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朝ドラらんまんが育児中の心にぶっ刺さった話

朝ドラらんまんが終わって1週間。
本当に素敵な朝ドラで、もうすぐ2歳になる娘がいる私の心にぶっ刺さったので
忘れないうちに書き記しておきたい。

最終回で涙が溢れ出したのは、主人公万太郎が人生をかけて作った植物図鑑の謝辞のラストに
空へと還った我が娘園子へ届くよう願う
と書いてあったところ。
今こうして思い出しても視界が滲んでくる。

万太郎、寿恵子夫妻の第一子、園ちゃんはそれはもう可愛らしくて、
万太郎と寿恵子も園ちゃん、園ちゃん、と愛情たっぷりに育てていて

私は日々バタバタとしながらも、愛しくて仕方がない自分の娘と重ねて見ていた。

だが史実では主人公のモデル牧野富太郎博士、寿衛子夫妻の第一子
園子さんは幼い頃に亡くなっていたことを知る。

いやまさか、こんなに可愛い子が、
ドラマとはいえ亡くなってしまう?
万太郎と寿恵子がこんなに幸せそうなのに?
ドラマの展開上、そこは改変して描かれるんじゃないか?

と、半分は自分自身の希望もありつつ、園ちゃんは大丈夫、と言い聞かせながら見ていたのだが

ある日、園ちゃんは麻疹に罹って
あっという間に亡くなってしまった。


もう、このあたりは本当につらくて
今日はみるのはやめておこうか、と思ったくらい
園ちゃんが亡くなったことを受け止め切れずぼうっとする寿恵子、
母まつさんが来て堰を切ったように泣き出し、泣くか寝るかしか出来ない寿恵子、
寿恵子へ掛ける言葉もなく悲しみに押しつぶされている万太郎。

私自身、やっと生まれてくれた娘が可愛くて可愛くて
こんなに愛しい娘に何かあったら、
もし病気をしたら、万が一…
と想像してしまうことがある。

その万が一が起きてしまった世界。
辛くて辛くて、その回から数日は園ちゃんを思い出す度に泣いていた。

週が明けて月曜日の回。
寿恵子は園ちゃんが泣いてる…と夜中に家から飛び出す。
そして園ちゃんはいないことをまた突きつけられて愕然とする。

それを見ていた万太郎、掛ける言葉もなく数分、話しかけようとしては口を噤むだけの時間が過ぎる。

本当はここでセリフがあったそうだが、神木さん、浜辺さんがこれは言えない、とカットし
何も話さずに2人が乗り越えるための時間を表現することにしたそう。

そして万太郎はやっと話し出したと思ったら、
いつかわしらも園ちゃんのところに行く、
その時に図鑑を持っていけるように…
と言う。
この期に及んで図鑑かよ!と思わなくもないが、この夫婦はそうなのだ。
そうして少しずつ前を向いていく。


園ちゃんを亡くしたときには寿恵子のお腹には第二子の赤ちゃんがいた。
無事に生まれてきた女の子に、万太郎はどうにか生きてくれ、との思いで
千歳と名付ける。

時は経ち、寿恵子と千歳ちゃんを長屋に残して万太郎が植物採集の旅に出かける日。
万太郎は、もし寿恵ちゃんとちいちゃんに何かあったら…と思わず不安を吐露する。

このときの寿恵子のセリフが私の胸に突き刺さった。

万太郎さん、この家を出たら私たちのことは忘れてください。
万太郎さんと、植物だけ。

なんて強いんだろう。

そして気づいた。
子供に何かあったらどうしよう、と心配するのは、
子どもを愛しているのではなく自己愛なんだ
と。

自分が辛い思いをしたくないから、子供に何かあったら…と心配になるだけで
子供をただ愛するのなら、そんな心配は無用なのだと。

寿恵子はその後4人の子をもうける。
子供たちにお母ちゃんはおばけが怖くないの?と聞かれ
おばけより怖いものたくさんあるからね、
あんたたちに何かあるのが一番怖いよ、
という場面があった。

その時のカットは、園ちゃんの遺品と園ちゃんが描いたヒメスミレの絵だった。

大人になった千歳ちゃんがお嫁に行く日にも、関東大震災の後にも、家族とともに園ちゃんの姿があった。

7つまでは神のうち、と言って乗り越える、
そういうことがよくある時代。
それでも子を先に弔う辛さはきっと今と変わらない。

亡くした園ちゃんを想い続けているけれど、
生きている子供達を信じて、不安に飲み込まれずに生きていく。


私も娘の生きる力を信じて、
心配で不安な気持ちに飲み込まれずに
ただただ娘を愛していこうと思う。

とても大切な作品になりました。ありがとう、らんまん。

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