妊娠中に祖父が他界した話
背景
前に少し書いたが、娘の妊娠中に母方の祖父が他界した。
病院にいる最中に祖父が他界して助産師さんの前で泣いたり、妊娠中の葬儀について調べたりと、娘妊娠中の1番記憶に残る出来事になった。
似た境遇になった人の参考になれば嬉しい。
1 生前
母方祖父母は90歳を越す高齢で、伯母と母が一定期間毎に交代で泊まりがけで介護をしていた(私の両親は遠方に住んでいるが、母方祖父母と伯母夫婦の家は私の家から公共交通機関を使って1時間以内の距離である。)。祖父母に会えるのも残り少ないと思って、私もできるだけ時間があるときに会いに行っていた。
たまたまではあるが祖父が他界する2週間前に祖父母に会いに行った。母とは会いたくないので伯母がいる日をねらって会いに行っている。
当時はつわりが少し軽くなっており、また、つわり中に祖父母に会っていなかったのでそろそろ行かなくては、という使命感もあった。
祖父は私の1回目の妊娠については何も知らなかった。
久しぶりに会った祖父はやつれているように見えて、すぐに死んでしまいそうに感じられた。余談だが、その後、テレビの生放送で観た有名人が死ぬ前の祖父と同じような顔をしているな、と思っていたらその後すぐに亡くなられた。もしかしたら自分は死相がわかるのかもしれない。
無意識にお腹をさすっていると
「なんだ、腹いっぱいなのか、子供がいるのか」
と祖父に聞かれた。私が子供のときにも冗談で祖父に聞かれたことがあった。耳が遠い祖父に向かって大きな声で
「子供がいる」
と答えると、祖父は鳩が豆鉄砲をくらったような顔を一瞬だけした。ただ、そんなこともあるのだろうと思ったのか普通に会話を続けてきた。
「男の子か?」
「まだわからない」
「そうか」
話していると祖父は少し嬉しそうな顔になっていた。
2 他界した日
転院のために、紹介状を持って娘を出産することになる総合病院で受診していた。前回子宮内胎児死亡となった妊娠16週の最終日に診てもらうことで安心しようと思っていたので、もともとこの日に受診することを予定していた。
娘は元気に成長していた。さすがにまだ性別はわからなかった。
その後、保健指導と採血をすることになった。
保健指導を待っていたところ、介護で祖父母宅に来ていた母から急に電話がかかってきた。病院にいるので電話に出なかったところ、祖父が危篤で高齢のため延命措置を行わない旨のメッセージが来た。それを見た瞬間に保健指導に呼ばれた。
まず病院での出産や支払いの手続き関連の話をされてから保健指導という流れだったと思うが、手続きについての話をされているときはうわの空だった。次の健診時に事情を話してもう一度説明をしてもらった。
保健指導については、やはり息子の死産について聞かれることになった。保健指導で死産について聞かれることを受診前に想定しており、淡々と答えるつもりだった。ただ、手続きについての説明をされているときとは違い、自分が話をするターンが発生する状況にこのときは耐えられなかった。声を出そうとしたら涙が出てきてしまった。保健指導の助産師さんに、
「そうですよね、辛いですよね。ごめんなさい。」
と慌てて言われたが、
「違うんです。今ちょうど祖父が死にそうって連絡が入って。すみません。前の子のことじゃないんですぅ。」
と泣きながら答えていたと記憶している。保健指導を別日にするか聞かれたが、中断したところですぐに祖父のいる病院に向かえるわけではないので、保健指導を続けてもらった。少し落ち着いたら普通に話せたので、息子の死産のときの事や不安な事などを話して保健指導は無事に終わった。
その後、採血をする部屋に向かった。総合病院なので他の科の患者さんもいる。採血を待っているところで祖父他界の連絡がきた。身体の力が抜けてしまったように感じられた。採血に呼ばれてふらふらと歩いていって椅子に座るまで長く感じられた。隣の椅子では老婆もとい老婦人の採血が難しいらしく何度か失敗していたのか、老婦人が看護師に対して
「何度もやって私も痛いんだからね!」
などと言ってずっとキレ散らかしていた。一方の私は体に悪いところがあるわけではなく幸せな妊婦のはずなのに採血前から涙目をしているというカオスな採血室になっていた。私の採血をしてくれる看護師さんからしたら、私がとてつもなく採血が苦手な妊婦に見えたかもしれない。
「ごめんなさいねぇ。少し痛いですよー」
と言って採血をしてくれた。
実際は、「長く生きといてまだ採血ごときでこんなに文句言うのかよ、このクソババァ。こっちは祖父が死んだところやぞ」と心の中で口汚なく老婦人を罵っていた。
採血後、会計をして、うわの空で歩いて家まで帰った。
3 葬儀参列準備
家に帰ってからは少し冷静になり、葬儀参列の準備を進めた。持っている喪服はお腹でつっかえてしまい、代替を考えることになった。マタニティ用の喪服レンタルも考えたが、お腹の部分がゆったり目の黒ワンピースとヒールも飾りもほとんどない黒靴を持っていたためレンタルの必要はなかった。ただ、慣れていない靴だったので、葬儀に行く道中は履き慣れている黒いサンダルを履いていくことにした。
当時は真夏で、ワンピースが薄手だったのでクーラーによる冷え防止のための黒カーディガンとマタニティ用の黒ストッキングだけ急いで購入した。
4 葬儀
コロナ禍であるので小規模な家族葬をすることになった。葬儀の時間と場所の詳細は母から教えてもらい参列することを連絡した。その前まで母に妊娠の報告をしておらず、産むまで何も言うつもりはなかったが、この時点で妊娠していることを知られることになってしまった。また、父と顔を合わせる気はない旨を伝えたが、当日当たり前のように父はいた。さらに母からこそこそと
「お父さんと普通に喋って」
と言われたが、本当は母とも喋りたくない私は
「ふざけんな。喋るわけないやろ」
と言った。私の剣幕に母はそれ以上何も言ってこなかった。お腹の中の娘と両親が物理的に近づくことですら腹立たしかった。
父が視界に入った瞬間に「お前が死んどけよ」と小さく独り言を言った。
従姉妹とその子供たちと久しぶりに会うことになり彼らから近況を聞いたり、自分の妊娠について話した。1番下の子が私に抱っこをおねだりしたが、さすがに従姉妹に止められることになった。
ちなみに、上の子は従姉妹と私が辛そうにしているせいか神妙な顔をしていたが、この1番下の子は周りが何をやっているのかあまりわからないせいか面白い言動をするので私は笑ってしまった。未来の自分の葬式にも無邪気な子供がいてほしいと思った。
私の娘の方はお経が読み上げられている最中によく動いており、胎動があるたびに安心した。ただ、祖父に私の子供を1人も会わせることができなかったことが悔しくて辛かった。
葬儀後も少し手伝いをしたためにすぐには自宅に帰らず、一度祖母の家に寄ることになった。高身長だった祖父の骨壷はかなり大きく、前年に火葬した息子の小さな骨壷を思い出していた。大きさはかなり違うが、まさか2年連続で骨壷を持つことになるとは、と思っていた。
私はこのとき体調に余裕があり、母に頼まれたのと祖母が心配だったために手伝っているが、妊婦は葬儀で無理をしてはいけない。
とりあえず父とは口を聞かなかった。以降の法要は祖母、伯母夫婦、両親だけで行うということだったので、この葬儀以降両親と一切会っていない。もちろん娘を会わせていない。
<迷信>
妊婦の葬儀参列についてネットで調べると、マナーや喪服レンタル等の色々な情報が出てくる。たくさんの迷信も出てきて、そもそも妊婦は葬儀に出てはいけない地域もあるそうだ。
赤ちゃんを守るための迷信もあり、手鏡を外向きにお腹の辺りに入れる、というのは手軽にできるため気休めにやることにした。私からしたら、鏡で穢れをはね返すよりも、両親からの悪い影響を受けないようにすることを主たる目的としていた。
色々迷信はあるものの、葬儀に参列しても、火葬場に行っても、お骨を拾っても娘は無事だった。
5 安産祈願
祖父が他界した日の受診で娘が元気なことを確認してから安産祈願に行く予定だった。さすがに祖父の死後すぐに行くのは躊躇われ、四十九日を過ぎてから安産祈願に行った。
安産祈願のときに他にも妊婦さんがいたが、当然自分のお腹が1番大きかった。
まとめ
病院にいるときに祖父が他界し、妊娠中に葬儀に参列することになった。
妊娠中に葬儀に参列することになる人はそこそこいると思う。実際にやってみると、妊娠中は普段の葬儀よりも準備することや気にすることが多かった。しかし迷信はそれほど気にしなくても良いし、もし大切な人が亡くなったのであれば、物理的に行ける距離で体調が許す限り、妊娠中でも葬儀に参列して良いと思う。ただ、妊娠を知られることになってしまうのを避けることは難しい。
これだけ色々と書いたものの、妊娠中に葬儀に参列するのであれば服装と靴を1番気にしてほしい。便利になったものでマタニティ用の喪服もレンタルできるらしい。そして、くれぐれも葬儀で無理をしてはいけない。体調が悪くなったら途中退出しても良いだろう。
さすがに祖父の死が悲しかったこともあり暴言を吐いたりもしたが、とにかく娘は無事だった。祖父に娘を会わせることができなかったのが残念だが、生前に娘がいることを伝えることができて良かったと思っている。
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