俳句を読む 34 小沢昭一

床に児の片手袋や終電車   小沢昭一

職業柄、決算期には仕事を終えるのが夜遅くなり、渋谷駅で東横線の終電車に飛び乗ることも少なくはありません。朝の通勤ラッシュには及ばないまでも、終電車というのはかなりの混みようです。それも仕事帰りの勤め人だけではなく、飲み屋から流れてきた男女も多く、車内はがやがやとうるさく、本を読むこともままなりません。それでもいくつかの大きな乗換駅を過ぎるころには、車内の混雑もそれほどではなくなってきます。それまで、大きな体のサラリーマンの背中に押し付けられていた顔も、普通の位置に戻ることができました。前の席が空いて、ああ極楽極楽と座った目の先に、小さなかわいらしい手袋が落ちています。そういえばあの混雑の中に、子供を抱いた女性がいたなと、思い出します。もうどこかの駅で降りてしまったもののようです。おそらく、子供だけが、手袋が落ちた瞬間に「あっ」と思ったのでしょう。「おかあさん」と知らせるまもなく、母親は人ごみに押されるままに、電車を下りてしまったのです。終電車という熱気のなかの雰囲気、抱かれた子供の、落ちてゆく手袋への視線、子供を抱きかかえて乗り物に乗ることの不自由さ、などなど、さまざまな思いがない交ぜになって、この句は感慨深いものを、わたしに与えてくれます。『新選俳句歳時記』(1999・潮出版社)所載。(松下育男)

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