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安らかに!

Kさんのお嬢様からの手紙

3月1日月曜日の吉祥寺カトリック教会でのミサが終わり、Kさんは安らかに天国へ旅立たれました。
神父様の「この死は悲しい事ではない、安住の地へ旅立たれたのだから」と我々に伝えました。
若い頃だと安住の地の存在が感じられなく、逝去の知らせは只々悲しいものでした。
しかし、不完全な人間から永遠の魂を持つ存在になられた事は、喜ばしい事なのですね?
今度は我々が努力をし、その世界を信じる生き方をすべき順番なのですね!
高齢になると交際範囲も狭くなり、仲間にも先立たれ、葬儀の参列者は数えるほどしか無い場合も結構有ります。
それが普通なんでしょうね? 

今回もお嬢様は、そう思っていらっしゃった様ですが、人間そう簡単に受けた恩は忘れません
このカトリック教会は大きな聖堂も併設されています。
当日は、参列者が溢れ、関係者が会場のセッティングを慌ただしくやり直す姿を、見ました。
お嬢様自身の回想録でお話しされた、甘すぎる参列者数の見積もりでした。
私は当初、会場に案内され、通された部屋はてっきり控室だと思っていました。
しかし、そこに祭壇が有り、が安置されていましたので、ここがミサ会場と確信しました。

私の今住む東京の西の外れでは、家内の両親の葬儀は、格式高く参列者の数も非常に多かったです。習慣は、身内の義務遂行を当然の行動としていました。
それに対する物心両面の負担は、当然ながら、かなり重かった事は否めない。
しかし、恩を受けた、子供としては当然すべきと考えていました。

私の両親の場合は家族葬でした。心置きなく、昔の想い出を皆で語る、こんな葬儀も素晴らしいですね。

しかし、母は音楽関係の知り合いが多く、自宅に祭壇を作り、沢山の弔問客をお迎えしました。
だから一概に、家族に寄り添う形だけを優先させるのも、考えなくてはなりませんね。
何故なら冠婚葬祭は、我々の告知義務でも有ると思うからです。
お別れしたかった人にそのチャンスを提供するのは大切だと思います。
死後も墓地に行かねば語れなのでなく、散骨や樹木葬で魂を自然に返し、いつでも身近に居る形もありと考えます。
私だったら、家族葬の後、記念コンサート、オーストリー、チロル、エッツに散骨なんて最高だと思います。

しかし、そんな無理は言えないのかも知れません。
飛行機で12時間は多くの人には苦痛となると思うからです。
演奏会場を予約するのも大変だし、企画どうする?
よーし、今から構想を練るか!

拙い文ですが、溢れ出る思いを、人に伝えたいと願っています。日常にある小さな出来事ばかりですが、その視点により皆が幸せになれると嬉しいです。何より読んで欲しいと切望しています。宜しくお願いしますね!