若い頃の、どうということのない話

ぼくが若い頃でも、中学生くらいになるとカップルができていた。放課後に、教室の窓辺に立って外を見ながら話をしている男女が何組もいた。ぼくはといえば、それが羨ましいとも感じずに、後ろを通り過ぎて帰っていた。

ぼくが初めてのデートをしたのは大学生の時だった。アルバイト先で知り合った女性を好きになった。適度に明るくて、目の大きなかわいらしい人だった。勇気を出してデートの申し込みをし、断られるだろうと思っていたら、はい、といわれた。驚いた。

休日に有楽町駅で待ち合わせて、日比谷で、大きな船が沈む映画(タイタニックではない)を観た。夕飯を食べて帰ってきた。緊張でひどく疲れた。好きな人と一緒にいることは、四六時中とても気を遣わなくてはならないことなのだと、その時に知った。

それからしばらくして、その人から手紙が来た。後楽園球場の外野席の入場券を売るアルバイトをしているという。巨人戦でなければ、ただで入れてあげられる、というようなことが書いてあった。

それから、自分が後楽園球場に行って、その人を売り場で探し、やあと言って、外野席に入れてもらうことを、何度も想像した。毎日、想像した。

けれど、実際に行動には移さなかった。その人に会いたいとは思うものの、どこか、女性との駆け引きややりとりは、自分には似合わないと感じていた。今はもっと大切なことがあるような気がした。

だからもう会うことはなかった。いや、一度だけ、デートから一年ほど経った夏に、京浜東北線の車両の中でばったり会ったことがある。ぼくは座っていて、目をあげたらその人がいた。お互いにあっという顔をして、その人は背の高いやせた男性と二人連れだった。ちょっと目を合わせて、でも何も話せなかった。扉が開いて、ぼくが先に蒲田駅で降りた。

遠い昔にあった、たったそれだけの、どうということのない思い出だ。その人はもうぼくのことなんかとうに忘れているだろう。どこかの空の下で、今はかわいいおばあさんになっているのだろう。

さて、あれから半世紀も経っているのに、ぼくは先日、もう存在しない後楽園球場の、外野席入場券売り場に向かう夢を、見た。ぼくはまだ若く、夜道に立つ、まぶしいほどに明るい入場券売り場へ向かっていた。

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