「萩原朔太郎が教えてくれたこと」

「萩原朔太郎が教えてくれたこと」

松下です。今日はよろしくお願いします。ちょっと自己紹介ということで。昨日、横浜から来ました。もう30年以上、横浜に住んでいるんですけど、生まれたのは福岡です。親父が炭坑夫をやっていたときに、炭坑長屋で1950年に生まれました。朝鮮戦争が始った年ですね。ただ、両親は石川県の人間なんです。石川県七尾市です。母親が七尾の農家の娘で、父親も遠い親戚だと言っていましたから、同じ石川県の出身だと思います。知っているかぎりでは、特に秀でた係累がいるわけでもありません。こつこつと地道な人生を送っているおとなしい家系の人間です。

今日はもちろん詩の話を、せっかくなのでざっくばらんにしたいと思いますが、ぼくの話は難しくないので、難しいことは話せないので、気楽に聞いてください。まずは最近考えていることを二つばかり話そうかと思います。その後で、萩原朔太郎の詩を読んで見ようと思います。

最近考えていることの一つ目ですけど、まず詩にはすばらしい点が二つある、という話をします。

で、今さらっていうことなんですけど、ぼくは毎日やっていることに立ち止まる癖があるんですね。毎日、人としてやっている行為ってありますね。考えないでもやっている行為。そういう行為って、別にあらためて立ち止まって考える必要なんかないんです。でも、どうしても立ち止まってしまうんですね。

たとえば詩を長く書いてきました。ぼくはながい間、詩を読んだり書いたりしてきたんですけど、「そもそも詩を読むとか詩を書くってどんなことだろうと、立ち止まるんですね。そうすると詩を書くっていう行為がとっても奇妙な行為だな」と感じてしまうんです。

なんというか、言葉っていつも使っていますね。家族との挨拶にしても、仕事場での連絡にしても、日記を書くにしても、なにしろいつも使っているものですね。その同じ言葉を使っているのに、ある言葉は「詩」ではなくて、これは「詩」というものだ、と決めつける行為って不思議だなと、今さらながら思うわけです。なかなかそういうのに慣れてゆかないんです。

例えば昔の文語詩の時代の詩や、韻律を伴った詩ならわかるんです。そういう詩って自分の毎日の生活の言葉とは別のところにあるものですから、そうか、こういうのが詩というものなのだなと、はっきりとわかるわけです。

また俳句や短歌や川柳も普通の言葉とは形が違いますね。小説だって、普通あんなに長くしゃべりませから、これは小説だというのは明確です。でも詩って何でしょう、なんか曖昧な世界なんです。それ自体が曖昧なものですね。

今の詩ってなんでしょう。口語ですね。ほとんど話し言葉ですね。それって奇妙だなと感じるんです。だって普段の生活で普通に使っているのとまったく同じ材料(つまり普段着の言葉)を使って「詩」というものを書いて、その「詩」というものを他の人が「ああこれが詩なんだな」と了解して読んでいるんです。とても奇妙ですよね。

例えば、ある日宇宙人がやってきて、地球のことを何も知らない生物ですから詩のことなんか知らないわけです。その宇宙人から「言葉とは何か」と聞かれたあとに、「詩とは何か」と聞かれたとき、うまく説明できないですね。普通の会話や連絡としての、詩でないものと、一方、これは詩の言葉だ、というところのさかいめを説明するのはとても難しい。

言って見れば、どこか、そこら辺に落ちている小石をショーケースに入れて売っているようなものなんです。あるいは、水道の水を容器に入れて、値段をつけて売っているようなものです。原料や材料はどこにでもあって、どうということのないものなんです。材料は、一歳児でも話し始めることのできる言葉なんです。

ですから言葉を使って詩を書くのはホントに簡単なんです。書いた人が、これは自分にとって詩だと思い、詩というラベルを貼ってしまえば詩なんです。

で、まさに詩というもののよさ、すばらしさというのは、その曖昧さ、曖昧であるがゆえに何でも詩として許してしまうことにあるんです。空け広げなんです。すぐ傍にあるんです。お手軽に、誰にでも書けるんです。道に転がっている小石なんです。でも、だれでも手に熱く握れる小石なんです。なんでもない水なんです。でも、だれでもごくごくと体に入れて、その人の人生を潤すことのできる水なんです。

詩ってすぐそばにあるんです。そこにあるんです。

どんなに忙しくても書けるんです。例えば横柄な亭主に嫌気をさしている主婦が、台所で煮物を作りながらふと思いついたことをすぐに書けるのが詩なんです。上司に毎日いじめられている勤め人が通勤電車の中で、二つも三つも詩が書けるんです。つらい毎日の中でも、息はしています。その息をしているのと同じくらいに気軽に書けるものなんです。

詩を書く人を、詩を読む人を、ちょっと救ってくれるんです。つらい毎日から救ってくれるんです。

詩って小石なんです。水なんです。空気なんです。そこが、僕にとって詩が他の文学とは違うところなんです。作為から遠くても成立するんです。だからぼくは詩に惹かれ続けているのかなと思うんです。生きていることそのものなんです。

さきほど、ぼくの家系はどこにでもある特に秀でたところのない、でもこつこつと働く家系だと言いました。そういう人間でも書いていいんです。そういう文学なんです。それが、詩と言うものの、素晴らしさの一つ目です。

で、「詩」というものはとても曖昧なものだということを、今言ったんですけど、一方、詩と言うものには曖昧でないこともあるわけです。つまりその材料や普段の言葉との境目は確かに曖昧で奇妙なんですけど、そんなふうになんでもないものをなんでもなく作り上げた「詩」というものを読むと、ある場合には、どうにもやるせなくなることがあるんです。感動してしまうんです。この感動は曖昧なものではなく、確実なものです。確実に心に訴えてくるものです。

このやるせなさは、自分が生きていることに刺激を与えてくれるんです。心をつついてくれるんです。今ここに生きている、ということを、あらためて思い出させてくれるんです。

これも不思議ですね。生きていると、いつもは生きているということを忘れて生きてしまいます。単に用事をこなすことに精いっぱいになってしまうからです。言葉は単に生きるためのツールでしかなくなっています。そのツールの持ち方を変えるのが、「詩」なんです。

毎日が忙しいのは分かるんですけど、たまには「今、生きているんだ」って、思い出そうよ、というのが、詩なんです。息をしているのを思い出そうよ、家族と肩を寄せてこの時代を生き抜いているんだということをあらためて思い出そうよ、愛する人も、自分も、時間というものに乗っている限り、いつかはこの世からいなくなるんだということを、思い出そうよ。そういったふうに、いろんな大切なことを思い出させてくれるのが、詩なんです。

そうやって、自分を見つめなおさせてくれるのが、詩なんです。すぐれた詩というものなんです。それが詩というものの、二つ目のよさ、すばらしさです。誰にでも書けて、生きていることに感動させてくれる、それが詩なんです。

だから、ぼくはもちろん強制するつもりはありませんが、今まで詩をあまり読んだことがないという人は、少し意識して、好きな詩人を見つけ、読んでみたらどうでしょうと小さな声ですすめたいんです。もちろん、そんなことには興味がない、自分が生きていることを思い出すなんて、何の意味があるんだと、思っている人もたくさんいると思います。それはそれで、もちろんかまわないと思います。ひとそれぞれです。

でも、もし今までに、詩のかけらや、ちょっとした言葉に、心を激しく揺さぶられることのあった人であれば、詩を読み、詩を書いてゆくことは、そうしなかった人生よりも、何か、豊かなものが付け加えられるのではないかとぼくは思います。

詩はすぐそばにある文学です。空気のような、水のような、文学です。誰とでも分かち合える日差しのような文学です。言葉さえ知っていれば、だれにでも書ける文学です。形のない、とらえどころのない、だからこそ、だれにでも、その人なりにつかまえられる文学です。持たざるものが、しっかり持つことのできる文学です。詩を読み、書くことの喜びは、もしその人が獲得したいというのならば、誰にでも獲得のできるものなんです。

 もうひとつ、最近考えていることをお話します。

昨晩、横浜からこちらに着きまして、昨夜は駅近くのビジネスホテルで一泊していました。まあ、別にホテルに泊まらずに、朝起きて横浜からこちらに来ようと思えばできるんですけど、泊まることにしたんです。もう結構な歳になってしまったんで、七二歳になるんですけど、ぼくなりの生き方といいますか、もう会社勤めをしているわけではないので、自分のやりかたで、心の向きに沿って、好きなように行動しようと思っているわけです。

その「好きなように行動する」ということの一つはどういうことかって言いますと、「もう要領よく動こうとしない。手際よく動こうとしない」ということなんです。そういうふうに決めたんです。

長い間、勤め人をしていますと、朝早く会社に行って、まず今日はどの仕事から手を付けてとか、これとこれは午後イチで片付けてとか、その日の予定を分刻みで考えてきたわけです。そうすれば一分でも早くその日の仕事が終わるし、家に帰れるかなとか、そんなことばかり考えていたわけです。

要領よく動くって、あるいは手際よく動くって、別に会社の仕事だけではなくて、家にいても同じです。ぼくはこの頃ひとりで留守番をすることが多くて、でもそうしていても、この家事を先に片付けてとか、その次にこれをやってとか、しょっちゅう効率を考えているわけです。効率を考えて動こうとすると、どうしても同時に両手を使うわけですね。でも歳をとってくると、同時に二つのことが、なかなかできなくなるんですね。ものをよく落としたり、躓いたりするのは、ひとつには次にする用事ことを考えているからなんです。効率良くやるために。これをやったら次にこれをやる、なんて考えているから、そのときにまさにやっていることへの注意が散漫になってくるんです。

昔から、効率よく動くことがよいことだと教えられてきたので、朝、ゆったりした時間に、自分の好きな原稿を書くための時間にさえ、なぜか、なにかに追われるようにして、一つひとつの動きをテキパキとやらなければならないと思いこんでしまっているんです。でも、歳をとってくるとなかなかテキパキとは動けなくなってきます。電源プラグ一つ差し込むにも、時間がかかってくるんです。おぼつかない。で、あるとき気がついたんです。この歳になってまで、いったい誰がぼくの効率を求めているんだろう。必要としているんだろう。この細かい動作を効率的にやったところで、結果として何秒、何分の時間を自分は獲得できるのだろう。たいしたことないじゃないか。だったらもう、こういうのはやめようよと決めたんです。

せいぜい「非効率に動こう」と思ったんです。まずは延長コードをゆっくりと取り出す、取り出し終ったら、それから次の作業をやろう、そんなふうにゆっくりとやってゆこうではないかと、自分に言い聞かせたんです。

それで原稿を書く時間が仮に五分少なくなったところで、なんの問題があるだろう、そう思ったんです。むしろ心がざわめかないだけ、何かにせかされている思いがなくなるだけ、自分らしい原稿が落ち着いて書けるのではないかと思えるわけです。

それって、毎日の動きのことだけではなくて、自分のこれまでの人生を考えてみても、ぼくの人生はとっても非効率だったなと思うんです。何度も詩をやめて、また書き始めて、捨てた本をまた買い直して、また詩をやめて、そういうのを繰り返してきました。

ぼくがもっと効率よくてきぱきと生きることができたなら、やるべきタイミングでやるべきことをやっていたら、もっと若い頃にたくさんの本を出して、少なくとも30代か40代のぼくがここにいて、もっと口がスムーズにまわって、こうしてみなさんに詩の話ができたのだろうなと思うわけです。でも、ぼくは効率的にはできていないんです。60代になってやっと気づいたことがあったし、70代になってやっと話せることに思いついたりしているんです。非効率な人間なんです。ただ、非効率な生き方をしてきたから、成し遂げることのできたことがあるんだとも思うんです。非効率な人間だからできることがあるんだと思うんです。

ということで、長い回り道をしてぼくはここにいます。今日は90分ほど、せいぜい非効率にゆっくり詩の話をしようかと思います。

で、いきなりなんですけど、今年『これから詩を読み、書くひとのための詩の教室』(思潮社)という分厚い本を出したんです。詩集ではなく、「詩の教室」で話をしたその講義録なんです。詩とは何かとか、詩とどのように付き合ってゆくかとか、生徒に分かりやすく話した、その講義録なんです。

で、この本が仲立ちしてくれまして、今日はぼくはここでお話をさせていただくということになったんです。世の中、不思議なものです。真にやりたいことを夢中になってやっていると、思わぬよいことが起きるものだなと思います。声をかけていただいて、とても感謝をしています。

で、今日は詩の話をさせていただくということで、ただ、せっかく萩原朔太郎にちなんだ講演のシリーズの一環なので、また、僕にとっても朔太郎というのは特別な詩人なので、そのへんのお話しもさせていただこうかと思っています。

何度も言いますが、ぼくは七十二歳になりますが、子供の頃に詩に惹かれて、夢中になってずっと詩を書いてきました。まあ、途中で落ちこぼれたり、詩の世界から蒸発したりはしましたが、それでも長いあいだ、詩を読んだり書いたりしてきました。

その最初の頃に、とにかく夢中になって、打ちのめされるように読んでいたのが萩原朔太郎の詩でした。ですから、なんというか、僕の詩のオオモトには朔太郎がいるんです。

それはたぶん僕だけではないと思うのです。日本で詩を書いている人って言うのは、中学生や高校生の頃に、教科書に載っていた朔太郎の詩が、詩との初めての出会いだという人は多いと思います。ぼくも教科書に載っていた「竹」の詩に驚きました。若い僕の胸の中に、詩というもの、まさに「詩というますぐなるもの」がしっかり生えてしまったのです。ずっと根深く生えているわけです。

あれから半世紀以上経ちますが、未だに、朔太郎という名前を見るだけで心はときめきます。というのも、雛が最初に目にしたものを親だと思ってしまうように、ぼくも「詩」と言えば朔太郎の「竹」の詩がまず思い浮かぶんです。あれが詩なんだと、深く思ってしまったんです。あれからたくさんの詩人のたくさんの詩を読んできましたが、「詩」と言えば、どうしても朔太郎の詩を思い浮かべてしまうんです。

若い頃に朔太郎を読んで、これは普通の書き物じゃないと子供ながらに思いました。ただものじゃないと感じました。わかったんです。まずはこれは詩というジャンルのものだということを知って、でも、詩であろうが、あるいはどんな名前のジャンルのものであろうが、そんなことはどうでもよくて、とにかく作品に強く惹かれました。半端なく引き付けられました。そんなことはそれまでなかったことでした。世の中には、こんなに引きつけられる書き物があるんだと思いました。詩というものがある、そういう世の中に生まれてきたんだと思いました。

奇跡のような書き物だと思いました。こんなふうに、それまで僕がなんとなく感じていたことを、それも人に堂々と言えないような感覚を、しっかり言葉ひとつひとつにして形にして見せてくれる人が、この世にいたのかと、驚きました。

ぼくが自分の生涯を詩に費やすことになったことの大きな理由の一つは、間違いなく朔太郎との出会いだったんです。この世には詩というものがあるんだ、という嬉しさに満ちて、毎日暮らしていました。

最近の人がどんな詩と初めて出会って詩に入っていくのかは分かりませんし、人それぞれだと思います。ネット詩が初めてという人もいるでしょうし、あるいは『現代詩文庫』などから戦後の詩からいきなり入る人もいます、谷川俊太郎から入る人もいるでしょう。また最果タヒで詩というものを知ったという人もいるでしょう。それはそれでいいと思うんですけど、戦前の、近代詩から読み始めて、その後に戦後詩に行く、という道筋は、やっぱり自然な流れかなと思います。ぼくもそうしました。

というのも、最近の詩人の書く詩にも、脈々と、朔太郎や中也が苦心して見いだした詩の魅力が折り込まれているからです。そういったことが、最近の詩を読んでいても見えてくるんです。ここは昔から書かれているものと同じだなとか、ここはこの人の新しいところだなとかが見えてくるんです。そういったことを知ることで、今書かれている詩の厚みを感じることができるんです。

詩というのは、時代とともに深まってゆくものなのか、進歩して行くものなのか、ということを時々考えるんですけど、一概には言えないですね。文芸というものは、科学技術とは違います。たしかに、太平洋戦争を通過したことによって、詩が反省し、学んだ部分もありますけど、一方、近代詩から受け継いでいるものが今でも詩と言うものの素晴らしさの大部分を占めているのではないかとも、感じることがあるんです。

それから朔太郎の詩を読んでいると、自分が書いたかのような錯覚をおこします。もちろん自分にはこれほどのものは書けないわけですけど、才能のある自分が別にいて、自分の代わりに書いてくれたような錯覚をします。それから朔太郎の詩を読んでいますと、なぜか自分にも詩が書けるのではないかと思ってしまいます。書きたいという気持ちがおきてきます。ぼくにとっての朔太郎はそのような存在でした。

後に、このような感覚は朔太郎の詩だけではなく、優れた詩に共通のものだということを知りました。石原吉郎の詩を読んでも同じように感じます。真にすぐれて心のこもった詩を読むと、その詩の中から流れ出てくるものがあって、それが読む人に、「自分も詩が書けるのではないか、書きたい」という気持ちを起こさせるようなのです。「詩を読む」、という行為は「詩を書く」ということの、確実に梃子(てこ)になるのだと思います。

朔太郎を知って詩を書き始めたぼくは、結局、生涯詩を読んだり書いたりして過ごしてきました。で、わけのわからないことを言うようですが、ぼくたちは朔太郎にはなれません、でも朔太郎と同じには、なれるんです。どういうことかと言いますと、ぼくは朔太郎にあこがれはしましたが、朔太郎のようにはもちろん書けませんでした。いえ、ぼくだけではなく、だれも朔太郎のようには書けません。でも、だれでも朔太郎のように、自分の読み方で詩を読み、自分の書き方で自分の詩を書いて生涯を過ごすことはできます。朔太郎もそうしてきたんです。

ぼくは朔太郎にはなれませんでしたが、朔太郎が夢中になってやっていた行為と同じ行為をぼくなりに夢中になってやってくることができました。つまりは朔太郎と同じように創作の喜びに満ちることができました。それって、朔太郎になれたっていうことと同じだと思えるのです。違うのは作品だけです。

朔太郎がこの世に二人いなかったように、こんな自分でも、自分は二人はいないのです。朔太郎が見なかったものを見ることができ、体験しなかった時代を生きている自分だから書ける詩が、ささやかにでもあるのだと思います。朔太郎がそうしたように、ということです。

今回、朔太郎の詩集をあらためて読み直しました。もちろんすごいなと思ったんですけど、読みながら強く感じたことがあったんです。そのお話をしたいと思います。

(行動規範)

話はちょっと飛ぶんですけど、僕は外資系の大きな会社に四十三年間、経理を担当して勤めていました。それで、経理をやっていたこともあって、社員の行動規範を徹底するという仕事も同時にやっていたんです。そのための講習会の社内講師もやっていたんです。行動規範って、「こういうことはやってはいけませんよ」という決まりのことです。つまりは不正行為をやってはいけませんよということなんです。

不正行為をやってはいけないなんて、当たり前のことで、なんで大人に向かって、会社でそのような講習をするかといいますと、人間というのは、見た目よりもずっと弱くできているからなんです。そのことに、普段の自分は気づいていないんです。自分は大丈夫だと思っているんです。

例えば売り上げの金額とか、仕事の達成率、そういうものも、だれにも見つからないと思うときには、つい変えてしまう、という弱い心があるからなんです。

もちろんなんでもない時にはそんなことをしません。でも、その数字によって、自分が明日上司に叱られるかどうかが決まる、その数字によって本社が大変なことになるかどうかが決まる、さらに、この数字をチェックしているのは自分だけだということを知っているとか、そういういろんな条件が重なって、切羽詰まった状況になると、追い詰められてしまって、正常な判断ができなくなってしまう。勝手な理屈をつけて不正をやってしまう、ということがあるんです。勝手な理屈って、たとえば、来月もどしておけばいいんだ、とか、解釈によっては、こういうのも成り立つんじゃないかとか、いろいろあります。

そういうことをやってはいけませんと、わかりきったことをしつこく教育してゆくんです。心の落とし穴に気をつけましょう、ということなんです。特に経理というのは、会社にとって大きな不正をする可能性のある部署なんです。営業であれば自分の担当内の不正しかできませんが、でも経理って、会社のすべてを最後にまとめあげる部署ですから、そこで不正をしてしまうと、例えば数字を変えてしまうと、会社全体の不正になってしまうんです。

それって会社の存立にも関わってきてしまうんです。ですからぼくは経理をやっていましたから、「行動規範」の講習の役割をあてがわれまして、社員全員に、不正な行為は止めましょうという教育をしていたわけです。

行動規範の講習の詳しい内容についてはここで話をするわけにはいかないんですけど、一般的な話の説明の中に、こんな主旨のことがあったんです。「もしもその行動が世間に明らかになった時に、例えば雑誌や新聞に載った時に、親や子供に知られて困るような不正はするな」というのがあるんです。これは、その行動をやってもいいかどうかということの、ひとつの判断基準として、自分の家族の目を意識して考えてみなさい、ということなんです。それを判断基準にして行動しろということです。

変な話なんですけど、今回、久しぶりに朔太郎の詩集を読みながらしきりに思い出したのは、この行動規範の講習会のことだったんです。つまり、行動規範の方は、「その行動をしていいかどうかは、家族に知られても大丈夫なことかどうかで判断しなさい。家族に知られたら困るようなことはするのをやめなさい」ということなんですけど、では、朔太郎の詩はどうでしょう。朔太郎の詩は、「この詩が家族に見られたら困るような詩を書くのはやめましょう」という教えに則った詩でしょうか。

どうも、そうではないとぼくは思えます。

朔太郎の詩の全部ではないんですけど、多くの詩は、どう考えてもこの詩が家族に知られたら、書いた本人はさぞ困るというか、恥ずかしいというか、どうにも言い訳をしたくなるような詩が多いんです。ですから、朔太郎の詩を読みながら、なぜかその逆のこととして、行動規範の説明会を思い出したんです。行動規範の講習と、朔太郎の詩に対する姿勢は、違っています、正反対です。そこが妙に面白かったんです。

言い方を変えるならば、行動規範を守るためにきゅうきゅうとお行儀よく生きなければならない世界と、そういうものから解き放たれて生きてもよい世界の、二つの世界がこの世にはある、ということなんです。ですから今日は、行動規範の説明会とは全く逆のことを話すことになります。

もしあなたが、人生を全うしたいと思うならば、行動規範を守らなければなりません。でも、もしあなたが自分の表現を全うしたいと思うなら、家族の目なんか気にして遠慮をして書いている内は、半端なものしかできません。もっと踏み込んだことを書かなければ詩は生きてこないのです。そんなことを言いたくなってきます。

朔太郎の詩から学べることは、言い過ぎなのかもしれませんが、親兄弟に知られたらとんでもなく恥ずかしいことの中にこそ、書くべきことがある、ということのではないでしょうか。そういったことを隠さずに書くことが、人の胸を打つものになりうるということなのかもしれません。

それはたぶん、親兄弟に知られたら困るようなことの中に、通常は表面化していない、普通は言ったりすることのない、でも「生きていることの重要な秘密」が隠されている、ということなのではないでしょうか。

ただ、ここで注意しなければならないのは、そのように踏み込んだ詩を書いてしまうにしても、人を中傷したり、人を傷つけるようなことをしたり、プライバシーを侵害したりするような詩は決して書いてはいけない、ということです。

あくまでも、自分の内面の重要な部分であって、人と共通する部分があるのならば、どこまでも足を踏み出して書いたほうが、よいものが書けるのではないか、という話です。

(隠さなくてもいいんだ)

今回、朔太郎を読みながらいろいろなことを感じ、考えていたんですけど、朔太郎から学んだ一番大きなことは、ひと言で言うならば、「隠さなくてもいいんだ」ということなんです。「隠さなくてもいいんだ」。

先ほど、僕が初めて知った詩は朔太郎だったと言いましたが、正確には朔太郎を知るちょっと前から、勝手に詩のようなものを書いてはいたんです。姉の影響だったんですけど。で、朔太郎を知るまでのぼくが詩というものをイメージしたとき、詩と言うのは何かというと、煌びやかさ、鮮やかさ、静けさ、清潔さ、ロマンチシズム、自然の見事さ、四季の移り変わり、などなど、なんというか、一言でいえば、生きている上での「うつくしさ」を表現するものだと思っていました。詩はやっぱり美しいものがいいと思っていました。ほっとしますし、清められた気持ちにもなります。

ところが、一方で、現実の僕はどうかというと、決して美しい詩の中のようには生きることができていませんでした。どう見ても美しい若者ではなかったわけです。毎日、劣等感に苛まれていて、貧しい欲に悩み、苦しみ、怠惰で、悩みだらけの若者でした。取り柄のない、若いだけの人間でした。自分なんて、と思っていました。

ただ、詩は書いていました。もちろん美しいものを求めるような詩ばかりではなく、自分の苦悩も劣等感も自分なりに書いていました。書ける範囲で書いていました。

ところが、その頃に朔太郎を読んで、驚いたんです。ぼくも自分のことをあからさまに書いていたつもりだったのですが、朔太郎の詩の中の「あからさまに書く」というのはそんなものではなかったわけです。

時に、人に知られたら恥ずかしい性欲がそのまま詩に書かれています。気持ちの悪い軟体動物のようなものがそのまま書かれています。そのようなものに惹かれる自分の性癖が、そのまま書かれています。何でもかんでもそのまま書かれています。それらの「あからさまな行為やイメージ」がなんとも言えない感情を伴ってこちらに迫ってくるんです。それが、生きていることのホンネなんだと感じるんです。

つまり、ぼくは何も隠さずに自分のことを書いていたつもりだったんですけど、実はそうではなく、詩を書く多くのところで自分でブレーキをかけ、カッコつけていました。詩の中で「自分はダメだ」と書いていながら、それでもこういういいところがあると若干の言い訳をしていたんです。あきらめが悪いんです。朔太郎の「あからさまに書く」という態度はそんなものではないんです。繰り返しますが、朔太郎が教えてくれたのは、「何も隠さなくていいんだ」という態度なんです。

美しいものも、うつくしくないものも、強いものも、弱いものも、みっともないものも、貧しいものも、あらゆるものの中に、この世にあるというだけで、感動に結びつくものがある、その感動を一つずつ見つけなければいけない、ということなのです。

そういうことを、朔太郎の詩は教えてくれているんです。

それで、ここからは、今回ぼくが朔太郎の詩集を読み直して感じたこと、「何も隠さなくていいんだ」ということの中身を、もう少し細かく見てみようと思います。

僕は詩の教室で、誰かの詩を取り上げるときに、まずはその人の詩を全部読んで、(詩って、その人の詩を全部読んでみようとすると、結構短期間で読めるものなんです)。で、印をつけながら読んで、その中から特に気持ちが引きつけられた詩を10篇選びだし、その10篇が語りかけてくるものに耳を澄ます、という手順を踏んでいます。

北村太郎も、清水哲男も、黒田三郎も、三角みづ紀も、そうしてきました。全作品を読んで、その内の10篇を選んで繰り返し読み直すと、その人の核みたいなものが見えてくるんです。

これは皆さんにお勧めしたいと思うんですけど、詩を読む、というのはまさに詩を読むことなんですけど、詩を読んで、その詩についての感想を例えば800字くらい書いてみる、ということをしますと、ただ漫然と読んでいるだけでは気が付かなかったことが見えてくるんです。その詩について書くことによって、その詩の理解が深まるです。本当にそうなんです。やってみてください。それで、こういった行為は、詩論や詩人論の練習にもなるんです。ぜひやってみてください。

ですから、ぼくは十篇を選ぶと、その十篇の詩について、毎日一篇ずつ感想を書いてゆくんです。そうやって十篇の詩についての感想が書き終わる頃には、その詩人について、それまでよりもずっと明確な受け止め方をすることができるんです。感じ方を作り上げることができるんです。

ですから今回もそうしました。今回選んだ10篇は、お手元にあります。その10篇から僕が考えたことというか、朔太郎が教えてくれたことは主に3つです。ですから3つのパートにわけてあります。

目次の詩がⅠⅡⅢのパートに分けてあるのはそのためです。

その三つのパートに、ぼくはこんなメッセージをつけました。

Ⅰ(僕らは臆することなく、ありのままを詩に直接書いてもよかったんだ。)
Ⅱ(僕らの、人並みになれないという感じ方が、詩の世界を広げてくれる。)
Ⅲ(僕らは臆することなく、生きることの鮮やかさを詩にしてもよかったんだ。)

この三つです。この三つは相互に関連していて、さらにその三つを一つにまとめれば、「臆さなくてもいいんだ」という言葉に向かっています。それは自然に、先ほどから繰り返し言っている「何も隠さなくていいんだ」という気持ちに繋がっています。

それでは最初のパートの最初の詩から見てゆこうかと思います。

かなしい遠景

かなしい薄暮になれば、
労働者にて東京市中が満員なり、
それらの憔悴した帽子のかげが、
市街(まち)中いちめんにひろがり、
あつちの市区でも、こつちの市区でも、
堅い地面を掘つくりかへす、
掘り出して見るならば、
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ。
重さ五匁ほどもある、
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ。
それも本所深川あたりの遠方からはじめ、
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで、
しなびきつた心臓がしやべるを光らしてゐる。

「かなしい遠景」について

この詩がぼくらに教えてくれているのは、「書くことの中身がしっかりあるのなら、感情語をそのままナマで使っても優れた詩になるんだ」ということです。「隠さなくてもいいんだ」。つまり、普通の感情語も隠さなくてもいいんだ、飾らずにそのまま使って詩を作ってもいいんだということです。

タイトルが「かなしい遠景」で、詩の一行目が「かなしい薄暮」です。いきなり「かなしい」という一つのありふれた感情をそのまま差し出しています。

朔太郎の詩を読んでいると、圧倒的に「さびしい」とか「かなしい」という言葉を多く使っているように思います。では、今の現代詩はどうでしょう。人にもよると思いますが、詩の中に「かなしい」とか「さびしい」という言葉をそのまま使うことは、あまりにも直接的すぎるので、避けている人が多いのではないでしょうか。なんとか「かなしい」とそのまま言わずに、「かなしい」感情へ持っていくように工夫をする。そういう作為をした方が、直接に言ってしまうよりも一見高等のように見えます。

今の詩は、比喩とか象徴とかを通して、何か別なものを書くことによって「かなしさ」や「さびしさ」を表現するということです。そういう考え方や、やり方のよさもわかります。でも、それをやって詩を書いてうまくいかないと、いったい何を言わんとしているのかが見えづらくなることも確かです。

朔太郎は「かなしい」とか「さびしい」という直接的な言葉を躊躇いなく、惜しげもなく詩の中で使います。だって「かなしい」のだし「さびしい」のだから。もちろんこういったことは、朔太郎が詩の創成期に詩を書いていたから、まだ感情語をそのまま使うことが許されていた、ありふれていなかった、ということもあったのかもしれません。それが時代とともに、その先へ詩が向かった、ということもあったでしょう。でも、それだけではないものも、どうしても感じてしまうんです。

朔太郎のすごいのは、そういったあからさまな形容詞を使いながら、そのあとの詩の中身で、「かなしさ」「さびしさ」を見事に再現できていることです。「かなしい」と言ったきりで終らせていないで、その後でこれでもかというほどに「かなしい」ものを提示してゆきます。

それでいて、その「かなしい」ことの例は、だれもが「かなしい」とは通常は思わないものを、実はこれも「かなしい」もののひとつなのだと、見つけて、教えてくれているのです。そこがすごいのです。

つまり、今の多くの現代詩人が書いている詩は、まず正体をあらわさずにあいまいなことを書いて、例えば「ヤカン」ならヤカンの詩を書いて、それが「悲しさ」を表しているのだとほのめかすような詩であり、言うならばその「曖昧さ」から「悲しさ」へのつながりの見事さを書いているのです。

一方、朔太郎の書いている詩は、最初から「悲しさ」の詩を書くと宣言した上で、その後で人が思いつかないような悲しさを見つけて書いている、ということになります。普通の人では思いつかないような悲しさですから、朔太郎は詩の幅を広げて見せているのです。われわれの感性を広げてくれているんです。

それって、朔太郎と現代の詩は、一見違うことのように見えますが、結局同じことなのかもしれません。突き詰めれば、同じように比喩を使っているということです。広く見るならば、今の詩は全体が比喩(特に暗喩)に満ちていて、一方、朔太郎の詩は、「悲しい」という宣言後に比喩を駆使しているということです。唯一違うのは、「かなしい」と、明確に書いてしまっているかいないかの違いのようです。

ということは、「かなしい」を外してしまえば、今の詩がやろうとしていることを、朔太郎がすでにやっていたことだった、ということにもなります。

朔太郎を読んでいる人は、そうか、こんなことも悲しさだったのかと知って驚き、その驚きは、叙情の間口を確実に広げてくれているわけです。

現代詩は難解だとよく言われていますが、難解だということのひとつには、こういった部分も含まれているわけです。つまり、現代に詩を書く人も、たとえば「かなしい」もので、みんなが気付いていないものを探して詩に書くわけですけれども、それが悲しいものだとなかなか読む人に気付いてもらえない、だから読む人にとっては難解に見える、ということもあるわけです。

具体的にこの詩を見てみましょう。この詩が示してくれている「悲しさ」は「都市の労働者」です。その労働者がやっていることは、「堅い地面を掘つくりかへす」ことであり、なぜそんなことをするかというと、「煤ぐろい嗅煙草の銀紙」を掘り出すためだとあります。

なんだかわけのわからない行為ですが、そのわけのわからなさが「かなしさ」そのものなのではないかと思われます。あんまり悲しくなると、人はわけのわからないことを考えたり、わけのわからない行動をしたくなるものです。

この銀紙は、労働者が休憩の時に、喫煙のためにいっときほっとして使用したあとのものでしょうか。そうであるならば、銀紙を掘り返すという行為は、過ごされた休憩時間を意味している、あるいは安息に向かう心を書いているようにも思えます。

日々の暮らしを支えるために、必死に働いている労働者が、頭の中で、次の休みの日のことを考えている、その日までの辛抱だ、休みまで、という思いで、もう少し頑張ろうと自分を励ましている。そのような思いの「悲しみ」であるように思えます。「しなびきつた心臓がしやべるを光らしてゐる」という最後の行は、そのような切ない思いを代弁しているのではないかと思うんです。

それから、掘っているのは「にほひ菫のひからびきつた根つ株だ」というところがあります。「においスミレ」というのは、僕は植物には疎いんですが、調べてみると、「ニオイスミレの根や茎には神経毒があり、嘔吐や神経麻痺を発症することがある」と書いてあります。この「神経」という意味を、この詩のニオイスミレという言葉の奥に、朔太郎は潜ませていたのではないかと思います。わかる人にはわかるのでしょう。

それと、この詩にはもう一つ特徴的なことがあります。まさにタイトルに「かなしい遠景」とありますが、遠景からの描写が見事に描かれていることです。朔太郎の詩には時折このような視点が現れます。上空から群衆や町を俯瞰しているような視点から書かれた詩です。

むろん、朔太郎の心の中では、自分を通して、社会全体を描こう、多くの人のありかた、労働というもの、労働者というものの行動、生き方を書こうという広い視点があり、それが詩の中に、自分の肉体から離れて、遠景からの視点として実現しているのだろうと思います。だから、書かれていることの深刻さにも拘わらず、どこか広々とした空を詩の中の空間に感じることができるんです。

この詩の最初で言いましたように、この詩では、まっすぐな感情語は隠す必要はない、そのまま素直に詩に使ってもいいんだということを教えてくれています。その教えは、まっすぐな感情語、のみならず、詩を書こうとする時にたじろいでしまう領域、自分をさらけ出そうとすると躊躇してしまう気持ちを解き放したほうが、詩が生きてくるよとも、言っているのだと思います。

と言うことで、朔太郎が教えてくれたことの一つ目、「パートⅠ(僕らは臆することなく、ありのままを詩に直接書いても良かったんだ。)という側面から「かなしい遠景」を見てきました。

その次の、「ありあけ」という詩も非常に興味深い作品です。だれでもが感じることを誇張することによって詩にしています。

「ありあけ」という詩は、肉体をどうにかしてしまうことによって表せる感覚というものがあり、それによって見事な詩はできるということを示しています。肉体の美しさのみならず、むしろゆがみが示してくれる叙情がある、という重要なことをも教えてくれています。

さらに、ぼく自分のことを言いますと、ぼくには「顔」という詩があって、ぼくの代表作のようになっていますが、この「顔」という詩も、朔太郎の、肉体に対する接近の仕方から学んだことがあるのではないかと、自分なりに感じるんです。たどってみると朔太郎から来ているんです。

また、ぼくの詩だけではなく、肉体をどうにかしてしまって、その姿を詩にする、というのは、今でも現代詩の中で繰り返し書かれています。今でも詩の主要なテーマです。朔太郎の影響というのは計り知れないと思います。

パートⅠでは、ほかに、「愛憐(あいれん)」と「恋を恋する人」の2篇を載せいています。これもぜひ、あらためて読んでみてください。ここには、「性や性欲」について、まさにあからさまに書いています。すごいです。今でも、性や性欲について書かれている詩はたまにありますけど、朔太郎の詩ほど、あからさまに性を書いている詩にはめったに出会えません。

「愛憐」や「恋を恋する人」がぼくらに教えてくれているのは、「誰に読まれるかを考えている内は、中途半端な詩になってしまう」、ということです。

次に、パートⅡ(僕らの、人並みになれないという感じ方が、詩の世界を広げてくれる。)という観点から、朔太郎の詩を見てみようと思います。読んで見ましょう。

田舎を恐る

わたしは田舎をおそれる、
田舎の人気のない水田(すいでん)の中にふるへて、
ほそながくのびる苗(なえ)の列をおそれる。
くらい家屋の中に住むまづしい人間のむれをおそれる。
田舎のあぜみちに坐つてゐると、
おほなみのやうな土壌の重みが、わたしの心をくらくする、
土壌のくさつたにほひが私の皮膚をくろずませる、
冬枯れのさびしい自然が私の生活をくるしくする。

田舎の空気は陰鬱で重くるしい、
田舎の手触りはざらざらして気もちがわるい、
わたしはときどき田舎を思ふと、
きめのあらい動物の皮膚のにほひに悩まされる。
わたしは田舎をおそれる、
田舎は熱病の青じろい夢である。

(「田舎を恐る」について)

変な言い方ですが、日本語を話す人には、普通の日本人が感じる日本語それぞれの感触、というものがもともとあると思うのです。同じ母国語を共有するものとして、ですね。様々な単語の中でも、この言葉には叙情を感じる単語、あらかじめ詩的な言葉というものがあります。

例えば「紡ぐ」という動詞です。これは誰が使っても叙情的になります。また、「言の葉」という言葉もあります。「こしらえる」という動詞もそうですね。こういう単語には単語自体に、もともと叙情性が備わっているわけです。ですから、叙情的な詩を書くときには、このような言葉を使うことはとても便利なわけです。「言の葉を紡ぐ」と書けば、詩らしいものがすぐにできてしまうんです。

ところが、みんなが同じ情緒を感じるということは、便利であるという側面だけではなく、もう一つの面も持っています。つまり、新鮮味を感じない、新しさを感じない、という側面も持ってしまうというわけです。みんながしばしば「言の葉」という単語を詩に使っていれば、だんだん「言の葉」という言葉に慣れてきてしまって、その魅力は減ってゆくわけです。

そういう時に詩人はどうするかといいますと、さらにその先の事を考えます。「別の言葉で、ありふれていないけど、叙情的な言葉、はないだろうか」、と探します。みんなは普通に生きていてまだ感じていないのかもしれないけど、実はこの単語には、こんな感じ方も含まれているんですよと、詩人が発見して提示する、そういった単語を探すわけです。

実は、こういった、これまで一般的には詩的だと感じられてこなかった、認知されていない言葉を、詩として発見して披露(ひろう)する、というのは、「詩」というジャンルの中ではとても大切な行為であるわけです。

それは単語だけに限らず、言葉の調子であったり、言葉と言葉の組み合わせであったり、行と行との繋がり方であったり、飛躍であったり、詩を構成するあらゆる要素に当てはまります。こういった発見や試みこそが、詩の詩たるゆえんであるとも言えるわけです。

この「田舎を恐る」という詩で、朔太郎が詩的であると発見して、私たちに提示して見せてくれたものは「田舎」という単語です。「田舎」という言葉が叙情詩に使われてもよいのだということです。さらに「田舎は恐い」という感覚です。そのような感覚があり、そういった感覚は普通の人にとっては若干の驚きであり、新しいものを齎せてくれて、感動を与えてくれるものだということを、発見しています。

普通に「田舎」を詩に書くのならば、郷愁であったり、人の温かさであったり、のんびりした感情であったり、美しい山河であったりする訳ですが、朔太郎は「田舎」をそのようには書きません。「わたしは田舎をおそれる、」と書きます。

普通と違う書き方ですから、読んでいるこちらはいったん驚きます。朔太郎のすごいのは、この奇異な言葉の組み合わせを、奇異というところで終らせないことです。不思議なのは、読む人は、これは妙な感じ方だなと思うとともに、確かにこういった感じ方も可能だな、分かるなと納得してしまうことです。

つまり、この詩を読む人も、この詩を読むことによって、朔太郎と同じに、「田舎をおそれる、」という感覚になってしまうのです。「田舎をおそれる」という感覚を知ってしまうのです。

どうして読み手をそのような感覚にさせることができるかというと、これは単に奇を衒った表現ではないからなのです。田舎ののんびりした情景は、裏返せば刺激のない、動きのとぼしい、精気の失われた状態というものにも繋がることを、田舎に住みながら朔太郎は、実感として感じていたのだと思うのです。

田舎の何が具体的に恐ろしいかというと、「ほそながくのびる苗(なえ)の列をおそれる」とあります。この表現で大事なのは「ほそながい」という形容詞です。単に苗(なえ)の列が恐ろしいのではなく、「ほそながくのびる」状態が恐ろしいのです。この伸び方はおそらく、日々の何事もなく過ぎてゆく時間の経過の恐ろしさ、生きているとそれだけで知らずに徐々に死へ向かっているという恐ろしさをも重ねた意味を持っているのかと思います。

さらに「くらい家屋の中に住むまづしい人間のむれをおそれる」とあります。この表現で大事なのは「むれ」ということころです。また、「人」と言わずに「人間」と言っているところです。「人間のむれ」という言い方は、自ずと「家畜のむれ」を連想させます。あたかも、あてがいぶちの食料を食べ続ける家畜のようにひたすら生きている人間、そんなふうに、どこか精気なく生きていかざるをえない恐ろしさを言っているのではないでしょうか。そしてこの家畜の連想は、この詩の中の「きめのあらい動物の皮膚のにほひ」という行にも繋がってゆくのです。

ぼくがこの詩で一番好きなのは「おほなみのやうな土壌の重み」という言い方です。誰がこのようなことを思い浮かべるでしょうか。土壌という大地にべったりとくっついている固形物が、大波のように押し寄せてくる、その情景のダイナミックなことに驚かざるを得ません。

今の映像技術があれば、このダイナミックさは視覚的には映像として再現できるかもしれません。でも、そこに含まれている「悲しみ」を、人それぞれの頭の中に作り上げることは、詩によってしかできないのではないかと思います。詩というものの、すごさ、見事さを、感じざるを得ないんです。

普通は感じないことの先をたどっていくと感じられることや、異常に鋭くなった感性でものを見たことを詩に書くことによって、読者はそのような感じ方がこの世にはあるのだと知らされます。

「田舎を恐れる」という感覚は、通常のありふれた感覚での「田舎はのどかで、よい人ばかりが住んでいて恐くない」という感覚からは正反対のものであって、でもこう書かれると、そのおだやかさ、静けさそのものが不気味になり、おそろしくも感じられるから不思議です。

こういった感じ方というのは、ある種、普通の感じ方からほど遠いものであります。なぜ自分は田舎をすがすがしく感じられないのか、さわやかに感じられないのか、この静かさの中で汗をかき、心地よく労働に励むことができないのか、といった「人並みになれないという感じ方」がどこかにあるのではないかと思うのです。

朝になっても布団の中で勝手な考え事に夢中になっている、外ではすでに働いている人の物音が聞こえる、そういった状況です。でも、布団の中の勝手な妄想は、なにも生み出さないかというと、そんなことはなくて、田舎というものの受け止め方に、今までにはなかった感覚を齎してくれます。

また、この詩を読んでいる人が都会にいたとしても、ここに書かれた田舎についての心持ちは、なぜか理解できてしまいます。朔太郎がこの詩を書かなければ、気がつかなかった感覚を、読者も持つことができるようになるのです。

そしてその感覚は、読む人それぞれの、日々生きて行くことの意味と感触を、考えさせてもくれるのです。つまりは、朔太郎のこの一篇は朔太郎が教えてくれたこと、「(僕らの、人並みになれないという感じ方が、詩の世界を広げてくれる。)」ということなのです。

今日は時間の関係で読めませんが、このパートⅡの他の詩、「鶏」「大砲を撃つ」も、読み見直してみてください。どれも、みんなが働いている時に、自分だけ布団の中で考えごとをしているという詩です。どれもすばらしい詩です。

ということで、ここまで朔太郎が教えてくれたこととして二つ、見てきました。パートⅠ(僕らは臆することなく、ありのままを詩に直接書いても良かったんだ。)パートⅡ(僕らの、人並みになれないという感じ方が、詩の世界を広げてくれる。)ということを見てきたのですが、もう一つ、朔太郎が教えてくれたことがあります。

三つ目は、パートⅢ(僕らは臆することなく、生きることの鮮やかさを詩にしても良かったんだ。)ということで、「再会」「殺人事件」「掌上の種」の三つの詩を載せました。

この三つ目のパートは、ほかのパートとは違い、明るみへ向かおうとするものです。わかりやすく、言葉のきらびやかさや、シーンの鮮やかさを前面に出した詩ですので、こういった詩から受け取るものをも、感じてみてください。とても素直に読めるパートです。

再会

皿にはをどる肉さかな
春夏(はるなつ)すぎて
きみが手に銀のふほをくはおもからむ。
ああ秋ふかみ
なめいしにこほろぎ鳴き
ええてるは玻璃をやぶれど
再会のくちづけかたく凍りて
ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。
みよあめつちにみづがねながれ
しめやかに皿はすべりて
み手にやさしく腕輪はづされしが
真珠ちりこぼれ
ともしび風にぬれて
このにほふ舗石(しきいし)はしろがねのうれひにめざめむ。

(「再会」について)

この詩は、内容としては、男女が再会して食事をしている、ということです。特別変ったことを書いている訳ではありません。でも、その再会はよほど嬉しいものであったようです。会いたかったという気持ちがきらきら輝いているようです。その気持ちが、周りの風景に流れ出て、これでもかというほど光り輝いています。

こういった詩を読んでいると、嬉しさや楽しさにおいても、パートⅠの「ありのままをそのまま詩に書いてもよかったんだ」というのと同じなんだなと思います。

多くの作為や工夫の後にできた詩のようでいて、おおもとは、実はとても単純な心持ちで、朔太郎は詩を書いていたのかなと思ってしまいます。

この詩は、どこか、絵本の中の宝箱のような感じの詩です。読んでいて、単純にそのきらびやかさがまぶしく感じます。それにしても、生まれてきて、生きていて、ある瞬間が、こんなに待ち望まれていて、うれしくてしかたがないことがあるなんて、素敵だなと思うわけです。この詩を読んでいると、ああだこうだ考えずとも、生きる喜びを正面から表明してもよいのだということが分かります。

それとともに、朔太郎自身がこんなにも喜びに満ちた瞬間を持てたのだなとも思われて、ほっとすることも確かです。

この詩で使われている「ふほをく」「ええてる」「ふんすゐ」などの、本来ならカタカナや漢字で表すものを敢えてひらがなで表記する方法は、この時代だけではなく、今の詩でもしばしばなされています。詩だけではなく、広告のコピーでもよく使われる手法です。日本語の表現方法の一つの典型になっています。ひらがなにすることによって、いつもとはちょっと違った感じ方を齎せてくれるからです。おそらくこの時代の朔太郎の詩のあり方の影響が、今に至るまでずっと続いているのかなと思います。たしかにどこかエキゾチックな印象をもつことができます。

それにしても一行目から「皿にはをどる肉さかな」とあるのは、よほどうれしいようです。もちろん踊っているのは肉魚ではなく、肉魚を見ているこの人の心の方です。ちなみに「なめいし」は滑らかな石のことで大理石のこと。このレストランの床か壁がつるつるした大理石でできていて、その奥からコオロギの声が聞こえるようです。

「再会のくちづけかたく凍りて」というのは、久しぶりに相手の体に触れることに、どこかぎくしゃくしてしまう、ということでしょうか。「再会のくちづけかたく凍りて」と、かなり生々しく書かれているところを見れば、間違いなく恋人との再会です。きらびやかな食欲と、元気のよい性欲が、惜しげもなく書き表されています。

どうでしょう、ずっと昔に書かれたこの詩の方が、現代に書かれている詩よりも、ずっと開けっ広げで、勇気のある表現だなと思うは、ぼくだけでしょうか。

「ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。」の噴水はレストランの外の空に水を打ち上げています。あるいはこの人の中の空に、激しく上がっています。「みよあめつちにみづがねながれ」の「みづがね」は水銀のこと。「ええてる」にしろ「みづがね」にしろ、化学的な物質を、その姿の鋭いあり方を利用して、詩に多用しています。それから、なにげなく書かれていますが、最後の「ともしび風にぬれて」の「風に濡れる」という表現も見事です。あるいは「にほふ舗石(しきいし)」というところもおろそかには書いていません。

気がつけば、詩の隅々まで詩人の目が行き届いていて、完璧な詩にしようとする思いの勢いが感じられます。実に、感性を開け広げて書いてゆこうという朔太郎の勇気と新しさを感じます。きらびやかな言葉のありようはほんとに見事です。

朔太郎の詩を考えるときに、このような、喜びの素直な発露をも見逃してはならないのだと思うのです。それはそのまま、私たちが詩を書くときに、余計な作為や手法によって詩を曖昧にして書くのではなく、感情や感覚をそのまま直接書き表してもよいのだということに繋がります。

それは、まさにパートⅢ(僕らは臆することなく、生きることの鮮やかさを詩にしてもよかったんだ。)ということでもあり、パートⅠ(僕らは臆することなく、ありのままを詩に直接書いてもよかったんだ。)ということでもあるのだと思います。

パートⅢにはほかに、「殺人事件」と「掌上の種」を載せました。

「殺人事件」は、このような題材が詩で書けるのだという意味で、詩というものが扱える領域を広げてくれた画期的な詩ですが、それとともに、ここに描かれた眩しいほどの視覚的な情景をも、ぼくらを驚かせてくれます。

「掌上の種」は、自分が大地の代わりになる、という覚悟のようなものを感じる詩です。つまり、自分が大地になり、そこに樹が生えてくれば、そのまま樹の中に溶け込んでしまうのではないかと、そんな感じにうっとりと読めます。ぼくの大好きな詩です。

ということで、ここまで、朔太郎の詩から、「隠さなくてもいいんだ」という面から詩を読んできました。

そんなふうに言ってくれている朔太郎は、もちろん特別な詩人です。特別な詩人ですが、別の見方をすれば、特別でもなんでもなく、今、詩を読み、書いているぼくらとなんら変わりはないとも、言えるんだと思うんです。

その辺のことをもう一度お話して、今日の話を終わりにしたいと思います。

(最後に)

昔、子供の頃に朔太郎を読んでいた時は、朔太郎のような著名な詩人は、ぼくなんかのようなありきたりの人間とは違った頭と感性を持っていて、だからひたすら、読んであこがれる存在なのかなと思っていました。

その思いは、ある面正しくて、朔太郎はとても遠くの存在であることは間違いないことなんです。ただ、物事の認識というのはたったひとつではなくて、詩を読んだり書いたりすることの行為、という側面から見てみると、萩原朔太郎という人も、ぼくらと同じように言葉に悩み、言葉に語りかけ、言葉を使っていたのだ、ということでは、僕らとあまり変らないのではないのかな、とも思うわけです。

畏怖の念は持っているけれども、お互いの心はそれほど離れてはいないのではないか。それがぼくにとっての萩原朔太郎なんです。

この、「どんな詩人も、考えていることや目指していることは、さほどに違わないのではないか」という思いは、もちろん朔太郎だけのことではなく、ほかの優れたな詩人にも当てはまっています。詩と言うのは、つい最近書き始めた中学生も、谷川俊太郎のような有名な詩人も、新しく書こうという一篇の詩の前では、同じような心持ちなのかなとも、思うわけです。新しい詩に立ち向かう時の心持ちは一緒なんです。

で、今日の最後に何を言いたいかといいますと、萩原朔太郎の詩って、こんなに人を引きつけますし、面白いよ、ということなんですけど、それとともに、ぼくらは、萩原朔太郎にはなれませんが、朔太郎と同じ悩みを悩み、同じ喜びを喜び、同じように詩を読み、同じように詩を書きながら生きていけるのだ、ということです。そのことの無常の喜びなのです。

ぼくは朔太郎とは違うけれども、同じように、詩を書いている心の内に必死に生きているということです。そういう意味では、ぼくらはまさに朔太郎でもある、ということなんです。

先日ジブリの映画をテレビで観ました。『耳をすませば』という映画なんですけど、その中に印象的なシーンがありました。少年がバイオリンを弾いて、少女に聞かせているんです。「カントリーロード」という曲でした。それをバイオリンで少年が弾いているんです。

目の前で聴いていた少女が少年に言います。「とってもバイオリンが上手ね。その道に進むつもりなの?」って。それに対して少年が答えたんです。「いや、俺くらいに弾けるのはざらにいるから」って。その言葉がすごく胸に響くんです。つまり「俺くらいに弾ける人はざらにいるから、俺はバイオリン弾きにはなれない」ということです。

その言葉は多くのことを僕に考えさせるんです。バイオリンを弾くってどういうことだろう。バイオリン弾きになるってどういうことだろう。表現って、何のために、誰のためにあるのだろう。そんなことです。

例えばある人が、バイオリンでチゴイネルワイゼンを見事に弾けたら素敵だし、それを目の前で弾いてくれる人がいたら、聴いていてすごく感激すると思うんです。それがバイオリンを弾くということの、一番重要なことなんだと思うんです。美しい曲を弾いて、その美しさを受け止めて感動をする人がいる。そのためにバイオリンや音楽はあるんだと思うんです。

そのような感動の受け渡しこそが大切なんです。ただ、日本中を探せば、その人よりもさらに上手く弾ける人がどこかにいるかもしれません。いるのでしょう。でも、そんなことは大した問題ではないわけです。表現をする、ということで言えば、そのような比較は二次的なことであるわけです。本来、うまさを競争するために音楽があるわけではないんです。表現があるわけではないんです。一番うまい人だけが弾くためのバイオリンではないんです。

詩も同じです。うまさを競い合うために詩があるわけではないんです。

うまかろうが下手だろうが、単に、自分の思いを吐き出してもいいんだと言うことです。そこが重要なんです。そのために詩と言うものがあるんです。

これまでにも多くの、自分に似ている人、詩を好きな人たちがいて、もともとは朔太郎もその内の一人だったはずです。朔太郎は僕らよりも詩について多くを考え、知っていて、「書くことにためらわなくていいんだ」と教えてくれています。

ぼくはぼくの弾き方で詩を楽しく練習してゆこうと思っています。どこかに、ぼくよりも上手に詩が書ける人がいようといまいと、そんなことは分からないし、分かったとしても、ぼくはぼくの詩を書き続けるしかないんです。楽しく書いていればいいんです。それでいいんです。

もしかしたら世界のどこかに、僕の詩を、心の奥深くまでしみ込ませ、味わってくれる人がいるかもしれないのです。そうであるならば、詩を書くということは、ほかの何よりも価値のあることだと思うんです。

ぼくはぼくなりに、楽しみながら詩を読み、愉快に自分の可能性を求めて詩を書いてゆこうと思います。できたら朔太郎に倣って、書くことの躊躇いを少しは除くようにして、勇気を持って、書いてゆきたいと思っているんです。そうやって書かれた人の詩をも、存分に味わって楽しみながら読んでゆこうと思います。

詩とともに生きることによって、詩から何かを与えてもらえるような付き合い方を、一生して行きたいと思っています。初めの方で言ったことをもう一度言って、今日の話を終わりにしたいと思います。

詩はすぐそばにある文学です。
空気のような、水のような、文学です。
誰とでも分かち合える、日差しのような文学です。
言葉さえ知っていれば、だれにでも書ける文学です。
形のない、とらえどころのない、
だからこそ、だれにでも、その人なりにつかまえられる文学です。
持たざるものが、しっかり持つことのできる文学です。

詩を読み、書くことの喜びは、もしその人が獲得したいというのならば、誰にでも獲得のできるものなんです。

ありがとうございました。

(2022/11/3 高崎にて)

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