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気の出し方、保育園の転園

どんなフィルターをかけてこの世を見てるか、で見え方や感じ方、動き方も変わる。

という話を前提にすると、

私はいつの間にかセンチメンタルフィルターを掛けている。無意識に。
普通に冷静にしてるつもりなのに。


4月から小規模から大きめのこども園に転園した娘・はーちゃん。

夫と二人で朝の送迎に行くと、なんやかんやではーちゃんは離れたがらず、ついには泣き出して、嫌だ嫌だと言う。

そう言われると私も可哀想になってきて、もらい泣きしそうになり、足は鈍る。頭の中で、今日は休ませる?ともシミュレーションする。


でも、夫だけで送迎した日は、泣いたり名残惜しんだりせずに、パッと別れるらしい。

それは、夫がそういうふうにしてるらしい。


それを聞いて、「私はつい、頭の中で言葉だけをこねくり回そうとして考えるんだけど、そういうこと以前に、無意識に作り出したフィルターが多分あるな」と気付いた。

新しい場所への不安。
この道が正しいのかどうかの迷い。
他人への警戒心。一気に大勢を相手にするなら尚更。
相手の悲しみを思いやる心。
悲しみも、喜びも、思いきり表現したいと思う欲求。

私はそれを元に空間を作り出してるから、はーちゃんもそれに同調する。


見当違いの言葉ではフィルターは変えられないけど、フィルターをまず言葉にして、少しずつ変えていくのは出来るんじゃないか。

ちなみに夫はフィルターで空間を作り出すことを「気を出す」とか「気でコントロールする」とか表現する。
気の出し方なんぞ分かるかい、と思っていたけど、たぶん私なりに言うとこういうことなんだろう。

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