“正すこと”に抵抗を覚えた
先日、逆流性食道炎と診断されまして。なんか胃に違和感を感じながら過ごしてはいたのですが、ある時突然の胃痛で立っても座ってもじっと横になることもできず、数十分間悶えた時は、ああこれは限界だ…と色々悟って若干泣きました。でもそれと同時に、日々のストレスに身体が拒み始めているという事実に少し嬉しくもあったんです。
けれど、みぞおちを突然刺すこの痛みはなかなかきつくてきつくて。あの、ドラマとかの出産のシーンってお母様方叫ばれるじゃないですか。それに独身彼氏なし23歳女が謎に共感したんですよ、痛すぎてなんか気を紛らわさないとやってられない→叫ぶってなるんですよ。本当に痛い。ただ、身体に異変が起きたら薬を飲むっていう処置を最近知った悲しき成人女性ですので、今回の胃痛もいつものように一回放置を試みたんです。そしたら一度仕事前に来た胃痛がなかなか引かず、流石に病院にかかろうと決心しました。
で、診断されたのが逆流性食道炎でした。同僚には「ストレスで胃に穴が空いたんだよ〜」と予想されていたので、穴じゃなくてすまん。だけど、逆流性食道炎もちゃんとストレスは起因するのでご安心を。それこそ、診察時に「仕事とかでストレス感じてたりするか」と聞かれたのでもうこれはストレス一択です。無事診察も終わり、薬も処方され、午後は仕事に向かう、というなかなか休めない現代社会。これでひと安心、とはいかず、ここからが葛藤の日々でした。
私が処方された薬は2つ、どういう作用があるかは忘れましたが毎食後と毎晩で服用する内服薬でした。処方された3/12から危機感を覚えた3/17日までの6日間、食後は15回、晩は5回飲むタイミングがあったのですが、実際飲んだのは食後3回晩2回だけでした。いや、飲めよと思いますけど飲めなかったんです。せっかくストレスで体を壊しているぞと証明できたのに正してしまうのは勿体無い、と思ってしまったんです。何とも醜すぎる。けどこういう思考に陥るくらいには、今の仕事が嫌でストレスで何とか逃げ出したくて、正常な判断を鈍らせていたのです。でも、まだこれが正常じゃない、と判断できるのもまだ色々軽い証拠だと思います。
そういう日々も呆気なく6日間で終わるのですが、流石の胃痛の酷さに耐えられなかったのです。胃炎を起こす度に、一回の持ち時間が長くなってるんです。10分、20分、40分、そして2時間。17日のお昼に映画を見ながらコーヒー飲んでたら来ました、2時間級が。胃炎にコーヒーって好ましくないんですけど、陽気な昼に外に出ずコーヒー片手にロマンス映画を観るなんてチルいじゃないですか。予定をつくってなかったんでやりたかったんです。でもそんなチルも長くは続かず、映画は2時間の苦痛を紛らわすための音声と映像に成り果て、終いにはノイズとなって中断。勿体なさすぎる。そこでやっとこの悶えてる時間が人生80年のなかで“無駄”だと気が付きました。薬飲みます、たまにサボりながらね…。
これは現代ネット社会の大きな課題のひとつだと思いますが、不幸なフリって楽しいんです。可哀想な自分が可愛くて仕方がないのです。他人の不幸は蜜の味、なんて言葉がありますが、今は自分の不幸も蜜の味がするんです。不幸は娯楽だし快感なんです。でもそんなのなんの意味も生産性もクソもないってことも多分わかっているんです。でも、それを受け止める余裕があれば良いんですけど、ない人もいるってのが難しいところだよね。
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余談だけど、他人の不幸は蜜の味ってドイツ語でシャーデンフロイデっていうんだぜ。(schadenfreude。schadenが「損害」で、freudeが「喜び」だそう。)ドイツ語って何でもカッコよく聞こえるスゲー!も若干あるけど、何よりこの感覚がドイツ人にも通づるところに私は感動している。
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