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「悪魔の辞典」を読んで

日本の期待される新人に与えられる芥川賞、その賞の名前になっている、芥川 龍之介の作品、「侏儒(しゅじゅ)の言葉」は、この「悪魔の辞典」にインスパイアされて書かれたそうです。
ビアスは鮮やかな結末、最後の一行で、全てがあきらかになる、そんな物語を書いた作家だった。そしてビアスが、結末を書かなかったのは、自分の人生の物語だけだった。旅に出て、国境を超えて、行方不明になって、ビアスは人生を終えた。
芥川 龍之介は、私が好きな作家ですが、蜘蛛の糸など、ストーリーは民話、外国の作品からインスパイアされて書かれた作品が少くないです。芥川 龍之介の人間特性に対する鋭い視点は、俗世界の見方、思考を、槍で突き刺すように鋭く、読んでいて、はっとすることが多い。その芥川が参考にした、この「悪魔の辞典」も、人間の虚飾を剥ぎ取った後の、人間の本質が鋭く定義されたり、説明されています。多少皮肉も含まれていますが。本質を隠した所からは、美も有用性も生まれないと思います。
例えば、「習慣とは、身の自由を束縛する足かせ、手かせ」。「借金とは、奴隷を監督するものが用いる鎖と鞭の代りをなす、巧妙に工夫された代用品」。「政治とは、主義主張の争いという美名のかげに正体を隠している利害関係の衝突」などです。人々が生きていくには、オブラートに包むことが必要です。しかし、オブラートが本質だと思うと、穴に落ちることがあります。ぜひ、言葉を疑わない人には、「悪魔の辞典」を読み、疑わしい言葉とは、どういう言葉かを知るための字引として。言葉を信じない人には、信じられる言葉とは、どういう言葉かを知るための字引として読んでみて下さい。

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