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ミヒャエル・ハネケ『セブンス・コンチネント』、わからなさの薦め

 『セブンス・コンチネント』という、ミヒャエル・ハネケの処女作に当たる作品を観ていました。

 僕はハネケの作品は一通り目を通しているのですが、この作品もほかのハネケ映画と同様、かなり奇妙な映画だと思います。

 ハネケ映画を観たことのあるひとなら誰でも共感して貰えると思いますが、ハネケの映画というのは、観終わったあとにどう感じたら良いかがわからない。内容がわからないのではなく、不快さが際立っているというのでもなく(ハネケ映画は不快は不快なのですが)、映画のなかの物語をどう受け取ったら良いかが自分で上手く処理できないものが多いのです。

 例えば『ファニーゲーム』というハネケのなかでも最上位に有名な映画があって、この映画の筋は「ある家族が謎の若者ふたりに虐待されるだけ」の映画です。なにか裏に隠された意図があるような気配はするものの、僕ら観客はわかりやすいヒントを与えてはもらえません。映画の冒頭から少しずつ過激になっていく虐待ぶりを、ただただ淡々と観させられるだけなのです。
 そんな筋の映画に対して、観客である僕らはなにを感じたら良いのか?

この「わからなさ」こそが「ハネケを観る醍醐味」なのですが、この『セブンス・コンチネント』という映画にも、やはりそうした感触がある。考えてみるとハネケは処女作であるこの映画の頃からそんな嫌な読後感を観客に与えているのですから、つくづくそうした行き場のない「もやもや」を観客に与えるのが好きなのだと思います。なんて、サディスティックな監督なのでしょう笑。

 さて、この映画も『ファニーゲーム』と同様謎だらけの映画で、特に物語の最終盤は、主人公家族が自分たちの家の家具を破壊する描写に終始しています。夫と妻と娘が、ただひたすらに本棚やレコードや金や家具を破壊していくのです。そして物語のラストは、彼ら全員が自殺して終わってしまう。残された謎の深さと、手が届きそうで決して届かないハネケがこの作品を制作した意図。映画を見終わった僕らは、「ハネケはなぜこんな映画を撮ったのだろう? 」ともやもやでいっぱいになりますが、僕らのようなハネケファンとなると、わざとそうしたもやもやを味わうために彼の映画を観るのですから、たぶん、人間というのは不快さやもやもやがある意味で好きなのだと思います。もしかしたら、「不快」とは、「快さ」の一種なのかもしれません。

 ただ、彼の制作意図が「わからない」と言いながらも、彼の作品を一通り観てみるとあるうっすらとした目的みたいなものが見えなくもないのです。特にハネケは、「文明」というものに対して一貫した態度を貫いているように見える。

 彼の代表作である『ファニーゲーム』にせよ、この映画にせよ、ハネケは一貫して「文明」に否定的な態度を取っているかのように見えるのです。と言っても、わかりやすく「なぜ文明は良くないのか」を語ることはなく、この映画で出てくるように、ただただ「家具を破壊する」というような、ある意味でパンキッシュな衝動の顕れとして、過激な破壊行動が映し出されるだけなのです。

 同様に『ファニーゲーム』でも、被害に合うのは「一見イノセンスで平穏な一家」です。ハネケが映画のなかで破壊するのは、だいたいのケースにおいて、僕らがこの世界で「普通に考えれば良いとされているもの」ばかりなのです。

 ファニーゲームにおける「平穏な家族」と、このセブンス・コンチネントという映画の「家具」。このふたつをイコールで結びつけたとき、ハネケが文明に対して抱いている感情が、少しだけ垣間見えるように思うのです。

 大胆に推測すれば、ハネケはたぶん、僕らが享受しているこの文明の幸福に罪の意識を感じていて、この豊かさの背後には、目に届かないところで誰かが犠牲になっていると考えている。彼はこの文明の文明人として、映画を撮ることで、その贖罪を果たしている。

 ……と、ハネケ映画を通して観ているとそんなことを思うのですが、これは推測に過ぎず、ハネケがどこかで明言しているわけでもありません。

 ハネケ映画の肝心な部分はすべて完全犯罪が行われた密室のなかの指紋のように拭い取られていて、彼がこんな不可思議な映画を撮る理由も、確かな答えを見つけられないまま推測するしかありません。

 と、こんなふうにわからないことだらけのハネケ映画ですが、この「わからなさ」こそが、ハネケ映画の最大の魅力と言っても良い。

 たぶん、人間の不可思議な感受性のなかでは、「わからない」ということは、実は「快さ」の一種なのです。

 まだハネケを味わっていない幸福な観客は、ぜひ彼の映画を手に取って、計算された不気味な不快感を味わってみてください。

 それはきっと、あなたの新しい「快さ」の体験となるはずです。

 おしまい。


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