無駄な想像
ひとりの男性のことを、思い出すことがあります。その人のことを、ぼくは何も知りません。ただ、ある日の通勤電車の中で、同じ車両に乗り合わせました。
中央線だったと記憶しているので、それならば、ぼくがまだ30代の頃のことです。立川駅から乗って新宿駅に向かう途中で、いきなりドタドタという音が、ぼくのすぐ前でしました。見れば、若い男が床に尻餅をついています。大きな体の人でした。ネクタイをしていたので、おそらくぼくと同じように勤め人なのでしょう。
どうしたのだろうと、こちらが考えるまもなく、その人は苦笑いをしながら立ち上がりました。思い出せばその人は、先ほどまで、ぼくの前で電車に揺られながら立っていたのでした。時折に目をつぶっていたのは、かすかに眠っていたのかもしれません。ですから、うっかり立ったまま眠ってしまって、電車の床に落ちてしまったのです。その人はしばらくきまりが悪そうにしていましたが、次の駅で、人の乗り降りにまぎれて見えなくなりました。
それから一か月ほど経った頃のことだったと思います。何かの飲み会があって、ぼくは同僚と歌舞伎町の入口あたりを歩いていました。すると向こうから、酔った勤め人が数人、歩いてきます。ぶつかるといやだなと思い、顔をみると、先日のあの、電車の中で立って眠って体ごと床に落ちていった人でした。大きな体も、丸顔も、まぎれもなくあの人です。だいぶ酔っているらしく、それと、とても機嫌がよいらしく、そばを歩く人にむかって大きな声をあげていました。
「あっ、あの人だ」とぼくは思って、こんなに大きな東京で、二回も巡り合ったそのことに、驚いていました。
それだけの話です。
それだけの話なのですが、こうして40年も経った今でも、知らないその人のことが、たまに思い出されるのです。そしてその人が、会社で働いている様子や、飲み過ぎて翌朝起きられないところまで、なぜか想像してしまうのです。どうしているだろう、しっかり生きているだろうかと、考えてしまうのです。
ぼくとは関係のない人のことだし、もちろんどうでもよいことなのです。自分でも、なんと無駄な想像かと思いはするのです。
ですが、あの人は確実に、ぼくと同じ時を頑張って(もしかしたら不器用に)生きているのだろうなと思うのです。それだけで、ぼくと同じではないかと思われ、だから無性に心を奪われることもあるのだろうと、思うのです。
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