外国から完全に見下される顛末までも引き出した。

 安倍晋三は,まるでパンドラの箱を開けたどころか,そのなかにあったはずの希望すらわざわざ抜き出し,捨て去ったがごとき「日本国の為政」をおこなってきた。

 「安倍1強〔凶・狂〕」になっていた最中,彼が現役首相時代に具象した政治体制は,21世紀の残る80年間に対する基礎作りには,全然なっていなかった。むしろその「破壊始め」にしかなりえない「狂乱の内政・外交」だけが,まさに,まったき負の実績としてのみ展開されてきた。

 日本の敗戦はひとまず,広島と長崎に米国が投下した原子爆弾によっても決められたといえる。

 ところが,それから10年ほど経ってから計画され,実行されはじめた「原子力の平和利用」といったマヤカシ的な「原子力発電の導入」は,この国とその民に対して,再度の「第2の敗戦」と称すべき「のちのちに発生する大きな不幸〈3・11〉」を,あえて呼びこむ始末まで結果させた。

 「それゆえにこそ」,あるいは,「それでもだ」とでもいえばよかったのか,安倍晋三たちが2020東京オリンピックの招致運動をおこなうさい,東電福島第1原発事故現場における汚染水問題など,放射性物質が残存している問題は「アンダーコントロール状態にある」(だからノー・プロブレムだ)といった “大ウソ” の宣伝を,計画的な犯行(!)として犯していた。

 安倍晋三はその発言のひとつだけをもってしても,いわば「大ウソ大賞の受賞者」ないしは「大ウソコンテストの不朽の金メダリスト」という不名誉を授けられていた。

 いいかえれば,「その大ウソをついた日本の首相だ」という悪評は,「一生,否,死後においても永久に」背負っていくべき債務をみずからもちこんでいた。

 安倍晋三は,それらの汚名をどうやっても払拭できない政治家となっている。彼が21世紀における日本の政治史にその悪名を残すことは,いまから変更する余地などない決定事項になっていた。

 安倍晋三はいわば,身から出た大きな錆(さび)を,首相在任中におおっぴらにさらけ出していた。
 

 ※-7 以上の議論を介して,結局教えられる「原発関連の認識」は,なにか。

 「畑村洋太郎〈失敗学〉」を原発問題,それも『事故を起こすという失敗の問題』に当てはめようとした発想じたいが,どだい錯誤そのものであった。

 畑村洋太郎は今後において,原発が事故を絶対に起こさないで,つまり,失敗なしに使用しつづけられる「科学技術のひとつ」だと確信できるのか?

 「原発という技術の本性」を,本当に工学的に理解しつくしているならば,失敗学を応用する対象からは「原発」を除外しておかねばならなかった。

 原発の事故は絶対に起こしてはならないはずである。『失敗学』で原発事故をなくすための「理論と実践」に関する思考回路を高度に,かつ綿密に遺漏なく構築しえたとしても,事故そのものが完全になくせるという保障はない。

 航空機の墜落事故が皆無にしえないのと同様に,原発の事故も「今後においてゼロの状態が持続できる」理由はみつからない。「原発も必らず事故る」のであって,けっして「絶対に事故らない」などといえるわけなどありえない。

 要するに,『失敗学』の対象に原発を挙げたのは,初めから間違いであった。原発を所与の技術体系のなかに受容して,どこかに位置づけようとした「失敗学」の失敗「性」が,どこに淵源していたか?

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