かもしれない
私は30歳を越えてから車の免許を取った。
それも合宿で。
当時つとめていた病院を辞め、転職までの間しばらく休むことにしたため「免許でも取るか〜」と軽い気持ちで思い立ったのであった。
1月だか2月のくそ寒い日に、東北地方の小さな教習所に私は1人やってきた。
周りは高校を卒業する地元の若い子達ばかりでほとんどが自宅から通ってきていた。
私だけ、寮と呼ぶには広すぎるマンションの1室に案内された。
部屋が4つもある。大きなベッドが3つ。
どこにいれば良いのか分からない居心地の悪い部屋に1人きり。
寒い。風呂も仄暗くて怖い。
私は早くも思った。帰りたい、と。
教官はほとんどがおじいちゃん先生で、みんな優しいのが救いだった。
1人若い教官がいたが、そいつは私の教習担当のときはあからさまにテンションが低く、窓枠に肘をつき頬杖をついてため息ばかりついていた。
若い娘を担当しているときは別人のようにイキイキしていたが、その子たちから「あいつスゲェ喋ってきてマジうぜぇ」と軽く韻を踏みディスられていた。ざまぁみろ。
おじいちゃん教官達は、私が看護師だということを知ると「血圧の薬ってのは飲んでたほうが良いの?」「血糖が高めでさあ…」「オシッコが頻回なんだけど」と教習中の車内は無料健康相談の場と化した。
健康相談を兼ねた教習を重ねるなか、私は1つのとある事実に気づき始めていた。
…これ向いてないな。
「かもしれない運転」という言葉を学んだばかりであったが、まさに「向いてないかもしれない運転」である。
田んぼに囲まれた長い一本道を走行しているときに穏やかな教官が話し始めた。
「かもしれない、かもしれない、と思いながら運転する『かもしれない運転』が大事だよ~て教えるんだけどね。知ってる?」
私は「はい、もちろん」と答える。
すると教官はこう続けた。
「あのね!!こんな田んぼの一本道で何が飛び出してくるかもしんない、て思ってんの!?なんも出てくるわけねえべ!?」
私は「何言ってんだオメェ!牛が急に出てくるかもしんねえべ!この!」とも言えず教官に言われるまま速度を上げた。
手汗がスゴかった。
高速教習や山道教習(私は死を覚悟した。おそらく教官も。)を終え、卒検の日を迎えた。
朝おきてカーテンを開けると雪が降っていて道にもうっすら積もっているではないか。
…いらぬサプライズ。
ありがた迷惑ロマンティックである。
しかし私は帰りたい。
大嫌いなS字クランクが頭をよぎる。
これまでS字クランクが成功したのは数えるほどしかない。
でも家に帰りたい気持ちは誰にも負けていない。(そもそも皆は家から通っている)
卒検の担当教官は尿酸値の相談にのってあげた先生だ。恩は売ってある。
私、男の子1人、若い女の子1人で車に乗り込んだ。
1番最初に試験を受けた男の子の運転がイヤに上手で私の緊張をブチ上げてくる。
私は2番目に試験を受けたが記憶は全く残っていない。
ただ尿酸値先生に「非常に慎重で丁寧だ」と褒められたことだけは覚えている。
帰りたいという強い気持ちから奇跡的に合格でき、その日のうちに東京へ帰り友達と焼き肉屋でパーティをした。
はしゃぐ私が「今度みんなのことも助手席に乗せてあげるね!」と言っても誰も返事をしなかった。
その後は必要に迫られれば運転していたが、楽しむというレベルには至らなかった。
そのうち免許証はジャニーズコンサートの身分証明書として使われるのみとなってしまった。
ギランバレー症候群がもしも完全に回復したら、ペーパー教習に通ってブイブイ運転してみたい気もするがそれはまだしばらく先のことになりそうだ。