俳句を読む 36 立花北枝 年こしや余り惜しさに出てありく

年こしや余り惜しさに出てありく  立花北枝

とうとう2023年も最後の日になりました。さまざまなことがあった2023年も、もうすぐ終了します。やっと慣れてきた2023という数字も、あまり使われなくなり、目にあたらしい2024という文字を、明日からは書くことになるわけです。掲句、その年が終わるのが惜しくて、外を歩きまわってしまうという意味です。江戸時代に金沢の地で刀研ぎ商という職を持った北枝も、大晦日はいつものように朝から、刀に向かっていたのでしょうか。時刻が進むうちに、目は刀の光へ吸い込まれ、見つめる先は、自分という生命のあり方の方へ向かっていったものと思われます。「大切な時」、というものに突き動かされ、急に立ち上がって履物を履き、戸を開けて、ともかくも外の通りに出てきたのでしょう。いつもと違わない町並みに、けれど人々は、武士も町人も、男も女も、確かにこの日の厳粛さを身にまとって通り過ぎて行きます。時の区切り目を迎えるということがみな、切なくもあり、うれしくもあるのです。その気持ちは、令和の世になってもまったく変わらず、句にこめられた生命の厳かな焦りは、今にもしっかりと伝わってきます。残るはあと一日です。年が明ければ、たっぷりとした時間が待っていることはわかってはいても、残されたこの一日を、どのように大切に過ごすかを、わたしも考えてみたいと思います。では、2024年がみなさまにとって、とても良いものになりますように。『角川俳句大歳時記 冬』(角川書店・2006)所載。(松下育男)

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